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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第2話 漸進 第3章

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11 退屈をしたのだろう

「何か?」

「ねえ、坊や。その……セル」

 女は思わず「坊や」と言ったあとで、慌てたように一般的な敬称を使った。

「あなたいったい、何をしてるの?」

 続いた言葉はそれだった。

「何、と言われましても」

 どう答えたらよいものか。まさか、あなたのご主人様の悪事の証拠を探しています、とは言えない。

「先生のお仕事を手伝いたいと思ったのですが、医学的知識はありませんから、こうして僕にできることを」

「それは聞いたわ。ダールがあなたと話したって教えてくれたから」

「成程」

 名前は聞かなかったが、昨日、彼を茶に誘った男のことだろう。

「では、ほかに何をお話しすればよいんでしょうか、セリ」

 少年は、女性に使う丁寧な敬称を用いた。その呼びかけが嬉しかったと見え、女は照れたように笑う。

「ちょっとおかしいなと思ってるのよ。この一年半、新しい人はたまにきたけれど、ルキン様はこんなことはさせなかったし」

「――たまに?」

 ファドックは首をかしげた。

「『新しい人』は、それではどんな仕事をしたんですか?」

「それは……知らないわ」

「ご存じないとは、不思議ですね」

 素知らぬ顔で、少年は言った。

「『こんなこと』をしていなかったとお判りなのに」

 女は少し赤くなった。

「本当に知らないのよ。ただ、あなたみたいなきちんとした格好じゃなかったし、こうして歩き回らせることもなくて」

「ではどこかの一室で仕事をしていた、と」

 ファドックは何か重要な話に近づいていることに気づいたが、そんな風情は見せずにそう言った。

「身なりがきちんとしていなかったということですか?」

「ルキン様が雇った相手にこんなふうに言うのもどうかとは思うけれど」

 女は顔をしかめた。

「まるで……ちんぴらみたいな」

「それは驚きですね」

 少年の脳裏には、先夜の不良たちが思い出された。

(――ルキンさんだ)

 医者に一目置くかのような態度。

「幾人もいたのですか?」

「数月ごとくらいに、ふたりか三人ずつ」

「新しく雇うということですか。数月で、辞めてしまうと」

「それは……よく、知らないの」

 またしても「知らない」。奇妙な台詞である。彼には言うなと禁じられているのだろうか。いや、それならば女はおそらく、既に命令を破っている。ほかの使用人たちの態度から考えれば、彼とは話すなと言われているはずなのだ。

「そうですか」

 少年はそう言った。

「ただ、僕は知っていることがありますよ」

 何でもないことのように、彼は肩をすくめた。

 正直、この札を切るのは危険だ。

 切り札になり得るとは思うが、使いどころを誤ればその瞬間に手札を全部失う、一か八かの賭け。

「あなた方使用人の仲間としてではなく雇われた人間と」

 少し、間を置いた。

「――地下室には、関わりがありますね」

 そう言うと、女は目を見開いた。

「どうして……地下のことを」

 当たり(レグル)

 いや、関わりについては判らない。いまのは根拠なき推測だし、女もそれを認めたのではない。

 だが少なくとも、あの扉の先が地下倉庫などでないことは確実になった。

「どうしても何も、ルキン先生から聞いています」

 得意ではない嘘だが、女の方も動揺していて、冷静に少年の出鱈目を見抜くことはできなさそうだった。

「でも、地下のことは、話すなと」

「きっと、あまり見せたくないのでしょう」

 それはもちろん、見せたくないだろう。だがこの流れであれば、女は思うはずだ。「地下の存在を知らせたくない」のではなく――「何か後ろ暗いところを見せたくない」のだ、と。

 女は黙った。少年は待った。

 好機だ。

「ねえ……坊や」

 重たそうに、女は口を開いた。

「私はね、違うお屋敷からここにきたの。ちょうど前のご主人が亡くなったところで、ここの募集を聞いて。なり手はたくさんいたのよ。何しろ……給金が、破格で」

 これまでの仕事ぶりなどを審査されて、雇われたのだというような話だった。だが女は、何も「自分が有能で選ばれた」などと自慢をするつもりではないようだった。

「実際に雇われてみれば、与えられたお給金は、話よりも多かった」

 それは珍しいな、と彼は思った。

 だが同時に、判る。

 一種の、口止め料だ。

「最初は運がいいと思っていた。でも、何だか近頃……怖く、なって」

「怖い?」

 聞き返せば、女ははっとした顔を見せた。

「な、何でもないわ」

「心配しないで」

 素早く、少年は言った。

「ルキンには、何も言わない」

 「先生」と言わなかったことに、女は気づいた。

「あなたは……どっち?」

 困惑したように、女は尋ねる。

 ルキンに与する者か。ルキンを警戒する者か。

「僕は」

 残りの札をどのように切るか。

 ここで女を味方につけてしまうか。そうすれば、聞き出せることも増える。

 だが本当に「破格の給金」を棒に振って、女が本当に彼に協力するか。それは判らない。

「――何をしている」

 ぎくりとしたのは女ばかりでなく、ファドックもだった。

「つまらぬお喋りで彼の邪魔をしてはならんと、私はそう命じたはずだな」

「も、申し訳ありません……ルキン様」

 悠然と姿を見せた館の主人に、女は声を震わせた。

「僕の方から話しかけたんです。先生」

 少年は静かに言った。

「彼女は、何も」

「結構」

 ルキンは言った。

「その年で女の軽口を利用しようとは、なかなか将来有望だ」

 医師の口調からは、怒りも皮肉も感じられなかった。

「ただ、話をしただけです」

 ファドックもまた、怒るでもなく、応じた。

「結構」

 ルキンはまた言った。

「では、私は君に酷な仕事を与えたということか」

「酷、とは」

「退屈をしたのだろう?」

 どこまで本気で医者が問うているのか判らなかった。ただ、なかなか、応とも否とも言い難い設問だ。

「よろしい」

 ルキンは彼の返答を待たなかった。

「私の仕事も一段落がついた」

 そう言うと館の主は、ちらりと使用人を見た。使用人はそれだけで、いささか大げさなくらいに頭を下げた。

「私の部屋に、ふたり分の茶を」

「か、かしこまりました」

 また頭を下げると、使用人の女は慌てたように踵を返す。

「お客様ですか」

 ファドックは尋ねた。ルキンは、片眉を上げる。

「君が退屈そうで気の毒だ、と言ったのだよ、ファドック少年。私と少し話でもどうかね」

 ――吉か凶か。

 答えはまだ持ち越しだ、などとファドックは考えた。


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