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誰が為に君は逝く  作者: 黒猫参謀
第一章
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五節 : 歪みの原始種族

 晴天にも関わらず、雷鳴が轟き、《防御障壁》と衝突した甲高い音が響く。

 白銀の手甲を両腕に装着して、《防御障壁》を展開させたクロスガードで重装甲騎馬の雷撃を防いだ慶護であるが、その衝撃は凄まじいモノがあり、後方へと大きく吹き飛ばされてしまった。

 重力に引かれるまま、慶護は地に足を着けるが、殺し切れぬ勢いによってそのまま後ろへと滑り続け、漸く止まった頃には、数メートルに渡って地面に轍を作っていた。

 吹っ飛ばされ、慶護の《防御障壁》が消失したため、幾ら身体強化の《法術》をしていたとしても、追撃で《独立型》の《使い魔》の一撃を《防御障壁》のない状態で受けたりしたら、痛い所では済まない。

 リゼットは最悪な想像をして、両手を握って祈るようにしていると、何事も無かったため、安堵の溜息を零した。

 二人の戦闘を眺めている事しか許されないアレンとコニーは、歯痒さに奥歯を噛み締める。


「くっそ! ジャンの野郎、俺やコニーじゃなくて、リゼットに《決闘》を叩き付けるなんて、卑怯じゃねぇか!」

「わたし達に叩き付けないっていうのは、ある意味賢いけど、男としては最低だね」

「外野は黙っていたまえ。コレは《学園》に設定されている《正式な戦闘行為》なのだよ? 現に審判としての《講師》の方も居るじゃないか」


 ジャンに云われ、手の指し示す方に視線を向けて、そこに立っている《学園》の講師の一人である男性を見詰め、アレンとコニーは更に苦い表情となる。

 ジャンの気が逸れており、少しだけ呼吸を整えられた慶護は、面を上げて眼前の相手へと視線を向ける。

 重装甲騎馬――バルカは、自らの周囲に放電現象を発生させて相手を威嚇しつつ、前足で地面を掻き、いつでも駆け出せる臨戦態勢となっている。

 身体強化の《法術》を施し、最早人間の速さを超える動きで、《防御障壁》を叩き付けて拉げた装甲も、冗談の様に綺麗に修復されており、慶護は苦笑してしまう。


「ほぉ……モドキにしては、随分とらしい動きをする様になったじゃないか」


 そりゃどうも――っと皮肉を軽く流すが、慶護の内心は余り穏やかではない。


「一筋縄じゃいかないとは解っていたけど、ココ迄差があると、ちょっと泣けてくるよ」

「確かに、あのガキと馬は、矮小な《魂》だが、力だけはそれなりにあンな。どうする? このまま膝を曲げていれば、もう立ち向かわなくて済むぞ?」


 冗談じゃない――っと鼻で笑い、慶護は自分の左の手甲に嵌め込まれる形で存在する元シルバースカルリングに挑発的な視線を向ける。


「彼は僕だけならまだしも、リゼットやアレンにコニーをまた貶めたんだ。一度なら未だ見逃せるけど、コレでもう三度目……僕だって我慢の限界だよ」

「ふんっ、尊厳じャ飯は食えねェぜ?」


 でも、それは《人間》じゃない――っとハッキリとした声で返され、フォスファーの瞳の虚に宿る光が揺らめいた。


「《人間》として生きるには、尊厳が必要だよ」

「……イイぜ、それでこそ小僧だ。俺は《法具》だから、直接ナニカをしてやる事は出来ねェが、オメェの頭ン中に《法術》を書き込ンで使えるようにはしてヤレる」


 受け取りな――っとフォスファーが云い終えると同時に、慶護は軽い眩暈の様なモノを覚え、鈍い痛みを発した頭に手を添えた。

 次から次へと頭の中に様々なモノが流れ込んで来て、時間にして数秒であるが、受けていた慶護本人には、数分にも感じられる程の情報量であった。

 ゆっくりと頭から手を離すと、慶護は曲げていた膝を伸ばし、バルカを見据える。

 慶護の纏う雰囲気が変わったため、陽の光を反射する程の見事な金色の髪を流し、ジャンは目を細める。


「バルカ、気を引き締めろ。モドキから流れる空気が変わった」


 ハッ――っと頭を垂れて応え、バルカは黒き瞳で慶護の一挙手一投足を見逃さぬよう、その広い視野で捉え続ける。

 僅かに慶護の肩が降りたと感じた刹那。

 その姿が掻き消え、次の瞬間には、バルカの眼前に黒き青年は移動しており、思い切り踏み降ろした右足で地面を踏み締め、突進の勢いと腰のキレを乗せる。更に、白銀の手甲の金属板が重なっている隙間が開き、極小の《法陣》が内部に幾つも発生すると、それらから勢い良く炎が吹き出し、慶護の拳を加速させる。

 《防御障壁》を展開させているが、バルカの前面装甲に触れる瞬間、拳を回し、螺旋状に相手の中へと衝撃を捻り込み、自分に返ってくる反作用を最小限に収める。

 小型の象程もあるバルカの身体が若干浮き、前面装甲が爆ぜる程であったが、それに見合うだけの代償として、慶護の踏み締めた足は痺れ、広背筋は悲鳴をあげ、相手に触れた拳は――。


「――っ?!!!」


 四足を折り、バルカの巨躯が地面にゆっくりと横になる。


「バルカ!!」


 ジャンがバルカに駆け寄り、審判をしていた《講師》の男性も歩み寄る。

 《講師》の男性が、重装甲騎馬の《使い魔》に対して《捜査》の《法術》を走らせるが、コレ以上の継続戦闘は無理である事を確認すると、手を上げて、ジャンにバルカの具象化を解除させると共に、勝者の名を叫び、周囲に展開していた《結界》を解いた。


「勝者、リゼット・ジラール、及び、《使い魔》、ケイゴ・ミナモト!」


 《講師》のその言葉に、アレンやコニーだけでなく、周囲に居た他の学徒達迄もが晴空に響く程の歓声を上げた。

 《法術師》の名家であり、実力も兼ね備えたラフォレーゼ家の嫡男を平民が打ち負かしたのだ。コレ迄《在り得ない》と云われていた事が《在り得て》しまったのだから、《結界》の外から眺めるだけであった学徒達が歓声を上げたのも頷ける。

 場所が場所であれば、処刑されてもおかしくない程の行為であるが、《学園》の《決闘》であれば話は別である。

 如何なる理由があろうとも、《学園》内での私的な《戦闘行為》は禁止されている。

 だが、互いの尊厳に関わり、決して譲れぬモノに対してのみ、《講師》以上の立ち会いの下、周囲に被害が出ぬよう、《結界》を展開した範囲内での《戦闘行為》――《決闘》が用意され、認められている。

 勝利宣言を聞いて全身の力が抜けた慶護は、残心を解き、右の拳を抱くようにしてその場に膝を折った。


「つうぅぅっ!! ……はぁはぁ……! い、今、手甲を解除したくないんだが……」

「だろうな。今のオマエの拳は、指が曲がっちャいけねェ方向に無茶苦茶に曲がっている状態だぜ」


 はははっ……――っと力無く苦笑する慶護に、三人の学徒達が駆け寄る。


「ケイゴーーっ!!」

「やったな! ケイゴ!」

「ジャンに本当に勝っちゃうなんて、凄いじゃない!」


 三者三様に声を掛けられ、慶護がそれぞれの顔を確認していると、ふと、三人と同じ距離に、見た事のない顔の女性が微笑みながら立っており、失礼とは思いつつ、凝視してしまった。

 二十代中盤程に見える外見であり、リゼットと同等かそれ以上の白さを有する肌をしており、肩口辺りで切り揃えられている銀髪が風に揺らいだ。

 白色の中だからこそ、余計に目立つ真紅のレース状のドレスと同じ紅き瞳が細められ、美しく弧を描いた口元に、見惚れるよりも先に、絶対的な命の危機を慶護は感じ取った。銀髪の麗人がゆっくりと腕を持ち上げ出したため、黒き青年は咄嗟にアレンとコニーの二人を自分から離すために左右に突き飛ばした。


「っ?! な、何すんだ、ケイゴ!!」

「ちょっ! 突き飛ばすなんて、酷いじゃな――」


 二人からの抗議の言葉を受けるが、詳細は後で説明すると云わんばかりに、慶護は空いた両手の内、左腕でリゼットを抱き締める様にして自分が楯になり、右の掌を前に突き出すと同時に《法陣》を展開させ、《防御障壁》を施行する。

