後編
和気あいあいとした空間に、新たな影が踏み込んできた。
「あれぇ?リナーベル様だぁ」
全員の視線が、のんびりとした声へと集まっていく。
神秘的な輝きを放つアメジストの瞳を持ちながらも、柔らかな印象を与える目元。それを縁取るのは、華奢な肩の上でふわりと揺れるプラチナブロンドの髪だ。細身ではあるものの、女性として魅惑的なボディラインを持つ美少女の登場に、この孤児院に来て間もない者たちがざわつく。
「すげぇ綺麗な人だ…」
思わず零される若い感嘆の息に、セロンの眉がひそめられる。
「見た目に騙されるな」
「え…?」
今まで物静かだったセロンからの、思いもよらない助言。新人が首を傾げようと、セロンはそれ以上は何も言わない。リナーベルの護衛である彼の重々しい言葉の真意を問おうとしたが、それは別の声によって喉に押し戻されてしまった。
「リリス、あなたも孤児院に用事?」
リリス、と呼ばれた美少女は瑞々しい唇で笑みを浮かべると、両手の荷物を少しだけ持ち上げてみせる。
「差し入れを持ってきたんですぅ。てか、もう重くて限界ぃ…セロン、運んでぇ」
「ここまで持てたんだろ。責任持って最後まで運べ」
淡々と事実を突き付けてくる厳格な男に、リリスの頬が膨れる。だが、その顔はすぐに別の表情へと塗り替えられた。
「セロンの意地悪ぅ…ここまで頑張ったんだからぁ、最後くらい助けてよぉ」
「お前な…」
うるうると、大きな瞳を水滴で揺らすリリス。絶世の美女からのご指名を特大のため息で応えながら、セロンは彼女の手元にある荷物に目を向けた。
中身がパンパンに詰まった袋は、華奢な身体に似合わないほどの大荷物であることは確かだ。眉間にしわを寄せたセロンは再度息を吐くと、リリスから荷物を受け取り建物の中へと運んでいく。
「さすがセロン~、力持ちぃ」
先ほどの涙はどこへ行ったのか…両手が自由になった途端にコロリと笑顔になったリリスに、察しのいい数名は先程のセロンの言葉の意味を理解した。
「リリスお姉ちゃん! 今日は何を持ってきてくれたの?」
「お菓子? それとも、おもちゃ?」
セロンと入れ替わるようにリリスの元へ駆け寄ってきたのは、興奮気味な子供たち。期待に満ちた瞳に、リリスは得意げな笑みを向けた。
「ふっふっふ…今日はなんとぉ…本を持ってきましたぁ!」
弾んだ声で明かされた荷物の中身に、各人各様の反応が返ってくる。キラキラと顔を輝かせる子、肩を落とす子、喜びを素直に発する子、唇を尖らせる子…正直な子らの態度を、リリスは面白そうに観察していた。
「あんなに沢山の本…どうしたの?」
「クローブ殿下がぁ自室の本が多すぎてぇ、埋もれそうになったみたいなんですぅ」
「もうそんな時期なのね」
しみじみと、リナーベルは時の移ろいを感じた。
クローブは知的好奇心が高く、かなりの愛読家だ。故に、彼個人の部屋には大量の本が積み上げられている事が常日頃である。雪崩を起こしそうな本の山に埋もれるクローブの救出活動が行われるのは、最早定期的な行事に近いものであった。
「片付けのためにぃ処分するらしいのでぇ、格安で売ってもらいましたぁ」
「まぁ、クローブ殿下が本を処分されたの?」
深紅の瞳が真ん丸に見開かれる。今までは図書室と題した別室に移動させるだけで作業は終了していたのだが…クローブが大切な本を手放す、ということは、あの巨大な本棚の隙間がとうとう無くなってしまったことが窺える。
「新たに別室をお創りにならなかったのね」
「そうしようとしたみたいですけどぉ…未来の王妃様から指令が出たみたいですよぉ」
クローブの婚約者である公爵令嬢は、とてもお淑やかで心優しい淑女の鑑のような女性だとリナーベルは記憶している。そんな彼女の穏やかな笑みが崩れるのは、いつもクローブが本に埋もれた時…
