風乗る少女:01 暁
「このあたりの海は豊かだと聞いてはいたけれど、」
夜明け時の海辺で、空を見上げる二つの人影があった。その片方が、海風に髪を暴れさせながら楽し気に笑う。
「想像以上だね。ここまでの規模だとは」
薄明るくなり始めたスミレ色の空は、ありったけの極小ダイヤモンドをばら撒いたかのようだ。
チラチラと硬質に瞬く七色の光で埋め尽くされているが、それは星の光ではない。
空を泳ぐ魚の群れの、ウロコが陽光を反射して光るのである。
恵みの多い海では時折、海中生物の宙棲化現象が見られる。
特に明け方などの暗い空で無数の光が舞うように流れるその様は「鱗砂子」だとか「天の吹きこぼし」など、地方により様々な呼ばれ方をする。しかしたいていは海の一角がそう見える程度なもので、空を覆い尽くす規模のものはかなり希少だ。
「空がこんななら、海の中もすごいことになっていそうだね。豊漁なんてもんじゃないだろうなあ」
「それも気になりはするが」
もう一つの人影が、周囲を訝し気に見回す。
「待ち合わせ場所、本当にここで合ってるのか?」
二人が立つのは岬の突端で、遠い昔に灯台だったという遺跡の足下だ。人里からはかなり離れた土地にあり、周囲に他の人の気配は感じられない。
「ここで間違ってないよ。約束の時間まではまだもう少しあるしね」
掌中の端末で案件概要を再確認して答えたが、相棒は浮かぬ顔のままだ。
「実在するのかね、ひっそりと古代の祭事を継承し続けている隠れ里の一族、だなんて」
「疑ったって無駄じゃない、正式な業務として下りてきちゃったんだからさ。それらしい人物が現れたら現場に案内するし、そうじゃなかったら『経費でいい景色見て美味しいもの食べたなぁ』ってなるんだから、損はしないよ」
「それで済むわけあるか。そもそも正式と言えるのかアレは」
この相棒は最初からモチベーションが低かったのだが、その理由は分かっている。
今回の案件は普段の二人の業務とまったく異なる上に、指揮伝達ルートが明らかに異例だったのだ。手続き署名を見る限り、途中をすべてすっ飛ばしてトップが秘密裏に下命したかのような。
面倒事に巻き込まれる予感を抱かせるには充分すぎた。
「下っ端のつらいところだよねえ、何か聞ける雰囲気じゃなかったしね」
「つらさを微塵も感じさせない笑顔でよく言う」
はあぁぁと長いため息をついて、諦めたように大きく空を仰いでいる。
「……本当に、ずいぶんデカいのまで飛んでるな」
今考えても無意味と結論したらしい。唐突に話題が切り替わる。
「こんなの初めて見るよね。大抵はもっと小さいのしか浮かばないのに」
分からないことは今は考えない、その姿勢に大いに賛同して話題に乗った。
「あっちでスイーッと泳いでいるのはヒラメかな」
「いやヒラメはあんなに大きくは……」
言いかけた相棒の目が見開く。
「いや本当にあれデカすぎないか? いくら長生きしたって、あそこまでのサイズのが宙棲化するなんてことあり得るのか?」
「確かに…… しかも、なんか……なんかアレこっち向かってきてない?」
二人が見つめる空中の影は、二人から見える位置を変えないまま、次第に大きさを増している。
「潮流の乱れなんかじゃない。それなら他の群れももっと向かってくるはずだ」
「内陸まで飛んで来るとまずいね。人里で堕ちたら誰かが巻き込まれかねない」
二人の間に緊張が走った。
「仕方ない、あまり野生の生き物に手荒なことはしたくないんだが、ここを通り過ぎるようなら……」
「いや待って!」
望遠レンズに映ったものに驚き、鋭く制止する。
「人がいるかも! なんか背中にくっついてる!」
「ヒトぉ!?」
いつになく素っ頓狂な声が漏れ出た。
「何だあれは、エイ? マンタか?」
「ハーネスで座席か何か止めてる? あんな引っかかりどころのないボディによく固定できるね」
二人で望遠映像を確認する。
正面から見える面積が小さく分かりづらいが、確かにそれは宙を舞い進むマンタだった。しかもかなり大きい。
その背には、いったいどうやって固定しているのか鞍のようなものが設置されており、人間らしき影が見える。
「聞いたことないぞ、魚類に手綱つけて乗るだなんて。しかも空中で」
「なんか下に吊り下げたね、縄ばしご? あ誰か捕まってる」
「え降りる気か? あそこから? 正気か?」
呆気にとられている間に、もはや望遠レンズが不要な距離までマンタは近づいていた。
鞍から垂らされた縄ばしごは風に翻弄されているが、その先につかまる人影は慌てる様子もなく、器用に重心を安定させているように見える。
脳内で様々な現状解釈の選択肢が高速で浮かんでは分岐していくが、次々に前例のない展開が追加されて択を絞れない。
「あ!? 危ない、ぶつかる!」
結論を出せずにいる間に現実の側が一つの結末にたどり着こうとしていた。
マンタの航路は、どうやら朽ちた灯台にまっすぐ向かっている。マンタ自身はぶつかることはない高度を飛んでいるが、縄ばしごは壁に激突するルートだ。
灯台に駆け上がるような時間はない。せめてクッションになるものを、と先ほどまでかぶっていたブランケットを二人でとっさに広げたそのとき、視線の先の人物ははずみをつけてパッと縄ばしごから飛び出した。
間に合うか!?
二人は歯を食いしばって衝撃に備えたが、結果としてそれは無駄となった。
落ちてくるかに思われた人影は、灯台の手すりを一瞬だけ掴むと、目を奪われるような華麗な身のこなしでクルッと身を起こし、手すりの上に難なく立っていたのだ。
「ありがとね、みんなによろしく言っとってーっ」
大きく手を振りながら、海の方へ叫んでいる。その声は場に不釣り合いな幼さだ。
誰に向かって、とその手を振る方角へ目を向ければ、いつの間に旋回したのか先ほどのマンタが海へ帰る姿があった。




