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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第3話・最終話 始末 第1章

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02 思慮深くも見えような

 我が館はいかがかな――と、男は言った。

 落ち着いた色合いの部屋は、ファドックがこれまで入れなかった医者の私室だった。

 複雑な彫刻のある棚に、何が隠されているものか。少年はどうにも気にかかったが、まさかルキンの前で漁る訳にもいかない。彼は視線をうろつかせたい気持ちを抑えて、素直に椅子に座っていた。

「何ごともないだろう。何よりのことだ」

 笑みを浮かべるアヴ=ルキンに、ファドックは思わず感心してしまった。

(巧い揶揄だな)

 ルキンは、賊の影などを見ることはなかったか、とこの二日間における彼の行動を気にかけるふりをした。

 それには同時に、馬鹿な真似をしている、という裏の意味も込められていた。

 何も不審な点が見つかるはずはないのに、と。

「少し打ち解けてもらいたいね、ファドック」

 黙っていると、医者はそんなことを言った。

 ルキンの手が持ち上げる白い磁器には、鮮やかな色合いで何かが描かれていた。自身の前に提供されている香茶の杯を見れば、同じものであることが判った。

「〈幸運の果実〉」

 ルキンは言い、ファドックはすっと顔を上げた。

「知っているかな、チェレン果の別名のこと。この杯に描かれているのは、それだよ」

 言われなくても気づいていた。明るい色彩で描かれた、赤い果実。奇妙な符号に、はっとしたのだ。

 だが、もしかしたら、別にこの符号は何も「奇妙」ではないのかもしれない。

「〈幸運の果実〉」

 男は繰り返した。

「多数の種の合間を縫うように意図して切り分けるなど不可能に近い。成功すれば幸運神の祝福を受けられるとも言うが、既に強運を持っているからこそ、そうした偶然を掴み得るのだとも言えるだろう」

 ファドックは黙っていた。

「ふん。無言でいれば、思慮深くも見えような」

 馬鹿にするような言い方だが、ルキンの顔からあくまでも笑みは消えない。

「君の意見、考えを聞きたい、ファドック・ソレス。消えたチェレン果は、どこへ行ったと思う?」

「何の――」

 少年は、決して判りやすい反応などはしなかった。

「お話なのですか?」

「何かと問うか。非常に無難な返答だ。どう転んでも対処可能。そう思うのだろうが」

 かちり、と置かれた陶器が皿に当たった。

「外れだな」

「外しましたか」

 ファドックはわずかに肩をすくめた。

「ではあなたはこう仰りたい。キド閣下がチェレン果をお探しであることを知っているぞ、と」

「賢い」

 ルキンは笑った。

「だが、まだ経験が浅い。若いのだから仕方がない。黙っていようと思ったのなら、少年、もう少し沈黙を保つべきだ」

「そうですか」

 彼は応じた。

「では、黙っていましょう」

「おやおや」

 男は首を振る。

「そんなふうに拗ねるものじゃない。やり方は、これから学んでいけばいいだけのこと」

 もちろんファドックには拗ねたつもりなどなかったが、反論は避けた。

「それに私は、君の意見が聞きたい、と言ったのだしね」

「僕の意見を聞いて、どうするんです?」

 供された茶に手をつけぬまま、少年は問うた。

「ほかにも助言をくださるんですか」

「意見次第だ」

 ルキンはそう答えた。答えになっていないな、とファドックは思った。

 ならば、と彼は考える。

 こちらから札を切ろう。

「先生は、正解をご存知でいらっしゃる」

「おやおや」

 ルキンはまた言った。

「性急だな。やはり若い」

「噂話ですが」

 少年は揶揄を無視した。

「チェレン果の産地で、腐った果実をみんな買い受けた富豪がいたとか」

「変わった噂話もあるものだ」

 医者は薄笑いを浮かべた。

「――どこで、そのような話を?」

「興味がおありなんですか」

 ファドックは首をかしげた。

「ただの、益体(やくたい)もない、噂話なのに」

「〈水辺の夢は水音が見せる〉ものだ、少年」

 男は知ったような口調で言った。

「益体もない噂話でも、何か基礎となる出来事があったのだろう。そう思ってみると、面白い」

「興味がおありなんですね。いったい」

 何故でしょう、と呟くように彼は言った。

「幸運の果実、チェレン。お医者様が興味を抱く理由は? 果実は身体にいいと言いますが、それならば何もチェレンでなくてもいい」

「私はあの果実が好きなんだ。こうして、その絵が描かれている杯を使うほど」

「それは」

 少年は続けた。

「腐った果実でも、買い受けるほど?」

 その言葉に、ルキンは笑った。

 それは、いままで医者が見せていた、温厚な――ふりをした――笑みとは異なった。

 まるでこらえきれなくなったと言うように、手を口に当て、くっと笑ったのだ。

「ああ、ファドック。君は賢くて愚かだ。従順な様子を見せながら、常に私に刃をつきつけている。これは若さかな、それとも君の気質なのか」

「さあ、どうでしょう」

 少年は「刃を突きつけている」を特に否定せず、ただそう返した。

「私は、興味がある」

 男がそう言って青い瞳を細めた、ときだった。

 瞬間的にファドックは椅子から立ち上がると、飛びのくかのように素早く左方一歩を引くと、剣に手を――かけていた。

「そんなに驚かなくていい」

 ルキンはやはり笑った。

「ユークオールと、遊びたかったんだろうに」

 少年が座っていた椅子のすぐ後ろには、黒く大きな犬が座っていた。ファドックは動悸を落ち着かせることができない。

(いったい、いつから――?)