断捨離を促す令嬢の絶対零度の笑みに耐えながら、必死に本を厳選していくクローブの姿が安易に想像できる。しかし、それも全てはクローブが本で圧死しないため。クローブもそれをしっかりと理解している。自分の身を案じ、きちんと叱ってくれる…そんな素敵な女性を、心の底から愛するクローブからすれば、真実の愛を利用しての浮気など到底許せるものではないのだろう。
と、ここでリナーベルの脳裏によぎったのは、先日の仕事のことだ。
「この前はご苦労様。もうあの男のことは大丈夫なの?」
「アハハ、大丈夫じゃないとぉ、ここには来ませんよぉ」
あの男とは、数日前に婚約解消の書類に署名した少年の事である。
「今回はすでに何人か女がいたからぁ、貢がせる気は無かったんですけどねぇ。でもぉ、くれるって言うから色々貰っちゃいましたぁ」
「あまり節操がなさそうな人でしたものね」
「まぁ、証拠は集めやすくて楽勝でしたけどねぇ」
探偵業の従業員の一人である、リリス。情報源の懐に入り込み様々な情報や証拠を掴む、諜報活動が主な仕事だが…彼女の美貌に心奪われる者は多い。老若男女問わず人気ある彼女を手中に収めようと、多くの者たちが高価な品物をリリスへと献上するのだ。
時には意図的に、時には運任せに…相手や周囲に不信感を抱かせない程度に距離を測り、目的の品物を痕跡を残さずその手に収めていく。観察眼と対人能力が高い、リリスだからこそできる職人技である。
「あの男も、最終的にはリリスに靡いたのでしょ?」
「靡いたっていうかぁ、勝手に勘違いしてましたぁ」
柔らかな物言いとは違い、リリスの言葉には明らかな鬱陶しさが滲み出していた。
「ちょぉっと、お酒を一緒に飲んだだけで『俺のこと好きなんだろ?』なぁんて…自意識過剰な節操なしのくそ野郎ばっかりで嫌になりますぅ」
庇護欲そそられる声音とは不釣り合いな内容に、男性陣の瞳から甘い気持ちが抜け落ちていく。唖然となっている彼らの心境など関係ないかのように、でもぉ…とリリスの言葉は途切れない。
「プレゼントの価値は高かったみたいでぇ…全部換金したら、いいお小遣いになりましたぁ。これでぇ、またいっぱいお買い物ができますぅ」
「今回も全部、換金してしまったの?」
「もちろんで~す。これでサルカリナ領の経済を回しますよぉ!」
換金した金、全てをサルカリナ領の店で消費させようと張り切るリリス。彼女の爆買いは、正直領内の経済が回るので有難いことではある。しかし、こんな辺境の地よりも王都や他領の方がもっとリリスに似合う華やかな品物で溢れているだろう。それに彼女を想っての贈り物は、どれも素晴らしい一級品ばかりで、常人であれば手放し難い品物ばかりだ。そのことを良く知るリナーベルは、複雑そうな表情を浮かべた。
「リリス…いつも言っているけど、うちの領の店にこだわらなくてもいいのよ。それはリリスのお金なんだから…あと、無理に贈り物を全て売る必要もないわ」
リナーベルの言葉に、リリスの大きな瞳がパチパチと瞬く。
「私はぁ、自分の意思でこのサルカリナ領の品物を買ってますぅ。貢物を換金するのも、私の意思ですぅ。リナーベル様が心を痛めることはぁ、何一つないですよぉ」
「でも、素敵な物やとても貴重な品物も頂いているんじゃない?」
リナーベルの真剣な問いかけに、リリスはクスクスと華奢な肩を揺らす。
「あったかもしれませんねぇ…でもぉ、私には不要ですぅ」
「そうなの?」
「えぇ、だってぇ…」
アメジストの瞳が、三日月型に歪んだ。
「自分を律せない猿以下からの贈り物なんてぇ、気持ち悪くて身に着けたくないじゃないですかぁ」
嘲笑交じりに吐かれる、とんでもない毒。語尾以外、甘さを全て消し去った美女に、ヒクリッ…と数名の頬が歪んだ。リリスはくるっ、と振り返ると、現実を目の当たりにした者たちへ、ニッコリと屈託ない笑顔を向ける。
