少女よ、明かりを灯せ
ターニャがその研究や開発に使っている場所には看板代わりのプレートが付けられている。そこには『T.T.T.WORKS』と書かれている。
これで「トリオール.ワークス」と呼ぶらしいが、ターニャ自身が掲げた訳でも名乗った訳でもない。
昔からのここにあっただけで、その部屋ごと看板を引き継いだだけである。
そして、もう一つ、ターニャ自身がこの部屋を引き継いだ際から、置かれている物がある。
それは電話である。
マイクとスピーカーを持つ送受話器とダイヤルを持つ本体の2つ分かれる機械。その通信方法は有線で行われている。
確かに、この時代でも有線での通信は現役であり、無線に関してはバカピックに宇宙を奪われた事で、その圏内もまた狭められてはいるがこちらも主流。
だが、この電話は過去の技術を利用された物。そのため、この電話と同じ有線で繋がった先にしか使えない。
しかも、それは今となっては、ここともう一つの場所にしかない。
この電話が過去の物とターニャは理解しているが、その原理、理屈は昔の言語から習得しなければならない古い文献からでしか知る事の出来ないロストテクノロジーである。
そんな手の込んだ事をする理由は趣味か、完全に独立したスタンドアローンを目的にしているかである。
とはいえ、スタンドアローンにしてもこんな今の時代、誰も知らないロストテクノロジーに頼るのは趣味以外の何物でも無い。
そんな電話が鳴り出した。
この部屋に誰もいないければ、電話は無意味である。だが、電話を鳴らした者は別の媒体から、この部屋に目的の人物がいる事を把握している。
だから、電話をかけてきている。
相手がこちらを把握している以上、ターニャは嫌々、この電話に出る必要がある訳だ。そして、受話器を持ち上げる。
「もしもし……」
電話での定番のかけ声を口にして、相手の声を待つ。むしろ、待つ暇も無く、話は始まった。
「いやー、ターニャ、元気にしているか。こっちも暇を持て余そうとしているのに、忙しくさせてもらっているよ。まあ、せっかくの電話だから緊張していないか。まあ、こっちは話したい内容がたくさんだから、ただ聞いて、答えてくれればいいよ」
受話器から流れる音声はいくらかノイズが混じっている。
普通の通信なら、ノイズも無く、音声データだけでなく、より多くの情報が含まれている。故にここまで多くの文字数を語る必要も無い。
つまりは無駄な事である。
「失礼、ハカセ。電話のメリットて何か分かりますか」
ターニャが電話越しの相手にそう語る。
彼の名はハカセではないがドクター、ハクシ、プロフェッサーといった肩書きを異名に持つ。通称ではハカセ、その本名は呼んでくれる者がいないから忘れたとうそぶくほど。
そんな彼もまたハヤミと同じ、<旧人類>。その長く生きたが為に、名前を忘れたというのもあながち冗談に聞こえない存在である。
そして、彼は都市に生きる人間。
ただ、そんな存在であってもターニャはいつも通りである。
「通信を切る権利をどちらも握っている事ですよ」
つまり、指先一つで通信を切る事が出来る。また、受話器を本体に戻さなければ、通信は拒絶できる。
これは今では逆に難しい事だ。これ関してはターニャも便利さを感じている。
「まったく、こちらの会話に合わせてくれないのか」
「要件は手短に。会話は手間が掛かりますので」
「旧世代では、会話は確実な交流手段だったというのに」
「それは千年単位での昔の事ですが」
その言葉にハカセもいささか、笑ってしまう。
「そこまで昔では無いよ。それに今だって、会話の重要性はそう変わらない」
ハカセは自身が語った言葉に何か思う所があったのか、会話に間を置いている。だが、ターニャには関係の無い事だ。
「では、要件も終わりましたので、電話は切らせて頂きます」
ハカセの要件は面倒なのだ。話す前からこの調子では、おそらくこれから話す内容自体も面倒なのは目に見えている。
だから、ターニャはさっさと電話を切ってしまいたい。
