09.音楽の貴公子
わたし=エヴァジェンナ・レヴィは、夜の森を歩いている。
魔法で出現させた火が唯一の明かりで、それを頼りにけもの道を進んでいく。
目の端にキラッと光るものを捉えた。それは蝶々の髪飾りだ。トパーズがあしらわれており、それがキラキラと光っている。その髪飾りを付けドレスアップしたシャルロッテ・パーカー=ロッテが、怯えた目でわたしを見ている。
「アリソンが茨邸の魔女だったの?」
わたしが近づこうとすると、ロッテは逃げ出す。すぐに追いかけたものの、霧のように消えてしまった。辺りを駆け回っても影も形も見当たらない。わたしは何度も彼女の名前を呼ぶけれど、辺りには静寂が広がっている。
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「――ソン! ――アリ、ソン!」
男声に呼びかけられ、肩を揺すられている。かすむ視界の中にいるのは、「ローズクラウン」の制服を着ているエイデンだ。
「今日はもう閉店にしましょうか」
彼のその一言で、わたしは「ローズクラウン」の休憩室のテーブルに突っ伏して眠っていたことを思い出す。時刻は14時30分。もう1時間は寝ていたということになる。
「だ、大丈夫よ! これからティータイムじゃない。稼ぎ時に閉店なんてしてられないわ!」
わたしは制止するエイデンを振り切って、休憩室からフロントへと移動する。すると店内はがらんどう。入り口には「clause」の看板がぶら下がっている。
エイデンが勝手に閉店にしたのだ。文句の一つでも言ってやろうと振り返ろうとすると、後ろから抱きしめられる。
「今日くらいはゆっくり休みなさい」
ぎゅっと抱きしめてくるエイデンの体温が暖かくて、わたしは急に泣きそうになってきた。
信じられない。
ロッテが行方不明になるなんて。
ロッテは大人しくて心配性な女の子だ。すべてを投げ出して自ら失踪するなんて、考えられない。誰かに連れ去られたに決まっている。
――このお店の裏は茨邸だ。君と仲良くしているから、茨邸の魔女に攫われたんじゃないのか!?
昨日の夕方、ロッテの父親が憤怒の形相でそう言ってきたのを思い出した。
少なくとも、茨邸の魔女が犯人でないことをわたしは知っている。――だけど、誰もが得体の知れないものの正体をすべて“茨邸の魔女の仕業”と片付けてしまうお国柄だから、茨邸の魔女のせいにされるのは仕方ないのかもしれない。
「オスカーが街で情報収集してますから、それを待ちましょう」
わたしはエイデンのその言葉に従うことにし、閉店作業を終えると茨邸へと戻った。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
昨日の夕方から眠り続けて、ようやく動き出す気になれたのは今日の夕方だった。
アリソンの姿になったわたしは、エイデンやオスカー王子と一緒に馬車に乗ってフラワーリングの中心街へと移動した。ロッテが行方不明になったとされるのは、ダグラス邸での夕食会の後だ。となると場所はフラワーリングの外れの方で、目撃証言はその周辺にありそうだ。でも情報量自体は中心街の方が多いので、わたし達は馬車に乗車したのだ。
わたしとエイデンはオスカー王子と別れて情報収集に繰り出した。劇場周辺で俳優の出待ちをしている女性に話しかけるけれど、何か知ってそうな人はいない。わたし達は早々にその場を離れ、ジャズ・クラブへと移動した。
「ブルーリング」という名前のジャズ・クラブは飲食店でもあり、上演されていない今、来客は飲食しながら会話をしたりしている。服装の感じからするに客の大半は庶民だ。そのためか、メニューには家庭的な料理が多い。
日本にあるフードコートやコーヒー専門店と同じようにセリフ方式なようで、わたし達は受付カウンターに軽食とドリンクを取りに行った。エイデンがワインを頼んだのでわたしもアルコールを摂取したくなったが、エイデンに止められてしまった。こちらの世界に来てからは、アルコールに弱くなってしまったから……。
軽食とドリンクを受け取ったわたし達は、適当な席へと着席した。食事をしながら、相席になった紳士2人組に話かけてみる。彼らは少女の失踪が増えていることを知ってはいるものの、どこか他人事で何も知らない様子だ。
わたしとエイデンは食事を終えると席を移動し、そのたびに相席になった人へと話しかけていく。タトゥーを入れた強面の男の元カノも失踪したらしく最後に会った場所はどこか尋ねると、お前たちには関係ないだろうと凄まれてしまった。
