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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第2話 漸進 第1章

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07 当分黙っとけ

 正直なところ、ナティカはヴァンタンとの約束を忘れていた。

 悪気はない。

 カートの姿を見かければ、ああ、ヴァンタンが会議の内容を気にかけていたっけ――と思い出しただろうが、見かけなかったのだ。

 ナティカがそのことに気づいたのは、もう店じまいの支度に入ろうという夕刻近くのことだった。

「ねえ」

 ふと、彼女は仲間に話しかける。

「今日カート、きてる?」

「さあ? きてるんじゃない?」

 どうということもないように、同僚は言った。

「姿は見えないけど、どうせまたどこかでさぼってるのよ」

 数名に尋ねてみたが、反応は似たようなものだった。即ち、「そう言えば見てないけど、別にいいんじゃないの」。

 もちろんナティカだって、昨日のことがなければ気にかけない。ヴァンタンに訊かれれば「休んだみたい」とでも答えるだろうが、それきりだ。

「何よ」

 拍子抜け、という感じだ。会議がどうとかより、あの医者のことを聞きたかったのに。

「あれ、ナティカったら。カートのことなんか気にするなんて。この前の町憲兵さんはいい訳?」

「ちょっとっ、何言い出すのよっ」

 ナティカは泡を食った。カートをそんな意味で気にしていると思われても困るし――ラウセアのことをからかわれるのも顔が赤くなる。

 結果的にナティカは、どっちが図星だか判らないような反応をして、商会のお喋り鳥(キャラーラ・ルー)らに話題を提供することになるが、彼女が帰り支度をしたあと、それは一気に最高潮となった。

 店の外に出ようとしたナティカが従業員用の裏口の前に立った瞬間のことである。まるで魔法でもかけられたかのように、すいと扉が開いた。

 ナティカは心臓がとまるかと思ったが、その向こうに現れた顔を見ると――心臓はとまったと、思った。

「ああ、こんにちは、セリ。ヴァンタンは戻っていませんか?」

 ラウセア・サリーズ――もちろん、彼だ――はにっこりと天使(フレイス)のような――とまで思うのは無論、恋する乙女ならではだ――笑みをナティカに向けた。

「えっと、あ、ええと、ヴァンタンですね、ヴァンタンっ」

 声に力が入った結果として、最後の方は裏返った。

「はは、配達から、まだ帰ってきてないかも」

「そうですか。それじゃ改めま」

「見てきますっ、いま、すぐっ。ちょっと待っててくださいっ」

「あ、セリ・ナティカ」

 そんなに急いでないですから、というような町憲兵の気遣いは少女の理性まで届かなかった。

 ラウセアがヴァンタンに何の用があるのだとしても、ここで「またあとで」と分かれるより「いました」にせよ「いませんでした」にせよ、店内を巡って戻ってくれば、確実にまた会える!

 従業員にはそれぞれ決められた模様の札がある。裏表をひっくり返して勤務中かどうかを示す決まりがあるのだ。配達人の場合、それが表になっていれば「配達中」か「待機中」、裏なら「欠勤」「帰宅」のどちらかである。配達中と待機中を区別する仕組みは待機部屋の方にあるらしいが、ナティカはそちらの見方はよく知らない。

 ともあれ、ヴァンタンの札は表になっていて、少なくともまだ勤務中であることが判った。建物内にいるか、いなければあとで戻ってくる。

 ナティカは後者を期待した。

 もちろん「すぐ戻ってきますから、こちらでお待ちください」とラウセアを案内できるからだ。

 その頃ヴァンタンは、既に直帰(・・)を決断して港の酒場にたどり着いていたが、ナティカはもとよりラウセアもそれを知らない。

 ビウェルは相棒に、ヴァンタンの手を借りることまで正直に話した――ラウセアは「雪が降る」と言う代わりに「こんな日がくるなら犯罪をことごとく撲滅できる日もきっときます」などと言った――が、詳細はヴァンタンの裁量に任されていたから、ビウェルであっても何刻のいつにヴァンタンがどの店にいるかなどは判っていなかった。

 だがラウセアは、それを聞いておこうと思ったのだ。

 ビウェルが危険はないと言う、それを疑ったりだとか、何か反論したりだとかではない。言うなれば彼は、ヴァンタンの手口(・・)を学びたいと思ったのである。

 ビウェル自身が権力や体格にものを言わせて聞き出す、或いは吐かせる、というのが今回の目論見に適しないことは判る。だがそれをラウセアに任せず、相棒はヴァンタンを「雇った」。

