二杯目 青表紙本
仕込みが終わり、開店まであと少し時間があるという時間。
道端で勝手についてきた黒猫をカウンターの椅子に置き、龍斗は薬屋から受け取った文書を読んでいた。
「何それ? もしかして昼間の女の人にもらった資料?」
「そう。5年前に忽然と消えたトナ王国記の青表紙本の写しだよ」
トナ王国記というのは、その名の通りこの国の歴史を記した本だ。
中でも龍斗が手にしている青表紙本はトナ王国に古くから伝わるある伝説について書かれているのだ。そもそも、最初に初代国王が書かせたといわれるトナ王国記の原本はすでに失われていて、基本的には写ししか出回っていない。
その中でも最もポピュラーなのが赤表紙本と呼ばれるものだ。
古代トナ王国の伝説が書かれている本としては龍斗が手にしている青表紙本やこれの原本同様に5年前に所在が不明となっている黄表紙本と呼ばれるものがある。
この三つの本にはそれぞれ、大きな特徴があり、内容が豊富で後世の人間による誇大表現や脚色が多いとも言われる赤表紙本に対し、青表紙本は内容がいたってシンプルで一番史実に忠実だといわれている。もう一つの黄表紙本は他二つの流れをくみつつもかなり独自の内容が記されているという。
龍斗が三つの本が存在する中で青表紙本を欲したのにはれっきとした理由がある。
この本において唯一と言っていいほど、他の本で言及されていない事柄が記されているのだ。
それは、まさに今、龍斗が読んでいる部分であった。
その昔、国王はリーナ半島(現アリーナ半島)の先にある港町ローア(現アリーナ)を訪れる。
そこの民の案内で国王とわずかな家来は世界の裏側にある世界(以降裏世界)へ行くことになった。そこには、アリーナ魔術高等学校なる学び舎が存在し、人間界へ侵攻を進める魔物を退けるために魔法の修行日励んでいた。そこで、国王は……
文中に出てくるアリーナ魔術高等学校というのは、アリーナ魔道学校を指しているとみて間違いなさそうだ。
この学校にのみ注釈がないところを見ると、比較的早い段階でこちらとあちらの正式な交流は途絶えたのだろう。
そんなことはさておき、アリーナ魔道学校について記してある歴史書は、青表紙本系統の一部だけだ。
実際問題、アリーナ魔道学校の卒業生によるとアリーナ王国成立時にはすでに現在とは別の名前で学校が存在していたし、初代国王が訪れたこともあるとの記録が残っているらしい。となれば、青表紙本を信じる確かな理由となりえるのだ
「でも、青表紙本に書いてあることだけが本当なんて言い切れないんじゃないの?」
「いや。赤表紙は黄表紙は当てにならない」
「そんなもん?」
龍斗が読んでいる資料をいつの間にやら来店していた美景が覗き込んでいた。
それに驚いた龍斗は、思わず資料を落としてしまう。
「それ、貴重な資料でしょ? もっと大事にしたら?」
「そういうお前はどこから入ったんだよ」
鍵をかけ忘れていたのかと思い、入り口を見るが鍵はしっかりと掛かっている。
ならば、裏口からこっそり入ったのだろうか? だが、この狭い店内で後ろを通られて気づかないはずがない。
「何を不思議そうな顔してるの? 私を中に入れたのは龍斗でしょ」
美景はいつも通りの表情を崩さずに告げた。
そんな彼女に対し、龍斗の混乱はますます拡大する。
当然ながら、龍斗は美景を今日の朝方に帰って行くのを見送ってから彼女の存在に気づくまでこの店に招き入れた記憶はない。店に出入りしたのは、自分と妻であるレミちゃんそして、黒猫だけだ。
「じゃ、問題。私は、いつ、どこから入ったでしょう?」
カウンターに乗り出して龍斗の顔を窺う美景の顔には、少々意地の悪そうな笑みが浮かんでいた。