 しかし――。


「――紙ね」


 外見通りの冷たさを持った声が自分の真隣から聞こえたと感じた刹那。

 展開していた《防御障壁》が硝子の様に砕け散り、中空に消失すると同時に、慶護は右の二の腕辺りに軽い衝撃を受けた。

 再び何の前動作もなく、自分から距離を取った銀髪の麗人を慶護は視線で追う。

 但し、再び自分から距離を取った麗人の手には、《中身の入った慶護には見覚えのある白銀の手甲》が握られており、切断箇所である二の腕辺りから赤い液体を滴らせていた。

 視界が妙に開けている上に、《ナニカが足りない感覚》に、慶護が頭の上に疑問符を浮かべていると、外からだからこそ解るアレンとコニーが、目を見開き、顔を青くさせて、噛み合わぬ奥歯を鳴らしていた。

 二人の妙な態度の理由が解らず、首を軽く傾げたまま、腕の中で身を固くしているリゼットの安否を確認すると、こちらも自分の眼でなく、《ある一点》を見つめたまま、アレンとコニー同様、目を見開いて固まってしまっているので、慶護は白き少女の視線の先へと顔を動かした。

 そして、三人の奇妙な態度の原因が解り、一人納得すると同時に、慶護は眼前で優雅な立ち振舞をしている銀髪の麗人へと頭を振る。

 再び、銀髪の麗人から、リゼット達の視線が集まっている自分の右の二の腕へと慶護は視線を戻す。

 二度三度繰り返し、何度確認しても見間違えでなく、現実である事を認識した慶護は、片方の口の端を持ち上げ、今にも崩れてしまいまそうな歪な表情となる。


「………………そりゃ無理だよ」


 その一言が切っ掛けとなり、二の腕から先を失った右腕から水道管が破裂した様に勢い良く血液が吹き出し、茶色と一部緑をした地面を赤黒く染め上げる。

 迸る鮮血を合図に、学徒達が悲鳴をあげながら、バラバラに逃げ出した。

 銀髪の麗人が手にしていた慶護の右腕を地へと投げ捨てる。

 一気に血を失い過ぎたため、血圧が下がってしまい、全身の力が抜けてしまった慶護が、崩れるように膝を折り、度を超えた激痛に身体が軽い痙攣を起こし始めた。

 抱きかかえられていたリゼットは、慶護がそのまま地面に倒れてしまうのを防ぐために抱き止めるも、鮮血と共に魂も抜けているのではないかと思えてしまう程に、身体から力と暖かさが失われていくのを白き少女は感じ取ってしまった。そのため、リゼットは紅く濡れるのも構わず、慶護の二の腕の上部を全身の力を込めて握りながら、声を掛ける。


「ケイゴ! ケイゴ! 目を閉じちゃダメ!」

「だ、大丈、夫……僕は、ほら……死に難い、から、さ……」


 息も切れ切れにリゼットの言葉に応える慶護であるが、その顔からは血の気が失せており、視点も定まっていない。


「っ?! ……ライルせんせ――」


 このままでは幾ら死に難い慶護でも、拙いと感じたリゼットが、先の《決闘》を見守っていた《講師》の事を思い出し、面を上げて周囲を見回すが、その姿を確認した瞬間、愕然としてしまう。《講師》の眼前に、慶護の腕を奪った銀髪の麗人が移動しており、《講師》の男が《障壁》と《攻性法術》を同時に展開させるが、麗人が伸ばした指先で軽く触れるだけで、それらの《法陣》は呆気無く瓦解していたからだ。

 如何に術を練ろうとも、《結果》を結ぶ事が叶わず、講師の男は苦虫を噛み潰した表情となる。


「くっ、《歪んだ種族》め……っ!!」


 《講師》の男が放った《歪んだ種族》の一言に、その場に残っていた、慶護とリゼットを含めた、アレン、コニー、ジャンの五人が皆動きを止めて、銀髪の麗人へと視線を向けた。

 一見しては、見目麗しき真紅のドレスを纏った女性にしか見えず、巧妙に抑えこんではいるが、その内奥に眠る膨大な《生体エネルギー》迄は誤魔化せない。《捜査》の《法術》を施行した慶護以外の四人全員が息を呑み、圧倒的な絶望に奥歯が噛み合わず、足元も覚束無くなってしまった。

 自分達がコレ迄見た事や相手をした事のあるどの《歪んだ種族》とも違う、完璧な知性を持ち、人間とほぼ同じ外見をした正真正銘の《化け物》。

 バルカの一撃を防ぎ切った慶護の《障壁》を《紙》と云い放ち、《魔術》を使わずに、純粋な己の肉体の膂力のみで破壊して、《障壁》によって護られていた慶護の右腕を二の腕辺りから奪った《化物》。

 これらの事実から、銀髪の麗人の姿をした《歪んだ種族》の実力は、《講師》クラス――否、《講師》でも中級以上のライルの《法術》を容易く崩壊させた所から察するに、《助教授》クラスと考えられ、それは即ち――。


「……カテゴリー、《B級》以上の《歪んだ種族》……」

「《決戦特殊法具(マジックワンド)》を開放した《助教授》クラス……」


 只々事実だけを述べた、感情の籠らぬアレンの言葉を続ける様にして、声にしたコニーも、自分で云った言葉の意味を理解して、吐き気にも似た絶望感に陥った。


「ふぅ~ん……先ずはレディに対しての態度がなっていないアナタ。退場よ」


 銀髪の麗人の言葉を受け、《法術》を行使すべく、慌てて再度《法陣》を展開させるライルであるが、伸ばしたままであった麗人の指先になぞられるだけで、《法陣》は崩壊してしまい、《講師》の顔に絶望と焦りの色が濃くなった。

 一歩近付き、銀髪の麗人は《講師》の男の胸に掌を軽く当てると、体を落としながら肩幅に開いた両足を地面に足型が残る程思い切り踏み締めて固定させる。

 腰のキレと肩、肘、手首と螺旋状に上がってきた力を一切の損傷なく掌へと移動させると同時に、《魔術》を付与させて、《講師》の男の体内へ叩き込む《歪んだ種族》。

 一瞬、《講師》の男の身体が軽く痙攣した様に持ち上がる。

 自分の身体に起きた事象を理解してしまった《講師》は、せめて残ってしまっている学徒達だけでも逃がすよう、護るべき子達へと顔を向け、必死に声を紡いだ。


「………………に、にげ――」


 ――破裂。


 叩き込まれた衝撃と付与されていた《魔術》が爆裂した事により、内側から一瞬にして膨張して、《講師》の上半身が弾け飛び、周囲に真紅の霧と所々白が混じっている赤黒い肉片を飛び散らせた。

 唯一残った腰から下の部位の膝が崩れ、地面へと倒れ込み、残っていた内蔵が流れ出る。

 残心を解き、血塗れの銀髪の麗人が振り返る。


「たまには人間の業も悪くはないわね」


 自分達よりも数段格上であり、敬っていた存在が、呆気無く無残に殺された事実に、頭が付いていかない学徒達は、只々呆然と立ち竦む事しか出来ず、ジャンに至っては、腰が抜けて地面にへたり込んでしまっていた。