ハカセの方もそんなターニャの事は分かっている。これ以上は間抜けな会話で間延びは出来ないと、話を切り替える。
「まあ、いい。本題に入ろう。あのジャック・オ・ランタンの根っこが欲しい」
話は一転して、本題のみ語られる。
しかし、それだけの言葉でターニャは色々と考えを巡らせる。元々、あの地下から侵入したバカピック、ジャック・オ・ランタンの根っこに関しては都市にもデータとしては送られている。
また、地下深く埋まっていたあの根っこは丁寧に全部を掘り出されている。手間は当然掛かったが。
その手間をかけてまで、発掘したのは不用意にバカピックの残骸を放置して、新たな危機を招く事もあるとの考えもあったが、どちらかといえば、ハカセがこの話題を切り出して来た事の方が大きい理由があった。
「君の推測通り、ソフを使っていたとするのなら、その根っこである配管にはソフを送り出すモノがあったはずだ。それを調べたい」
そう、この理由である。
「我々は宇宙の現象を宇宙はもちろん、地上から観測する事すら奪われた。だが、逆に奴らを介して宇宙を知る方法もある。奴らは宇宙を我が物としているのだからね。その一つがワープでもあるが、今回に限ってはソフと使用した例だ」
前回、ハヤミに対しての報告ではこのように踏み込んだ報告はしていなかった。
むしろ、ややこしい上に、不明点も多い事象だけに推測の域が出ない説明がしにくくかったからだ。ただ、ソフを疑うに十分というレベルだけの内容で報告は良かった。
だが、ハカセはその異名だけに旧世代、強いてはバカピックとの遭遇の際からの歴史を知る人物。また、都市に生きるだけで無く、あの奪われた宇宙で生活とバカピック初期の接触、戦闘にも関わっていた。
その知識量と経験はターニャの比では無い。
むしろ、ターニャが思っている程度は予測済みである。
「では、ハカセはソフをどのようにお考えで」
それだからこそ、逆にターニャとしてもハカセの意見には興味を持つ所はある。性格はこんな風ではあるが。
「一説には重力レンズ、ダークマターの起因とあるが、それを正しいとした場合、個体で感じる宇宙の風を観測しても、おそらく答えは出ないだろう。ソフはおそらく、宇宙全体を通して考えるべき事象である」
セントエルモの火にしても原理は静電気に似た放電である。
ただ、ありふれた現象であっても地球レベルの巨大なフィールドで発生している為、人間の視点では全体では観測がしづらく1つ、1つの観測で全体を突き詰めていかないといけない。
雷も同じである。一般的なイメージでは雲から地上で落ちるビジュアルだが、本来は雲で作り出した静電気、そして、その影響下は雲の上である宇宙にも達する。
つまり、地上だけの一方の視点だけでなく、宇宙からの視点を含めて、その全体像が見ることが出来る。
それと同じ考えで、個人の感覚だけでは未知の現象、ソフを未解明にしているだけである。
「なら、それをバカピックが使ったとすれば、どこかで宇宙に繋がりがあったはずだ。そう考えると壮大だが、奴らのワープ技術やタキオンエンジンなどの技術はちょっとした小宇宙を構築しているともいえる。おそらく配管にその秘密があると考えても問題はないはず。ある種、宇宙そのものが詰まっていると考えることは浪漫でもあるけどね」
浪漫などという言葉で濁してはいるが、仮説としてもそこから調べるには十分な説である。そして、ハカセは本題を語る。
「宇宙との繋がりを持つ配管であれば、何かタキオンエンジンの技術が使われてもおかしくは無いがね」
ターニャはその感覚、推測に驚きを超えて恐怖する。
確かにバカピックの研究に関してはかなりのモノと自負していたが、それを上回る発想を情報だけで出てくるとは思っていなかった。
それに<旧人類>とはいえ、その知能はファミネイの方が勝っている。楽しい事が好きな性格で殺している部分もあるが。
ただ、それは全体で見た場合の話。
このハカセに関しては、どうであれ天才と呼ばれる部類。おそらく、ファミネイの知能であっても、勝てないだろう。