「皆はぁ、お猿さんになったら駄目だよぉ。特にぃ…さっき鼻の下を伸ばしていたおバカさんたちぃ」
冗談めかしに言ってはいるが、リリスの瞳に笑いは一欠けらとて無かった。妖しげな三日月から逃げるように、心当たりある者たちの視線は忙しなく動き回る。
「…女性とは恐ろしいものだ」
いつの間にか戻ってきていたセロン。数多くの修羅場を潜り抜けてきた彼の言葉は、全男性陣の胸に深く刻み込まれたのであった。
そんな彼らの反応を他所に、リナーベルは胸を撫で下ろす。
「リリスがいいなら、それでいいの。でも、ちゃんと自分のためにも使ってね」
「はぁ~い。ところでぇ…」
キラリッと、リリスの瞳が煌めいた。
「リナーベル様で着せ替えさせてほしいんですけどぉ、明日お時間ありますぅ?」
「えぇ…また?」
げんなりするリナーベルに、リリスはズズイッと顔を寄せる。
「聞きましたよぉ。もうすぐお茶会があるんですよねぇ? だったらぁ、準備をしないとぉ。ていうかぁ、もうすでにオーダーメイドしちゃいましたぁ」
最初から拒否権などリナーベルには無かったようだ。用意周到なリリスに、リナーベルは小さく息を吐いた。
「私なんかより、リリスが着飾った方が美しくなるんじゃない?」
「私は着飾らなくても、十分美しいからいいんで~す」
「それはそうだけど…」
「それにぃ、次期領主としてぇ見窄らしい恰好は許されませ~ん」
“次期領主”という単語に、リナーベルの眉がピクリッと反応する。顎に手を添え考え込むリナーベルに、リリスは勝利を確信した。
「…そういうものなの?」
「そうでぇす」
「そう…じゃあ、今回もお願いね」
「お任せ下さぁい」
リナーベルからの依頼に、ニコニコとご満悦そうな笑顔で応えるリリスの瞳には熱いものが宿っていた。
服装や流行に関して無頓着なリナーベル。たったそれだけの理由で、優秀で気高い彼女が馬鹿にされることが我慢ならないリリスは、茶会や夜会の情報を入手するとすぐさまリナーベルを着飾る準備に取り掛かる。そのセンスの素晴らしいこと。リナーベルの魅力を最大限に引き出しつつも、最新の流行もさり気なく取り入れたコーディネイトは令嬢だけに留まらず、ご婦人方にも大変評判がよかった。
自他共に認めるハイセンスな美的感覚の持ち主たるリリスは、鼻息荒く宣言する。
「私を拾ってくれた優しいリナーベル様にはぁ、最っっ高に可愛くなってもらいますぅ」
その麗しい容姿のせいで、舞台女優だった母から捨てられたリリス。母ではなく、女性としての道を選んだ親のせいで、路頭に迷い道端に倒れていた幼いリリスを拾ったのが、リナーベルだ。彼女はそのままリリスを辺境伯の屋敷で生活させた。同じテーブルで食事をし、同じように勉学に励ませてくれたリナーベル。リリスにとって、リナーベルは命の恩人であり、人生の救世主であった。
一生の忠誠を誓っているリリスの言葉に、リナーベルは首を横に振る。
「私は優しくなどないわ。だって、これは全て私のためだから…」
リナーベルが言うに、今自分がしている行動は未来への投資らしい。
この辺境の地は、サルカリナ家の第一子であるリナーベルがいずれは引き継ぐこととなる。その時に、領民や土地や財政などが枯渇していては、領主として生き恥を晒すも同然だ。そんなこと、リナーベルの矜持が赦さなかった。何よりも、伝統あるサルカリナ家を自分が途絶えさせるわけにはいかない。
だから、領民の生活水準を上げることも、財政を潤わすことも、この地に笑顔を溢れさせることも、全ては次期領主たる己のためだと、リナーベルは語る。
「私は利己的な人間よ。私は私の未来のために、皆を利用しているようなものだもの」
例えそうだとしても、誰よりも領民のためにその身を尽くす彼女の姿を見て心動かない人間など、サルカリナ領には存在しない。瞳に影を落とすリナーベルへ、そのことを告げようと開きかけたリリスの口を低い声が塞いだ。