 唯一人、四肢の一部が掛けた黒き青年だけは、抱き寄せている白き少女を呆然と立ち竦んでいるアレンとコニーに突き渡して、遠退きかけていた二人の意識を無理矢理戻させた。


「リゼットを頼むよ……」

「えっ? ちょ……えっ??」


 続けて慶護は、腰を抜かして地面にへたり込んでいるジャンには、その頬を軽く叩き、自分に意識を集中させる。


「な、なにを――」

「しっかりしろ! 君は《貴族》なんだろう? ならば、そんな風に腰を抜かしていないで、今やるべき事がある筈だ!」


 叩かれた事でハッキリとしてきた頭を働かせて、慶護から云われた言葉を理解し出したジャンは、瞳に力が宿り、誰の手も借りずに立ち上がった。

 貴族然りとした表情となった少年は、一緒に腰を上げた、血の気が失せ、幽鬼の様な白き顔で叫んで来た黒き青年に視線を向ける。


「当たり前だ。僕はラフォレーゼ家の男だ。オマエに云われなくとも、僕が為すべき責務は理解している」


 ならば――っと慶護が銀髪の麗人へと一歩出ると、ジャンは反対側のアレン達三人が居る方へと足を進めた。

 バルカ! ――っとジャンが叫ぶと同時に地面に大型の《法陣》が瞬時に形成される。

 形成された《法陣》の中から重装甲騎馬が飛び出し、頭の角を器用に使って三人を背に乗せると、隣に駆け寄って来た主を一瞥する。


「ケイゴ!!」

「ちょ、ま、待て!」

「お、降ろしなさい! この馬野郎!!」


 肩越しに慶護を確認すると、ジャンは直ぐに顔を正面へと向けた。


「……オマエは気に食わないが、僕と互角以上に戦えた。誇って良い。だから――」


 ――死ぬな。


 相手を同等の存在と認めたからこそ向けられる言葉を背に受け、蹄の音が遠退いて行く。

 自分の真意が伝わっていた事に安堵した慶護は、肺に溜まっていた空気をゆっくりと吐き出し、銀髪の麗人へと挑む様な視線を向けた。


「仲間を逃がすために敢えて殿を受け持つ……美しき自己犠牲の精神ね。嫌いじゃないわよ。むしろ、それだけ満身創痍なのに、わたしに立ち向かうなんて、好感が持てるわ」

「そうかい……それなら、ついでに、僕や《学園》の人達を見逃してはもらえないかな?」


 それは無理ね――っと軽く一蹴され、慶護は苦笑する。


「だよね……いきなり人の腕を奪うし、問答無用で《学園》の《講師》を惨殺する様な存在が見逃してくれる訳無いよね」


 腕ね~……――っと呟くと、銀髪の麗人は、投げ捨てた慶護の右腕へと視線を落とす。


「触れた時の《生体エネルギー》の質からして、純粋な人間なのに、もう傷口はほぼ塞がっているなんて、アナタのその回復力は、中級の《歪んだ種族》と同等よ?」


 嬉しくない事実をありがとう――っと皮肉を込めて慶護が返すと銀髪の麗人は、肩を竦めた。

 軽口を叩きながらも、慶護はゆっくりと息を吐き出して腰を落とし、《生体エネルギー》を循環させて、《法力》を高める。


「……ヲイヲイ、絶体絶命な状況だな」

「男には、やらなきゃいけない時っていうのがあるからね」

「人間の男っていうのは、つれェなァ~」

「そっ、だから、フォスファーが協力してくれると助かるんだけど、頼めるかい?」

「俺は小僧の《法具》だ。協力はしてやるが、あのガキンチョとの実力差はどうしようもねェぜ?」

「フォスファーが居ても無理?」

「俺の力を使いこなせるなら話は別だが、小僧には未だ無理だ。ってか、使いこなせたとしても、脆弱な肉体の人間には、お薦めしねェな。トミーの坊主を思い出せ」


 その言葉に、慶護はフォスファーを譲り受けた店主の姿を思い浮かべた。


「俺の力の欠片でもアレだ。もし目の前のガキンチョに勝てるだけの俺の力を使ったら、全身が吹き飛ぶぜ」


 否、ちげェな――っとフォスファーは自分の意見を否定する。


「それなら未だマシだ。最悪、術の準備段階で身体が崩壊すんな」

「聞けば訊く程、君の力って出鱈目だけど、今はその出鱈目さが必要なんだよね」


 銀髪の麗人を睨みながら、左前の自然体となる慶護。


「ほォ……ほぼ確実に死ぬ事になンのに、怖くねェのか?」


 怖いよ――っと間髪入れずに慶護は応える。


「でも、同じ怖いなら、仲間を護って怖い方が遥かに良い」


 一歩近寄って来た銀髪の麗人に対し、慶護も同じ距離だけ摺り足で後退する。


「身体の痛みってのはね、今の様に、ある程度以上になると麻痺しちゃうし、治癒能力が異様に高い事もあって、《慣れる》んだけど、心の痛みはそうはいかないんだ」


 若干俯き気味になり、慶護の顔に影が堕ちる。


「……仕方ねェなァ~……小僧のその根性に免じて、特別に俺の別の力を使ってやる」

「それは嬉しいけど、それは――」

「《換装(アームド・チェンジ))》」


 余りにも短く云われたため、何と云ったのか解らず、慶護は首を傾げてしまう。


「ほれ、なにボケっとしてンだ。右肩に左手を移動させて、《詠唱》しながら滑らせろ」


 あ、あぁ――っと慌てて応え、慶護は右肩に左手を当てると、《詠唱》しながら滑らせた。


「《換装》!」


 《詠唱》と共に《法陣》が発生し、右の肩から先に移動すると、光の粒子を集め、金属光沢の無骨であるが、何処か有機的な形をしている腕が姿を見せた。

 何度か握ったり開いたりして、自分の思い通りに動く事を確認した慶護は、口元に笑みを浮かべる。


「これは凄いね」

「《法術機工式鎧(オート・メイル)》だ。小僧の《法力》を基に創られているから、そんなに頑丈じャねェが、《法力》が続く限りは何度でも修復可能だし、中身がねェから、一切の手加減抜きにぶん殴れるのが強みだ」

「痛覚もないし、今の僕には御誂え向きなモノだね」

「まっ、俺が助力出来ンのはココ迄だ。こっから先は、小僧の実力次第だ」

「実力次第って云うけど、アレとはどうしようも出来ない程の差があるんじゃなかったっけ?」

「勝てはしねェが、コレで時間稼ぎ位は出来ン筈だ」

「……僕の考えている事、ちゃんと通じていたみたいだね……」


 小僧は解り易過ぎンだよ――っと手甲に嵌っているフォスファーが小馬鹿にした響きを持って応える。

 フォスファーに苦笑し、慶護は改めて眼前の銀髪の麗人へと構える。


「――終わったようね」

「悪いね、待っててもらっちゃってさ」

「美味しい料理を食べるには、時間が必要でしょ? それと同じよ」

「随分と人間みたいな事を云うけど、《歪んだ種族》にも味覚ってあるのかい?」


 あるわよ――っと銀髪の麗人は口元に手を当ててコロコロと笑う。


「でも、人類とは少し違うわ」

「だろうね……もし一緒なら、好んで人間を食べたりなんてしない筈だからさ」

「あら? そうかしら? アナタ達にも、人類を好んで食べる存在が居たりするじゃない」


 そりゃ特殊中の特殊だよ――っと呆れ顔で慶護は返す。


「一般的な人間は好んで食べたりなんてしないさ。まして、遊び半分で殺しもしない」


 地面に転がっている元講師であった下半身へと視線を向け、慶護は眉根を寄せる。


「遊び半分じゃないわ。レディへの態度がなっていなかったから、こうなったのよ。当然の結果だわ」


 女性への態度を少しでも間違えただけで? ――っと慶護が片方の眉を上げて尋ねる。

 そうよ――っと銀髪の麗人は当然とばかりに応える。

 肩を竦め、慶護は短く息を吐いた。


「悪いけど、何一つとして納得出来ないね。よって、君と僕とは相容れない存在だ」

「そうね……わたしとアナタは《歪んだ種族》と《人類》。相容れる訳が無いわ」

「来るぞ。気を引き締めろ」


 フォスファーが警告をすると同時に、銀髪の麗人は瞬きすらも惜しむ程の瞬足で、慶護の眼前へと移動しており、余りの速度に圧縮された空気に乗って、鉄と甘い香りが混じったモノが鼻孔を擽り、黒き青年は顔を顰める。


「アナタ、名前は何て云うのかしら?」

「尋ねる前に自分から名乗るのが礼儀じゃないかな?」


 あら、これは失礼したわ――っと銀髪の麗人は笑みを浮かべながら貫手を放ち、左の手甲で廻し受けをした慶護だが、余りの鋭さに手甲の一部が爆ぜる。


「わたし、知人や見知ったモノからは、《スカーレット》って呼ばれているのよ」


 アナタは? ――っとスカーレットと名乗った銀髪の麗人が掴むために伸ばした手首を、慶護は右の《法術機工式鎧》で内受を放ち、手首を砕く。

 しかし、その瞬間には、スカーレットの身体は再生が始まっている様で、確かな手応えを感じたのに構わず、伸びて来る腕を慶護は逆に掴み、脇で固めながら手首から上の各関節を連動させて、肘と肩も同時に締め上げる。

 慶護です――っと関節を締め上げているため、近寄る形となったスカーレットの耳元に慶護は声を掛ける。


「ふふっ……そう、ケイゴって云うのね……」


 鈍い音と共に締め上げている腕の抵抗が無くなったなったため、慶護は慌てて腕を離して後ろに飛び退き、距離を取った。


「純粋な膂力で返して来るかと思っていたのに、まさか自分から関節を外して逃げるとは思わなかったよ」

「力技っていうのも好きだけど、それじゃ面白くないわ。アナタとわたしじゃ、純粋な肉体的な力でも、《生体エネルギー》の量でも差が在り過ぎちゃって、直ぐに決着がついてしまうもの。久し振りに目覚めた最初の食事……楽しまなくては、勿体無いわ」


