18.明日への希望
「1人居ないだけで静かになるものですねぇ」
わたし=アリソン・ヒューズは、エイデンのその一言で我に返った。「ローズクラウン」の開店準備をしながらボーっとしていたのだ。一つの皿を何分も磨き続けていた気がする。
「アリソンが1人で騒いでいたイメージですが……。私だけだとはしゃぎ甲斐がないですか?」
「わたし、あいつの前ではそんなにうるさかった? そんなこと、ないと思うけど」
あいつ=ルイスとパトリックが宮廷に戻ったのはもう10日も前のこと。パトリックがマリッサに宮廷に戻ると告げてからすぐに行ってしまった。
「基本的に、私以外の男の前でははしゃいでますね。これが、アリソンの前の世界で言う“ビッチ”なんでしょうか」
「失礼ね。ビッチとは対極にいるわよ! わたしはジュリアン様一筋なんだから!」
わたしは反射的にエイデンの右腕を叩く。――すると、エイデンは苦痛に顔を歪める。わたしは慌ててエイデンの体を労わる。エイデンは平気だと笑みを作るものの、冷や汗を流している。
エイデンのその腕には、10日前に氷の矢が刺さっていた。わたしを庇ったが為に……。マリッサに魔法でその矢を抜いてもらい解毒の魔法も施してもらったものの、ドラゴンになった際に腕の全面に広がってしまった為、傷はまだ残ったまま。まだまだ痛むのだろう。
せめて、治癒の魔法が使えたらと思う。日本で見た二次元のお話では傷をたちまちに治す治癒の魔法があるのに、この世界にはどうしてないのだろう……。
「どうして治癒の魔法がないんだろう。そう、思ってます?」
気持ちを見透かされている。わたしがエイデンの顔を見返すと、エイデンは「昔言ってたでしょ」と答えた後に続ける。
「オリビア王女だって助かったかもしれないですよね」
「それは思うけど――あっ! ちょっと! その話は……」
エイデンは口元に人差し指を持っていく。
「王家の秘匿事項、でしたね。2人きりだから油断してましたよ。失敬」
王家の秘匿事項その1。オリビア王女は10歳の時に事故で落命している。
「――でも、彼女が存命なら“彼”だって好きなように生きられたでしょうにね」
王家の秘匿事項その2。パトリック王子が女装をし、オリビア王女が存命であると装っている。
「その方がアリソンだってよかったのでは?」
エイデンのシーエメラルドの瞳がわたしを見据える。わたしと同じ色の瞳なのに、どうして彼の場合はすべて見透かすように光るのだろう。
「わ、わたしは関係ないでしょ!」
そりゃあ命は続いた方がいい。王位継承者順位が同等の人がいれば、彼だってもっと自由に生きることができたでしょう。でも、わたしもよかったって? 関係なくない?
