01 よくも悪くも
思いがけないものを見たとき、人は――。
いや、今日はそれほど思いがけなくもない。昨日までであればぎくっとしただろうが、こういう連中は、よくも悪くも一度「懐く」とそのままになるものだ。
「よう、食いにきたぜ」
「毎度」
トルスは唇を歪めて、チェンに応じた。
「毎日やってんのか?」
どこかもの珍しそうに、不良は尋ねる。
「まあな。旬に一度は休みだが」
「へええ」
驚くべきことにきちんと金を用意しながら、チェンは感心したような声を出した。
「よくやってんなあ。俺なんか、旬に八日は休みだぜ」
「もっと働けよ」
彼はもっともなことを返した。
「あんただっていつまでも喝上げなんざやってらんないだろ」
「いつまでもなんか、やるかよ」
不良はふふんと笑った。
「やばそうになったら、ちゃんと組合に入る」
「……あ、そう」
この「組合」は、盗賊たちのそれ――であろう。
「うちは狙うなよ」
盗みなんてやるな、真っ当に生きろ、などという忠告をしても仕方がない。聞くはずがないし、それほどの仲でもない。
「おう、約束してやる」
盗賊候補生は気軽に言い、昼飯を受け取った。
「なあトルス。お前、今日、暇?」
「どこをどうしたら、俺が暇に見えるって?」
がん、と大きな木杓子で鍋を叩いて、料理人は返した。
「そいつが終わったあとのことだよ」
「終わったら片づけ。次は夜の仕込み。暇じゃねえよ」
ロディスが復帰しているから昨日ほどのことはない。時間はある。だが、ちんぴらに誘われて遊びに行きたいとはあまり思わない。
「何だよ、つき合いが悪ぃな」
「何でお前につき合わなくちゃなんねえんだよ」
正直に応じる。
「お前が悪事を働きたいなら好きにすりゃいいさ。俺と俺の知り合いにさえ悪さしなけりゃな。ただ俺は」
「おいおい、そんなことに誘うかよ」
心外だとでも言うようにチェンは顔をしかめたが、そういうことではないと考える方が難しいに決まっている。
「やばいことじゃない。簡単な仕事が入ったんだ。ただ、もうひとり、要る」
「いくらでも仲間がいるだろうが」
「俺たちゃ、誰かを見かければたむろってるだけだ。待ち合わせて一緒にいる訳じゃないし、いつ誰がどこでどうしてるかなんて、知るかよ」
「あ、そう」
一方でトルスならば間違いなくここにいる――という訳か。
「やばいことじゃない。中心街区から港に箱を運ぶだけ。どうだ?」
「どう、ったって」
少し客足が途絶えたのでトルスは鍋を火から外し、どうも何も、と呟いた。
「別に俺ぁ、小遣いには困ってねえよ。『金がある』って意味じゃねえぞ、言っとくけど。ただ、ある分で足りてるってことで」
「でもお前、ルキンさんの仕事に興味持ってたじゃねえか」
「あれは『仕事』を気にした訳じゃねえって。ただ、あのお偉い先生がお前らなんかを雇おうなんて、どういう裏があんのかなと思ったんだよ」
「何だとう」
「何だよ。文句あんのか」
チェンがうなるような声を出したが、トルスはかまわなかった。
「お前もちったあ、考えろよな。お前がたとえば誰かに金を払ってでも何かしてもらいたいと思うとき、金だけ持ってとんずらしそうなのに頼むかよ?」
「先に払わなけりゃいいんだろ」
チェンは何だか的外れなことを返してきた。
「ああ、まあ、そうだけどよ。同じ金を払うなら、信用できそうな奴にしないか?」
「俺らが信用ならねえってのか?」
今度は的に当ててきたが、「信用なる」とでも言うつもりなのだろうか。トルスは敢えて返事をせず、ただ肩をすくめた。
「……まあ、判らないこた、ないけどよ」
渋々といった調子で、チェンは唇を歪めた。
「でも、どういう理由であっても、高い金出してくれるってんだぜ。食いつくだろう、普通」
「お前さ。『こっちにいい女がいるから』とか言って酔ったエロ爺捕まえて、影でぼこって身包み剥いだこととか、ねえの」
「ある」
あるのかよ、とトルスは思った。
「じゃ、そういうこったよ」
ひらひらと手を振って彼は話題を終わらせた。つもりだったが、チェンは釈然としない顔をしている。
「どういう意味だよ」
「あのなあ」
判りやすいたとえをしてやったのに、判らなかったという訳か。
「〈災い神の水は甘い〉。〈賢い者は崖の向こうをのぞき込まない〉。そういうこったよ」
どうかこれで判ってくれ、と祈るように思ったが、チェンは首をひねっている。
「意味が判んねえ」
「あ、そ」
トルスはそれ以上の努力を放棄することにした。
「そうだ、お前」
ふと思いついて、トルスはチェンを見た。
「ヘルサレイオスって、知ってっか?」
「何だって?」
「知らないか。なら、別に」
かまわない、とでも言おうとしたところ、チェンはにやりとした。
「どっから聞いたんだよ。案外、やるじゃねえか」
何だって――と返したいのはこちらだ、という気持ちになった。
「俺らは、ヘルサーって言う。ありゃ、いいぜ。手軽に、いい気分になれる。持ってて捕まるってこともないし、いくらか銭は張るけどな、んなもん、ちょいと酔っ払いを襲えば」
「襲うな」
言っても無駄だと思いつつ、つい、トルスは言ってしまった。
「捕まらない? やばいもんなんじゃねえの?」
「町憲兵なんかには、見つかるとうるせえけどな。幻惑草なんかとは違うんだ。まじで捕まるってこた、ねえよ」
犯罪すれすれだの、法の目をくぐり抜けるだのと言った、ヴァンタンの言葉が思い出される。あれは、そういうことだったのか。
(んじゃ、待てよ)
(犯罪でもないのに、何をビウェルはやっきになってんだ?)