 スカーレットは力無く垂れ下がる腕を掴み、肩を中心に回すと、距離を取っている慶護の所迄聞こえる程の鈍い音を立てて肩の骨を嵌めた。

 銀髪の麗人は腕を少しだけ持ち上げて軽く感触を確かめる。


「でも、直接触れたから解ったわ。やっぱりアナタはとても良い食材よ。お腹の中に手を入れて、内臓を優しく掻き混ぜながら、生き血を啜ってあげるわ!」


 無防備に飛び込んで来たスカーレットの顔面に、慶護は容赦無く《法術機工式鎧》の正拳突きを放つ。

 だが、《障壁》で護られていたにも関わらず、生身である銀髪の麗人の方が強度で優っていた様で、慶護の右腕と《障壁》にヒビが入り、砕け散ったため、腕を修復しつつ、螺旋状に動いて距離を取る。

 けれども、慶護の流れる様な動きに、スカーレットは動物的な靭やかさで完璧に付いて来るだけでなく、息つく間も無く放たれ続ける一撃も、全てが全て必殺であるため、フォスファーの助力で、ほぼ瞬時に修復され続ける手甲や《法術機工式鎧》も徐々に粗が見え始めて来た。


「あらあら、どうしたの? 修復する速度が落ちて来ているし、息も上がっているわよ? 未だ未だコレからなんですもの。もっと集中してもわらわないと――」


 腕の力だけで放っていたスカーレットだが、ヒールで器用に地面を踏み締めると、腰と上半身のバネを活かした瞬速の貫手を放ち、慶護の《法術式機工鎧》の前腕を中空へと跳ね飛ばす。

 ぶつかり合うと紅と黒。

 内受をした形のまま固まる慶護。

 慶護の《法術式機工鎧》の前腕を跳ね飛ばし、防御の奥にある喉元の直前で止まるスカーレットの貫手。

 薄皮が裂け、赤い筋が一つ、流れる。


「――勝負は一瞬でついてしまうわ」


 細められた紅は、心臓を鷲掴みにして逃さぬ圧迫感を持ち、慶護は息をするのも忘れ、只々凝視する事しか出来なかった。


「………………そ、それ――」

「ワリィ、小僧。もう限界だ」


 慶護が何かを云うよりも早く、その言葉を遮る様にフォスファーが口を挟み、気を取られている内に、左手の手甲と右腕の《法術式機工鎧》が光の粒子となってしまう。光の粒子が全て中空に消えた頃には、フォスファーは慶護の左手の中指に戻り、右腕も感覚がなくなっていた。

 《法力》を大量に消費した際の反動である異様な脱力感に、慶護は崩れてしまいそうになるが、歯を食い縛り、その場に踏み止まるのも虚しく、膝から地へと落ちてしまった。


「あ、あれ……? 力が、入ら、ない……」

「普段消耗しない所まで《法力》を使ったから、一時的に欠乏症になっているだけだ。少し休めば直ぐに治るが――」

「わたしがそんな時間をあげると思って?」


 だよな~――っと諦めの響きを持ってフォスファーが応えると、スカーレットにとっては軽く足で小突いただけであったが、力が入らず、《障壁》も展開出来ない慶護の身体は、肋が悲鳴を上げる程の衝撃を受け、数メートルも後ろに飛ばされてしまった。

 彼女にとっては軽くであったのだろうが、人間である慶護には致命傷となる一撃であり、何度も転がると、そのまま仰向けに地面へと倒れた。

 肺の空気を無理矢理吐き出されたため、意識が飛びかけ、暴れる横隔膜を抑えながら呼吸をしているので、何度も咳き込んでいると、狭くなっている慶護の視界に、紅いドレスの麗人が姿を現した。

 少しでも抵抗をすべく、慶護は左腕を伸ばすが、震える腕は余りにも力無く、スカーレットに指を握り込む様に外側から掴まれ、捻り上げられてしまう。

 手首が返される事で、連動するように肘が固まり、肩が持ち上がると、自分の身体の中から厭な音が響いて来て、慶護の表情が苦悶に歪む。


「良いわ、その表情……スッゴク唆られるわ……」


 上級の《歪んだ種族》にとっては、《法術》で強化されていない人間の身体なんぞ、タダの粘土に等しく、骨は小枝である。そのため、スカーレットは壊し切らぬ様、細心の注意を払って慶護の腕を締め上げていく。

 慶護の口から痛みに耐え切れず、呻き声が漏れ始めた所で、スカーレットは顔を上気させ、遂に我慢が出来なくなったのか、一気に左腕を捻じり折る。曲がってはいけない方向に湾曲した慶護の左腕を更に引っ張ると、踏まれたら確実に穴が開くであろう程のヒールを履いている右足をスカーレットは持ち上げた。

 眼の奥で火花が散る程の激痛によって、自分の声なのか、折られた腕の音なのか解らぬ雑音が耳に響く中、スカーレットの行動が何故か鮮明に視界に映った慶護は、非常に厭な予感がしたため、左腕を引こうとするが、それは叶わない。

 肩関節が破壊されてしまっており、靭帯も切れてしまっている状態のため、慶護は只々最悪の結末を眺めるしか出来なかった。

 振り下ろされる右足は病的な迄に白く、ドレスと同じく真紅のヒールは、断頭台の如く慶護の左の二の腕へと最短距離で向かう。

 ヒールと地面に挟まれた慶護の左の二の腕は、肉が潰れ、筋が裂け、骨が砕ける。

 けれども、スカーレットは地面に足型が残る程踏み締めただけでは止まらず、数本の筋繊維で繋がっているだけとなった慶護の左腕を上級の《歪んだ種族》が思い切り引っ張るという、想像したくない暴挙に出た。

 呆気無く左腕迄をも失った慶護は、人体が受ける中でも最大の痛みと云われている《引き千切り》を受け、限界以上の痛みの信号を受けた脳が一時的なショック状態となり、白目を剥いて口から泡を吹いた。

 スカーレットは、小刻みに痙攣する慶護の身体を跨いで見下ろしながら、両腕を失うも、未だに息のある青年の死に難さに感動すら覚え、両手で顔を挟み、情欲的な表情となって舌舐めずりをした。


「良い! 堪らないわ! 最高よ、アナタ! 何でココ迄されて生きているの?! 普通ショック死しているわよ??!」


 叫びながら膝立ちになり、慶護に密着すると、スカーレットは右の貫手を腹部へと突き立て、体内へ手首迄を一気に侵入させた。

 腹腔で指を開いて内蔵を掻き回し、休む事なく与えられる脳に直撃する痛みに、慶護の身体は痙攣し続け、逆流した血液が顔の穴という穴から流れ出す。

 慶護の口頭からは紅い泡が溢れ出し、鼻からは内蔵からの粘度が高くドス黒い血液が流れ、白目を剥いている瞳は血涙で紅く染まる。


「うふふふふっ! 内臓のこの暖かさ! 血の生臭さ! もっとよ……もっとわたしに感じさせて頂戴!!」


 スカーレットは声を荒らげながら、掴んだ内臓を思い切り引き抜いて返り血を浴びる。真紅のドレスを更に紅く染めたスカーレットは、上気した顔で血が滴る臓物に齧り付いた。

 不愉快な音を立てて肉を喰い千切り、怖気を誘う響きで血を啜るスカーレットは、淑女然りとした態度も忘れ、一匹の《歪んだ種族》となり、引き摺り出した内臓を咀嚼する。

 一心不乱に慶後の肉体を食していた彼女であるが、ふと、何かに気付くと、中空を定まらぬ視線で見上げ、高級娼婦すら霞む程の情欲に濡れた表情となった。


「あぁ~、そうねぇ~……ソレも良いわねぇ~……」


 スカーレットがパニエで若干膨らんでいるスカートに手を入れると、何かを引き千切る音が響き、引き抜いた手には、黒い革製のナニカが握られており、投げ捨てた。


「生物が死にそうになった時、本能的にそうなるのは知っていたけど、普段はそうなる前に死んじゃうのよねぇ~」


 で・も――っとスカーレットは慶護の唇に指を添え、ゆっくりと弧を引いた。


「アナタは凄く死に難いから、そんな事ないのよねぇ~……。《食べながら喰べる》……ふふっ……うふふっ……想像しただけで身体が疼くわ……」


 スカーレットは軽く身震いをすると、恍惚とした表情となり、身体の位置をズラした。


「ふふっ……それじゃ、いただきま――」

「ヲイ、ガキンチョ。ソレは余りオススメ出来ねェぞ?」


 イザ事に及ぼうとしたスカーレットを警告する様に、数メートル離れた所に投げ捨てられている慶護の左腕から声が響いた。無論、腕が喋る訳が無いため、声の主は、不遜態度が常の《法具》である。


