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第三話 出港

「ユースフ! ユースフは居るか?」

 縄梯子を登り、船の甲板に降り立ったルカーノは声を張り上げた。彼に続いてルイスとアルフォンソも船に乗り込んで行く。

 甲板には見えるだけで十数人の男たちが居た。彼らを一目見てすぐルイスとアルフォンソは違和感を覚える。なぜなら船に乗っていた彼らはみなその肌が黒かったのだ。それは明らかに日に焼けてそうなったという感じではなく、生来のものとしか思えない。

 二人がきょろきょろと周囲を見回していると、向こうの方も彼らのことをねめつけるように見やってきた。目を丸くして首を傾げる者も居れば、堂々と彼らのことを指差して何事か囁き合っている者も見られた。彼らの方もまた、二人のことを奇妙に感じたらしい。

「どうしよう、ルー」

 不安に襲われたアルフォンソはそう言うとルイスの背に隠れてしまう。ルイスの方もどうすればいいか分からなかったが、自分に言い聞かせるに答える。

「大丈夫だ。大丈夫だよアル。何とでもなる」

「う、うん……」

 そんなことを言っていると、船室に繋がるドアが大きな音を立てて開いた。そこから一人の男が飛び出してくる。彼もまた黒い肌を持っていた。彼は人垣をかき分けてルカーノの前に走って来るとその胸に右の掌を当てた。ルカーノもまた同じ行為でそれに答える。ルイスたちはただ不思議に思うばかりだったが、その行為が彼らの間では敬礼を表すものだった。

「まったく、今までどこに居られたんですか。あれだけ申し上げたのに護衛もつけないで」

「すまないな、ユースフ。だが、無事に戻った。これは返すぞ。ありがとう」

 ルカーノは腰から火打石式の拳銃を手に取ると、銃身を掴んで目の前の男、ユースフに手渡した。ユースフはそれを腰の左側に差す。アルフォンソは彼の腰の右側にも同じ拳銃があることに気がついた。

「いい加減にご自分の銃を持ってはくれませんかね。 毎回俺のを借りてますが、俺は不安で仕方ありません」

「今回も結局一発も撃たなかった。それに、指揮を執るのに銃は要らない。私が自ら銃を撃たねばならない時というのは来てほしくないものだが」

「それには同感です。ところで、そこの二人は?」

「客だ」

「何ですと?」

「新大陸まで乗せてゆく。ユースフ、出航準備はできているか?」

「はい。水、食料、弾薬、その他諸々積み込みました。いつでも行けますが、いやしかし」

「ありがとう。では各船に最終確認をするよう通達を。十分だけ休ませてほしい。その間この二人を頼む。船に乗るのも初めてだから、色々と教えてやってくれ」

 ルカーノはすれ違いざまにユースフの肩を叩くと、そのまま先ほどユースフが現れた扉へと向かう。今までルイスたちに奇異の視線を投げかけていた者たちも、みなルカーノが近づくと威儀を正し、掌を強くその胸に当てた。それに答えつつ彼は戸をくぐって船の中へと消えていった。どうやらこの船がルカーノのものということは間違いないようである。

 ルカーノの背姿を見送ったユースフは、猜疑心と好奇心の入り交じった視線をルイスとアルフォンソに向けた。彼らの出で立ちを思えば無理もない話だった。なにせ頭のてっぺんからつま先まで、それはお世辞にもまともな格好をしているとは到底言えない粗末なもので、一体どうしてこんなみすぼらしい奴らを連れてきたのだろうかとユースフは不思議で仕方なかったのだ。だが、すぐに彼は船乗りたちの方に向き直って出航準備を整えるように大声で命じ、旗手には他の船と連絡を取るように告げる。即座に人々は声を上げて与えられた持ち場に走ってゆく。旗手は銃ではなく紅白の旗を腰に据え、ルイスたちが瞬く間にマストの上へと縄梯子を駆け上った。

「おい、お前ら。名前は?」

「俺はルイス・アロンソ」

「アルフォンソ・オリオールです」

「ふーん、そうか。俺はユースフ。ユースフ・イブン・シハーブだ。この船の船長は俺だ。敬えよ」

 そう言うとユースフはにっと歯を見せて笑った。歯の白さと肌の黒さのコントラストは、その笑みを普通のそれよりも数倍印象的なものにしていた。

「しかし、船に乗るのも初めてなんだって? まったくどっから説明すりゃいいんだか。まあいい、とにかくお前ら、もっとこっちに来い」

 そう言われた二人はおとなしく前に歩み出る。ユースフに近寄ると、いよいよ彼我の体格の違いが浮き彫りになった。果たして何を食べればこんな体になるのだろうかとルイスは思ったが、実際にはユースフが特別なわけではない。単に彼らが細すぎるだけだった。