違法性がなく、習慣性がないものであっても、はびこれば温床になる――というような思考は若者の内に浮かばなかった。ただ、「仕事だ」などと言っていたのに、仕事じゃねえじゃんか、などと思ったのみである。
(痛みを抑える薬……ヘルサレイオス……)
彼が渡されたのはどっちなのだろうか、と思った。
(親父の薬だなんて、出鱈目なのか?)
(いや、そうじゃない。俺やファドックにも……と言ったんだよな)
とすると、両者は同じものなのか。
若者はそう気づいた。
ヘルサレイオスをルキンがばらまいている。町憲兵が探っているのはそこなのか。
(違法性がないってんなら、よく判んねえけど)
それが即ち「犯罪性がない」ではないのだ、ということはやはり彼には判らなかったが、どこかきな臭い感じのする話だ、とは思った。
「ヘルサーをやってみたいんなら、今度、俺らんとこにこいよ」
「馬鹿、そうじゃねえ」
トルスは顔をしかめた。
「ただ、知ってんのかと思っただけだ」
手を出すなと、シェレッタ、ヴァンタン、ビウェルに言われなくたって、そんなものを試してみようなどとは思わない。
「チェン、それってさ、ルキンと関係あんのか」
「はあ?」
不良は訳が判らないという顔をした。
「何でそうなるんだよ。お前、頭おかしいのか」
「別に。ちょっと思っただけだよ」
少なくとも買ってる側は、それがどこから出ているか知らない。或いは、興味がない。そういう辺りだろうか。
(何だか、気持ち悪ぃな)
彼は思った。
(もうちょっと、何か判んねえかな)
「おい、トルス」
そこに声がかかった。
「何をくっちゃべってんだ。さぼりたいなら、引っ込んでろ」
「うっせえ、病人は寝てろ」
ロディスの声に振り向たトルスは、思い切りよく返した。
「誰が病人だ! いまの俺が病人なら、ガキの頃に腹下して死にかけたお前は死人だ!」
「どういう理屈だそれはっ」
「いまは俺も健康、お前も健康でけっこうだということだ」
近づいてきたロディスは、息子の頭をぺしりとはたいた。
「友だちか?」
「違う」
「いいぞ、行ってきて。シェレッタもいるし」
「阿呆。俺は別に何も」
「かまわんから行けと言ってる。俺は休んだ二日分、働かなけりゃ気分が悪い」
しっしっと父親は彼を追い払うような仕草をしながら、立ち位置を奪った。
「おい、ロディス、てめえ」
「うるさい。どっか行け。はいよ、いらっしゃい」
やってきた客に応じると、ロディスはもうトルスを見なかった。
「……くそう」
「できたな。時間」
チェンが面白そうにそれを見ていた。
「こいよ。まじで、やばいことはねえから」
「やばくなくても」
こいつの「やばくない」はどこまで信頼できるか、と思った。
「俺は荷運びなんて」
「できないとか言うなよ、そのがたいで」
「したくねえってんだよ」
「おいおい、ケチ臭いこと言うな。俺とお前の仲だろ」
「どんな仲だ、阿呆」
トルスは顔をしかめた。
「でもできたよな」
時間、とチェンは繰り返した。トルスは天を仰ぐ。
「わあったよ。但し、少しでも怪しいとこがあったら、町憲兵にチクるからな」
「ない、ない。安心しろって」
不良はひらひらと手を振って、あっち、とばかりに適当な方向を指差した。




