[20]
事の起りを知っている。
残酷な話を知っている。
延々と繰り返されて来た祭を知っている。
魔と呼ばれた姉妹を知っている。
先祖代々、知らされて来た。
だが、先祖の罪を背負いながら、終わりのない罰をその身に受け続けて生きて来た。
ただそれだけの為に生きて来た姉妹の悲しみだけは、知らされていなかった。
水中さんは涙ながらに、こう語る。
「婆ちゃんはずっと言ってた。この石が我々村人を結びつける絆であり、楔でもあるんだと。この石の結界が壊れるようなことがあれば、すぐに村から出て行きなさいとも言っていた。だけど! じゃあそれは一体いつなのか! 結界が解かれないままなら、私たちはどこへも出てはいけないのか! だから、カナメ石の結界を強制的に外せる人間を呼び寄せ、十月の祭祀を折り行わずにすむ方法を考えた…。間違いだったと思う!だけど! 私は一体、どうすればよかったっていうんだ…」
三神さんは今日、玉宮家においてこう皆に説明している。
弟子である幻子がカナメ石の力を奪い去る、借り受ける理由などない。百歩譲ってあの子がカナメ石の力を借りたとて、それであの井戸の封印が弱まる事など決してない、と。
ここまでくれば、明白である。カナメ石が井戸を封印している結界ではないのだ。紅おこと、玉宮小夜姉妹こそがカナメ石の呪いを封じて来たのだ。幻子がカナメ石の力を借り受けた所で姉妹の封印が緩む道理はなく、幻子はただいたずらに呪いの力を手に入れるだけである。
だが、問題はだ。
「三神さん」
僕の声は若干上擦り、無意味にその場の視線を集める結果を招いた。
「二つ、お聞きしたいことがあります…」
三神さんはおそらく、僕の瞳の中にある疑問点に、すでに気が付いている。三神さん自身が何度も何度も、己に問いかけてきたはずだからだ。
「まず一つ目は。おことさんの言った言葉です。『厄介な奴が戻って来る』これが誰のことを意味しているのか。そしてもう一つ…」
三神さんは強く僕に頷き返し、そして水中さんを見下ろした。
「この若者が問いたい事は、この場にいる全員が思っているだろうよ。水中さん。あんたは一体、この村に何を招き入れたのだ?」
げははははははははッ!
部屋の隅で眠っていたはずのめいちゃんが、突然壊れたかと思う程の大声で笑い始めた。
僕たちはまるで雷でにも打たれたように驚き、弾かれたように視線を走らせた。
めいちゃんの側にうずくまっていた水中さんは恐怖のあまり尻もちをつき、空中を両手で掻くようにして逃げ惑うような動きを見せた。しかし下半身に力が入らず一歩も動けない…。津宮さんは部屋の壁に背を寄せて、少しでもめいちゃんから距離を取ろうとつま先で畳を蹴っている。
「どうした!めいッ」
秋月さんが傍らにしゃがみ、めいちゃんのお腹に手を当てた。
笑い続けるめいちゃんの声には少女らしい可憐さが微塵にもなく、尚且つ、紅おことさんのそれとも違っていた。畳の上で仰向けに横たわるめいちゃんは、しきりに頭だけを左右に振って笑い声を上げ続けた。
辺見先輩がずいと前へ出た。幻子譲りの御祓いを再度試みようとしたのだろうが、辺見先輩の突き出した右手は三神さんに捕まれた。秋月さんもしゃがんでめいちゃんを見つめたまま片手を上げ、辺見先輩の挙動を制するように、手のひらをこちら側へと向けていた。
「めい、頑張れ。誰の声を聞いているんだ?」
秋月さんがめいちゃんに顔を近づけてそう尋ねた。
僕にはめいちゃんのこの状態が、何者かに憑依されたように見えた。しかし秋月さんはそう思っていないらしい。めいちゃんは必死に、自分が聞いている霊体の声を僕たちに伝えようとしているのだ。
「めい!教えてくれ!何が聞こえるんだ!」
ク・ロ・イ…
笑い声がピタリとやんで、めいちゃんが苦しそうにそう呻いた。
その刹那、閉じていためいちゃんの両目が見開かれ、白濁した黒目のない眼球がギロリと僕たちを睨んだ。
ク・ロ・イ!ク・ロ・イ!ク・ロ・イ!ク・ロ・イ!ク・ロ・イ!ク・ロ・イ!ク・ロ・イ!
