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「しもつげむら」   作者: 新開水留
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[30]


 形容しがたい音が響いた。

 その音は地鳴りのようでもあり、それはかつて経験した天災級の霊障を僕に思い出させた。

 両肩をすくめて振り返ると、紅家がさらに右へと傾いているように見えた。

「ああああ…」

 坂東さんは声を上擦らせ、一目散に家の中へと駆け戻って行った。

 震える手を顔の前で握りしめる辺見先輩を見、このまま彼女と共に紅家へ踏み込んで良いものか、ためらわれた。僕たちに何が出来るとも思わない。だが僕は、少なくともこういう場面で決断するであろう、辺見先輩の正義感を誰よりも理解しているつもりだ。きっと彼女は、恐怖に打ち勝てるよう誰かに背中を押して欲しいはずだ。間違っても、「一生に逃げましょう」などと言ってほしい人間ではないのだ。

「行きましょう、先輩」

 そう声を掛けて先を行く僕に、辺見先輩はこう言い放った。

「…成長著しいじゃないかぁ、新開のー!」




 修羅場という言葉は、男女の諍いの場で使われる事が多い表現だと思う。

 僕と辺見先輩が目撃した現場は、確かに諍いの場ではあるだろう。だが当然、男女間の争いではない。

 それはまさしく、人対怨念による決戦場、そう呼ぶにふさわしい光景であった。

 僕たちが部屋へ戻った時、室内全体が眩いばかりに蒼白く発光していた。だが見渡せど、光源自体は見当たらない。廊下へと出る入口の戸は開いていたが、窓は締め切られているし、隣室と隔てる襖も閉ざされたままである。それなのに、まるで強風が吹き込んでいるかのごとく室内にある様々なものが影響を受けていた。

 津宮さんが持って来た風呂敷から、アルミホイルに包まれた食べものが放り出されて宙を漂い、部屋の隅に重ねて置いてあった座布団などは、全て天井に貼りつきクルクルと回転していた。

 それだけではない。室内の至る所で、縦横に小さな稲妻が発生しているのだ。現実離れした事態に、僕と辺見先輩の理解は到底追い付かなかった。見れば襖の側で、結界(説明はなされなかったが、おそらくそうだと思う)を貼り続ける三神さんが、身体をブルブルと震わせてしきりに頭を振っていた。

「戻ったかぁ」

 僕らに気が付き振り絞るよに言った三神さんの声は、限界が近いことを滲ませていた。

「三神さん、一体これは…」

「めいちゃん!」

 と、辺見先輩が叫び、秋月姉妹に駆け寄る。

 めいちゃんは髪を逆立たせ、両耳を手で塞いで目をぎゅっと閉じていた。傍らの秋月さんは、いまだ玉宮さんを攻撃しつづけるカナメの呪いと戦っており、張りつめた顔から滝のような汗が流れ出ていた。もはや愛する妹を気に掛ける余裕すら失っているように思えた。

「なんだこれ!おっさん、状況は!」

 坂東さんが叫び、驚いた水中さんが亀のような姿で頭をかかえ、悲鳴を上げた。その向こう側では、津宮さんが尻もちをついて半ば意識がない状態だった。目は開いているが、もはや何を見ているかも分からない。

「…すぐそこにおる」

 と三神さんは言った。

 息を呑んで見つめた襖、その一枚隔てたすぐそこに、…カナメがいると言うのだ。




 僕が直接見聞きした事ではない。

 もういい、と玉宮さんは言ったそうだ。

「お前…ずっと私に隠してたのか」

 そう尋ねる玉宮さんの顔を見る事が出来ず、秋月さんは俯いたままコクリと頷いた。

「私のことはもういい。そう簡単にくたばりはしない。それよりも、お前…」


 …お前が本当におこと姉さんの娘だっていうなら、早く行って三神を手伝って来い。


 めいちゃんが閉じていた瞼を開け、ゆっくりと秋月さんを見上げた。

 秋月さんは無表情のまま数秒口を噤み、そして、玉宮さんの左手に重ねていた自分の右手を、離した。

「ダメェ!」

 めいちゃんが叫び声が、襖の奥を見据えていた僕たちにも届いた。

 極限にまで研ぎ澄まされためいちゃんの耳は、今や襲い来る『呪いの軌道』をも捉えていたという。秋月さんが手を離した瞬間、氷の刃のようなカナメの霊力が、隣室から一直線に飛んで来たのが『聞こえた』そうだ。

 だが。玉宮さんの心臓目掛けて飛んで来たその刃は、立ち上がった秋月さんが右手で受け止め、そしてそのまま握りつぶしたというのだ。

「六花嬢…、久しぶりにワシとやらんかねえ」

 振り返って、嬉しそうに三神さんが言った。

「先生、言い方に気を付けてくれないと。めいはまだ中学生だから」

「こりゃあ、失敬。どうだね、腕はなまっとらんかね」

 強がりにしか聞こえない三神さんの挑発に対し、秋月さんは微笑んで答えた。

「この日の為に生きてきたんだ。目にもの見せてやろうじゃないか」

「よ、日の本一」

「先生の娘には負けるよ」

「っはは、お優しい」

 全員の意識が、示し合わせたように隣室の何かに吸い寄せられた。

 それは霊感のない水中さんと津宮さんも同様で、この部屋にいる全員が、信じられない光景を目の当たりにした。

 蒼白く発光する人体が、襖を通過して突如侵入してきたのだ。

 小柄な男だった。色の判別が難しい薄手の作務衣を着ていた。頭髪は短く、年齢は不詳。だが誰もがきっと、突如現れた発光するその男と三神さんを、一瞬見間違えたに違いない。

 その男はただ、フラフラと歩いてやって来た。

 まるで生きた人間が散歩でもしているかのような気負いのなさで、微笑みながら現れたのだ。




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