#14 救いを求めるのは人の性
彼らが発砲音を聞いた時から遡ること約半日前、グループから離れた晴井は単独で校舎内を片っ端から探索していた。外から差し込む光が段々と暗くなりつつある今、彼は通報をしてくれた子供達を救う為にひたすら部屋を虱潰しに捜索していく。
その中であの怪物――ゾンビと化した者に襲われる事も多々あったが幸いにして一度に大勢で襲われる事はなかった為、冷静に対処することで何とか切り抜ける事は出来た。
「二階も居ない……残るは、三階だけか」
しかし時間はあまりに無情である。二階を探索し終える頃には陽が沈み、最早この老いた眼では自分の身体の輪郭さえまともに捉える事が出来ない程の暗闇が辺りを包んでいた。闇を照らし出すための懐中電灯はあるにはある……のだが、極力ゾンビ達との戦いを避ける為にもこれを使うのは最後の手段としておきたい。連中は眼も見えるし耳も聞こえる。たった一人しか居ない中でわざわざ相手に有利な土俵に立つのは得策とは言えない。
私は諦めて二階の探索済みとなった部屋へ入り、溜め息を吐きながら腰を下ろすと拳銃の弾倉を抜いて中身を確かめた……中には32口径の小さな実包が2発だけ残っている。薬室にも1発込められているがそれでも3発、身を守るためにはあまりに心細い。
一方で持ち出してきた猟銃の方は25発と弾は多いがこの狭い屋内で1発でも撃てばさぞ蜂の巣を突いたような大騒ぎになるのは間違いない。それに散弾は文字通り散らばる弾だ、下手をすれば生存者が巻き添えを食う可能性もある。
まったく、世界はたった一週間でここまで変わってしまった。人々は逃げ惑いながらただ死ぬのを待ち、警察官や軍隊は殆ど役立たず。今では人一人助ける事すら一苦労という有り様だ。
辺りから湧き出す血と腐敗の臭い、人の死にすら慣れ始めている自分もいる。
私は……ただこの町が平和であれば十分だと思っていた。しかし、それも最早夢に消えた。もう近所の子供達の笑い声も、パトロール中のご老人達の挨拶も、全て、もう戻っては来ない。
猟銃を握る力は強くなる。木製の先台と銃床が折れはせずともぎしりと軋む。
暫くすると、外から拳銃の物と思われる軽い銃声が鳴った。3……4……5発。
校門の方からだったから少なくとも千戸君ではない。彼にはあの子供達を守るよう言い付けてあるのだから。
窓からでは音の方向で何が起こったのかは分からない。ただ暗闇の中にマズルフラッシュがチカッチカッ、と見えただけだ。
ひょっとしたら応援の者が駆け付けてきてくれた、などという考えも浮かんだが、すぐにそれはないと打ち消した。千戸が言うように本署で混乱が起きていたなら、今頃あそこはここにも劣らぬ地獄になっているのだろう。
となると、銃を持った誰か……生き残りの警察官であればいいが一般市民、あるいは反社会的な人物だとすると厄介だ。炉端君達のように協力的であればいいがそうでなければ最悪の場合、我々と彼(ら)の間で銃撃戦に発展しかねない事も考慮に入れなければならないからだ。
廊下を絶叫と共にドタバタと走る音が聞こえる――きっと銃声を聞き付けたゾンビだろう、あと数分もすれば校舎の連中は殆ど向こうへ行くだろうか。
この未曾有の事態が始まってから既に6日が経過している。食料は3週間は食べずとも大丈夫だが、水は3日も飲まなければ重篤な脱水状態に陥る。
何らかの形で水を確保できていればいいが、そうでなければよほど運にも恵まれてない限り生存は絶望的だ。
廊下の騒ぎが静まった時を見計らい、私はそのまま探索を続行する事にした……もう彼らには時間がない。この際だ、懐中電灯も出し惜しみせずに使おう。
