01.異世界
わたし=陽野下耀に、人生最大の危機が訪れている。目覚めたら中世ヨーロッパ?風の鎧を着た西洋人の男達に囲まれていて、剣先を向けられていたのだ。
だけど、様子がおかしい。完全に男達が有利なはずなのに、わたしが目覚めたことに気づいた男達は狼狽している。何事か話し合っているけれど、一体何語? 単語の一つも理解できない。
地面に座り込んでいるわたしは、剣先を交わしながら立ち上がる。すると男達は、蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出してしまった。
「一体、何なのよ」
そう独り言ちてから、彼らの方から離れてくれてよかったことに気づく。丸腰に武装じゃ丸腰のわたしが圧倒的に不利だし、言葉がわからなければ理論武装すらできない。
まずは状況の把握。――此処は、住宅街だろうか。ロココ様式の建物が立ち並んでいる。日本でいうと、学校や役所のような大きなものから一戸建て住宅のような小さなものまで様々。でも、明らかに日本ではないんだよな……。
どこかから、人の話し声が聞こえてくる。――さっきの男達が戻って来る? とりあえず、移動しなきゃ。
見知らぬ街を小走りで進んでゆく。頬を撫でる風は暖かい。空には雲が少なく、太陽が真上にあるから……昼頃だろうか。――あれ、そもそもわたしは何をしていたんだっけ?
自宅のマンションでいつも通り濃い目に作ったハイボールを飲んでいて……。すごーく嫌なことがあって、弾みでベランダから飛び降りたような気が……ゾクッとして、その場にしゃがみ込んでしまった。――ぴしゃっと、冷たい水滴がわたしの足に掛かる。
足元には、水溜まりがある。そこには、西洋人の10代くらいの女の子が映っている。髪は真っ黒なのに瞳は真っ赤に見える。とってもアンバランスな印象を受ける。
「誰?」
わたしの声が漏れるのと一緒に、水溜まりの中の女の子の口が動く。――えっ。わたし? 肩に掛かった髪を一つまみしてみると……真っ黒だ。先週美容院でピンクブラウンに染めてもらったばかりなのに! 水溜まりに映る女の子は黒のワンピースを着ていて、わたしも同じものを着ている。――こんな服、持ってたっけ?
なになに? 一体、何が起きている? ――わたし、陽野下耀よね。令和の日本でOLをしていて、30歳になるはず……。え、そういう夢を見ていて、本当は10代の女の子だったの? じゃあ、なんで、陽野下耀としての記憶しかないの?
急に世界が暗転する。暗闇の向こうから、さっきの男達が発していた理解できない言葉が聞こえてくる。皮膚から伝わるこの質感……布? わたしがもぞもぞとすると、上から誰かに押さえつけられる。
「痛っ! な、なになに? こ、ここから出して!!」
助けを乞うわたしの声は届いていないらしく、どことなく歓喜に満ちたような声が聞こえてくる。――ねぇ。なんでそんなに嬉しそうなの? 目からは涙がこぼれてくる。
男達の声が急に静かになった。――と思うと、女性の声が聞こえてくる。相変わらず何を言っているのかわからないけれど、落ち着き払ったその声は……男達を取りなしている? ――ん。押さえつけていた人がどこかにいった?
わたしは恐る恐る掛かっていた布を外す。明るくなった視界には、2人の若い女性がいる。年嵩の方の女性がにこやかな表情で何事か語り掛けてくる。さっきまでの男達と違って、わたしに対する敵意は……ない? ――が、何を言っているのかわからない。わたしに伝わってないの、気づいてない?
「あの、わからないです!」
わたしが言葉を発すると、年嵩の女性は顔を顰めた。そして年下の女性に何事か話しかける。2人は一通り話終えると、年嵩の女性がわたしに手を伸ばしてくる。――信じて、大丈夫よね? わたしは恐る恐る女性の手を掴んで立ち上がる。
年嵩の女性に従って、わたしは渡されたストールを被る。先程男達に掛けられた布は厚手でごわごわしていたが、このストールは柔らかい。わたしは女性に先導されて歩き出す。
どうやら人気のない道を選んで進んでいるようだけど、時折人とすれ違う。すれ違いざまに目が合うと何故かぎょっとされるので、視界を下げて歩くようにした。
わたしは共に行く女性達の姿を盗み見る。年嵩の女性は30過ぎくらいだろうか。西洋人にしては凹凸の少ない顔立ちをしているのとブラウンの髪と瞳が相まって、地味な印象を与える。細身で小柄だけど凛とした雰囲気のある人で、芯の強さを感じる。年下の女性は20歳くらいで、年嵩の女性とは真逆で華やかさに溢れている。髪の色なんてピンクで、まるで桜の妖精みたい。――この世界に、桜があるか知らないけど。
平坦な裏路地のような道を5分程歩いただろうか。少し開けた場所に出る。わたし達のほかに人の影はなく、近くにある用水路の流れる音がよく聞こえる。女性達が立ち止まったので、わたしもそれに倣う。
桜の妖精は、おもむろに深紅の石が付いているネックレスを外す。そして、そのネックレスをわたしの首に掛けてくる。桜の妖精はわたしの頭長に手のひらを翳すと、何事か唱え始める。――なになに。儀式? 一体、何が始まるの? で、でも、誰とも言葉が通じないし……このまま逃げるわけには……。視線に気づいてそちらを見ると、年嵩の女性は「大丈夫」とでも言うように微笑む。
うん。とりあえず、信じてみよう。わたしはきゅっと硬く目をつむる。
桜の妖精の声が止んだとほぼ同時だった。頭がぽっと熱くなる。その熱さは顔・肩・腕へと伝わってゆく。――えっ。火? や、やだ! このままじゃ死んじゃ……あっ! 水!
わたしは近くにある用水路へと駆け出す。遠くから女性の呼び止める声が聞こえた気がするけれど、耳を貸す暇なんてない。ふわっとした浮遊感の直後にどぼん、と体が一度沈んで浮き上がってくる。――よ、よかった。火が消えてる。腕が無傷だし、きっとどこもヤケドしてない……かな?
「ソル!」
女性の声が聞こえてくる。声の方を見ると、年嵩の女性と桜の妖精が徐々に離れていっている。流れるプールからプールサイドを眺めているような感覚。どうやら、わたしは用水路に流されているようだ。桜の妖精がわたしを追いかけてくるけれど、流れが早く追いつけない様子。――わたしはどうすればいいんだろう。彼女達は味方と敵どっちなの!?
「ソル!」
また声がする。どうやら、年嵩の女性が叫んでいるようだ。ソルってなんだろう?
突如、桜の妖精の全身が炎に包まれる。その炎が止むと、人間の女性が消えており代わりに……。
「なに、あれ……」
爬虫類を思わせる胴体に蝙蝠のような翼を持つ生き物が飛んでいる。RPGとかで見るドラゴンみたいな姿だ。大きさは先程までそこにいた人間の女性の3倍くらいだろうか。それがわたしの方へと近づいてくる。――そして、鋭い爪がわたしの顔面に向かって――。
「いやっ」
反射的に体を動かすと、頭が水中に沈む。呼吸をきちんと止めていたので器官に入り込むことはなかった。――確か、ここの水は薄っすらと濁っていたわよね。目は開けない方がいいかな……。
わたしはしばらく目を閉じたまま水中に身を任せる。息を止める限界を感じたところで水中を抜けると――ゴンッ! という鈍い音の直後に額に痛みが走る。あ、わたし危ないのかも……そう気づきながら、世界が白んでゆく。




