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玉宮小夜さんの娘である那周乃さんが、やがて誕生した孫の文乃さん連れてこの村へ戻って来た。文乃さんの姓である、西荻。那周乃さんの娘さんと結婚した、文乃さんの父親であるこの男性は、村と所縁のある人なのだろうか。
「いや、違う」
と三神さんは言う。
「西荻のとは、実はワシも会った事がある。彼は関西より西にルーツを持つ地方の出で、直接この村とは関係がない。ただ、この西荻という男もまた並々ならぬ霊力を有しておったよ。因果なものだな」
能力者同士が若くして惹かれ合った、そういう話なのだろうか。
だとして、文乃さんが自身の妹だと語った黒井七永は何故、西荻ではなく黒井と名乗っているのだろうか。
「那周乃さんの娘さん。文乃さんのお母様は、名前をなんと仰るんです?」
尋ねる僕に、三神さんは首を横に振った。
「それは、ワシにも分からない。仕事柄、土地関係や家系図を辿る調査は得意だが、確かその時は行き詰ったのだ。お嬢にも直接聞いた事は、なかったと思う。父親である西荻のとも、付き合いのあった当時は込み入った話をしなかったんだ。ボタンの掛け違いというやつかな」
「では、文乃さんのお母様の旧姓は、なんです?つまり、那周乃さんはご結婚されて、なんという苗字に変わられたんですか?」
「何故だね?」
「何故、文乃さんの妹が黒井と名乗っているのかな、と。母方のルーツをたどって行けば、こちらの小夜さんにまでたどり着けます。彼女とおことさんがもともと黒井という姓だからといって、曾孫である文乃さんの妹が黒井を名乗る理由にはなりません。どういうつながりがあるんですか?」
「それは…」
僕が聞いたのは、那周乃さんの結婚した相手がたまたま黒井姓であったという偶然の一致か、あるいは他の理由があるのか、という意味だった。しかし三神さんは慎重に頭の中を整理した様子で、若干の間を置いてからこう答えた。
「それは、ワシにも分からん」
辺見先輩も、三神さんの返事にはいささか拍子抜けした様子だった。例え本当に知らないにしても、巧みに言葉を操り人間の心理に働きかける手練れの三神さんにしては、やはりその返事はシンプル過ぎたのだ。
「そもそも、お嬢に妹がおったこともあの事件の後に知ったのだ。彼女とはそれまでも仕事場を同じくしたことは何度もあったが、一度も妹の話などしたことがない」
辺見先輩が聞いた。
「じゃあ、本当に黒井という名前かどうかも、分からないんですね?」
「偽名として黒井を使っているという可能性も、あるだろうな」
「西荻さんという男性とご結婚された文乃さんのお母さまは、それまではなんという苗字だったんです? つまり、那周乃さんがご結婚された相手の姓、ということになりますが」
「松田、だったと思う」
答えてくださったのは、津宮さんだった。
「村の外の男と結婚して、松田那周乃となったはずだ。那周乃さんの子は名を知らないが、その子が西荻という男性と結ばれて娘を生んだ事は知っているよ。この村に戻って来た時、那周乃さんの口から、孫の西荻文乃だと、そう名前を聞いているからね。二十年ほど前になるのか」
「だとしたら…」
普通は父親の苗字でなくあえて旧姓を名乗る場合、『松田』になりはしないだろうか。
何故、松田七永ではなく黒井七永なのだ。
そしてずっと引っかかっているのが、誰も文乃さんの母親の名を知らないことだ。
那周乃さんにしてみれば、自分の娘である。例え早逝してしまったのだとしても、当然文乃さんを生むまではご存命だったわけだ。あるいは名前を口にする事が出来ないほどの、悲しい事実がそこには秘められているという事なのだろうか…。
「話はもうそこらへんで良いだろう」
と、坂東さんが割って入る。
「とりあえず警察は手配した。水中さん。あんたがこの村に引き入れたっていうその女の事も、署でゆっくり話してくれればいいさ。まあ、警察としては何をしたわけでもない素性の知れん女のことよりも、あんたの話にしか興味ないだろうがね」
坂東さんは公安警察の職員なのだ。
彼がこの現場に居合わせた以上、下手に僕たちが動く必要はない。動くなとすら言われるだろう。だが考えてみれば、坂東さんはすでに紅さんが亡くなられたであろうことを察知していた節がある。それでもすぐに応援を呼ばず、玉宮さんの気が済むまで村中を探し回ることに付き合っていた。
三神さんが仰ったとおり、凶暴に見えて優しい人なのうだろう。
その坂東さんの言葉通り、正体の掴めない黒井という若い女、おそらく黒井七永と思しい女の詳細や意図は全く不透明なままである。時間をかければやがて、水中さんと彼女の関係、そしてどのような約定が交わされていたのかという具体的な真相は、いずれ明らかになるだろう。
だが、今現在僕たちのいる部屋からそう離れていない場所に、紅おことさんの遺体が放置されているのだ。この時の僕たちは異常だった。異常な心理状態だったのだ。坂東さんが止めに入ってくれなければ、僕たちはいつまでも話つづけただろうと思うと、改めて考えるまでもなく、やはりゾッとする。
秋月さんの依頼でこの村を訪れた時、よもや人が亡くなるような事件へと発展するなど、想像だにしなかった。不可抗力とはいえ、目の前で井戸に落下した人間をそのまま放置した水中さんに、罪がないとは思わない。しかし、快楽殺人や通り魔殺人といった得体の知れない悪とは違い、水中さんには人としての悲しみが感じられた。僕が紅さんの死に対し、救いを求めること自体が間違っている。とはいえ、ここへ来て事件の終焉が見えた事、そしてそこにあるのがこの村に半生を捧げた女性の過ちであったことは、やはり一抹の救いであるような気がしてならなかった。
避けられた事故であったかもしれない。だが、避けられなかった。水中さんが自ら事故を起こしたわけではない。僕はそう、信じたかったのだ。
辺見先輩と顔を見合わせて、頷く。
このまま、現場を保持する坂東さんの指示に従って、警察が到着するまでじっと待っていればいい。
僕たちに出来ることは、ただそれだけのはずだった。
「誰かいる」
そう言ったのは、めいちゃんだった。