「ちょっと、わたしは今大事な食事中なの。邪魔しないでくれる? 次邪魔したら、砕くわよ?」

「邪魔する気はねェよ。俺はタダ、《ソレはオススメ出来ねェ》って云っただけだ。《後でどうなっても》知らねェぞ?」

「《法具》のくせに面白い事を云うのね。わたしを誰だと思っているの?」

「《歪んだ原始種族(オリジン》と呼ばれる、《最終決戦》前後に現れた、異様に能力の高い《歪んだ種族》の一人。《火氣》の《スカーレット・オブ・チューズデイ》――解らねェ訳がねェぜ。その身体は《化身(アバター)》――にしちャ《生体エネルギー》が少な過ぎるから、《幻影(ファントム)》って所か」


 驚きに目を見開き、スカーレットはフォスファーの方に顔を向けて興味を示した。


「タダの《法具》にしては、随分と詳しいのね。このボウヤがそこ迄知っている様に見えないし、アナタの前の持ち主かしら?」


 チゲェよ――っと即答し、フォスファーはそれ以上喋る事はしなかった。


「………………興が削がれたわ。《食べる》のは止めにして、《喰べる》だけにしてあげる」


 そして、スカーレットは持ち上げた手を貫手の形にして、鳩尾へと一気に振り下ろした。



   ******



 姿形は銀髪の麗人――スカーレットにそっくりであるが、色がなく、黒一色に染まっているモノに、ユーベルは《障壁》を叩き付け、強度の限界以上の衝撃を与える事で、形を維持出来なくさせて霧散させる。

 周囲を見回し、自分の近くに居た黒一色のスカーレットを排除したのを確認した所で、遥か太古に絶滅したアンモナイトに似た《使い魔》を隣に連れた長身の男が一息ついた。


「ふぅ……《(シャドウ)》でココ迄頑丈だなんて、早く本体を探さないと、大変な事になるぞ」

「個人的には、《学園》に直接乗り込んで来た事の方が驚くべき事ですね」


 そうだね……――っと《使い魔》の言葉に、ユーベルは眉間に皺を寄せた。


「僕達《教授》だけでなく、《講師》や《助教授》という《法術》に関してのエキスパートが数十人単位で居るだけでなく、イザとなったら《学園長》だって居るのに、乗り込んで来るなんて、余程の莫迦か――」

「余程の実力者、ですね?」


 自分の言葉を続けた《使い魔》にユーベルは首肯する。


「出来れば前者であって欲しいけど、僕達《教授》や《助教授》の様な実力者に、敢えて《影》を差し向けて足止めさせる事で、本体を《捜査》させない所からして、そっちの望みは薄そうだけどね」


 厄介な相手ですね――っとバルナバは肯定しながら、壁に背を預け、蹲っている学徒に近寄って《治癒》の《法術》を施行する。


「その上、《学園》のほぼ全域に迄《影》を展開出来る所からして、最低でも《A級》以上……下手をしたら、《S級》に限りなく近い存在だよ……」

「《拘束制御》の《限定解除》と《特殊決戦法具》の使用許可を申請しておいた方が良さそうですね」


 《使い魔》からの提案に静かに頷き、ユーベルは中空に指で円を描くと、《法陣》を出現させ、中心部に指を触れて最悪の事態に備えた。


「――ユーベル教授~~~~~~っ!!」


 《法陣》が徐々に色を失って消えた所に、突然、遠方から自分の名を必死に叫ぶ声を聞き、只事ではないナニカが起きているのを確認したユーベルは、勢い良く声のする方へ顔を向けた。

 小型の象程もある重装甲騎馬が凄まじい速さで近寄って来るが、圧倒される事なく、自分の目の前で砂埃を巻き上げながら急停止した《使い魔》に乗っている学徒達の続く言葉を心の中では急かしながらユーベルは待った。


「ユ、ユユユ、ユーベル教授!」

「うん、僕はユーベル教授だけど、先ずは落ち着こうか?」

「そ、そうしたい所なんですけど、それどころじゃないんです!」


 普段から落ち着きのないアレンとコニーであるが、顔からは血の気が引いており、声にしようにも、気持ちの方が焦ってしまい、言葉に出来ずに何度も口を開いたり閉じたりするだけで、全く要領を得ない。

 どうしたものかとユーベルが首を傾げていると、少し遅れて到着した重装甲騎馬の主である少年が、肩で息を整えつつ、最悪の内容を口にした。


「ス、《歪んだ種族》です! カテゴリー《B級》以上! ココに来る迄に何体か消失させた《学園》に展開されている《影》の本体です! ライル先生が犠牲となり、今ケイゴが殿を務めていますが、右腕を切断され、最早勝負は見えています!」


 学徒達の成長を最も近くで見守るために、敢えて《講師》という立場に身を置き続けた嘗ての教え子が犠牲になった事を聞き、ユーベルは眉根が寄ってしまう。幾つになっても教え子は教え子であるため、ユーベルは暗澹たる気持ちになりかけるが、無理矢理自分の気持ちを抑えこみ、《教授》として、一人の《法術師》として、護るべきを護るため、今の教え子に詳細を尋ねる。


「相手の特徴は解る?」

「僕達では知覚出来ない程の瞬速とケイゴを手玉に取る体術の技量を持っていました。外見は恐ろしい程の美しさと白い肌で、真紅の目と月夜に映える銀髪をしていたのと、それと――」


「真っ赤なドレスを身に付けていました」


 時間が停止した様に動きを止め、ユーベルの頬がピクリと動いた。


「……宵闇のドレスやスーツでなく、《真っ赤なドレス》? それは見間違えではなくて?」


 は、はい――っといつも通りの柔和な顔付きではあるが、表情と心の中で思っている事が全く違う感じがしたため、ジャンは云い淀んでしまい掛けたが、しっかりと返答した。

 そう……――っとユーベルは短く返すと、バルカから降りてコニーに支えられて立っているリゼットへと近寄った。


「リゼ、僕は今から君にとってとても辛い事を云うけど、伝えない方が失礼だから、敢えて伝えるよ」


 口元に軽く笑みを浮かべているが、真剣味を帯びた視線をユーベルから向けられ、リゼットは静かに首肯する。


「心肺停止状態から回復する程のケイゴ君だけど、今回ばかりは相手が悪過ぎる。覚悟をしていた方が良いよ」

「っ?! な、何故ですか??! だ、だって、ケイゴは、ユーベル教授だって認めている位強いじゃないですか!!」


 弾かれる様に面を上げて、リゼットはユーベルに詰め寄るが、沈痛な面持ちなまま、《教授》は口を開く。


「確かに、今の彼は《D級》程度ならば、抵抗する事が出来るし、例え《B級》だったとしても、向こうの気紛れや条件によっては、数分は保たせられるけど、今相手にしている存在は拙い。正直な所、僕達《教授》でも、正面からぶつかるのは避けたい相手だよ」

「そ、そんな……」


 徐々に勢いをなくし、ユーベルの服を掴んでいた手から力が抜けてリゼットは俯いてしまった。

 でもね――っとユーベルは自分の娘にする様に、リゼットの頭の上に手を乗せて、優しく撫でた。


「ケイゴ君はリゼの《使い魔》だけど、僕の教え子でもある。取り戻させてもらうよ」


 そして、ユーベルが手を横に伸ばすと、バルナバを更に一回り大きくした程の《法陣》を展開させた。


「決して、相手をしようとしちゃいけないよ。それは僕の役目であり、使命だ。もし僕が押されても、絶対に加勢しようとはしてはダメ。その時は、僕を置いて、他の《教授》へ助けを求めるんだ」


