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破滅の罪人:細胞レベルの記憶は化石となってもなお  作者: 川内祐
第五章・ミディエと検石主の力

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第20話 揺れる王

 スタークとミディエが昇降機を降りて受付に向かっていると、口髭の受付係、キャスティムが歩いてくるのが見えた。キャスティムは二人には気付かぬ様子で、台車を押しながら何やら歌を口ずさんでいる。彼が押す台車には、料理が積まれているのか湯気が上がっていた。


 スタークとすれ違う寸前になって、ようやくキャスティムは顔を上げ、二人の存在に気が付いた。キャスティムがスタークの顔を見ると、スタークは台車の上の料理に目を落としていた。あるいは自分が頼んだ食事の用意がもうできたのかとスタークは思っていたが、それにしては早すぎる上に、必要ないといった酒もある。他の宿泊客のものだろうとスタークは判断し、キャスティムに声を掛けようとしたが、先にキャスティムが口を開いた。


「あれ? どうなさいました、おぼっ」


「その呼び方はやめてくれと言ったはずだ、キャスティム」


 スタークの厳しい視線と言葉に、キャスティムは顔をしかめた。


「また親子喧嘩ですか?」


 キャスティムはそう言って嘆息し、台車の上の料理を眺めた。


「おぼっ、いや、スターク様の分も急いで用意しているというのに」


「飯は頂く。それから、部屋を用意してもらいたい」


「はあ。どちらのお部屋を?」


 スタークはキャスティムを軽く睨みつけた。


「二部屋用意しろよ。部屋同士は離れていても構わん」


 キャスティムはその言葉を聞いて、スタークとミディエの顔を交互に見た。スタークは相変わらず厳しい表情で、ミディエは苦笑いを浮かべている。


「ああ、さようでございますか。では、すぐにご用意いたします。食事もそれぞれの部屋に?」


「食事は私の部屋に纏めて持って来てくれ。私は少し外を歩いてくる。ミディエもついて来い」


 口調は荒いようでも、スタークの落胆と苛立ちは少し収まったようだが、宿屋の扉から賑やかな通りに出る背中が、ミディエの目には若干の寂しさを帯びているように見えていた。


 宿屋を出たスタークの足は、門とは逆方向、ヴァーブラ城へと向いていた。だが、当然この時間から城を訪ねるわけではない。城門と城とのちょうど中間地点に、人工の湖がある。賑やかな街の中で、比較的静かな場所だ。湖へと近づくにつれ、通りの賑わいが遠ざかっていく。


「親父は、私がこの国を去る一年前に近衛騎士団を引退した」


 星明りの下の静けさに耐え切れなくなったかのように、スタークは話し始めた。


 そのスタークの言葉に返したわけではないだろうが、獣の声が城壁の外から聞こえた。


「今鳴いているガルは、夜中に狩りをさせたらどんな獣よりも優れているだろうな。十頭前後の群れを作って、獲物の背後を衝く。親父は、昔の親父はそのガルを退治させたら右に出る者はいなかった。騎士団で剣技の試合をしてもそうだ。だが」


 城壁の外で鳴くガルの声が次第に大きさを増していた。その鳴き声に、スタークは唇を噛んでいる。


「ある時、まだ獣退治に慣れていなかった私を庇って、右肩をガルにやられた。肉を喰い千切られ、その日から親父は弱くなった。剣だけではない。騎士団内部での発言力もだ。親父は初めから瞳の色を隠していなかった分、余計にな」


 湖の中心には小高い丘を持つ島があって、その頂上には手にした剣を空に突き刺すかの如く高く掲げた像がある。城門に向かって正対している像は、スタークたちを見下ろすように立っていた。


「どうして。ごめんなさい、話せないことなら答えなくても良いんだけど、どうしてお父様はバルバリの国に帰らず、貴方と一緒にヴァーブラ公国に留まったの?」


 ミディエの問いにすぐには答えず、スタークは水辺のベンチに腰を下ろした後、像を見上げるようにして言葉を返した。


「逃げたのさ。親父はいつもそうだ。いざという時に逃げる」


 ミディエはそのスタークの言い方が気に入らなかった。自身は育ての親を立て続けに亡くしたばかりで、実の親の顔は記憶の片隅に小さな欠片が散らばっている程度だ。


「なにそれ。まるで子供みたいな言い草ね」


 ついつい棘を含む言葉を口にしたミディエだったが、その言葉にもスタークは表情を変えない。


「随分と突っかかるのだな。だが、確かに未熟なのだろう。否定はしない」


 平坦な抑揚で返された弱気な言葉に、ミディエは追い打ちをかけた。


「今度はまるで他人事みたい。よそ者に風当たりの強いブロアヒンメル王国に入る前に、王国に近しいヴァーブラ公国に立ち寄ったなんて言ってたけど、それも口実でしょう? 本当は王としての自分に父親からの助言が欲しかった。でも、ひとりで喧嘩別れした父親に会うのは怖い。私が一緒ならまだ気が楽だと思った? そう考えていたのが今は見え見え」


 スタークはただ像を見上げてミディエの言葉を聞いていた。


「まあ、そうだろうな。ミディエの言う通りだ」


「やっぱり他人事。もう、どうしちゃったのよ。明日はどうするの?」


 ミディエはスタークの真後ろに立って、スタークと同じく像を見上げた。


「ユーランの話じゃ、変化のオルビスに繋がっている人はブロアヒンメル王国の中心、シンヌイ宮殿にいるってことだから、捜すのに苦労はしないとは思うけど。問題はその後。ファンデルのことを全部話して、何が起きているのか理解してもらったとして、どうするの? その人には身を隠させる? それとも一緒に行動する? バルバリの国だってもう安全じゃない」


