形だけが、先に届いていた
辞令より先に、箱のほうが見えた。
五月の頭、協会本部の四階に呼ばれた。会議室の机に、段ボールがひと箱。角が丸く、側面には、いまはもうない部署の判が押してある。
十四年前の、試行版の箱だ。
蓋は、開いたままだった。
◇
机の向こうに、東堂と宇野が並んで座っていた。
査定部長と、再配置支援室の室長。この並びで呼ばれる用件に、軽いものはない。
先に口を開いたのは、宇野だった。
「三月の荒れのあと、支援室に、様式の照会が二十一件来ました」
「二十一件」
「十一の拠点と、六つの部署と、四つの医療からです。中身はほぼ同じで――第七の形を、写したい」
宇野は、紙を一枚、直人のほうへ向けた。写しの送付控えだった。
送り先の一覧が、番号つきで律儀に並んでいる。十一と、六と、四。合計の欄まで、埋めてあった。
「要ると言われた形を、要るかどうか確かめないまま、送りました」
「……もう、配られてるんですか」
「配られています。推奨の判つきで。私の判です」
悪びれる代わりに、起きた順で認める言い方だった。
「取り下げないんですか」
「取り下げても、送った写しは消えません。写しより強い形を作るほうが、早いです」
◇
東堂が、箱の蓋に手を置いた。
「全国の点検と、様式化をやります。実務は支援室、判定は査定部。判定は八月です」
「点検は、分かります。様式化というのは」
「写しではないものを、作るということです」
東堂は、箱の中から古い冊子を一冊出した。試行版の見本。制定は十四年前。配布、三百六十部。
表紙に、判が三つ並んでいる。二つは、もういない人の判だ。
頁を繰ると、細かい欄が並んでいた。項目は、二十三。使われずに終わった欄の線は、どれもまっすぐなままだった。
「十四年前、私は形だけ配って、三年で死なせました。紙を、です」
冊子が、机に置かれた。
直人は、三つ目の判を見ていた。見ているあいだ、東堂は箱の蓋を閉じなかった。
「この箱、開けたままなんですね」
「閉じる理由が、まだないので」
東堂は、蓋の立て方を直しもしなかった。
「今度は、配る前に、作り方を書いてもらいます」
◇
辞令は、異動ではなかった。
併任、とある。第七中継の籍はそのままに、運用整備の併任で、出張が四ヶ月。仕事は二つ。
一つ。第七の形を、書ける形にする。形の写しは作らない。どういう順番で、何を数え、どこを現場に合わせたか――作り方のほうを書く。
二つ。試験適用を一箇所。池袋第一ゲート、第四中継点。
「作り方のほう、というのは」
「何を見て、何を数えて、何を入れなかったか。入れなかった理由ごと、です」
「……理由ごと、ですか」
「十四年前の様式に、理由の書いてある欄は一つもなかったです」
「なぜ、池袋ですか」
「通過が多いからです。それと――」
宇野は、言葉を選ばずに続けた。
「第七式が、もう入っているからです。三週間前に、全面で」
「……写しが、ですか」
「写しが、です。形だけが、先に届いています」
直人は、その言い回しを綴りに控えた。控えながら、箱の側面の判を、もう一度見た。
「なぜ、私ですか」
「第七の形を書けるのは、第七の人だけです」
宇野は、そこで一拍置いた。
「第七の人のうち、四ヶ月抜けても第七が回ると言い切れるのが、あなたです」
「……言い切るのは、私ではなくて、向こうですけど」
「では、向こうに聞いてください。返事は変わらないはずです」
日程も、紙で渡された。五月に実測、六月に試案、七月に試行、八月に判定。
「間に合わなければ」
「写しのまま、全国に残ります」
東堂が、短く足した。
「宿題は、着いたころに送ります」
「宿題」
「数える宿題です」
◇
第七へ戻って、真壁に辞令を見せた。
真壁は、最後まで読んだ。読んでから、紙を返さずに、受付の棚へ立てた。
「四ヶ月か」
「四ヶ月です。籍は、ここのままです」