 良いね? ――っと念を押され、学徒達は静かに首肯すると、教授に続き、《法陣》の中へと飛び込んだ。



   ******



 時空の歪みを感じ取り、面を上げたスカーレットは、数メートル先に出現した中型の《法陣》へと視線を向け、ゆっくりと立ち上がった。


「ん? 未だ残っているが、良いのか??」

「違うわよ。さっきも云ったでしょ? わたし、食事の邪魔をされるのが許せないのよ」


 《法陣》へと一歩進み、スカーレットが手を軽く振るうと、全身に付着していた血肉が細かな粒子となって風化し、艶やかな真紅の麗人となった。

 《法陣》から一番初めに姿を見せた長身で細身の男性を目にしたスカーレットは、口の端を持ち上げた。

 続けて《法陣》から姿を現した学徒達を、先に姿を見せた細身の男は腕を横に伸ばして停止させる。

 学徒達が停止した所で、真紅の麗人と対峙している細身の男が一歩前に出た。

 男性が横に伸ばした手を戻すと、《転送法陣》が消失し、同時に、自分の隣に眩い光と共に《使い魔》を顕現させる。


「――っ?!!」


 スカーレットによってハッキリとは見えないが、周囲に飛び散っている血肉によって、ソコに倒れているモノが何であり、どの様な状態であるのか理解してしまったリゼットが、言葉を失い、その場に崩れてしまった。

 慌てて駆け寄って支えたコニーもリゼットの視線の先に顔を向けようとした所で、叫んでいる訳でもないのに、従わなくてはならない響きを持った声が遮る。


「ジャン、アレン、コニー、あそこに倒れているケイゴを直視してはいけないよ。彼は僕が取り戻す。それまでは、僕と《歪んだ種族》に集中しているんだ」

「あらあら、このわたしを《歪んだ種族》と一括りにするなんて、失礼なボウヤね」

「《歪んだ種族》は《歪んだ種族》だよ。それとも、こう云った方が良いかな?」


 ユーベルはゆっくりと腕を上げてスカーレットを指差す。


「《歪んだ原始種族》の《火氣》。スカーレット・オブ・チューズデイ」


 ニイ……――っと両の口の端を持ち上げ、鋭い犬歯を見せ付けて、スカーレットは楽しくて仕方がないといった凶悪な笑みとなった。


「解っているじゃない、ユーベルング・トール・フォン・アペルキャント。アナタもわたし達の間では名を聞くわ……《厄介である》――っとね」

「《歪んだ原始種族》の耳に迄僕の名前が届くなんて、それは光栄だね」


 よく云うわ――っと何処か呆れ気味に片手を振ってスカーレットは溜息を零した。


「……まぁ、いいわ……わたし、今食事の途中なのよ。起きたばかりで余り乗り気じゃないから、静かにしていれば、これ以上の犠牲を出さずに済むわよ?」

「悪いけど、僕もそうはいかないんだ。君が食料としている存在こそが、僕の目的だからね」


 そんな状態でわたしに抗えると思って? ――っと嘲笑を含めたスカーレットの言葉に、ユーベルは肩を竦めた。


「こんな状態でも、《幻影》の君になら、良い勝負はすると思うよ?」


 流石に《化身》は無理だけどね――っと付け加えて、ユーベルは苦笑した。


「……相変わらず、人を喰った様な態度ね……良いわ、相手をしてあげる。アナタの大切な存在の目の前で、バラして並べてあげるわ」

「悪いけど、素直に受ける訳にはいかないから、抵抗をさせてもらうし――」


 ユーベルが喋っているにも関わらず、一瞬にしてスカーレットは彼の眼前へと移動する。

 ポケットに指を掛けて立っているユーベルは、スカーレットにとって無防備であるが、下から突き上げる形で放たれた瞬速の貫手は、小型であるが故に、《法力》が圧縮されて、異様な強度を誇る《防御障壁》に衝突し、ユーベルの身体迄後数センチの所で止まった。

 交差する視線。

 一際甲高い音が響き、ユーベルの周囲に瞬時に展開された《法陣》が全て、ガラス細工の様に砕かれ、霧散した。

 学徒達からは、スカーレットの両腕がブレた様にしか見えぬ一瞬の内に、数百からの攻防が繰り広げられた様で、遅れてユーベルの衣服に幾筋もの切れ込みが入り、血が滲む。

 不敵な笑みを浮かべたスカーレットが、構えを解いて、左前の自然体になり、自分の左腕に視線を向けた。


「……《障壁》を展開する精度も強度も完璧……その上――」


 スカーレットの左腕が一呼吸遅れて生々しい音と共に拉げ、鮮血が滴る。


「攻性も問題無し……ホント、《厄介な存在》ね」


 でも――っとスカーレットが腕を振るうと、瞬時に左腕が冗談の様に綺麗に修復された。


「わたし程になると、この通り、破壊された瞬間から直ぐに修復が開始されるの。アナタ達が《歪んだ種族》を殺し切る方法の一つに、修復速度を超える速さで破壊し続けるっていうのがある様だけど――」


 やってみる? ――っとスカーレットから鋭い犬歯を見せる挑発的な笑みを向けられるが、ユーベルは肩を竦め、両の掌を相手に向けた。


「冗談は止してくれよ。例え《幻影》であっても、その回復速度だ。今の状態の僕では、不可能だよ」

「それじゃ、《封殺》をする訳?」


 それもノーだよ――っとユーベルは頭を軽く左右に振った。


「《歪んだ原始種族》である君の《真名》を知るモノなんか、この世界――否、全ての可能性に於いて片手で数えられる位しかいないんだから、僕が知る訳なんかないよ。そんな《真名》を解らない状態で《封殺》だなんて、《歪んだ原始種族》同士でしか無理だね」

「あらあら、万事休すじゃない。そんなのでどうやってわたしを《学園》から排除するつもりなのかしら?」


 相手を嘲笑する響きを持った言葉に、ユーベルは口元に笑みを浮かべつつ、目を細めた。

 普段では先ず見られない《教授》の態度と表情に、背筋が寒くなり、学徒達は思わず身震いをしてしまった。


「実力行使さ。キッチリ付いて来いよ? 《歪んだ種族》」

「誰にモノを云っているのかしら? 教育をしてあげる必要があるわね」


 二人プラス一体の姿が掻き消える。


 ――衝撃。

 地が抉れ、砂煙が舞う。


 ――衝撃。

 一抱え程もある木々が中程から拉げ、薙ぎ倒される。


 ――衝撃。

 圧縮された空気が開放され、突風が発生する。


 ――衝撃。

 瞬きすら忘れて只々眺めるだけであった学徒達の瞳に、一瞬だけ《教授》の姿が見えた。

 しかし、普段笑みを絶やさない《教授》の顔は苦痛に歪んでおり、口元から紅い一筋が流れていたため、思わず伸ばし掛けたリゼットの腕を隣で支えていたコニーが掴んで押し留める。

 眉根を寄せ、懇願する様な表情をコニーに向けるが、燃える様な心を持った少女は、静かに首を横に振って悔しさに震えるが、下唇を噛んで耐えた。


 レベルが違い過ぎる……――。


 《教授》と《歪んだ種族》の衝突を観ているしか出来ない学徒達の嘘偽りの無い感想だ。


「……ユーベル教授がココに来る前に、《絶対に加勢してはダメ》って云っていた意味、今なら解るよ……」

「したくても出来ね~よ……」

「非常に口惜しい事ではあるが、何をしているのかすら解らない僕達では、もししたとしても、タダの足手まといにしかならないな……」

「ユーベル教授……」

「――ヲイ、ガキ共。感傷に浸ってる暇があンなら、俺を拾い上げろ」


 《教授》と《歪んだ種族》のレベルの違う攻防に目を奪われていた学徒達であるが、篭った様な独特の響きを持った声が地面からしたため、驚いて全員が視線を下に向けた。


「フォスファー!」

「ヲウ、リゼットの嬢ちゃん、フォスファーだ。俺をサッサと拾い上げて左の中指に嵌めろ」

「えっ? で、でも――」


 早くしろ! ――っと切羽詰まる様に怒鳴られたため、慌ててフォスファーを拾い上げると、リゼットは云われるがままに左手の中指に嵌めた。


「今から《結界》を展開する。死にたくなければ、そっから出ンじャねェぞ?」


 何故その様な展開になるのか解らないが、今それを尋ねるのは、得策ではないと理解した学徒達は首肯した。

 学徒達を囲む様に直径五メートル程の紫色の《法陣》が足元に展開され、一瞬にしてナニカが変わった感覚を受けた《法陣》の中に居る学徒達は、《結界》が完成した事を直感で理解した。

 これで《結界》の内部は、余程の攻勢《法術》や《魔術》でない限り、決して破れぬ安全な領域となったが、《結界》という《転送》と同等かそれ以上の高等術式を詠唱もせずに構成させた《法具》に、得体の知れぬモノを視る視線を学徒達が向けていると――。