ターニャはデータだけ取って、ほとんどを素材にした事を悔やみ始めた。何しろ、いまだ謎の多いタキオンエンジンの片鱗があったかも知れないのだから。
「ずいぶん長かったとはいえ、一部は残しているのだろう」
またハカセはターニャの取った行動を的確に付いてくる。
通信であれば、相手の顔を見るかの様にやりとりは出来る。だが、これは電話だ。
判断基準は声のみ。確かに他の媒体でこちらを見ているかも知れないが、おそらく、今のハカセはただ電話のみで、こちらとの会話を楽しんでいる。
「データだけでは物足りないのだよ」
ハカセは空想だけで楽しんでいる。それだけ想像力が豊かなのだ。
「分かりました。配管をお送りします」
ターニャはそう答える。実際、ターニャが調べても特に判明することは少なく、そもそも、仮説段階でもそこまでの考えに到達していなかった。
言い訳にはなるが、忙しい事が残骸を調べる優先度を下げている事もある。
何せ、アキラが来てからバラエティーに富んだバカピックが来ているのだから。
そもそもハカセとは苦手なだけで、別に対立しているわけでもない。言われれば、渡さない理由はない。
ただ、この時代では情報だけでも十分ではあるのだが。最もその情報であっても調べられる人物は限られているだけだが。
「そもそも、ソフを使った事よりも、観測できない事を分かって使ってきている事が問題だな。そうだろう。潜伏期間は不明だが、土の中で隠密を続けていたのだから、バレる様な真似はしないだろう。なら、ソフの使用は打って付けだと分かっていたのだろう」
ターニャに同意も否定も問うことなく、間を置かず話は続けられている。
「まあ、タキオンエンジンも土の中では観測が軽減する事も盲点だったがな。まあ、実際に地下から来ても振動等で事前に分かると思い込んでいたが」
もはや、ハカセは独り言の様に話を進める。
「以前、バッテリーを利用して隠密行動したのもあるが、これらも活用すればもっと効率が良く侵入できるかも知れないな」
核心に触れる様な事であっても、ハカセの独擅場は続く。
「奴らは個体にもよるが、我々を熟知している。だが、我々はまだ奴らを熟知していない。これからも奴らから学ぶ必要がある、これほど退屈をさせない存在なのだからな」
ハカセの性格はファミネイに近いが、その方向性はまったくすこし違っている様だが。
そして、ハヤミとは真逆な性格である。
「とにかく、根っこを早く頼むよ。見るのが楽しみだよ」
「所で、ハカセは彼、アキラ殿にも関与していると聞きましたが」
ターニャは一通り話し終えたハカセに対して、急きょ話題を変えた。
確かに今の話に関しても聞きたいことは多いが、これはここ最近、特に疑問に思っていた事だからだ。
アキラの配属は謎が多い。
確かに、長年勤めているハヤミの後任の必要性は十分に理解出来る。だがそれが、少年の様な年齢である必要性は感じられない。
それにいろいろな噂もある、ターニャにしか知らないようなネットワークからの噂もある。それがハカセも関わっているという事だ。
「彼が来てからここまで激動というか、ドキドキしない日は無いぐらいでした。まあ、それが忙しさの原因でもあるのですが」
このジャック・オ・ランタンも1つだが、ざまざまな隠密を主とするバカピックや戦闘だけでも配属直後の大規模戦闘、特殊型のバカピックなどこのわずかな間で色々とやってきていた。
その結果、ターニャを忙しくしている原因ともいえる。
これが立て続けとなるとアキラに理由があると考えるのは不思議な事ではない。だが、単なる男の子に何の理由があるのかと、考えると突拍子も無い事だが。
「まあ、それに関してはいずれ語るとしよう。ひとまず、今回は根っこの件をよろしく頼むよ。じゃあ、ね」
電話は切れた。意外にも、ハカセの方から切る形で終えた。いつものなら、余計な話も含めて語り出すというのに。
「まったく」
ターニャはぼやく。とはいえ、ハカセにとっても話しにくい話題もあるのだろうか。いや、何か企んでいるだけだろう。だから、さらにぼやく。
それはターニャの疑問が合っている事を示しているといえたからだ。