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「しもつげむら」   作者: 新開水留
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[21]

 

 張りつめた緊張の糸が、限界ギリギリの切れる寸前。そんな空気の中、声が、聞こえたような気がした。

 それぞれの意識がめいちゃんから離れ、室内を彷徨った。

 確かに声のようなものを聞いた。だが、どこから聞こえた…?

 …い。…-い、…みあー。

 おーい。…おーい。

「津宮ー!」

 津宮さんが顔を上げ、

「小夜さんだ」

 と言った。

 聞こえてきたのは、津宮さんの名を呼ぶ玉宮さんの声だったのだ。

 津宮さんは慌てた様子で玄関へと向かった。

 水中さんから目を離すわけにはいかないと思ったのだろう。三神さんは僕の目を見て頷いた。

 僕は無言で頷き返し、津宮さんの後を追う。既に彼は玄関から外に出た後だったが、姿の見えない夜闇の向こうから、声だけが聞こえてきた。

「…どこにもいない。おこと姉さんがどこにもいないんだ。式神も戻ってこない。どうすればいいんだ」

 今までずっと紅さんを探し続けていたのだろう。津宮さんにすがるような玉宮さんの声は、疲労と憔悴によって酷く弱々しく感じられた。余所者を突き放すような、鋭い眼光を浮かべた玉宮さんの印象が、僕の中でたちまち薄らいでいった。

 しかし外から戻り、先に玄関に足を踏み入れたのは坂東さんだった。彼もまた疲れ切った様子で、蹴り飛ばすように脱ぎ捨てた上等そうな革靴が、泥にまみれているのが目に入った。上がり框で出迎えた僕の横に立つと、坂東さんは低い声でこう言った。

「見つかるわけないんだよ。…そうだろ?」

 無言で頷く僕の隣で、坂東さんは深い溜息を付いた。

 玉宮さんや水中さんは、どうなってしまうのだろう。

 この村は、この先どうなってしまうのだろう。

「覚悟決めろよ」

 と、坂東さんが言った。どういう意味だか尋ねる僕の眼差しを横目で睨み返しながら、坂東さんは続けた。

「長い間二人で押さえて来た封印の均衡が崩れちまったんだ。いつ戻ってきてもおかしくないぞ」

「…カナメという男の、呪いですか?」

「厄介だぞぉ…」




 玉宮さんに真実を告げれば、彼女はきっと水中さんを殺してしまうだろう…。そんな不安にさいなまれたのは、僕だけではあるまい。だから、きっとこの件が片付くまでは、誰も玉宮さんに真実を話す事はしないのではないかと、勝手にそう思い込んでいた。ところが、紅家へと戻って来た玉宮さんのげっそりと頬のこけた顔を見るなり、水中さんが自ら土下座して詫びた。

 玉宮さんはしかし、怒りに耐えた。

 平身低頭して這いつくばる水中さんの頭の上に手をやると、震える手を握りこぶしに変え、やがてすっと引っ込めたのだ。僕は安堵のため息を呑み込むと同時に、思わず涙ぐむ程に胸を打たれた。

 この時の玉宮さんに見て取れたのは、大きな喪失感からくる怒りよりも、更に大きな憐みであるように感じられた。水中さんの気持ちが、玉宮さんにだけは理解が出来たのだ。殺したい程憎む気持ちと並行して、村に囚われて生きてきた水中さんに対する同情心もまた、玉宮さんには存在したのだと思う。

 代わりに玉宮さんは、こう聞いた。

「何をした」

 それは、紅おことさんに対して行った行為を聞いたのではない。もっと根幹にある部分だ。この村をどのように裏切ったのだ、そういう意味であるように思われた。

「水中さんはこの村に若い女を招き入れたという。その女とは、一体何者なんだね?」

 三神さんが橋渡しをし、再度名を尋ねた。

 一同が見守る中、やがて水中さんが口にした名前は、「黒井」であった。だが下の名前は憶えていないという。僕と辺見先輩は顔を見合わせ、「黒井七永」ではないかと尋ねたが、水中さんはしばらく考えた後、やはり分からない、忘れてしまったと頭を振った。

 僕はてっきり、その黒井という人物に対して説明を求められるものと思っていたが、水中さんはもとより玉宮さんも津宮さんも、そして秋月さんですら質問を口にしなかった。まるで誰もが、その黒井という姓に心当たりがあるかのようだった。

「皆さん、ご存知なんですね」

 と僕は問うた。

 ダイニングキッチンから津宮さんの運んで来た椅子に腰かけた玉宮さんは、魂を吐き出す程の深い溜息を付いた後、

「懐かしい、名前だ」

 と言った。

 懐かしい…?

「三神さん。…黒井というのは、その」

 思い返せば、この質問をするのはこの時が初めてである。

 黒井という名前に出会ってから三ヶ月が過ぎようとしているにも関わらず、尋ねる機会はなかったのだ。いや、あるにはあった。だがおそらく、初めてその名前を耳にした時以外、黒井という名前を口にするべきではないと、なんとなく躊躇われたからだと思う。

「うむ。お前さんの想像している事と、恐らく無関係ではないだろう」

 三神さんはそう答えて、僕と辺見先輩をじっと見据えた。

 覚悟はあるか。

 そんな意志が彼の両目からは感じられ、僕は思わず辺見先輩を見やった。しかし先輩は僕を見ず、

「教えてください」

 と三神さんに尋ねた。

 三神さんは言う。


「紅おこと、玉宮小夜という二人の姉妹は、その旧姓を、黒井という。そしてこちらの玉宮小夜さんは、君たちの良く知る西荻文乃の、母方の曾祖母にあたる」




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