「本当に関係ないと思ってます? もう10日も経つのに、ずっと上の空といった様子ですよ」
仕事に身が入っていない……。その指摘は確かにそうだけど、わたしはムッとしてしまった。前からそうだ。エイデンはわたしの男関係に口うるさい。友人からただの顔見知り……推し事にさえ探りを入れてくる。兄のようなものではあるけれど、実の兄ではないのに。そもそも、実の兄だとしてこんなに首突っ込んでくるもの? エイネブルーム王国では15歳で成人なのに。
「今頃、みんな何をしてるんでしょうねぇ」
エイデンはわたしのひと睨みから逃れるように、窓へと視線を移した。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
俺=パトリック・フローレスは、数十人の騎士を連れてフラワーリングの中心街にある王立公園に来ていた。公園内にある広場で簡易的な屋台を広げ、炊き出しの準備をしている。俺も騎士達も剣を腰に提げてはいるが軽装。王子の容姿は金髪碧眼ということ以外は民には割れていない為、騒がれるということは特になかった。
「お兄さん? ねぇ。何をしているの?」
声をかけてきたのは、10歳くらいの少女だ。身なりがいいので、おそらく貴族の娘だろう。――この子には関係ないよな、と思いながらも俺は答える。
「俺達がチラシを配った人にね、料理を振舞うんだよ」
少女はキラキラした瞳で何を作っているのかとかどこから来たのかとか、矢継ぎ早に質問をしてくる。気づくと他にも少女達が集まってきていた。年のころも身なりもバラバラな彼女達はどういった生活をしていて親はどんな仕事をしているのだろう。俺はそんなことを気にしながら、投げかけられる質問に答える。――と、不意に肩を叩かれる。
「口じゃなくて手を動かせ」
振り返ると、無表情のルイスが居た。馬車から降ろした野菜カゴを抱えている。ルイスの言う通り、発案者の俺が動かないでどうする。俺は「怖いお兄さんに怒られちゃうから、また今度ね」と言って少女達を解散させた。
「相変わらずおモテになるようで」
抑揚なく嫌味を言われた。ルイスだってなかなか良い男なんだから、もう少し愛想よくしたらモテるんじゃないかな。俺が思うままに伝えると、「興味ない」と答えた。
「女性が嫌いなの治らないんだね。アリソンと一緒にいて少しはマシになったと思ったけど。――はいはい、手を動かしますよ」
ルイスのひと睨みを受けた俺は、黙々と作業を再開する。
太陽が真上に昇る頃には、料理が完成した。今回はチキンと野菜のサンドウィッチとオニオンスープを振る舞う。徐々に集まり始めていた人々を誘導係が並ばせる。俺はサンドウィッチを配る係でルイスはスープを配る係だ。ルイスは相変わらず無愛想に配っている。
料理の提供対象者は、世帯収入が平均値の半分以下の家庭だ。身に着けているものは質素で、先程の貴族の少女とはまるで違っている。痩せている人が多く、顔色もどことなく悪い気がする。
隣からルイスの名を呼ぶ明るい声が聞こえてくる。思わずそちらを見ると、10歳くらいの少女がいる。キラキラした瞳でルイスに話しかけているが、ルイスは相変わらず無愛想。――あの子、ルイスのことが怖くないのか? 名前も知っていたようだし知り合い? そう言えば、見覚えがあるような。
少女はルイスからオニオンスープを受けとると、俺の方に視線を移した。少女はジッと俺の方を見続け、数秒後に目を見開く。
「あ! 女装のお兄さん!」
その言葉で、俺はこの少女のことを思い出した。アリソンの友人で、病弱な母親と暮らす子だ。名前は、確かミア。そもそも俺がこの炊き出しを始めようと思ったのも、この子の存在があったからだった。
「お顔出してここにいても平気なの?」
「もう、逃げる必要がなくなったからね」
そうなんだーと答えるミアの背後の方から視線を感じる。釣られてそちらを見ると、ミアと同じ年くらいの男の子が俺のことを睨んでいた。確か、カーターと言ったかな。彼は俺からサンドウィッチを受けとると、まだ俺と話したそうなミアに「行くぞ」と声をかけて歩いて行ってしまう。ミアは少し不満げな顔をしてカーターを追おうとするが、ハッとして俺の方を見る。
