第21話 ヴェールの傷
宿に帰ると食事は既にスタークの部屋に用意されていた。急に用意させたからか、宿を出る前にキャスティムが運んでいた料理と比べたら幾分見劣りがする。それでもヌイーラでチャウムが用意してくれた食事に負けない豪華さだ。
「世界中の食べ物が集まっているって感じね」
ミディエの感想の通り、交易都市のヴァーブラには世界中の食物が集まってくる。それに加えて豊かな森に囲まれたヴァーブラで採れる野生の野菜や果物、野生の鳥獣の肉は、自然のエネルギーを蓄えているのが噛むごとに分かる。
「スタークはオルビスに繋がってすぐこの国に?」
「ああ。親父に連れられるままにな」
「そっかぁ。バルバリの国を出たのは私と同じくらいの時期になるのかな?」
ミディエは、食事の手を止めずに続けて質問をした。スタークは口の中の物を飲み込み、一呼吸おき、さらに水をひと口飲んで話した。
「いや、ミディエが先だな。私を一体何歳だと思っている?」
スタークはそう言って苦笑した。ミディエは両親の記憶も曖昧なほどに幼い時にオルビスに繋がっている。
「えっと、スタークは十八歳の時に繋がったって言ってたよね。そして、ヴァーブラ公国で八年でしょ。その後バシリアスを追ってヴァーブラ公国を出て。あ、まだ三十歳前なんだ」
ミディエは自分でも不思議なほど数字が頭に浮かび、静かに唾液を飲み込んだ。
数字を指で追うより先に、頭の中で時間の流れが勝手に並んでいく感覚があった。前はいつもそうだったと。
「前っていつのこと?」
口の中で疑問を呟き、ミディエは眉を寄せた。
前というのがいつのことなのかは分からない。
ただ、白い紙の上に数字が並び、その横で誰かが手に持った棒のようなものを走らせているような光景だけが、一瞬だけ頭を掠めた。
「ま、いっか」
スタークはミディエの小さな疑問には気付かず、自身の顎に指を添えている。
「オルビスに繋がったのが同じくらいの時期とすると、ミディエは今十四、五歳か」
「失礼な。二十歳よ」
頬を膨らませたミディエが、しばらくその顔をして胸に溜まった息を吐きだした後、食事の手を止めないスタークを少し下からのぞき込んでいる。
「私って子供っぽい?」
スタークがようやく手を止め、どう答えたものか考えていると言わんばかりに頭を掻いて口を開いた。
「まあ時々、な」
スタークにとってはかなりミディエの気持ちに譲歩して出した答えだったが、ミディエには不服だったようだ。ミディエも反撃に出た。
「スタークだって子供っぽい時もあるけどね」
ミディエがそう言った直後、二人とも同じ場面を思い出したのか揃って嘆息した。
「それにしたって、お父様はどうしてあんな」
「さっき話しただろう。肩の怪我以降、な」
食事を終えたスタークは赤く熟れた果実を手に取り立ち上がった。スタークが言うその理由は、ヴェールというよりもスタークの態度を変えるきっかけになったようにミディエは思えた。しかし、家族とは他人には入り込めない事情を持つものだ。これまでのミディエならば、そのことに対して口出しはしなかったかもしれない。
「でももうそれから何年も経っているんでしょう? よく話してみたら」
「ミディエもさっき見ただろう。あの親父の態度を。私の話を聞こうともしない。さあ、親父のことはもう話しても無駄だ。少し早いが休むぞ。明日はザックワーズ公を訪ねる前に、バシリアスが住んでいたという家を見てみる。何かファンデルについても分かるかもしれん」
「家? 宮殿に住んでたんじゃないの?」
ミディエは幼い頃、城の近くに建つ宮殿で、やはり幼かったバシリアスに会った記憶が僅かにある。そのミディエが首を傾げて言った。
「ザックワーズ公の後妻に嫌われたのさ。貴族には色々あるのだろう。ゆっくり休めるのは今日が最後かもしれん。しっかり身体を休めておけよ」
そう言いながら頭の動きでミディエに部屋を去るよう促した。
ミディエは部屋から出ると閉じた扉をしばらく眺めていた。
湖の前で語った自分の言葉を思い返している。ミディエは生きるということに、これほどのエネルギーと覚悟を要するとは思っていなかった。
ファンデルによって創られたノス・クオッドの末裔。アンテとは違った過ちを犯し、再び世界に闇をもたらした破滅の罪人の生き残り。その自分が、今の世界を作ったと言ってもいいファンデルと戦おうとしている。
自分の部屋に入り、精霊使いの服を脱いでベッドへと場所を移してからも、ミディエはファンデルとの戦いの先にあるものに考えを巡らせていた。
――生きたい。
――生きてほしい。
答えを与えるだけの存在であるはずのエスが、なぜミディエにそう語って泣いたのか。
新たな事実を知るごとに、新たな謎が浮かび上がる。自分が生きている間にあとどれくらいの謎が解けるのか。
ミディエはベッドに横になった。
眠りに落ちる直前、また見たことのない景色が浮かんだ。
白い天井。