悲鳴を上げながら水中さんが頭を抱え、津宮さんは腰を抜かしたようにへたり込んだ。
辺見先輩の目が、僕の顔を覗き込む。
くろい。
その言葉が色ではなく人名を指すのなら、僕と辺見先輩は聞いたことがある。
そして当然、三神さんも知っているはずなのだ。
黒井、という名の人物を。
「…まさか」
秋月さんが慄いて呟き、三神さんを見る。
三神さんは脂汗の浮かんだ顔で両眉を吊り上げ、怒りのこもった眼でめいちゃんを睨んでいた。
「三神さん。みか…先生!」
秋月さんの叫びに、三神さんが我に返った。
三神さんは左手で作務衣の右袖を摘むと、右腕の肘から先を頭上高く掲げた。そしてめいちゃんの隣に跪き、右手を彼女の額に軽く押し当てて、
「はなせ」
秋月さんに向かって小さくそう言った。
秋月さんがめいちゃんのお腹に添えていた手をどけるや否や、三神さんの腕全体がめいちゃんの頭部を貫通して畳に突き刺さった。
水中さんと津宮さんが一斉に悲鳴をあげる。彼らには、三神さんがめいちゃんの頭を押し潰したように見えたに違いない。僕らとて、秋月さんが辺見先輩に行った施術を見ていなければ、失神は免れないほどの衝撃的な場面だった。
ゆっくりと腕を引き抜いた三神さんの右肘から先には、見る間に墨彫りのような文言が浮かび上がり、皮膚が埋め尽くされる程真っ黒く変色していった。
三神さんはかつて、『ものすごく臭いナニカ』から受けた辺見先輩の霊障を、これと似た方法で取り除いている。その時は辺見先輩の身体から吸い上げた邪気を、口から地面に吐き出して処理した。だがもし彼の腕を埋め尽くす程の文言が、吸い上げた霊障の重症度を示しているのであれば、とてもじゃないが口からぺっと吐き出せる量ではない。
「み、三神さん…」
思わず声をかけた僕の言葉など耳に入らぬ様子で、三神さんは作務衣の袖をたくし上げたまま右肘を曲げ、秋月さんの前に差し出した。すると今度は秋月さんが、両手で三神さんの黒く変化した腕を包みこんだ。漫画や映画でありがちな、特別な呪文や真言の類を詠唱することもない。ただ鋭く神経を解き済ませるだけの二人の施術が、その場に居合わせた僕たちの目を惹き付けて離さなかった。空気が、三神さんと秋月さんに向かって流れて行くようにさえ感じた。
「おお」
感嘆の声をあげる津宮さんの眼前で、三神さんの腕が元通り白く変わった。傷と、皺の多い腕である。三神さんは何度かグーとパーで感触を確かめた後、「おみごと」と秋月さんに笑いかけた。
「三神さん、めいちゃんが」
僕の言葉に、一同の視線が横たわったままのめいちゃんに注がれる。めいちゃんは天井を向いたまま薄っすらと瞼を開き、
「頭がいたい」
と呟いた。
「めい、まだ声は聞こえるか?」
今度は秋月さんがめいちゃんの額に手を添えながら、聞いた。
「ううん。今は聞こえない。誰の声だったんだろう」
「覚えてないのか」
「知らない人の声だっ…ううん、違う。そうだよ、お姉ちゃん。あの時の声だよ!」
意識の覚醒とともに、めいちゃんは思い出したらしかった。そして秋月さんの顔をじっと見上げて、こう言った。
「良くない人だよ」




