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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第2話 漸進 第1章

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05 〈海の鈴〉号

 さて、どこから攻めたものか。

 曇り空の下で青年は両腕を組んだ。

 幸いにして今日の荷物は少なく、予定されていた配達は夕刻前に終わってしまった。もともと、毎日大量だというのでもなく、最終的には時間が余ることも多い。だがそれでも、勤務時間の終わりまで待機して、急の配達に備えるのが配達人の仕事である。

 本来であればヴァンタンは、「今日はこれで終わり」と勝手に決めることはできず、次に運ぶものがないと判っていてもさっさと店に戻らなくてはならない。

 しかしビウェルの話がある。

 ちらっと聞いてみたところ、〈海の鈴〉号の出航は明日の早朝。船員たちは早めに飯を食い、早めに遊んで、早めに就寝するだろう。何か聞き出すなら遊ぶ前、つまり酒が大量に入る前の方がよい。

 出がけに自分の札をひっくり返してくればよかったな、と思ったが〈予知者(ルクリード)だけが先に悔やめる〉もの。彼の帰宅のしるしがなければ、当番が店を閉められなくて困るだろうが――申し訳ないながら、困ってもらうことにした。

 それは比較的早い内に心を決めてしまったことであり、彼が両腕を組んでいる事情とは異なる。

 ヴァンタンが迷っていたのは、町憲兵に伝えなかった話のためだった。

(意図的に黙ってたことがばれたら)

(旦那に殴られるな)

 だが本当に、曖昧すぎるのだ。ヴァンタンが憶測で動くのと、ビウェルがそうするのとでは意味が違う。町憲兵の旦那に話す前に、あと少しでいいから、形を作り上げないと。

 ザンシル村の病。チェレン果と、そして人間がかかる。

 いや、人死にについては、関連性は判らない。少なくとも、そういう噂があるというだけだ。事実かもしれないし、ただの偶然かもしれない。

 ともあれ、季節であるはずなのにチェレン果が見当たらないとヴァンタンが気づいたのは、少し前のことだった。

 幾人かの果物売りに聞いたが、入ってこないもんは仕方がないだろう、という感じで、あまり深く気にしている様子はなかった。

 去年までは毎年ザンシル村のものを買っていた、というような話をひとりの果物売りから教わったヴァンタンは、その村を通ってきたという旅の商人を見つけ、父親が果実の商いをしているんだが――などと適当なことを言って話を聞き出したのである。

 実際のところを言えば彼の父親はとうに亡いし、生きていたところで果物の流通などには関わっていなかったが、この程度は方便というやつだ。

 ともあれ、ニーガン医師にそんな話をしてみたところ、医師はこんな話を返してくれた。

 チェレン果の種からは鎮痛剤が作れる、と。

 もっとも、その手間は容易ではない。まず、実の固いチェレンから数多く小さな種を全部取り出すだけでも日が暮れる。医師は手順を詳しく説明こそしなかったが、そこからの工程もなかなか面倒であるようだ。意地の悪い医者が助手の根気を試すために作らせる、なんていう冗談もあるくらいらしい。

 その割に効果は弱く、市場に流通するようなことはないのだとか。

 鎮痛剤。

 幻惑草の類も、鎮痛剤になる。

 と言うより、もともとそういった目的で作られたものも多い。

 習慣性をはじめとする副作用が知られるようになって、ごくわずかに医者に許可される以外は、禁じられた。

 中毒患者が暴れたり、凶悪な犯罪に走ったりするようなことも、以前には「悪魔(ゾッフル)の仕業だ」などと言われていたが、いまでは薬のためだと判っている。

 チェレンの種にはそういった作用はなく安全であるとのことだが、ほかにもっと簡単に作れて、市場にもごく普通に出回り、より効果があってなおかつ安全な鎮痛剤が存在する。苦労して作ることに意味はない、という訳だ。

 ニーガンがそんな話をしたのは、噂の新薬ヘルサレイオスのことが頭にあったからだろう。チェレンの種から作られるものの効用に似ているらしいのだ。

 もっとも医師は、本当にチェレンの種から作られているとは考えなかったようだ。量を作るのは困難すぎるから、と。

 だがヴァンタンは、どこか引っかかった。

 チェレン果。〈幸運の果実〉。幸運神(ヘルサラク)に似た響きを持つ新薬ヘルサレイオス。

 果実の病。

 それは可食部分が腐り落ち、種が容易に取り出せるような病だったりは、しないだろうか?

 いくらか想像力がありすぎる、と自分でも思った。仮にそんな病だったとしても、病は病だ。病の精霊(フォイル)の仕業である。そこに目をつけて、薬を作ろうなんて誰が考える? 偶然に頼ってひと儲けと考えた者がいたとしても、そういう「一発当てよう」といった感じのする企みと、作製に必要な根気とは相容れない気がする。

 しかしどこか、引っかかったのだ。

 ヘルサレイオスは、いったい何からできているのか?

 本当にチェレンかどうかは判らない。全く関係がないかもしれない。だがアヴ=ルキン――であろうと違う人物であろうと、何から、そしてどこで作っているものか?