規則正しく点滅する小さな光。
遠くから聞こえる、機械のような音。
誰かが何かを話している。
言葉は聞き取れない。
ただ、その声に胸の奥で確かに感じる懐かしさ。
――ここ、知ってる。
そう思ったところで、ミディエは目を開いた。
部屋は暗い。
ヴァーブラの夜だった。
「私寝てた?」
今は隣にいないサンティに向かって聞いてしまっていると自覚したミディエは、もう一度目を閉じた。
考えながらミディエは今やるべきことを実行するために再び身体を起こした。
宿屋の最上階。昇降機を降り、ミディエはつきあたりの部屋へ歩いていた。まだ外からは歌い踊る人々の声が聞こえる。この街は眠ることを知らないのだろうか。そう考えながら、ミディエは扉をノックした。
「まだ何か頼んでいたものがあったか? まあ、開いているから中に置いておいてくれ」
ヴェールの声が部屋の中から聞こえると「すみません。お邪魔します」と応え、ミディエは部屋の中へとひとり入っていった。
「ん? ああ、すまない。キャスティムかと思ったが、検石主のお嬢さんだったか」
ミディエは緊張しながらも改めてヴェールに深々と礼をした。
「オーリンゲン卿にお聞きしたことがあります」
ソファーで書物を読んでいたヴェールは、ページを開いたままの書物を自分の左側に伏せて置き、反対の右側を二回叩いた。
「座るかね?」
ヴェールが座るソファーの向かいにも、テーブルを挟んで別のソファーが置いてある。それでも自分の横を勧めるヴェールに、ミディエは思わず顔をしかめた。
「冗談だ。そこに座るといい」
今度は自分の向かいを指してそう言ったヴェールは、そこにミディエが腰を下ろすと同時に立ち上がった。思わず身構えたミディエに、ヴェールは苦笑して頭を掻いた。
「冗談だと言っただろう。何か飲み物でも?」
「あ、いえ、お気遣いなく」
「そうか。儂は頂くよ」
ヴェールはそう言って酒の並んだ棚から一本の瓶を取り出し、ソファーに戻った。
「で、聞きたいこととは?」
「その前にオーリンゲン卿」
「ヴェールで良い。それか、ヴェーちゃんでも良いぞ」
どこまで本気で言っているのか分からないヴェールに、ミディエは頬を膨らませた。
「では、ヴェーちゃん。まず肩を見せて下さい。ガルに襲われたという右肩を」
自分で「ヴェーちゃんでも良い」と言っておきながら、まさか本当にそう呼ばれるとは思わなかったうえに、予想外の要望を受けてヴェールは声高く笑った。
「面白いな、君は。スタークもそのくらいの余裕があればもっと強くなるのだろうが。で、右肩だったな。そんなものを見てどうする?」
「スタークは、その傷のせいでオーリンゲン卿、いや、ヴェーちゃんは弱くなったと。でも私の目には、スタークより逞しく見えます。それが気になって」
「なるほど。スタークは儂が弱くなったと話したか。まあ、事実だな」
話しながらヴェールは、穴に頭を通すだけの簡素な布の服を脱いだ。服の下で、ヴェールの右肩から右胸にかけては、薄い茶色の革に覆われていた。ヴェールがその革の肩当ても外すと、骨が見えそうなほどに抉られた肩が露わになった。
「スタークはこの傷を見る度に自分を責めていた。肩当てをしていれば、見た目では分からんだろう? 君がそうだったように。少しでも気にしないようにと着けている。とはいえ、見た目を誤魔化しても昔のようには動かん。何とかここまで腕も上がりはするが」
言いながらヴェールは右腕を動かして見せた。まっすぐ正面から挙げられた右腕は、ヴェールの顎ほどの高さまでしか上がらなかった。
「剣は握れても、添えるだけの腕になってしまった」
想像していた以上に酷い傷跡に、ミディエは息を飲んだ。
「もしかして、他の近衛騎士団の方々はその傷のことを知らないのですか?」
「ああ。知っているのはスタークだけだ」
「分かりました。では、私の聞きたいことなのですが」
「うむ、儂だけが脱がされたのでは不公平な気もするが、なんだね?」
ミディエはヴェールの言葉に呆れて項垂れた。
「スタークが変に堅苦しいのは、ヴェーちゃんを見て育った反動なんでしょうね。分かってると思いますけど、私は脱ぎませんから」
わざとらしく残念がる表情を作ったヴェールを無視して、ミディエは話を進めた。
「その傷、私に治させてください。成功するかは分からないですけど、たとえ失敗したとしても今より酷くなることはありませんから。たぶん」
始めこそ力強く口に出されたミディエの言葉だったが、最後には消え入るように小さくなっていた。
「今最後に『たぶん』と言わなかったか?」
「言っていません」
「儂は実験台か? ふん、好きにしたらいい。儂は酒が持てればそれで構わん」
「では早速始めます。それほど痛みはありませんから。たぶん」
今度はハッキリと最後に「たぶん」と付け加えたミディエは、いつの間にか手にしていたナイフで、ヴェールの右耳を切りつけた。