ドリンクのお代わりをエイデンが取りに行ったので、わたしはぼんやりと場内を眺めていた。――その時だった。店内が薄暗くなり、その数分後に舞台上から音楽が流れだす。わたしが舞台の方に顔を向けた瞬間、スポットライトが舞台上を照らす。そこには、ギターを持ったパンクファッションの人が立っていた。フードを深くかぶっているし中性的な体格の為、性別がわからない。
舞台上の人物はギターをかき鳴らし、歌い始めた。――ハイトーンボイスのその声には迫力がありながらもどこか繊細さも感じられ、一瞬にしてその歌の世界へと引きずり込まれた。周囲のほかの音や声がかき消され、ぐいぐいと引き込まれていく。その声はハイトーンながらも男性の声であることはすぐにわかった。
彼(?)が奏でるその歌は、夢を追う恋人のために別れを決意する女性の心境を歌ったものだ。悲しげな感情が声に籠っており、気づいたら涙を流していた。――彼も切ない経験があるのだろうか。そんな心情が伝わってきて、涙が止まらない。
肩を叩かれて振り返ると、そこにはエイデンが居た。驚いた顔をしている。あ、わたしが泣いているからびっくりしたんだろうな。わたしは歌に感動したことを伝えると、エイデンは安心したように笑った。
どうやらエイデンは逆ナンされたらしく、セクシーなドレスのお姉さんと別の席で話してくると言って違うところにいってしまった。エイデンといると女性の視線がやたらとまとわりついてきたけれど、ついにいってしまったか。
わたしは情報収集はエイデンに任せ、休憩がてら彼の歌声を堪能することにした。
舞台に舞い降りた歌い手は5曲披露すると、姿を消した。わたしは名残惜しくて、辺りが動き出した後もその場から動けなくなってしまった。――すると、2人分のアルコールを持った青年に話しかけられた。わたしはアルコールは飲めないと断って、そそくさとその場を離れた。
1人なので男性に話しかけるのは怖いので、女性に話しかけて情報収集することにした。少女失踪事件について知っている人もいるものの、ろくな情報がない。友人が失踪したのだと話しても、彼氏のところに転がり込んだんじゃないかと言ってくる人までいた。
ロッテには男性の影が見えたことすらない。だからそれはないと思う。百歩譲って男性と同棲することああったとしても、無断で仕事を休んだり実家に連絡をしなかったりするとは思えない。
話が一通り終わったので、わたしは喉を潤そうと受付カウンターに向かった。並んでいると、先程話しかけてきた青年にまた話しかけられた。わたしがつっけんどんな態度をとってもお構いなしな様子で、肩に腕を回してきた。わたしは回された腕を振り払おうとするけれど、振り払えない。少女の細腕を呪った。
「君、一人だよね?」
「ち、違います!」
「またまたー。さっきから一人じゃん」
青年はにやついた顔で見てくる。好きじゃない男にまとわりつかれて、正直気味が悪い。わたしは局部を蹴るか足を踏んでやろうかと思ったけれど、肩を自由にしないとそれも難しい。
どこの世界にいっても、女であるだけでこんな思いをする。それが悔しくて、涙が出そうになってきた。せめて、エイデンが近くにいてくれたら違うのに。
「やっと見つけた。どこに行ってたんだよ」
背後から声が聞こえてきた。振り返ると、そこには舞台上にいた歌い手の姿があった。彼はかぶっていたフードを外す。――綺麗なブロンドの髪とサファイアの瞳を有した、愛らしい顔立ちの男性だ。
歌い手はナンパしてきた青年の手をわたしから外すと、自身の方へと引き寄せた。
「僕の彼女に何か用?」
歌い手がそういうと、青年は舌打ちをしてどこかへ行ってしまった。
良かった。どっかに行ってくれた。わたしはホッと胸を撫でおろした。――あ、歌い手にお礼を言わないと。わたしは歌い手の方を見る。――すると、目が合った。そのぱっちりと大きな目には吸い込まれてしまいそうな不思議な力があって、気づいたら目をそらしていた。
「こういうところ初めて?」
「え?」
「慣れてない感じがするから……。ふふっ。かわいいね」
あまりにさらりとかわいいと言ってのけるので、わたしは初め何を言われたのか理解できなかった。理解したと同時に、全身がぽっと熱くなる。
「これから頼むドリンク飲んだら帰りな。送ってくよ」
え。なに。これも新手のナンパ?