「リナーベル様」
セロンは一歩前に出ると、リナーベルの前で跪く。
「言葉ではなく、行動こそがその者の本質です。あなたが本当に利己的であれば、民の声になど耳を傾けず、問答無用でご自分の考えを押し付けているはず。皆に負担を強いなかったご自身を、もっと誇ってください。それに、民の顔をもっとよく見てあげてください」
真っ直ぐにリナーベルを見据え、諭すようにセロンは語りかける。彼の真剣な表情に、リナーベルは大きく目を見開くと、フッ…と肩の力を抜いた。
「そうね…セロンの言う通りだわ」
深紅の瞳から影が消え去った。目元を綻ばせるリナーベルにつられるように、セロンの顔つきも柔らかなものとなった。
「セロンのおかげで、自信がついたわ。今なら最大の難関も突破できそうな気がするわね」
「難関ってなんですかぁ?」
「結婚相手探しよ」
ピシッ…と、セロンの肉体が固まる音がした。
「結婚ってぇ…リナーベル様、誰かに求婚されたんですかぁ?」
「まさか! 婚約の申し込みすら未だに無いわ」
どこか恥ずかしそうに首を横に振るリナーベルに、青年の石化は解けた。胸を撫でおろしているセロンに気づくことなく、リナーベルの唇は「それに…」と言葉を紡いでいく。
「こんな可愛げのない女を妻にしたいなんて物好き…そうそういないわよね」
「そ―」
「そんなことはありません!!」
勢いよく立ち上がり、空気を震わせるほどの声量で否定するセロン。先ほどとは打って変わって声を荒げる彼に、リナーベルは驚いたような表情を浮かべる。言葉を遮られたリリスは横目で興奮気味のセロンを見ると、大きく長い息を吐いた。
「リナーベル様は、魅力溢れる女性です! その気高き精神からにじみ出る美麗なお姿は、女神のようです! 美しいだけではありません!…ふとした時に見せる仕草はとても愛らしく、そのギャップが多く者を惹きつけてやみません…! リナーベル様以上に聡明で美しく可愛いらしい女性など、この世にいないと自分は思っております!!」
「あ、ありがとう…?」
早口でまくし立てるセロン。鼻息荒い彼の言葉の半分ほどは聞き逃してしまったリナーベルだが、褒められていることだけは理解できたようだ。キョトリとしながらも感謝を告げるリナーベルの隣で、リリスがにやりと口角を上げた。
「そうだよねぇ~、リナーベル様と結婚したい人はいるよねぇ」
「当たり前だ!」
「その人ってぇ、すっごく身近にいるよねぇ…例えばぁ、目の前とかぁ…」
「あぁ、そ…」
セロンの口がピタリと止まる。静まり返った空気に、リリスはチッと、舌を鳴らした。リナーベルは頭上に疑問符を浮かべながら、セロンとリリスに交互に視線を送る。
妙な緊張感が漂う空間。それを割ったのは、苛立ちと呆れを混ぜ合わせたリリスの声だ。
「セロンさぁ、いい加減に想いを告げなよぉ」
「え? 想い?」
「なっ!?」
セロンはカッと顔を赤らめると、リリスの腕を引っ掴んだ。
「リリス! ちょっと、こっちに来い!!」
「やぁ~ん、こわ~い」
ケタケタと笑うリリスと共に、セロンは足を進める。リナーベルからある程度、距離を取れた場所に到着すると、ぐるりッ! と自身の体を返した。
「リリス! お前、何を言わす気だ!」
距離があるにも関わらず、小声で怒気をぶつけてくるセロンに、リリスは辟易した顔を向ける。
「何をって…というかぁ、なんであのまま告白しないのよぉ。リナーベル様のこと大好きなくせに…しかも、ラブの方でぇ」
「アホか! 自分とリナーベル様では、身分が違うんだぞ…そう易々と想いを告げられるか!」
正論で凄んでくるセロンだが、だったら先程のあからさますぎる態度はなんなのだ、とリリスは心の中で呟く。幼少期からセロンはリナーベルに想いを寄せている。そのことを知っているリリスは、隙あらばセロンの胸中を暴露させようと目論んでいるのだ。だが、この生真面目な男は毎回それを阻止する。