「今は川の上だからいいが、海に出たら船ってもんはがんがん揺れる。縦にも横にもな。お前ら、極力船縁(ふなべり)には近付くなよ。落ちたら助けられない。分かったか?」

「分かった」

「まあ、船酔いしたときは仕方ないがな。その時も縁から突き出すのは首だけにしておけ」

「船酔い? それって何?」

「あー、そのうち分かる。とにかく気を付けろよ。あと俺らを邪魔するな。ドアの真ん前に突っ立ってるとか、狭い通路を塞いでるとかな。そんなことしてたら殴られても知らんぞ。とりあえずこの二つだけ気を付けてろ。船縁に近付かない、通り道を塞がない。まあ要するに、船倉の中かマストの下にでも居ろってことだ。後はおいおい必要があったら言う。何か聞きたいことは?」

 そう問われたルイスは真っ先に食べ物のことを聞こうと思った。だが彼が言葉を発する前に、アルフォンソがその口を開いていた。

「あの、ユースフさん、ひとつだけ聞いてもいいですか?」

「いいぞ、何だ?」

「あなたたちは、バーラ人ですか?」

 そう問われたユースフの顔から、途端に笑みが消え去った。周囲で動き回っていた男たちも、彼らの近くに居た何人かは足を止め、アルフォンソに目を向ける。予期せぬ状況にアルフォンソはいよいよ萎縮する。

「あ、あの、ごめんなさい。いきなりこんなこと言ってしまって。すみませんでした。本当にごめんなさい。怒らないで下さい」

 怖くなってしきりに謝るアルフォンソのもとに、ユースフはゆっくりと歩み寄る。反射的にルイスはその間に割って立とうとしたが、ユースフの腕一本であっさりどかされてしまった。うつむくアルフォンソの前に立ったユースフは、その大きな手で彼の両肩を掴む。

「顔を上げろ」

「……はい」

「俺の目を見ろ」

「はい」

「何でそんなことを聞く?」

「ごめんなさい」

「謝るな。答えろ」

「……昔、聞いたことがあるんです。世界にはバーラ人という恐ろしいものが居るって。そいつらは人間のふりをした化け物で、人を殺して食べてしまう。そのバーラ人は、みんな炭のように真っ黒い肌をしているって」

「それで、俺たちがそれだと?」

 アルフォンソは何も言わなかったが、その答えが何であるかは明らかだった。ユースフは短くため息をつく。その直後だった。彼の右手にはナイフが握られていた。一瞬の間に彼は腰に提げたナイフを掴んでいたのだ。アルフォンソはその刃先が自分に向けられていたことに気付いていたが、そこから発せられる恐怖は彼の体をその場に縛り付けてしまった。ルイスもまた瞬間的に展開した状況に体が着いていけなかった。目は既に鋭いナイフを捉えており、頭は懸命に警鐘をかき鳴らしていたが、どうしてか彼はその体を動かせなかった。

 二人がそうしている間に、ユースフの左手がアルフォンソの右腕を掴む。そしてアルフォンソの体を自分の方へ引き寄せると、ユースフは彼の素肌を冷たい鉄で切り裂いた。刹那、鮮血が磨かれた刃を濡らし、アルフォンソの真一文字に結ばれた口の端から悲鳴が漏れる。