「行って、見てこい」
それから、白板の受けのチョークを一本、指で転がした。
「うちの形は、うちの坑道で生きてる形だ。外へ出て何に化けるかは、俺も知らん」
「化けたところを、見てきます」
真壁は、チョークを受けへ戻した。
「定時は、どうする」
「こっちの当番と、四番卓で回ります。私は向こうでは、出張者なので」
「四ヶ月、声の仕事なしか」
「はい」
「……向いてないだろう」
「向いてないです」
◇
市川には、支度の途中でつかまった。
控えの束の写しを資料に一式、と頼みかけたところで、先に言われた。
「控えは置いてってください。あれは、ここの足で書いた紙なんで」
「……持っていくつもりだったの、分かりました?」
「管理の人は、紙から持っていくんで」
市川は束を棚へ戻して、それから付け足した。
「作り方なら、持っていけます。あれは、足が要らないんで」
「写しは作らないです。作り方だけ、書きにいきます」
「なら、いいです」
それから市川は、思い出したように言った。
「向こう、伝令いないらしいですよ。無線が、全部届くんで」
「らしいですね」
「……足、何に使うんですか」
「荷物と、点検だそうです」
「変なとこですね」
◇
寝台の枕の下に、手帳が三冊あった。
一冊は、最初の頁に正の字の紙を綴じて、もうここの数え仕事の控えになっている。ここの紙だ。受付の棚へ移して、置いていく。
白いままの二冊も、置いていく。
代わりに、白紙の綴りを一冊だけ、鞄に入れた。池袋で何を書くことになるのかは、分からない。それでも持っていける紙が、白紙だった。
一頁目は、空けておく。何の一頁目かが分かった日に、書けばいい。
◇
出発の前夜、定時交信の時刻が来た。
「こちら救難管制。第七中継、応答どうぞ」
「第七中継、相馬です。異常なし」
「了解、第七中継。異常なし。定時交信を終わります」
文言は、いつもどおりに終わった。
明日からこの時刻は、第七中継の当番と、四番卓の交信になる。いつもどおりでない明日のことは、文言の外にある。二人とも、外へは出なかった。
回線が切れる前の半呼吸だけ、いつもより静かだった。
交信が終わると、脇で聞いていた市川が、無線機の当番の札を裏返した。明日の名前が、もう書いてあった。
◇
内部便は、一行ずつだった。
直人からの一通。
五月から八月まで、池袋第一です。白紙の綴りを一冊、持っていきます
玲奈からの一通。
池袋第一は、二番卓が受けています。耳のいい卓です
どちらの便にも、最後、という字はなかった。四ヶ月あとの日付も、なかった。
◇
池袋第一ゲートの地下へは、翌々日の朝に降りた。
下りは三十分。通路の天井に、有線の管と灯りが切れずに続いている。坑道というより、長い廊下だった。
すれ違う隊が、歩きながら端末で申告を済ませていく。立ち止まる人のいない道だった。
第四中継点の受付には、列ができていた。
五隊。荷を背負ったまま、順番を待っている。
受付の中で、若い係が控えを書いていた。書いて、読み上げて、相手の復唱を聞く。それをもう一回。もう一回。
三回目が終わるまで、列は動かない。
直人は、列の後ろに並んだ。辞令を出す先も、受付は受付だ。
並んで待つあいだに、台の端の綴りが見えた。開いた頁の形に、見覚えがある。第七の控えだ。ただし字は、第七の誰の字より整っている。欄の線まで、定規で引き直してあった。
綴りの表紙の隅に、判が一つ。
協会推奨
三隊ぶんの復唱を聞いて、順番が来た。封筒を出すと、係は封筒と台の様式を見比べた。胸の名札に、矢口、とあった。
「……受け入れは、拠点長なので。奥、です。……でも」
「列は、並び直しですか」
「列は……列なので……」
語尾が、途中で消えた。消えたまま、矢口は次の隊の札を受け取って、読み上げを始めた。
列の最後尾で、誰かの荷が床に下ろされる音がした。