「何それ、面倒くさぁ…じゃあさ、リナーベル様が誰かに求婚されたらどうするのぉ?」
「…………相手を見定める」
「身を引くんじゃないんだぁ…」
「うるさい」
「てかさぁ、リナーベル様に求婚系の連絡がこないのってぇ、セロンのせいだよねぇ」
「…自分は何もしていない」
「よく言うよぉ。リナーベル様に近づく令息をずっと睨んでたじゃん」
何かしらの催しがある時、セロンは必ずリナーベルに同行する。そして、護衛の立場を利用し、セロンはリナーベルから片時も離れず、彼女に近づく下心ある者を片っ端から排除していった。リナーベルの顔に泥を塗らぬよう力技に出ないのが救いではあるが、その眼力は牽制などという可愛いものではなく、最早、人を殺めそうなほどに強力なものへと進化している。
辺境姫の番犬。それが、社交界でのセロンの異名である。番犬に挑む勇気など、温室育ちの令息たちには皆無であった。
「リナーベル様がぁ、行き遅れとか社交界で言われたらどうするのさぁ」
「だから、最年少での騎士団長を目指しているんだ。騎士団長くらいの地位を築ければ、実力主義の辺境伯様も認めて下さる」
闘志の熱を感じさせる言葉に、リリスは目を見開く。だが、すぐにその顔には喜色が溢れ出していく。
「へぇ~、ちゃぁんと考えてるんだぁ」
関心、関心、と大きな背中に労いの張り手を贈る。音はすれど、少女一人に叩かれてふらつくほど軟な鍛え方はしていないようで、セロンの身体はビクともしない。
「セロンってばぁ、以外に策略家ぁ?」
「いや、策略というほどのものでは…」
「じゃあ、ムッツリぃ?」
「それは意味が違うだろ!?」
次第に大きくなっていく声量。リナーベルの耳にも会話の端々が聞こえてくる。
(仲がいいわね…)
リナーベルにとって、リリスとセロンは幼馴染と言っても相違ない存在。そんな大切の二人が仲良くしている光景は微笑ましいはずなのに…そこに自分がいない景色は、リナーベルにモヤモヤとしたものを抱かせる。
(寂しい…のかしら?)
胸に手を当て、心の内側へ問いかけても答えは返ってこない。リナーベルは口元をキュッと引き結ぶと、二人の元へ駆け寄った。
「リナーベル様?」
「どうかしたんですかぁ?」
しなやかな指が掴むのは、幼馴染たちの服の裾。顔を伏せるリナーベルにリリスたちは首を傾げる。
「…二人だけでお話なんてズルいわ。私もいれて」
顔を上げた彼女の頬は、ぷくりっと膨れていた。普段のリナーベルからは想像もつかない幼い仕草は、リリスとセロンの胸を愛おしさで撃ち抜いた。
「リナーベル様、可愛すぎなんですけどぉ!」
「ぅぶ」
豊満な胸に、リナーベルの顔が埋もれた。ぎゅうぎゅうとリナーベルを抱き込み、沸き上がる気持ちのままにリリスは言葉を発した。
「もう私、リナーベル様と結婚するぅ!」
「ぇ…?」
―ベリッ!
「それはダメだ!!」
リリスからリナーベルを引っ剥がすと、そのまま自身のほうへ抱き寄せるセロン。普段から距離が近い上に、自分より何枚も上手のリリスが相手だと分が悪いと感じたのだろう。セロンは必死だ。抱き込まれた腕の中で、リナーベルはリリスを威嚇する青年の顔を見上げた。
「セロン?」
「ハッ!? も、申し訳ありません!」
冷静さを取り戻したセロンは慌ててリナーベルの身を解放し距離を置くと、地面を叩き割りそうな勢いで頭を下げる。ポカンとしているリナーベルの隣で、リリスがニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべていた。
「セロンはぁ、私とリナーベル様が結婚したらぁ困るんだよねぇ?」
「そうなの?」
「え!? それは、その…」
「そうそう。ていうかぁ、セロンは昔からリナーベル様のことが好…」