「ごめんなさい、ごめんなさい。お願いです。許して下さい。謝ります、何でもします、怒らないで下さい」

 必死に許しを願うその声が聞こえ、ようやくルイスも立ち戻った。血相を変えて彼はユースフの右腕を両手で掴み、全身を使ってアルフォンソからその体を引き離そうとする。

「離せよ! やめろよ! アルを殺すつもりか! アルが何を訊いたか俺にはよく分かんないけど、そんなことやめろよ、やめろって!」

 だが、痩せ細った彼の力では元より無理な話だった。ユースフの腕は微動だにしない。それでも彼は諦めずに叫ぶ。

「離せって! 俺たちは新大陸に行くんだよ、向こうで自由に生きるんだ! アルを離せ! アルが何をしたって言うんだよ!」

「やかましい。指先をちょっと切っただけで人が死ぬか」

「離せ、って、え?」

 ルイスは眼前の光景を見て固まった。アルフォンソは親指から血を流してはいたものの、もうその体のどこにも鉄の恐怖は向けられていなかった。一方でユースフは自らの左の親指にナイフをあてがっている。苦悶の表情など浮かべもせず、彼はすっと刃先を滑らせた。細く赤い筋が一瞬だけその指に浮かび、次いで真っ赤な血液がそこから盛り上がって溢れ出す。彼はナイフを足下に投げると、空いた右手でアルフォンソの左手を掴む。

「見てみろ、アルフォンソ。何が違う?」

 指先から血の滴る二つの手を引き寄せ、ユースフはそう尋ねた。

「何が、違う……? ごめんなさい、分かりません」

「そうか。ルイス、お前はどう思う?」

「どう思うも何も、どこも違わないだろ。それより──」

「その通りだ。どこが違うか分からないということは、つまりは何も違わないってことだ。俺たちバーラ人も、お前たちファエンサ人もな」

 ユースフはそう言うと足下に突き刺さっていたナイフを拾い上げ、腰元の布切れで血糊を拭き取る。

「肌が白かろうが黒かろうが、ナイフで切られれば赤い血が流れるんだ。どっちも同じ人間だよ。おいお前ら、いつまで見てるんだ。早く確認を済ませろ」

 その言葉に、いつの間にか十数人に増えていた周囲の見物人は三々五々立ち去ってゆく。呆然としていたアルフォンソだったが、思い出したようにその口を開いた。

「じゃあ、僕を殺すつもりは」

「そんなもんあるわけないだろ。悪かったな。そこまで怖がるとは思ってなかったんだ。許せ許せ、な?」

 ユースフは再びあの白い歯を見せて笑った。安堵し、緊張の糸が切れたアルフォンソは泣き崩れた。

「だったら最初から言ってくれればよかったのに」

 アルフォンソのもとに駆け寄り彼を慰めるルイスだったが、それだけはどうしても言わずにいられなかった。

「そうだな、次から気を付けよう。だけどな、俺たちはまだ言葉が通じるからいいけど――」

 その時、砕けんばかりの勢いで船内と甲板を結ぶドアが開いた。そこから矢のように飛び出してきたのは、飾り羽根のついた帽子を被る一人の男。

「おいユースフ、何が起きたんだ? やけに上が騒がしかったが大丈夫か?」

 ルイスはその声を聞いて驚いた。彼はルカーノだったのだ。彼の顔に荒々しい印象を与えていたひげは全て剃られており、ルイスほどではないが絡まっていた髪も、櫛を通したおかげで一定の節度を与えられている。しかし何より彼を驚愕せしめたのはその格好だった。

 使い古された長革靴は新品に変わっており、その紐にさえまでも張りがある。牛の革でできたズボンは黒く、その光沢はまるで宝石細工で彩られているのではないかと錯覚するほど。飾り気のない木綿のシャツはしかし彼の体で型を取ったかのように無駄がなく、軽やかな赤い上衣がそれと対照的に風をはらんで翻る。腰布には銃の代わりに単眼鏡が場所を占め、うっかり落としてしまわぬように銀細工の細長い鎖がそれをベルトに繋ぎ止めている。つばの広い帽子の最前列には、カモメの羽根がまるで天を突く角のように結い付けられていた。そこに居たのはもはや一介の船乗りなどではなく、四隻もの船を統御する威厳に満ちた提督だった。

「いえ、提督。何も異常ありません。ちょっとアルフォンソが俺のナイフで指を切りましたが、そこまで深い傷ではないです」

「何だって? 大丈夫か、アルフォンソ。見せてみろ。……ああ、これくらいなら大丈夫だな。何も泣くことはない。すぐにふさがるだろうさ」

 ルカーノはためらわずに膝を突き、傷の様子を見た。自分の目でそれを確認するとすぐに彼は立ち上がって、物見台の上に居る信号旗手と言葉を交わす。

「他の船の様子を訊いてるんだ」

「全部確認してるってこと? わざわざ?」

「そういうことだ。……いい提督だろう?」

 ルイスは無言で頷いた。わざわざユースフに念を押されるまでもなく、もはや彼の中においてルカーノに対する信頼は揺るがぬものになりつつあった。

「この船にはバーラ人しか乗ってないがな、他の三つの船にはファエンサ人もたくさん乗ってる。でもこの船団にはもう誰一人としてそれを嫌がる奴は居ない。まったくあの人のおかげだよ」