「お兄さん達はいつも炊き出しに来てくれるの?」
俺が「そのつもりだよ」と答えると、不満げだったミアの顔がパッと明るくなる。そして、「また会おうね!」と言って遠くなりかけているカーターの背中を追った。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
俺達は週に1度は公園に来て、料理を振る舞っている。毎回ミア達はやって来て、ミアはニコニコしながら俺やルイスに話しかけてくるし他の騎士とも親しくなったようだ。カーターはいつもミアの話し相手を睨んでいるけど……。
3回目くらいから、片付けのタイミングでミアが遊びに来るようになった。5回目の今日もそろそろ来るだろうかと思っていると、ミアの明るい声が聞こえてくる。俺は振り返ってミアに挨拶をしようと――あ。
そこには、ミアに手を引かれているアリソンの姿があった。アリソンは俺やルイスがここにいることを知らなかったのか、驚いた顔をしている。
「久しぶりね。――元気、だった?」
アリソンは俺とルイスの両方に声をかけているようだ。ルイスは答える気配がないので、俺が先に答える。
「元気だったよ。アリソンは?」
「毎日毎日ジュリアンジュリアンってうるさいくらい元気だぞ」
アリソンの後方から返答がきた。カーターだ。アリソンは真っ赤になって、「どうしてあなたが答えるのよ!」と言っている。
「アリソンって大人なのに、オレより子どもっぽいところあるよな」
その言葉に、俺は声を上げて笑う。恥ずかしそうなアリソンの視線に気づいて、俺は軽く頭を下げる。
「ごめん。アリソンを笑ったわけじゃないよ。――カーターが、知り合いに似ているものだから」
カーターを見ていると、オスカー・オルガのことを思い出す。オリビアの婚約者としてやって来た隣国の王子。オスカーは本命には一直線で不器用ながらも優しいが、他の女性には辛辣。本命の周りにいる異性にはあからさまに敵対心を剝き出しにする。
「ああ。赤髪の彼か。確かに」
ルイスはボソッとそう言うと、珍しくクスクスと笑い出した。
「ね。元気だと良いけど」
彼は本命のメイドを連れて愛の逃避行を決めてしまったが、一体どこへいるのやら。存在しないオリビアを愛してくれるよりもこちらとしては好都合だけれど、彼のご両親にはいつなんと伝えるべきか……。まったく、我が王家は秘匿事項が多すぎる。
「あ! そうだ。ちょっとね、アリソンとお兄さんに見せたいものがあるの。――あ、女子限定だからカーターとルイスは着いてきちゃだめよ」
ミアは空いている方の手で俺の手を掴む。カーターが呆れたように「そいつも男だろ」と言うが、ミアは「お姉さんに見えるから大丈夫なの!」と答える。片付けも9割がた終わっているから、きっと問題ないだろう。俺はルイスに声をかけてミアについていくことにした。
ミアに手を引かれて、公園内を進む。王立だけあって広大な敷地面積を誇っており、貴族の屋敷程度の広さはあるのではないだろうか。10分程進むと小高い丘に辿り着く。その丘の頂上付近まで登ると、眼前に大きな湖が広がっている。西日が湖面を照らしており、目を見張るほどの情景が広がっている。
「わー。すごい。綺麗!」
アリソンは感嘆の声を上げてうっとりしている。本当、天真爛漫で面白い。アリソンは俺の視線に気づくと、恥ずかしそうにうつむく。――これまた面白い。本当、からかい甲斐がある。
「美味しいジェラートが近くで売ってるの。ミアが買ってくるから、ここで待ってて!」
「え? 1人で持てる?」
「大丈夫! ミアも立派なレディなのよ。子ども扱いしないで!」
そう言うと、ミアは走って行ってしまった。どうやら、ミアは俺とアリソンを2人きりにしたいらしい。彼女なりに気を遣っているのだろうか。でも、あまり意味がないよな。アリソンはジュリアンに夢中で他の男には興味なさそうだし、俺は――きっと、俺の意思では伴侶を決めることができないから。
「ねぇ。どうして炊き出しを始めようと思ったの?」
「苦労している人って沢山いるんだなって思ったから」
俺とオリビアが生まれた直後、父が亡くなった。母は最愛の人を亡くして失意の中にいたものの、既に王位を継承していた為政務に奔走していた。幼心に強い人だと思っていた。