 たったいままで、いなかったように、思った。

 目前のルキンに気を取られていたことは確かだ。だがそれにしても、部屋に入ったときに犬の存在に気づかなかったなど考えがたい。

 仮に気づかなかったのだとしても、立ち上がれば彼よりも大きいであろう獣が近寄ってくるのに、その息遣いがすぐ背後に聞こえるまで、思いも寄らなかったと?

「てっきり、君は喜ぶと思ったんだが」

 ルキンはまるで申し訳なさそうに言った。

「驚かせてしまったようだね」

「――ええ、驚きました」

 少年は正直に言った。

「いったい」

 ゆっくりと彼は、医者と犬と、それから部屋にふたつある扉を見る。

「どこから」

 いなかった。そのはずだ。

「戸は、開かなかったように思いますが」

「無論。ユークオールは先ほどから、この部屋にいた」

「いませんでした」

 きっぱりと、ファドックは言った。

「ほう?」

 ルキンは片眉を上げる。

「では彼は、まるで魔術師か何かのように、音も気配もなくこの部屋に現れ出たと、それが『君の意見』かな」

 嘲弄――とは、言うまい。声の調子には「嘲っている」と言うよりも「からかっている」という程度の軽さが感じられた。

「魔術のことはあまり知りません」

「そうであろうな。魔術を知るのは魔術師どもだけだ」

 男はそう返してきた。

「もしかしたらチェレン果とて、魔術で出たり消えたりするものやも」

 手品師が何かを「消す」動作を真似て、男は片手を握っては開く。

「金の力か、魔術の力か。どちらにせよ、可能にするのはごくわずかな者たちだ」

 たとえば、と医者は言った。

「君の(あるじ)たる伯爵閣下にも、できないことがある」

「それはもちろん、あるでしょう」

 少年だって何も、キドが全知全能で何でもできるなどと思っている訳ではない。ルキンの台詞は当たり前のことだ。

「いったい何の、お話なんですか」

 黒い犬がじっと彼を見ている。ファドックは、落ち着かない気分だった。

「世間話だよ、ファドック少年」

 落ち着き給え、と男は彼の心を読んだかのように言った。

「ユークオールは命令もなく誰かに襲いかかったりはしない。そうだろう?」

 ルキンは犬に話しかけるかのようだった。黒い犬はもちろん返事をしなかったが、ルキンの声に耳をぴくりとさせるとその場にぺたんと座り、あたかも主人の言葉を理解しているかのようだった。

「安心しなさい……と言っても、難しそうと見える」

 飼い主がそう言うのは、ファドックの右手がいまだに剣の柄から離れないためだった。

「昨日はユークオールの散歩をなどと言っていたが、彼に剣をつきつけながら散歩をするつもりでいたのかな」

「先ほどまでは、決して」

 ファドック少年はユークオールを見据えて、ルキンに返した。

「ですがいまは、武器のないままでこの犬と対峙したくないものと思っています」

「それはそれは」

 ルキンは、まるでファドックが何か冗談を口にし、追従して笑うかのような、わざとらしい笑い声を上げる。

「つまり、君は考えている。――ユークオールが私の言うことを聞かないか、或いは、私がユークオールに命じようとしている、と」

 何を命じると言うのか、アヴ=ルキンは特に明言しなかった。

 だがそれが合図であるかのように、大きな犬はゆっくり尻を上げ、まっすぐファドックに顔と身体を向けた。

「どうかな、ファドック。私は君の剣技を見たことがない」

 男は言った。

「少し見てみたいものと、思うようだ」

 その口調は、淡々していた。だが、その意味するところは、少年にも明らかだった。

「安心しなさい」

 ルキンはまた言った。

「怪我はさせない。大丈夫だろう? ユークオール」

「僕の方では」

 ファドックは唇が乾いているのを感じた。

「『怪我をさせない』と言えるほど自信がありません。()を傷つけてもお許しいただけるんでしょうか、先生」

「ユークオールに勝つつもりとは!」

 ルキンはぱんと膝を叩いて笑った。わざとらしかった。

「よかろう、勝てると思うならば、いくらでも。傷つけることを気にする必要はないどころか、殺すつもりで挑み給え。さもなくば、君が危ないだろうから」

 すいっと手が上がる。それは、試合開始を告げる審判の――。

「行け」

 ガアッと犬が答えるように吠えた。少年はこれ以上ない速さで剣を抜いた。


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