「……ねえ、そういえばさ、ルカーノさんはどっちなの? 結構焼けてるから分かりにくいけど、元々黒いようには見えないよね?」

「ああ……確かにそうだな。あの人はどっちでもない」

「え?」

「あの人は混血なんだ」

 その響きが持つ意味を知らなかったルイスは重ねて問おうとしたが、二人の会話はそこで打ち切られた。話題の本人が彼らのところにやってきたからである。

「ウガーブとサイドは準備完了。だがシラージュが遅れている。十分以内には出航したいところだが、ヌールはどうだ?」

「そりゃあもう完璧ですよ。そうだ提督、ちょっと訊きたいんですが」

「どうした?」

「何でこいつらを乗せられたんです?」

「アルゲントゥムの話を知っていたからだ」

「何ですって? お前ら、そうなのか?」

「またそれ? 俺は知らないんだよ。アルが知ってる」

「ここに来る途中で聞かせてもらった。結構、興味深い内容だった。後で話をしよう」

「へぇ、そりゃあいい。楽しみにしてますよ」

 一体どうしてあんな退屈な、つまらない御伽(おとぎ)話に彼らが興味を示すのかルイスには全然分からなかった。アルフォンソが落ち着いたらもう一度話してくれと頼もうかとルイスは考える。

「それと、この船に乗せていなかったら、今頃二人とも奴隷船の船倉の中に居る」

「え? ルカーノさん、今何て?」

「お前たちがタダで乗れると言っていた船があっただろう? あれは客船の皮を被った奴隷船だ。船賃は新大陸に着いてから金を貯めて払えばいいと言って、お前たちのような貧乏人をあの船は乗せるわけだが、そんなもの口約束もいいところだ。途中で金を払うように要求し出して、まずは金目のものを全部奪い取る。もしもそれで六パセートまかなえたら無事に船を降りられるが、普通そんなことはできない。縄に繋がれてどこかの砂浜に並べられ、そこでまとめて奴隷として売り出される」

 ルイスは血の気が引いていくのをはっきりと感じた。まさかそんな恐ろしいことをする者が居るとはと驚いたが、それよりももしあの時、あの橋の上でルカーノに引き留めてもらわなかったらと思うと、思わず震えた。

「さすがにルルの町中で堂々とそれを言うと、どこから撃たれるか分かったものではなかったからな。あそこではちゃんと説明できなかったが、そういうことなんだ。だがもう安心していい。アルゲントゥムの話を聞かせてくれた以上、約束通りちゃんと新大陸までお前たちを送り届けよう。乗り心地は客船ほどよくはないだろうが、まあそこは我慢してくれ」

 冗談めかしてルカーノがそこまで言ったとき、マストの上から再び声が聞こえた。提督の顔に戻ったルカーノはユースフに目配せをし、彼らは同時に動き出す。

「よーし、碇を上げろ! 帆を張れ! 出発だ!」

 ユースフは満身の力を込めて声を張り上げた。船員たちは一斉に返事をし、その熱気はいよいよ高まる。ルカーノとユースフは上部甲板にあがり、ユースフが舵輪を手に取る。そこから一歩引いたところにルカーノは立ち、船の全体を彼は見渡す。

「おい、アル、見てみろよ」

 ようやく泣きやんでいたアルフォンソを呼び、ルイスはルカーノたちの居る方を指差した。

「え? 何さ、あっち? ユースフさんと……ねえルー、あのすごい帽子の人は誰?」

「ルカーノさんだよ。驚きだろ?」

 ルイスがそう告げると案の定、アルフォンソは信じられないといった顔をする。その目は赤く泣きはらされ頬にもまだ涙の筋が残っていた。まったくアルは泣き虫なんだから。そうルイスは思ったが、アルフォンソの細い指先の傷口からはもう血は流れていなかった。

 碇の戒めから放たれた船がゆっくりと動き出す。やがて帆が陸から吹く風を捉えれば、その歩みは更に速度を増すだろう。トゥルバの流れは彼らを、無限の海原へと押し出していった。



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