 禁じられている幻惑草は、多くは薬草から作られている。明確な場所はもちろん知られていないが、大手(・・)闇組織(ダースルス)がどこかの森の奥だとか山奥だとかでこっそり作っていると言われている。

 幻惑草は、アーレイドにこそあまり出回らないが――それは町憲兵隊が頑張っているからだ、と別におべっかではなく、ヴァンタンは本心から思っていた――ビナレス中に存在するものだ。そうした秘密の作製場所は、知られていないだけで幾つもあるのだろう。

 町憲兵ならずとも善良なる一市民として、そんな場所は全て崩壊させたい。だが現実問題として、不可能だ。もちろんヴァンタンひとりの力では不可能だというのもあったけれど、町憲兵隊でも同じ。

 たとえばアーレイドであれば、アーレイドの法が生きるのは街壁の内部だけだ。極端な話、壁の外に出てしまえば、殺人だろうが幻惑草の摂取だろうが、犯罪として罰することはできないのである。

 もっとも、それは極端すぎる。現実的には、掏摸(すり)を働いた者がその場で気づかれて追われるようなことがあれば、壁の外に逃げてはいおしまいとはならない。町憲兵は、壁の外まで追う。

 被害者や犯人がアーレイドの住民であれば、現行犯でなくとも町憲兵隊は調査し、捕縛を心がける。しかし、余所の街に逃げられてしまうと難しい。

 幻惑草については、ちょっと外へ行って摂取して戻ってきました、などというのも――そんな愚者の話は聞いたこともないが――もちろん捕縛の対象である。

 だが街を離れた山奥などでは、単純に見つからないということもあれば、見つけたところで「誰が罰するのか」ということになる。アーレイドというのはあくまでも「街」であり、近隣の諸都市はアーレイドに納税して代わりに守ってもらうが、それはあくまでもやはり壁のなかの話だ。

 大街道までは各街町の警備対象だが、行われるのは魔物や山賊(イネファ)の掃討だけ。街道を遠く離れれば、言ってしまえば無法地帯なのである。

 現実に隠れ家でも見つかれば、王が命じて近辺の街に掃討をさせたり、場合によっては軍兵(セレキア)などを遣わすこともあるだろう。だが、悪党どもは隠れるのが巧いものだ。また、上手に各王の影響力がない、寂れた場所を根城にしている可能性も高い。

 現実問題――無理なのだ。

 しかし、ヘルサレイオスについては、どうなのか。

 ひとりの医者の力とは思えないが、それならば何らかの組織が関わっているのか。アーレイドに大きな闇組織の影はない。盗賊(ガーラ)組合(ディル)と呼ばれるものは存在したが、それは言うなれば、悪党たちが暴走しないように制御をしている組織だ。

 諸手をあげて歓迎できる存在ではないが、組合がなくなれば混沌は必至とされ、苦々しいながら町憲兵隊もそれと共存(・・)している、というところである。

(しかし旦那に訊いてみなきゃならんこともある)

(――〈一本角〉号の積み荷)

 不審な点はなかったとのことだが、ビウェルの言うそれは、たとえば幻惑草そのものとか、その原料になる植物は存在しなかったとか、そういったことではないのか。

(もし、チェレン果が大量に……)

(いや、果物じゃなくてもいい。何か不自然に、大量に存在したものはなかったか)

 それが不自然であるかどうかは、〈海獣の一本角〉が普段、何を扱っていたかを知ることも必要だ。ヴァンタンは〈海の鈴〉号の乗組員にその辺りも尋ねてみることにした。

 悪いことをする訳ではないのだが、印象が変わるようにと、髪を下ろした。無造作に伸ばしている感じに見えるだろう。実際、無造作に伸ばしているようなものだが。

 青年は早くから開いている港の酒場を探し、女将にどんな船の連中がきているかそれとなく尋ね、〈海の鈴〉の名を引き当てると居座った。

 目当ての船員たちがやってくるのを見つけると、ヴァンタンは「あれは本当に自殺なのかねえ」から入った。

 幸いにして、まだすたれていない話題だ。船員は乗ってきた。

「あの船長が自殺なんかするもんか」

「へえ、知ってんのかい」

 いきなり当たり(レグル)を引き当てたかなと思いながら、ヴァンタンは大して気のないように問うた。

「知り合いって訳じゃないが、噂は聞く。いや、いまやその噂も出尽くしたくらいだ。あんた、情報が遅いよ」

 船員は笑い、ヴァンタンは肩をすくめた。

 彼は自他共に認める事情通だが、アーレイドでの出来事を全て把握している訳では無論ない。港付近に住んでいる訳でもないのに、その事件を知っているだけで充分、情報屋並みと言えるが。

「やばい船だったとか」

 かまをかける。ビウェルは「不審な点はなかった」と言ったのだから、そういう噂が飛び交っているとは思い難いのだが、様子見だ。

「へえ、知ってるんじゃないか」

 乗ってきた。よっしゃ、とヴァンタンは思う。

「いったい、何を運んでたんだろうな?」

「さあな、そういうのを調べるのは町憲兵だろう」

 ごもっとも。ヴァンタンは苦笑した。

「あいつらは調べるというより、一方的に決めつけてこっちに迷惑をかける、の間違いだろ」

 ほかの船員が混ぜっ返した。違いない、と声が上がる。

(ま、旦那の場合はこう言われても自業自得)

(ラウセア青年辺りにゃ気の毒だがね)

 そんなことを思いつつ、ヴァンタンも一緒に笑う。


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