 ――衝撃。

 《歪んだ種族》とは違い、《転送》による擬似的な超高速戦闘を行っていたユーベルとバルナバが弾かれ、地面へと叩き付けられた。

 瞬時に再生させた触腕を使い、器用に起き上がった《使い魔》のバルナバは、学徒の《法術》程度ならば、傷一つ付かぬ程の強度を誇る、自慢の甲殻の至る所にヒビが入り、一部は欠けてしまっていた。

 砂埃が晴れて、主であるユーベルも片膝を地についた状態で姿を見せたが、一目でこちらの方が良くないのが解る程、身体中に浅くない傷を負っており、特に腹部は、圧えるために当てている手の間から鮮血が流れ続けていた。

 バルナバを支えにして、ゆっくりと立ち上がりながら《治癒》の《法術》を施すユーベルだが、体力と《法力》の双方を消耗している事が影響しているのか、血の止まりが鈍い。

 ドレスの裾や衣服の一部が削られているだけで、特に目立った外傷のないスカーレットと対照的に、灰色のシャツと黒のスラックスを赤黒く濡らし、立っているのがやっとの程、肩で息をして満身創痍な状態のユーベル。


「………………勝負は見えたわね」

「はぁ、はぁ……くっ……そ、その様、だね……」

「ユーベル教授!!」


 手を横に伸ばして学徒達が《結界》内から出て来るのを制すると、ゆっくりと深呼吸をして、ユーベルは気持ちを切り替えた。


「ふぅ~………………やっぱり、この状態だと、《幻影》相手でもてこずるね……」

「はい、参りますね……」

「ふふっ、なら、早く解除をしたらどうかしら? これ以上力を出し渋るのなら――」


 その場に居た全員の目には一歩踏み出した様にしか見えない動きで、スカーレットはユーベルの脇を通り抜け、いつの間にかフォスファーが展開した《結界》の目の前に移動しており、仄かに光る薄い膜状の《障壁》に指を触れた。


「この中の子達からバラすわよ?」


 挑発する様に目を細め、《結界》に触れている指をゆっくりと滑らせるスカーレットに対し、何故かユーベルは落着き払っており、口元に軽い笑みすら浮かべ出した。

 明らかに場違いな態度にスカーレットが訝しんでいると、伸ばしている彼女の右腕の前腕が突然掴まれた。


「あら? わたしの腕を掴むなんて、何処の不届き者かしら??」


 掴んでいる手に添って視線を動かしたスカーレットであるが、何処の不届き者であるのかが解った途端、驚愕の表情となり、目を見開いた。


「な、何でアナタが――」


 不届き者が股関節を開き、空高く蹴り上げられた右足によって、スカーレットの右腕は二の腕辺りから切断された。

 《歪んだ原始種族》ですら驚愕に固まり、反応が遅れていると、不届き者は、蹴り上げた右足をゆっくりと戻し、地に振り下ろすと同時に身体を回転させて、胴後ろ回し蹴りをスカーレットの腹部に放ち、後方へと吹っ飛ばした。

 身体を屈曲させる程の凄まじい速さで後方へと吹っ飛ばされたスカーレットは、幾つもの木々を薙ぎ倒し、巨大な岩に衝突した所で、漸く止まった。

 スカーレットを蹴り飛ばした上半身裸で黒いスラックスを履いている存在が残心を解き、左手に握っている、彼女の右腕の血が滴る切断面を、己の欠けてしまっている右腕の二の腕に近付ける。

 すると、筋繊維が意思を持っているかの如く煽動し、次々と切断面に突き刺さった。

 神経系と骨を繋ぎ、筋繊維も同化したらしく、腕全体から白煙あげながら指先が狂った様に動き続け、白煙と動きが落ち着く頃には、恐ろしい迄の白さを有していた元スカーレットの腕は、薄っすらと紅い血の気の通う男の腕へと造り変えられていた。

 自らのモノへと造り変えた右腕を一瞥し、一度だけ開閉して感覚を確かめると、上半身裸の黒きスラックスを履いている青年は首を鳴らし、肺に溜まっていた空気を吐き出した。


「ふぅ~……《歪んだ種族》の腕だけど、《人間》の腕に造り変えたし、問題無いね」

「――大在りよ」


 忽然と姿を現したスカーレットが、己の右腕を奪った青年へと、修復した右腕で瞬速の貫手を放つが、青年は子供の手を掴む感覚で、いとも容易く手首を掴み、首を傾げた。


「僕の中身の殆どを喰らった君が、それを云うかい?」

「……何でよ……」


 余りにも小さい声で呟く様に云われたため、良く聞こえず、青年は眉根を寄せて耳を傾けた。


「……何で……何で、生きているの?! 両腕を奪い、腹を裂き、心の臓を喰らったのよ?! 人間なら、何十回と殺せる程なのに、何でアナタは生きているの?!!」

「うん、確かに源慶護は君に玩具の様に壊され、喰われ、死んだよ」

「だったら――」


 でもね――っと更に言葉を続け様としたスカーレットの右手首を捻り、体を開かせて、ガラ空きとなった眼前へと、青年は一歩踏み込んで顔を近付けた。

 余りにも異質な存在故に、スカーレットはそれ迄挑発的な笑みを浮かべていた口元はキツく結ばれ、タダの人間であれば視線だけで竦み上がる程の殺意を込めて睨み返した。

 しかし、見た目や声といった外見的特徴は源慶護そのものである存在は、軽い笑みを浮かべるだけでそれを返した。


「《僕》は死なない。例え《フラグメント》や《カラード》であったとしても、君達程度に《僕》を殺し切る事は不可能だよ、《歪んだ原始種族》」


 そして、空いている右手で眼帯を外すと、リゼットの《使い魔》の証拠である《契約の紋様》を見せつけた。


「っ?! そ、そんな!! だって、アレは――」


 慶護に似た存在が、完璧な死角から放った貫手は、スカーレットの胸部へと侵入し、心臓を掴むと、勢いをそのままに背面へと突き抜けた。

 真っ赤に染まった慶護に似た存在の手の内で、体外に取り出されているにも関わらず、正確に脈打つスカーレットの心臓は、繋がっている太い血管から血液を送り続けていた。

 逆流した血液を口元から零し、声帯に上手く空気を送れないため、只々力無く空気が抜ける音だけをさせて、スカーレットが小さく口を開く。


「どうだい? 直接心筋を触れられる感覚は? 幾ら《幻影》でも結構堪えるだろう?」


 声帯を震えさせられないため、声にならない空気がスカーレットの口から漏れ、口元を紅い泡が包む。。


「………………悪いけど、君が喰らった《僕》の心臓、返してもらうよ」


 慶護に似た青年が、右手に徐々に力を込めると、スカーレットの心臓が手の内で狂った早鐘の様に脈打ちだすも、表情一つ変えずに淡々と右手を握り込んでいく。

 握れていない左手で慶護に似た青年を押し退けようとするが、タダの人間であれば、肉が裂け、骨が砕ける程の上級の《歪んだ種族》の膂力を持ってしても青年は全く動じす、更に右手に力を込めた。


 そして――。


 限界に迄握り込まれたスカーレットの心臓は、血飛沫を撒き散らし、破裂した。

 空気の衝撃としか感じられぬ程の叫び声をあげ、スカーレットの身体が足元から徐々に消えていく。

 周囲に散らばった心臓の破片は白煙をあげながら光の粒子となり、慶護に似た青年の身体へと取り込まれた。

 胸元迄その姿が消えてきたスカーレットを感情の篭もらぬ瞳で眺め、慶護に似た青年は、腕を引き抜き、静か佇む。

 スカーレットの姿だけでなく、気配も消えた所で、慶護に似た青年は深呼吸をして気持ちを切り替え、《結界》内で唖然としている学徒達へと振り返り、苦笑した。


「ちょっと――」


 閃光としか見えぬ程の速さで、青年へと幾つもの剣が降り注ぎ、今の体制から少しでも動かせば、鈍色に輝く刃によって、只では済まぬ絶妙な形で自由を奪うと同時に、目で確認出来る程強力な立方格子状の《障壁》による《結界》が取り囲んだ。

 少し遅れ、《ランドキャリッジ》程もある巨躯をした、尾が複数本生えた燃える毛並みの山猫と、その上に乗っているツバが広く、先端が曲がったとんがり帽子を被り、マントに身を包んだ目付きの鋭い少女が姿を現した。

