ふんどしになって 下 (完結)
二日後。本来ならば日も昇り始める時間に、望みの雨は降った。土砂降りにはほど遠いが、地面は濡れ、水溜まりもできている。
「さぁて、ヒカリ。全て整った。あとは練習した通りに動くんじゃぞ」
「うん。ねぇ、織田さん」
「なんじゃい」
「…ありがとう」
「礼は勝ったときに言え。いや、もう既に貴様は勝てる状況にある、か。まぁ、よきかな、よきかな」
「油断は、しないからね」
「うむ、それで良い」
足に力を込めて、ヒカリは雨の森を走る。状態は悪くない。勝ち戦じゃの。
やがて、森を抜け、大きく跳躍したと思えば、その景色は二日前に見たことあるものと同じ、領主の屋敷の風景だった。ヒカリの腰に下げている革の袋がガラガラと音をならす。柵を軽々と越え、その大きな庭へと降り立つ。着地した衝撃で泥の混じった水飛沫が上がり、否が応でも目立った。
「こらー!ツンツクリン!もっかい出てきて勝負しなさい!」
仁王立ちで、持ち前の大声を炸裂させる。雨が音をかき消すにはいささか役不足で、その声は屋敷中に響き渡った。
「…誰かと思えば、いつぞやの負け犬ではないか」
しばらくして、聞いたことのある男の声がした。いつぞやのキザ野郎だ。
「まぁ、来ることはわかっていたよ。そろそろ君に招待状を送ろうと思ってたところだ」
自分に酔っているところは変わりがなさそうだ。キザ野郎は付き人になにか指示を出した。
「君に見せたいものがあってね。ほら、これだよ」
「…ネー姉さん!」
「ヒカリ!」
どうやら、既にネールは捕まっていたようだ。ヒカリの動揺が顕著に伝わる。
「くっ、ネー姉さん、今助けるからね!」
「待て、ヒカリ」
駆け出そうとしたヒカリを止める。
「織田さん、でもっ!」
「想定内だ」
「えっ…?」
「考えろ。奴は人質をとって勝つような性格ではない。もしそうであるならば、緒戦で既にお前は殺されているわぃ」
「じゃあ、どうして!」
「言っただろう?奴は自分に酔っている。そういう人間は、えてして自分の力を誇示したがるのじゃ。つまり、あれはただの物見ぞ」
「でも、何かあったら─」
「早々に領主を叩け。指揮系統の頭を潰したあとに、付き人を見逃す条件としてネールを解放させよ。やつらは喜んで逃げていくぞ。焦る必要はない。ここでぬしが動けば、やつの望んだ戦に変わる。それだけは避けよ」
その一言で、ヒカリも渋々了承した。ワシの命令は絶対じゃからのぉ。
「ククク…、てっきり考えなしに突っ込むと思ったが、怯えて足も動かないかな?まぁいいさ、前回は見逃してあげたが、今回はもう終わりだ。君の大遺産をいただいて、より最強の僕になるんだ!」
ピン、と緊張の糸が張る。勝負の時間だ。
「勝負は一撃ぞ。討ち漏らすなよ?」
「合点!」
意気揚々。悪くない。
「ふん、そちらが来ないなら、こちらから行かせてもらいますよ!」
その言葉と共に、男が駆け出す。ヒカリは冷静に、革の袋から掌くらいの大きさの岩を二つ取り出す。
「くらえっ!」
岩が砕ける。バカラァ!と小気味良い音が響く。ヒカリの馬鹿力で岩をぶん殴り、破片を男に向けて飛ばしたのだ。さながらそれは鉄砲隊の斉射のように、縦横一体に飛んでいった。
「くっ!猪口才な!」
男は堪らず跳躍する。そりゃそうだ。その速さで破片にぶつかろうものなら、確実に骨が砕ける。かといって、方向転換は容易ではない。何せ、地面はぬかるんでいるからの。ならば、飛ぶ。全くの予想通りじゃ。
「ヒカリ、いけ!」
「はい!」
ヒカリはさらに革の袋から岩を取りだし、今度は上空に飛ぶ男目掛けて、三発の岩をぶっ飛ばした。
