第65話、水宮殿へ
マーメイドの海中都市にきている。
海の底というのに、透明な天井はガラスのように透けていて、それでいて明るかった。キラキラと海面近くの明るさがそのまま降り注いでいるようだった。
「ウィロビーさん?」
アクアが俺の顔を覗き込んできた。彼女は俺に合わせてか、人型の姿だった。
「もしかして、緊張してます?」
緊張? してますよ、うん。
「俺のことを知っている人がいるかもしれないと思うとね……」
おぼえていない事柄について、大きく進展しそうな気配を感じている。
「わたしも、一応ウィロビーさんのことおぼえていましたよ?」
悪戯っ子めいた調子でアクアは小さく笑った。ここは彼女の故郷なのだろう。久しぶりに帰り、テンションが高くなっているのかもしれない。
ふるさとだと異様に気分が高ぶるのは、何故なのだろうか……。
「それで、これからどこに行くんだい?」
「都市の中央の水宮殿に。まずは聖女の力を継承したことを報告しないといけません」
「マーメイドにとっては、待ちに待った事柄みたいだからね」
至極当然のことだろう。アクアを送り届ける依頼内容を考えても、まず彼女の用事を片付けよう。
綺麗で明るい海中都市を行く。町の中に点在する水の層から、マーメイドがチラチラとこちらを見ている気がする。
アクアの帰還か、それとも人間である俺か。まあ、両方なんだろうけど。
そして町の中央に、水宮殿なる建物があった。
「へぇ……こいつは凄いな」
そこにあるのは大きな穴と、その中に浮いている水の塊。その中に青く輝く豪奢な宮殿があった。
「どうやって浮いているんだ、これ?」
「魔法じゃないですか?」
アクアもまたよくは知らないらしい。うーん、まあそういうものかもしれない。
「それで、ここに入るにはどうするんだ?」
「ウィロビーさん、そこに」
と、彼女は地面に描かれた円――魔法陣を指さした。
「そこで、中に転移できます」
「転移……。それはまた」
優れた魔法技術をお持ちだ。人間よりも文明レベルが進んでいるんじゃないかな。
「ちなみに、これで中に入ったら水で満たされているということある?」
巨大水球に覆われた建物だ。水中でも窒息しない魔法飴などがないと、入ったら最後溺死とかかっこ悪いなんてもんじゃない。
「大丈夫ですよ。こっちは地上の方専用の魔法陣なので」
アクアは楽しそうに説明した。確かに、この水のない場所にある魔法陣だと、マーメイドも人型でないと使えないだろうしな……。なるほど、言われてみれば確かに。
「では、行きましょうか、ウィロビーさん」
「おう。……って、いまさらだけど、俺も?」
個人的なお見送り依頼でここまで来たけど、よくよく考えたら俺が、アクアの報告にまで付き添う必要はないわけで。
「そうですよ。ほら、冒険者パーティー『流星』がサハギンに襲われていたこの町を救った時の話……知っている人から話を詳しく聞きたくないですか?」
そういうことか。この水宮殿に、当時に詳しい人――マーメイドがいるというわけね。それはお訪ねしないわけにはいかない。
ということで、俺はアクアに連れられて、魔法陣の上に乗り……水宮殿内に転移した。
・ ・ ・
中もまた青系の色味で統一されていた。魔法陣の先はロビーのように広いが、早速兵士らしき女性がやってきた。
「ようこそ、水宮殿へ。ご用のない方はここより先に行けませんが、どのようなご用件でしょうか?」
ずいぶんと丁寧な応対をされた。不審者であれば、すでに町に入った時に対応されているだろうから、ここに来れた時点でお客様という扱いなのかもしれない。
「アクアマリン、水の聖女継承の旅を終えて帰還致しました」
アクアが報告すると、応対した女性兵士は姿勢を正した。
「お疲れさまでした。よく無事でした。……これから女王陛下に?」
「他に政務などがございませんでしたら」
「はい。確認してまいりますので、そちらでお待ちください。……それで、こちらの地上の方は?」
「わたしの恩人です。聖女継承を果たせたのもこの方のおかげ。ただ――」
声を落とし、女性兵士に何やら耳打ちを始めた。兵士は少し驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻した。
「承知いたしました。ようこそ水宮殿に、ウィロビー様。こちらの部屋にて少々お待ちください。すぐに人を送りますので」
「は、これはご丁寧に」
どうも……。恐縮してしまった。
ここで俺とアクアは分かれた。またのちほど、という言葉と共にアクアは去り、俺は別の女性兵士に案内されて移動。
水中の通路と、俺のような人間用の通路に分かれた室内を進む。青いなぁ……。時々赤毛だったり、ピンクの鱗のマーメイドが通過すると、ちょっと目立っていた。
「では、こちらで少しお待ちを」
「はい、お構いなく」
女性兵士がとある部屋に入って、俺はその前に取り残された。
『ウィロビー!』
室内から悲鳴みたいな声が聞こえた。それから何やらドタドタと音がしている。急な来訪で、ちらかっている部屋を片付けている、そんな風にも思える。とりあえず先ほどの声も事件性は低いとみて、俺はのんびり待つ。
この町にきてから女性しか見ていないから、呼ばれてもいないのに勝手に部屋に入るのはどんな事故になるかわからない。
自重、自重。用心に用心をすべし。……それでなくても町中では、かなり肌面積が広いマーメイドの姿をちらほら見かけていたから、気をつけるにこしたことはない。
そこで扉が開いた。先ほどの女性兵士が現れた。
「お待たせ致しました、ウィロビー様。中へどうぞ」
ありがとうございます。頭を下げて、俺は扉から室内へ。どこぞの執務室といった雰囲気だが、天井に水が張っているのはどういう仕組みなのか。降ってこないか心配になるが、それよりも執務机があって、一人の金髪の女性がニコニコした笑顔を浮かべて俺を見ていた。
「お久しぶり、ウィロビー! 突然来たわね」
向こうは俺を知っている様子。でも俺は、おぼえていないんだ……。