「わー! わー! わー!!」
リリスの言葉を、自身の声量で掻き消すセロン。顔を赤らめ両手を振り乱す彼を、じっ…と見つめていたリナーベルは頬に手を添えると、一つの未来を頭に思い描く。
「…そうね。私もセロン以外が隣に立つなんて…想像できないかも…」
「へ?」
「リナーベル様!」
弾んだ声が空気を震わせる。声の方に目を向けると、小さな女の子がリナーベルの手を握っていた。
「一緒におやつ食べよう!」
無垢なる一言が、その場の空気を変えてしまった。
キラキラと期待を滲ませる幼子の後ろに立つ老婆は、とても申し訳なさそうな表情を浮かべている。謝罪を口にしようとした老婆を、リナーベルは笑顔で制すと小さな手を握り返した。
「素敵なお誘い、ありがとう。是非、ご一緒させていただくわ」
女の子の顔が、ぱぁぁと華やいだ。リナーベルの手を握る、小さな手の力が強くなる。
「あのね! 今日は私たちがお菓子を作ったんだよ! おばあちゃんたちに教えてもらったの!」
「まぁ、とっても素敵ね。食べるのが楽しみだわ」
「早く、早く!」
幼子に手を引かれ、リナーベルは老婆たちと共にその場を去っていく。ポツン…と取り残されたセロンへ、美女は特大のため息を送った。
「せっかく背中押してあげたのにぃ…セロンってばヘタレなんだからぁ」
リリスのぼやきに、老若男女問わずこの場の全員が頷く。
「誰が見ても、明らかに両想いなんだけど…リナーベル様は自覚がないからなぁ…」
「聡明なお人だけど、そっちの方面には鈍いんだよなぁ」
「お二人の挙式を皆、心待ちにしているというのに…」
「ワシが天に召されるまで、見れるとよいのじゃがのぉ」
「セロン次第になっちゃうのかなぁ~」
リリスの言葉に、全員の瞳が呆然と突っ立っているだけの間抜けなヘタレ男へと向けられる。
「…こりゃ、当分無理だねぇ」
リリスの見立ては、全員の首を再び縦に振らせた。と、ここで数名の子供が動き出す。一人の小生意気そうな男児の蹴りが、セロンの意識を痛みとともに現実へと引き戻す。
「いっ!?」
「セロン兄ちゃんの腰抜け!」
「腑抜けだ、腑抜け!」
「なっ!? なんだと!」
子供らしからぬ的確な発言に、セロンの眉がキッ! と吊り上がった。それを合図に、子供たちは駆け出していく。
「ヘタレが怒ったぞ! 逃げろぉー!」
「待て、このっ!」
「逃げ切ったら、俺がリナーベル様に告白するぅー!」
「今、誰が言った!? 絶対に捕まえてやる!!」
キャー! と楽し気な悲鳴を上げながら散らばっていく子供たち。庭の隅に置いている椅子に腰かけながら、リナーベルはその様子を和やかに見守る。手作り感たっぷりの温かみのあるテーブルの上には、形は歪だが美味しそうなクッキーが皿に盛られていた。
「セロン様は、いい父親になりそうですね」
「えぇ。セロンは真面目で実力もあるし、とても頼りになるわ。騎士団長が、自分の後継者はセロンしかいないと言っていたもの」
老婆の言葉に、ゆったりと賛同するリナーベル。
「セロンのお嫁さんになる人が羨ましいわ」
どこか他人事のように彼女がポツリと呟くと、隣でクッキーを頬張っていた女の子の首がコテリと傾く。
「リナーベル様は、セロンお兄ちゃんと結婚しないの?」
「え?」
「これ! なんてこと聞くんだい!」
子供特有の純粋な質問を咎める老婆の声は、リナーベルには聞こえていないようだ。幼子の何気ない一言はリナーベルの脳を真っ白に染めた。
「私が、セロンのお嫁さん…」
そう呟いた瞬間、花婿衣装を纏ったセロンがその筋張った手を、自分へと差し伸べてくれている姿が脳内に浮かび上がる。慈しみを惜しみなく注ぐ、甘く蕩けてしまいそうな瞳。愛おしさを全面に出した微笑みを向けてくる空想世界のセロンに、リナーベルの頬がポッと薔薇色に染まった。
(私…もしかして、セロンのことが…?)