「私は警察官だ、誰か生き残りはいないか? 居るのなら返事をしてくれ、出来なければ物音を鳴らしてくれるだけでもいい」
しん、と静まり返った血だらけの廊下を懐中電灯の灯りに頼り、一人でひたすら声掛けしながら歩き回るのは40を過ぎた頃から病気以外に怖いものなしの私をしてさえ不気味に感じる。
普通教室の中はどこも血と肉片で満遍なく染め上げられ、ちらほらと元の姿さえ判別できない肉と骨の塊が点在している。喉の奥から込み上げてくる吐き気を抑え、私は更に歩みを進めていく。
脚の骨を砕かれたのか這ったままのゾンビへと成り果てた一人の生徒を私が警棒で打ち据えていくと、ついにガタが来たのかアルミ製の特殊警棒は伸び縮みする節の部分からポッキリと折れ曲がってしまった。元より人を殺傷するために作られていない武器であるが故の弊害だが、ここでそんな事を嘆いても仕方ない。
――死体とはいえヒトの形をした、ヒトであったモノを殺すのは相変わらず慣れない……しかしそれに慣れたいとも、私は思えなかった。こんな事を続けていけば、いずれ感染しただけの生きている人間を殺すことにさえ何の抵抗もなくなるだろう……そうすれば、私は自分の邪魔になるというだけで生者さえも殺そうと考えるようになる。そうなれば、一人の人間である私であっても警察官である今の私ではなくなってしまう。それが、堪らなく怖い。
暫く進んでいくと、突き当たりにある別棟へ続く渡り廊下の手前で図書室があった。引き戸は壊され窓は割られ、中はメチャメチャに荒らされていたがそれを除けば他の教室と比べても広々とした物で、以前は本を読みに来たり勉学に励む生徒達で賑わっていただろうと容易に想像が出来た。
床には決して少なくない、最早原型さえ留めぬ亡骸の数々。一通りの場所を見回って誰もいない事を確認して、私はそのまま立ち去った。
東側渡り廊下。校舎側と比べれば殆ど逃げ道に使われなかったのか血の汚れは少ないが、私は気を緩めることなく猟銃を構えながら一歩一歩を確かめるように先へ進む。
教室棟から離れ、血に混じって独特の臭いを放つのは実験棟だ。渡り廊下は途中から階段となっていて全二階の実験棟に繋がり、科学実験室・物理実験室・生物室などのプレートが立ち並ぶここでは、異様な雰囲気が漂っている。
一つ大きく息を吐き、少し吸ってから私は引き戸の一つを勢いよく開け放ち素早く突入する。衝撃音に何かが反応したのか、薬品臭い暗闇の中に感じる揺れ動く気配。
「誰かいるのか?」
その言葉と共にゆっくりと懐中電灯の灯りを教室の闇へと滑らせてゆく……もう片方の手には猟銃の代わりに取り回しのしやすい拳銃を握りながら。
そして見つけた――床に倒れ伏す五人の少年少女を。
慌てて彼らに駆け寄り銃を傍らに置いて具合を見る。身体は強く抱き締めれば今にも折れそうな状態。呼吸は浅くゆっくりとしたもので、光を当てられた目は収縮も弱く焦点さえ合わない。
「返事は出来るか、君!?」
一人が声には反応出来たのか、僅かに首を振り口を動かしているのは確認できた。
私はポケットから持っていたこの学校の備蓄食糧を急いで半分に割り、水と共に口に含ませゆっくり溶かすように食べろと命じる。
――五人の内、二人の少年は既に脈がなく身体は冷えきっていた。元々は運動部員だったであろう精悍そうな顔つきも今は力なく緩んでいる。
もし私がもう少し早く辿り着いていたのなら、彼らは死なずに済んだのだろうか。私が闇に恐怖し、足を怯ませていなければ彼らはまだこの世に残っていたのだろうか……答えを返す者はいない。
誰のとも知れぬ遠吠えが次々と響く夜半に男は一人、そっと月明かりの下で涙を流した。




