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第9話

 大人たちがダイニングチェアーに腰かけ、声色低く真剣に話し合う様子に目もくれず、ずっと1人で遊び続けていた。たまにテレビから聞こえる明るい笑い声に反応し、遠くから画面を凝視していることもあった。ただ、類以は一瞬たりとも笑っていなかった。


「どうします~?」

「えっと、何がですか?」

「引っ越すタイミングですよ~。ミサちゃんは3月末で決まりだもんね? ね?」

「は、はい」

「じゃあ、槙野さんたちは? いつ引っ越すんですか?」

「俺たちは、家が決まり次第ですね。あとは、茉菜と合わせる感じです」

「ふーん。そうなんだー」


 百井の言い方は、1日でも早く出て行って欲しいと言っているような、そんな感じだった。


「あの~、私、1つ思ったことがあるんですけど」

「何ですか?」

「引っ越しするのは、2人目を産んでからでいいんじゃないですか?」


適当な感じで言って、全く視線を合わせない百井。槙野と荻野は揃って顔を見合わせる。


「産んでからですか?」

「はい。内見は今のうちにしておいても、いざ引っ越すとなると身体に負担かけちゃうと思うんです」

「あぁ、なるほど」そう相づちを打ったものの、今すぐに納得することはできない。

「私は皆さんの引っ越しを引き留めたりはしません。ただ、あと数か月だけ待って欲しいっていうか・・・。駄目ですか?」


上目使いで語り掛ける百井。2人は視線の遣り場に困る。金子は自分のせいで、と負い目を感じ、口を噤む。


「数か月って・・・、どれぐらいですか?」

「私にどれぐらいって訊かれても」

「俺は百井さんに尋ねているんです」

「そんなこと言われても、困りますね。フフッ」

「困るって―」


槙野は嘆きの息を吐く。自分で発言しておいて、詳しいことを尋ねられたら適当言って誤魔化そうとする百井の癖。もう振り回されるのは嫌、と荻野は頭を抱える。


「それより、いつになったら内見に行かれるんですか~? 私、聞いちゃったんですよね、内見を決めた物件があることを」

「来週末です」

「それ、本当ですか? なんだか、私、行く行く詐欺に引っかかってる気がするんですけど~」

「あの、揶揄わないでもらえますか」

「別に揶揄っているつもりはないですけど」


 髪の毛を指に絡ませ、くるくると巻いては戻すという行動を数回繰り返す。2人は大きな溜息を吐きたかったが、これ以上言及するとまた喧嘩に発展し兼ねないと思い、その行動を慎んだ。


「ちゃんと内見に行きます。それに、今見つけている物件は、いい条件が揃―」

「あぁ、そうだ! シェアハウスで暮らしてみたいって言っている後輩の子がいるので、その子に声かけてみます。それまで待ってもらえませんか? 必ず今週中には声を掛けますからっ!」


横から口を出し、両腕を振って必死になる百井。荻野と槙野は口元に手を当てて、唇の動きがよまれないように、まるで内緒話をするように話す。


 口を挟めなくなった百井は、標的を金子に変え、「彼氏さんのどこが好きなんですかっ? 」「どっちから告白したんですかっ?」などと、今じゃなくてもいい質問を投げかける。その問いに、律儀に答える金子。百井は人の恋バナを聞いて、自分事のようにニヤニヤと笑っていた。


 内緒話を終えた2人は、「百井さん」と名前を呼ぶ。「なんですか~?」と、かったるそうに返事する。


「百井さん、私たちは遅くても4月中には引っ越すつもりでいます。可能なら2人目が産まれる前に」

「じゃあ、それまでに新しい入居希望者を探せばいいってことですか?」

「それは、百井さんにお任せします。シェアハウスを出て行ってもらってもいいですし、新しい住人の方を迎えて、その人と暮らしていただいてもいいです。私たちが強制することはできませんから」

「え~、私に任せるって言われても・・・。出て行っても行く先もないんだよな~。でもそっか、暮らす相手が決まれば、ここ出て行かなくても済むのか。あっ、今連絡してみてもいいですか? 行動は早いほうがいいですからねっ」


手を叩く百井。パンと乾いた音が鳴る。そうして1人で会話を完結させ、ソファに置かれていたスマートフォンをササッと操作し、耳に当てる。その数秒後、「お疲れ様~」と甘い声で言って、誰かと通話し始める。その声色は高くて、相手に合わせてテンションを上げている感じだった。


「うん、うん。オーナーに訊いてみないと分からないけど、明日一緒に行く? うん、明日は暇だから付き合うよ。うん、分かった。あとで詳細のメール送るね。うん、はーい。じゃあね~~」


 スマートフォンをテーブルの上に伏せる。そして、表情をパッと明るくして、明日直接オーナーのところへ会いに行くこと、電話の相手はシェアハウスで暮らすことに興味を示していることなど、電話していた内容をすべて公にした。


「ってことで、荻野さんも槙野さんも今まで通り、引っ越しの話を前に進めちゃってください! ミサちゃんも安心して引っ越しちゃって。私は、たぶんシェアハウスに残って暮らすことになりそうなのでっ」

「そうですか。分かりました」


その場の成り行きに任せて返事をする槙野。その表情は曇天のようで、晴れ間が差すことはなさそうだった。

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