でも、彼からはそういう厭らしい感じがしないのよね。
わたしはわたしの分のジュースも注文してくれる彼の横顔を盗み見た。ぱっちりと大きな目を縁取る睫毛は長くて量が多い。お肌も白くてつるつるとしていて綺麗で、お人形みたい。年は17、8歳くらい? 確かに男子なのに女子のような華やかさと儚さがあって、頭が混乱する。
わたしと歌い手はドリンクを持って適当な席へと移動する。わたしはここに来た目的を思い出して、少女失踪事件の話と友人が失踪したことを歌い手に話した。そして、情報収集のためにこのクラブに来たということも。
「それで、知ってどうするの? 君に何かできるの?」
何もできないだろう。言外にそう言われた気がして、わたしはムッとした。
でも、わたしが彼の立場だったらそうしていたと思う。だって、茨邸の魔女だと知らなければ、わたし=アリソンなんてただの少女にしか見えないもの。何もできないように見えるだろう。
「水の魔女、かな」
わたしがオウム返しをすると、歌い手は続ける。
「実はこの間、女の子が連れ去られるのを見たんだ。女が水で玉を作って、その中に女の子を閉じ込めてた」
なんと! 初めて有力っぽい情報をゲットした。わたしは思わず前のめりになって、彼にどんな女なのか問いただしていた。彼は少し遠くの方を見ながら、何故か少し寂し気に続けた。
「背が高めで華奢な女だったかな。それ以上はよくわからない……」
「あー! やっぱり、犯人は魔女なのね!」
また、茨邸の魔女=エヴァジェンナ・レヴィ=わたしが犯人にされるじゃない!! 力を利用して私利私欲のために使ってるのどこのどいつよ!!!
「茨邸に乗り込むんじゃないぞ」
ほら、やっぱり茨邸の魔女のせいにされる。
「――茨邸の魔女が犯人とは限らないからな」
予想外の言葉に、わたしは「え?」と聞き返していた。
「噂だけでこういう人間だって決めつけるのは短絡的じゃないか。俺、そういうの嫌い」
初めてだった。
この国の人は、口を開けば茨邸の魔女を悪く言う。だけど、茨邸の魔女の正体を知っているエイデンなどのごく一部の人間以外で、そうしない人に会ったのは初めてだった。
ぽうっと胸が暖かくなる気がする。
「わたしも、そう思う」
そう同調したけれど、歌い手は少し遠くの方を見て心ここにあらず、といった感じだった。
わたしが彼の視線を追うと、そこには数十人の若者がいた。その中に、オスカー王子と……彼にまとわりつく派手な女……。
「えっマリッサ!?」
わたしが思わず大声を出してしまった。
「彼女を知っているの?」
「え、ええ。なんていうか……腐れ縁、よ。ちなみに、あの一緒にいる人も知り合い」
「あ。そ、そうなんだ」
「マリッサがどうかしました?」
もしかしたら彼も知り合いなのだろうか。
「ううん。き、きれいな子だなって思って」
――きれいな子、か。うん。確かに、マリッサはあの血筋なだけあってビックリするほどきれいよね。男の人は、この世界の住人であってもああいう子が好みなんだ……。
歌い手は再びフードを被り「そろそろ出ようか」と尋ねてきた。その刹那、いつの間にか近くに来ていたエイデンに名前を呼ばれる。
わたしが振り返ると、エイデンは「そろそろ帰りましょうか」と続ける。そんなやり取りを歌い手がじっと見ているので、わたしはエイデンは兄であると告げる。
「な、なんだ。連れが居たんだ。じゃあ、送らなくても帰れるね」
そう言うと、歌い手はそそくさと席から離れる。わたしは引き止めたい衝動に駆られて声を出しかけたけれど、彼の名前すら知らないことに気づいて言葉が出なかった。彼は人混みへと消えていく。
「おやぁ。邪魔しちゃいました?」
「そ、そんなことないわよ! そういうエイデンだって、色んなお姉さんに声かけられてたみたいだけど?」
こうやって話してる今だって、女性達の色めいた視線がエイデンに向いている。そしてわたしが一緒にいることに気づいて、視線の色がわたしを値踏みするようなものに変わる。
「こらこら妬かない」
妬いてないわよーっ! と返すわたしを、エイデンは余裕綽々といった笑顔で見てくる。
わたしとエイデンのところに、オスカー王子とマリッサが合流してきた。オスカー王子にベタベタしているマリッサはわたしの存在に気づくと急に不機嫌になった。
「なんだ。あなた達もいたの」
でも、その手はしっかりとオスカー王子の腕をつかんだままだ。――だけど、オスカー王子は離してほしそうね。表情があからさまにひきつっている。
マリッサはとびっきりの美人なので、男性どころか女性も彼女を見てうっとりしている。それくらいに彼女は魅力的なのに、オスカー王子は逃げたくて逃げたくてたまらないようだ。
どうして?