トクリ、トクリ、と高鳴る胸とリナーベルが向き合おうとしたが…奇しくも、それを阻んだのはセロンの雄叫びであった。
「捕まえたぞ! 不届きなことを言っていたのは、お前か!?」
「俺じゃないよぉ! 俺はセロン兄ちゃんの足を蹴っただけだよ!」
「そうか…ならいい」
「いやぁ、よくないでしょ」
子供を解放したセロンに、リリスが呆れながらツッコミを入れる。
「子供の暴力は注意しないとぉ、いい父親になれないよぉ」
「自分はこの子たちの父親ではないぞ?」
「将来の予行練習ぅ~」
「!! そうか、確かにそうだな。さすが、リリスだ」
ふむ、と素直に頷くセロンの頭の中に浮かぶのは、リナーベルによく似た愛くるしい小さな存在。表情筋が緩みだしているセロンに、リリスはやれやれと肩を竦めた。
「てかぁ、セロンってば大人気なくない? 別にいいじゃん、告白くらい」
「不穏の種は、小さいうちから摘んでおくべきだ」
「器、極小だねぇ〜。ん?」
視界の隅に映る黒い影に、リリスは首を傾げる。孤児院の門をくぐり、リナーベルの元へと迷いなく足を進める存在に、リリスとセロンの顔つきが変化した。
「リナーベル様、よろしいですかな?」
「…あら、神父様」
リナーベルの元にやって来たのは、柔らかな空気を纏うふくよかな男性だった。服装からして彼が神父であることは間違いない。だが、その首からぶら下がるものが、彼を普通の神父でないと告げていた。王家の紋章を刻んだ金のペンダントトップ。それを所持することを許されているのは、代々王家に仕え絶対的な忠誠を誓っている高位の神父だけだ。王家から圧倒的な信頼を得ている彼を、王都では神官と呼ぶ者もいる。
スッ…と、神父は一通の手紙をリナーベルへ差し出した。
「舞台の開園を、お求めの手紙でございます」
ピクリッと、リナーベルの眉が微かに跳ねた。封書を受け取った彼女の深紅が捉えたのは、王家の紋章を逆さにした封蝋。リナーベルの瞳から穏やかさが消え去っていく。
神官、王家の紋章を逆さにした封蝋、舞台の開園…クローブと取り決めた項目が全て満たされた。それはつまり、新たな依頼が舞い込んできたということだ。リナーベルの唇がうっすらと孤を描く。
「では、私はこれで」
「えぇ…ご苦労様です」
目的を終えた男性は、軽く頭を下げるとすぐさま踵を返した。必要以上に関わらない、じゃれあわない。しかし、警戒心感を抱かせない程度には愛想よくする。外部に情報を決して漏らさない彼らしい対応だ。
(まさに、適材適所ね)
クローブの的確な人選に、リナーベルは我が国の安泰を確信した。そんな頼もしい未来の国王からの手紙をリナーベルは丁寧に開封していく。
「舞台は開園されるんですかぁ?」
「どうかしらね…」
いつの間にかやって来たリリスが、リナーベルを後ろから抱きしめながら問う。目敏いリリスのことだ。手紙の正体に気が付いている。そして彼女の後ろで硬い表情を浮かべるセロンも…リナーベルは含みある笑みのまま手紙に目を通していく。と、ここで純真無垢な声が乱入してきた。
「舞台? リナーベル様、舞台を観に行くの? いいなぁ、いつか私も行きたいなぁ」
華やかな舞台に思いを馳せる女の子に、手紙を読み終えたリナーベルは柔らかく微笑んだ。
「そうね…じゃあ、このお仕事が終わったら皆で行きましょうか?」
「ほんとっ!?」
「あら? 私が嘘をついたことなんてあるかしら?」
悪戯っぽく問うと、少女は勢いよく首を横に振る。そして、興奮気味に瞳を輝かせると「ビックニュース!」と子供たちの輪の中へ駆けて行った。その後を、老婆が慌てて追いかけた。
「フフッ、次の報酬の使い道は決まりね。社会科見学、とでも題しましょうか」
「お土産代はぁ、私が稼ぎますねぇ」
「道中の護衛は自分にお任せを。皆の安全を保障致します」
「あら、二人とも頼もしいわ」
頼もしい宣言に、リナーベルの華奢な肩がクスクスと揺れる。やがて、その深紅の瞳が愉しげに…しかし、鋭利に細められていく。
「今回の主演は、お金も泥も相当溜め込んでいる貴族…容赦は無用とのことよ」
その言葉に、リリスは形のいい唇を不気味なほど妖艶に吊り上げ、セロンは口元を強く引き締めた。対称的に変化した二人の表情に、リナーベルは絶対的な信頼を改めて寄せた。
(誰かの涙を買うくらいならば、そのお金…私がもらい受けるわ)
どんなゴミでも活用方法によっては、肥やしとなる。リナーベルは…サルカリナ領地、次期領主は価値なき投資を、何百倍、何千倍も有意義な資金へと変化させていく策を一足先に練り始めた。
「貴族の汚いお金は、きちんと有効活用しないといけませんわ」
少女の心穏やかな声が、今日も辺境の地に響き渡る。
これにて、完結です。
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