 スタークは、座った膝の上で組んでいた手の指を細かく動かし、それをまるで別の生き物を見るかのような目で見ながら答えた。


「正直なところを言えば、それも親父に頼むつもりだった。オルビスと、オルビスに繋がった者たちをこの街で守ってもらえないかと」


 スタークはそう言うと、立ち上がってミディエと向き合った。


「まさか、その『オルビスに繋がった者たち』って中に私も入ってるんじゃないでしょうね? ここまで私を連れてきておいて、この先は独りで行くつもりだったの?」


 詰め寄ったミディエに、すぐには返答をしないスタークだったが、ミディエは唇を噛みしめながら返ってくる言葉をじっと待った。


「正直、それも親父に相談するつもりでいた。このまま行動を共にするか最後に決めるのはミディエ自身だということは分かっている。だが、そうだな。サンクテクォが聖獣としての役目を果たすとテネブリスに残ったことで、迷いが生まれたのは確かだ」


「迷いが生まれた」と話すスタークの目は、その言葉の通り揺れていた。


「私はバルバリの王としても、スターク=ヴィン・オーリンゲン個人としても、バシリアスを許すわけにはいかない。バルバリの民を守るという役目は、王として当然果たさなければならないからな。だが、その役目がありながらお前を危険に晒すのは間違いなのではないかと、そう思い始めた」


 ミディエはどう言葉を返せばいいか分からなかった。最後にどういう選択をするかは自分に任せると言いながら、スタークは王としての役割との矛盾に揺れている。


 沈黙の中にガルの鳴き声が響く。


「私は、昨日の朝まで何も知らなかった」


 沈黙を破ったのはミディエだった。


「私は、この世界のことを何も知らなかった。自分がバルバリの民だなんて知らなかったし、ちょっと変わってるだけのフォッシリアだと思っていたのが、オルビスだと言われたり、ファンデルのコピーだとか言われたり、今でもよく分からない。ミデュール=タッカーテ・フィル・ムンドゥムなんて名前も、導く者なんて使命も、自分のことじゃないみたいなのよね。でも、ずっと知らないままでいるよりは、知れて良かったと思ってる」


 ミディエは、今までスタークが座っていたベンチに腰を下ろし、スタークと同じように剣を持つ像を見上げた。


「あの像の剣の先、ここから見ると、バライデスを指しているように見えるのね」


 ミディエはそう言った後、視線をスタークの方に向けた。スタークは何も言わずにミディエを見つめ返している。


「このオルビスの名前は中心星の名前と同じ。どっちが先に名付けられたの?」


 夜空に輝く星たちだけでなく、フィクスムもその星を中心にして円を描くように回っている。中心星バライデス。その星は夜の道標になるだけではなく、数々のいわ謂れを持っている。永遠を意味する星であり、正義を象徴する星であり、生命を与える星でもある。


「あの星が先だろう。星の名はファンデルが生まれる前から変わっていないはずだ。あまり星に興味がないから確実にそうだとは言いきれんが」


 自分が繋がるオルビスと同じ名前の星の話を興味なさげに話すスタークに、ミディエは悲しげな表情を見せた。


「私は好きだけどな、あの星」


 ミディエはそう言って、アリーチェ・デザータで見るよりも高い位置で輝く中心星を眺めた。


「きっとあの星はあそこからじっと見てきてるんでしょうね、すべてを。そして、これからもずっと、少しも動くことなく。私はもう知ってしまったから、分かってしまったから、何もせずに見ているだけなんてできない」


 ミディエは少し声を大きくして言うと、自分の膝を叩いて立ち上がった。


「最初にエスに会って、何か声が聞こえたとき私はエスに尋ねたの。どうしたのって。どうして泣いてるのって」


「泣いていた? エスが泣いていたというのか?」


 頷いたミディエを見て、スタークは首を横に振った。スタークはエスが泣いているというような話は聞いたことがない。


「それは何かの勘違いではないのか?」


「そんなことない。生きたいって泣いてたのよ。私たちにも生きてほしいって泣いてた」


 ミディエは「私たち」という言葉を強調してスタークに向けて言った。


「では、ミディエはここに残るか? それとも、アリーチェ・デザータに」


「違うの。そうじゃない」


「しかし今」


「生きるためには戦わないと。私だけじゃない。皆が、エスが生き続けるためには、私たちが戦わなくちゃいけない。最初はあの声を聞いて、なんとなく悲しいだけだったけど、今は分かる。この世界の過去を知った今ならね。これから見つけるオルビスに繋がった人たちは、どういう道を選ぶのか分からないけど、私はスタークと一緒に戦う道を選ぶ」


 スタークの表情が僅かに動いた。決心に瞳を輝かせている。


「相手は得体が知れんぞ」


「分かってる。望むところよ。だけど」


 急に俯いたミディエに、スタークは首を傾げた。


「どうした。何か気がかりなことがあるのか?」


「ううん。戦う決心は固い。変わらない。でも今は、とりあえずご飯が食べたいかな。もう、お腹空いちゃった」


 そう言って苦しそうに顔を上げ、ミディエはスタークの笑顔を誘った。

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