 慶護に似た青年は、慌てる訳でも叫ぶ訳でもなく、自分の身に起こっている事象を冷静に眺め、擬似的に拘束された事を理解すると、肩を小さく竦めた。


「危ない所を助けてもらった恩人にこんな事をするのは気が引けるけど、僕も《学園》の《教授》である以上、規則に従うしかないんだ……ごめんね」


 構わないよ――っと返した青年は、書物を片手にゆっくりと立ち上がって、一人と一匹に近付いたユーベルに対し、口の端を下げた何処かモノ悲しげな表情を向けた。


「いつかは、オヌシが目覚めると思っていたが、《歪んだ原始種族》もとなると、ワシらも悠長にしておられんでな。少々手荒な真似をさせてもらうぞえ」


 絵本等で良く見る魔法使いの格好をした少女の見た目通り、若い声であるが、言葉使いやそこに含まれる響きは、老獪さを孕んでいる。


「ごめんなさいね……わたしも気が進まないけど、《学園》を護るため、今少しだけ大人しくして頂戴」


 燃える毛並みをした巨大な山猫は、逆に艶のある妙齢な女性の声をしているため、ユーベルを含め、凄腕の《法術師》は誰も彼も一筋縄でないと青年は実感して苦笑した。

 一方、フォスファーが展開している《結界》内の学徒達は、数百万人規模の直接戦争に於いても、単騎にて戦況を覆せる実力を有した《教授》達が三人も集まり、更に《特殊決戦法具》や《拘束制御》の一部を解除しているため、気が気でない。


「オ、オイ、コニー……」

「な、なによ、アレン……」


 アレンに小声で呼ばれ、コニーは教授達へ顔を向けたまま返事をする。


「ユーベル教授やシャイン教授はまだ解るが……何でアンネ教授迄居るんだ?」

「ア、アタシが知る訳ないでしょ……でも、アンネ教授来るなんて、相当ね……」

「あぁ、なにせ、あの見た目だけど、アンネ教授は《教授会》で――」

「アレン、命は粗末にするモノでないぞ?」


 学徒達に背中を向けたまま、フォスファーの《結界》内に肉厚で巨大な空に浮かぶ大剣を誰にも気付かれずに転送させていたため、剣先を向けられているアレンは、静かに両手を上げて勢い良く首を左右に振った。


「………………賢明な判断じゃな」


 魔法使いの格好をした少女――アンネが腕を横に振ると、《結界》内から肉厚で重厚な大剣の姿が消え、ほぼ同時に小さな手の内へと移動しており、軽々と肩に担いだ。


「さて、オヌシを拘束したまま、《学園長》の時空に移動するぞえ?」

「一つ、確認だけどさ。タダ移動するだけじゃないんだろう?」

「無論じゃ。その後、《学園長》とワシら《教授》が作成した時空に、幽閉させてもらうぞえ。まぁ、一種の《封殺》じゃな」

「《封殺》か……」


 そう呟き、慶護に似た青年は、肩を引き攣るように何度か震わした。

 絶対に抗えない状態の上に、その後の自分の残酷な命運も伝えられ、悔しさに震えているのかと学徒達は考えたが、《教授》達は全く違う。

ユーベルとアンネは手にしている獲物を構え、燃える毛並みの巨大な山猫も尾を高々と持ち上げ、威嚇した。


「クックックッ……僕を《封殺》ね~……」


 ――嘗めるな。


 面を上げると同時に、抑えていた《生体エネルギー》を一気に放出して、内側からユーベルの立方格子状の《結界》を爆ぜ飛ばし、自由を奪っていた剣達も粉砕した。

 硬いモノが表皮を剥がしながら畝る様な、相手に厭でも緊張感を与える音を響かせながら、慶護に似た青年の右腕に黒いナニカが巻き付くと、二回り程大きくなり、爪と筋が異様に発達した、節くれ立つモノへと変化した。


「……発現率二パーセントといった所かな? ……まぁ、良いさ。これでも今の君達ごと、周囲一帯を平らにするのは容易い事さ」


 慶護に似た青年から、口の端だけを持ち上げる挑発的な笑みを受け、ユーベルが頭に手を当てた。


「参ったな~……あのまま大人しくしてくれれば、情状酌量の余地があったんだけど、こうも反抗的だと、僕達も本気で相手をしなくちゃになっちゃうよ?」

「へぇ~、《教授》程の存在の本気、是非拝見したいね」

「吠えるな、小僧。幾らキサマでも、今の状態でワシら三人を相手に大立ち回りをした場合、タダでは済まぬぞえ?」

「でも、逆を云えば、君達以上の《法術師》は、《人類》に居ないんだから、ココで潰しておけば、僕に対しての脅威は減る事になるね」

「あら、脅威として認識してくれるなんて、嬉しいわね」


 そりゃ脅威だよ――っと青年は、掌を上に向けて肩を竦めた。


「全ての拘束を外した場合、《歪んだ原始種族》と正面から相手を出来るんだ。《天使》や《悪魔》ならまだしも、それが《人類》なら、僕には脅威以外のナニモノでもないよ」

「……あ~、そうか……そりゃ《脅威》になるね、うん。僕とした事が忘れていたよ」


 ハッハッハッ――っと場違いな笑みと軽口を叩いたユーベルだが、次の瞬間には、《歪んだ原始種族》を相手にしていた時の《教授》の表情となり、視線だけで相手を射殺せる冷たい殺意を身に纏った。


「なら、余計に都合が良い。悪いけど、始めから全力で相手をさせてもらうよ」


 青年と三人の教授の姿が掻き消えるが、同時にフォスファーが展開している《結界》内の白き小さな少女も駆け出した。

 急展開な事態に頭が付いていかず、コニーが気付いた頃には、リゼットは既に手を伸ばしても届かない所迄移動してしまっており、《結界》の外に出てしまった。


「えっ? な、何で……??」

「嘘……だろ……?」

「そんな……莫迦な……!」

「………………」


 リゼットの指に嵌っているフォスファーを除く学徒達が皆驚きに目を見開き、反応が遅れてしまった。

 《結界》とは外部の脅威から内側に存在するモノを護る意味もあるが、同時に内側に存在するモノを外部に漏らさない役目もある。

 そのため、《結界》を展開したフォスファーを身に付けているとはいえ、《法術》的な行為を何もせずに外側に出られた事に、リゼットは必死であるために気付かなかったが、当の本人でないアレンにコニー、ジャンは固まってしまった。

 音を後ろにしてしまう程の超高速戦闘であるため、学徒であるリゼットには、吹き荒れる突風と轟音としか感じられぬ戦闘領域を駆け抜け、閃光としか認識出来ない《転送法陣》から射出された剣の雨を掻い潜り、叫んだ。


「ケイゴーーーーーーっ! ダメーーーーーーっ!!」


 聞こえる筈のない声を聞いて、漸く戦闘領域に、自分達の流れ弾すら致命傷となる学徒が居る事に気付き、慌てて戦闘行為を止める《教授》と慶護に似た青年であるが、既に射出してしまい、現実世界に具象化された剣の雨や《法術》の結果迄は止められず、上級の《歪んだ種族》にすら傷を負わせられるそれら脅威が白き少女へと襲い掛かる。


 ――躱す事は不可能。


 ――防ぐは無謀。


 ――当たれば必殺。


 ――触れれば致命傷。


 刹那の刻で少女の心を埋め尽くすは確実なる《死》の絶望。

 最期のその瞬間の痛みを耐えるべく、リゼットは目を思い切り瞑り、身を固くする。

 ……一秒……二秒……五秒………………自分の心臓の鼓動のみが感じられる暗闇の中、幾ら待っても来るべき衝撃も痛みもなく、不思議に思った少女が恐る恐る瞳を開けて最初に視界に入ったのは、鈍色に輝く幾つもの剣先を濡らす紅き雫であった。


 ……一滴……二滴……幾つもの雫が零れ落ち、地面を紅く濡らした所で、自分の護るために誰かが楯になった事に気付いた少女がゆっくりと顔を上げると、何処か頼りないが、向けられた相手に安心感を与える、見慣れた瞳と交差した。


「……どこか、怪我は、ないかい? リゼット……」


 目を見開いたまま少女の瞳が揺れ、遂に溢れて頬を伝った。


「ははっ……リゼットは、泣き虫だな~……」


 身体を剣に蹂躙され、背は骨が見える程抉られているため、喋る事すら辛いにも関わらず、目の前の少女を安心させたくて、青年は痛みで震える頬や、呼吸をする度に血が逆流する苦しさで歪む眉を無理矢理押し留め、笑みを浮かべる。


「大丈夫……僕は、死に……難い、から――」


 さ……――っとリゼットの頭を一撫でし、笑みを浮かべたまま、身体に幾本もの剣を生やした慶護は崩折れた。

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