けれど、俺は10歳になる頃、母が深夜に1人きりで泣いていることを知った。本当は強くないのに、立場上人前では強くあるしかなく無理をしていたのだ。どうして王であるが為に母だけこんな思いをしなければいけないのだろうと、母と自身に流れる血を呪った。
「小さい頃はさ、自分や母だけが大変なのかなって思ってたんだ。でも、13歳になった時かな……ルイスと一緒に旅をしてみて、そうじゃないことを知ったんだ。――あ、気づいていたわりに動き始めるの遅いなって思ってるでしょ」
アリソンは慌てた様子で左右に首を振る。――やっぱ、これは思ってたな。
「どう動けばいいのかわからなかったんだよ。でも、小さなことからでいいんだって気づいたんだ。――アリソン、君のおかげでね」
アリソンは大きな目をパチクリとし、「え? わたし? なんかしたっけ?」と答える。
「君は正義の味方だろう。ミアが言ってた」
「え、ミア?」
「ああ。ミアに仕事を与えてるって。いきなり大きなことをしようと思うから悩む。そうじゃなくできることから、と考えた。その結果が今」
アリソンは照れくさそうに……だけど嬉しそうに笑う。
「あとは、罪滅ぼし、かな」
「罪滅ぼし?」
7年前のあの日、俺はオリビアとルイスを連れ出して遠乗りに出かけた。その先で事故に遭いオリビアは落命し、それを眼前で目撃したルイスは女性と親しくなることにトラウマを覚えてしまった。そして、オリビアを溺愛していた母の心が壊れた。
3人の人生を壊した俺は、罪滅ぼしをしないといけない。いずれ王位を継ぐ宿命・なのに国民どころか身近な人を救うこともできない自分――この境遇が苦しくて何度も逃げ出したけれど、もういい加減向き合わなければいけないんだ。
「みんなのこと、振り回しちゃうからね。振り回した人達への罪滅ぼし。一人でも多くを幸せにしないと」
それがゆくゆくは、俺が壊した母やルイスの心を救うことに繋がるかもしれない。
「歌わないの?」
アリソンにまっすぐな目で尋ねられる。俺は射抜くようなその視線から思わず目をそらす。
「あれから……ルイスと戻ってから、ブルーリングには一度も来てないって聞いたわ。ねぇ。歌わないの?」
「もう、歌う時間はないかな」
「歌ってよ! 前も言ったと思うけれど、あなたの歌には人を感動させる力があるの。歌でも、人を幸せにすることができるわ!」
熱量が伝わってくる。俺の口からは乾いた笑いがこぼれる。
「アリソンは大げさだなぁ。そんな、大層なものじゃないよ」
アリソンは勢いよく首を左右に振る。どうしてか、とても必死な顔をしている。
「わたし、あなたの歌が好きなの。聞いた瞬間、鳥肌が立って。こんな、感動したの初めてで……。あなたには、歌い続けていてほしいな」
そう言えば昔、海辺で美魚族の女の子にも歌を褒められたことがあったな。彼女の方が俺よりもずっとうまいのに、と思った記憶が蘇る。確か彼女は、「私は人の心を動かせないけれどあなたは人の心を動かせるわ」と言っていたかな。
女の子って大体の子が大袈裟だ。俺は……まあ、容姿と歌と剣だけは褒められるし自信もあるけど、そんなに良い男じゃない。だけど、その3つがあるだけで素晴らしい男だとほめそやす。――本当、大袈裟だ。
物心ついた頃から、魔獣族や魔女――特に茨邸の魔女は恐ろしいものだと教えられてきた。決して、近づいてはならないと。でも、どうだろうか。俺の知る美魚族のマリッサと……茨邸の魔女でもあるアリソンは、人間の女の子と変わらない。
魔獣族も魔女も人間と一緒。そういった認識も、世の中に広まっていけばいい。――まあ、悪い魔獣族や魔男魔女もいるが、それは人間だって一緒じゃないか。
懇願するように俺を見つめるシーエメラルドの瞳を見つめ返しながら、俺はアリソンの頭をポンポンっと撫でる。
「そこまで言われたら逆らえないなぁ。また、歌うよ」
俺の一言でアリソンは花が咲くように笑い、「約束よ!」と言う。その笑顔はまるで薔薇のように可憐で美しく――俺の目には、見えた。
薔薇に棘はあれど、茨邸の魔女に棘はあらず。そんな言葉が、俺の脳裏に過る。
【EP1 完】