 これはビウェルが何だかんだ言いつつ、ラウセアよりも「気に入らない」「似非情報屋」の「節介焼き」を認めている証である。何も「自分よりヴァンタンを信じているのか」などと落胆はしない。適材適所というやつだ。むしろ、ビウェルが妙な意地を張らずにヴァンタンと協力し合うというのは、歓迎すべきことである。

 ただ、自分もそういった適材になれればな、と思ったのだ。

 ビウェルもヴァンタンも口を揃えて「無理だ」と言うかもしれないが、やってみなくては判らないではないか。と少なくともラウセア・サリーズ当人は前向きに考えていた。

 決められた巡回を終えたあとは、詰め所に戻り、定時になったら帰るだけだ。いつものラウセアであれば、「何か緊急事態が起きているかもしれないから、寄り道をせずに詰め所に戻る」のであるが、その前にヴァンタンと話をしようと思ったのである。

 ビウェルはどこだかへ行ってしまったが、別にいつものことだ。また何か勝手にやってきてラウセアが怒ることになるかもしれないが、もう相棒は今回の件に関して彼に隠しだてをしないだろう、ということは何となく理解できていたので、ついていくとは言い張らなかった。

 もっとも、そうして訪れたエルファラス商会に、ヴァンタンは不在。

 待っていても今日は配達から戻ってくることはないのだが、もちろんラウセアもナティカもそれを知らない。

 ラウセアの登場に興奮したナティカは、信じ難い速度で広い店内を回った。売り子に許される場所だけだが、配達人だって同じ場所しか許されていないから、ヴァンタンを見落とすことはない。

 そうして彼女は、息を切らして、ヴァンタンはまだ配達から戻っていないと町憲兵に告げた。

「そうですか」

 ラウセアは考えるようにした。

「迷惑かもしれませんが、セリ」

「いえ! いえいえ! どうぞどうぞどうぞ、狭苦しいとこですが!」

 ナティカはその場にあまり相応しくないことを口走りながらラウセアを招いた。「待たせてもらえますか」より早く、いくらか素っ頓狂な答えがやってきたことに、ラウセアは瞬きをする。

 ――と、ここまでだいたいのところを見ていた仕事仲間たちにとって、これは祭り(・・)であった。

 例の町憲兵だ、ナティカが面白いぞ、ヴァンタンはどこだ、帰ってきても当分黙っとけ、などなど、勝手な密談が進む。

 町憲兵がヴァンタンを探しているのなら、それに協力をするのが正しいアーレイド市民の形だ。だが犯罪者を匿うのであればまだしも、お節介男が悪事を働くはずもなし、聴取だとかいった類で一刻を争うのでなければ――これの方が面白いではないか。

 店じまいの時刻であることなどさておいて、ナティカの友人たちは、町憲兵に素早くお茶を用意した。杯はナティカの分とふたつ。ひとりの娘が澄ましてそれらを卓に置き、ナティカを接客係に仕立て上げた。

「何だかすみません、気を遣わせてしまって」

「とっ、とととんでもないです! こんなのは」

 友人たちの協力、というより遊びであることはナティカにも判ったが、ここは素直に大感謝である。

「こんなのは、当然の」

「あの」

 ラウセアが遠慮がちに遮った。

「僕はもしかして、あなたに緊張を強いてます?」

「えっ、ええっ、ど、どういう意味ですか」

 ナティカはどきっとした。確かに緊張をしている。すっかり舞い上がっている自覚はある。

 ここは客用の部屋ですらなく、従業員用の味気ない休憩室だが、それでもひとつ卓を挟んでラウセアと向かい合っているなんて、昨夜に引き続き、まるで逢い引き(ラウン)

(もう少し落ち着かなきゃ)

(落ち着きのない娘って思われちゃう)

 少女は懸命に呼吸を整えようとした。ラウセアは少し、眉根を寄せる。

「制服がいけないのかな」

「いえっ、す、すごく似合ってますっ」

 もちろん若い町憲兵が言うのは「町憲兵ですと主張するような格好をしているから、少女が緊張するのだろうか」という疑念なのだが、ナティカはやはり的を外した答えをした。

 もっとも、本気である。

 ラウセアは困惑しつつ、礼など言った。

「新人の頃は、僕じゃなくて制服が歩いてるなんて言われたもんだけど、近頃はそうでもなくなってきたかな」

 親切にも青年は「そういう話じゃないです」などとは言わず、少女の話題に合わせた。

 ナティカの友人たちは、「制服姿というのは格好よく見えるものだ」と少女の憧れをからかったけれど、ラウセアならば私服でも絶対に素敵だ。と少なくともナティカは考えていた。


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