「ぬぅぅ!」
跳んでいたら自由は効かない。男はその散弾を受けざるをえない。しかし、奴はこれでは倒れないだろう。奴の早さが死んでいる以上、威力は精々怪我をさせる程度。破片に殺傷力はない。
両腕と両足で胴体を守った男は、なんとか着地をしたようだ。さぁ、最後の詰めを始めよう。
ヒカリは着地した男目掛けて走り出す。こちらには靴の裏に鋭い刃物の破片を着けて、滑りにくくしている。踏ん張りが効かず、破片による攻撃を受け、速さが半減している奴ならば、ヒカリでも容易く捉えられる。
「これが最後よ!」
「ぐうぅ!畜生!畜生!」
「吹き飛べっ!」
ドンッ!と、おおよそ人力では出せない重い一撃が入る。
ヒカリの掌底をくらい、男は放たれた火縄銃の玉のようにぶっ飛び、自身の屋敷の壁をぶち抜いた。もう、再起不能だろう。
「アンタたち!」
一瞬での敗北に呆けていた付き人たちは、ヒカリの言葉で覚醒する。しかし、その様は怯えた小動物のそれに似ている。
「屋敷の人に、そしてネー姉さんに手を出さないと誓うなら、見逃してあげる。それが嫌なら、あのツンツクリンみたく、ぶっ飛ばすわよ?」
脅迫とも言える交渉に、付き人は頷くことしかできなかった。ひいぃ、と情けない声をあげながら、裸一貫で森の中へ逃げていく。騒ぎを聞いて駆けつけた兵士たちも、ヒカリの圧倒的な強さに、蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「ヒカリ!」
ネールがヒカリに抱きついたようだ、二人は手に入れた平和を喜びあう。
「ネー姉さん!やったよ!」
「ごめんなさい、私のために…怪我はない?手は大丈夫?」
「気にしないで。体の方もへーきへーき!なんてったって、織田さんがついてるからね!」
「織田さん、この度は、本当にありがとうございました」
「うむ。よきかな。よきかな」
丁寧に礼をするネールに、雄大に応えてやる。気分が良いぞ、ワシは。
なんてったって、あの光秀を間接的にぶっ飛ばしたのだからの。
「さっ、ネー姉さん。村に帰りましょう!私お腹が空いちゃった」
「まて!」
「ツンツクリン!しぶといやつ!」
「諸星ヒカリ!僕に手をあげた奴は絶対に許さない!」
男はそう言って、懐にしまっていた紙を取りだし、宙に投げた。
「…鳥が!」
それを伝書鳩がつかみ、遠くへと消えていく…。
「これから貴様は、この大帝国の指名手配犯だ!逃げ場は無いぞ!我が国に逆らった罪を、その命で償うまではな!」
男の高笑いが響く。虎の威を借りるなんちゃらじゃの。
「ヒカリ」
「合点」
瞬間、ヒカリは馬鹿力で加速し、その勢いのまま男の顔面を殴り抜いた。歯の折れる音、顎が外れる音、そしてその体を木に打ち付ける音が響き渡る。
「だったら、そんな国、ぶん殴ってやる!」
「大きく出たのぉ、さながら天下取りじゃな」
「そんなわけで、ごめんね、ネー姉さん。ここにいると迷惑をかけちゃうから、私行くね」
「ヒカリ…」
「待っててね。私が馬鹿みたいな奴らを全員ぶっとばしてくるからさ!」
やれやれ、正直な話、褌になってから再び天下取りとは、人生というものはわからないもんだのぉ。
まぁ良いわ。今度こそ天下人となり、ワシの威光を知らしめてくれようぞ。
「では、行くか。ヒカリよ」
「うん!よろしくね、織田さん!」
「かっかっか。よきかなよきかな」
ふと地上を見れば、雨は止みやや日光も差してきた。ヒカリは走りだし、やがて力一杯に跳んだ。雨粒と陽光で輝くこの世界を、その身一つでどうすることやら。はてさて、これからが楽しみで仕方ないわぃ。