02 もう少し子供らしくても
「確かに、その通りだ」
キドはうなずいた。
「使用人たちが噂しているな。賄賂を差し出してきたというようなあからさまなことはなかったが、やれ自分はどんな難しい病気を治したの、やれ不妊治療にも慣れているだの、とうとうと述べてきた」
唇を歪めて、伯爵は言う。
「私は、宮廷医師に必要なのは、特異な病気を治す限定的な技術よりも、ランスハル殿のような総合的な能力だと思う。どんな分野であっても高等技術を期待されるが、彼は見事にそれをこなしている。王子殿下と妃殿下については、お二方ともご健康なのだし、そういったことは巡り合わせではないかと思っている」
あまりよく判らないが、と伯爵は言い訳めいてつけ加えた。
キドは妻と死別し、子はない。再婚をするでもなく、ファドックを息子のように扱っている。それはあくまでも「ように」であって、彼は正式な養子ではなかった。
そこに不満などはない。それどころか、キドはむしろ彼を正式な跡継ぎにしたがった。しかし彼は恐縮しながら、それを断り続けた。
身に余ると思うこともあれば、死んだ両親が遺してくれたものはこの名と姓だけであるという思いが強かった。彼は「ファドック・ソレス」のままでいたかったのだ。
その感情とキドへの恩は拮抗していた。伯爵の方でそれを見て取り、強引に縁組みを進めるようなことはしなかったが、そのことはますます、恩の重みを増した。
キドが命じれば、ファドックは従うだろう。
だからこそ伯爵は、少年の気持ちを尊重していた。
そしてそういった人だからこそ、ファドックはキドに仕えるのだ。これは、よい循環だった。
「私がルキンを城に推薦するのではないかと案じたのか」
判ったと言うようにキドはうなずいた。
「そうするつもりはなかったが、もし誰かが名を出すことがあっても、ただ聞き流すつもりでいた。だが、そのような話があるのならば、断じて反対をしよう」
キドは目を細めて、養い子を見た。
「よく知らせてくれた」
その言葉に、ファドックはただ頭を下げた。
「しかし、ファドック」
キドは指を一本、立てた。
「何故、夜の城下になど?」
「それは……」
「恋人でもいるのか」
またも問われて、少年は苦笑した。
「いいえ、閣下」
「であろうな」
伯爵は息を吐いた。
「お前くらいの年齢の子供は、勉学だの訓練だのというものを脱け出して遊びに行くことばかり考えているものだぞ。お前は少し、生真面目すぎる」
「脱け出した方がよろしいですか?」
冗談めかして、ファドックは言った。今度はキドが苦笑する。
「課題を与えておいて、それを放り出せと言うのは矛盾だな。お前の好きにやるといい」
「そうさせていただいている結果が、現状です」
「正直なところを言えば、もう少し子供らしくてもいいとは思うが」
これがお前だものな、などとキドは言った。
こういうのは性格だ。手にした課題をこなすのが当然であると考えている者に、手を抜けと言っても困惑するだけだ。手抜きばかり考える者に、真面目にやれと言っても益がないのと同じなのである。
「それで、恋人でなければ、何だ」
キドは追及した。
「城下に遊び仲間がいるとも聞いたことはないが」
先にそう言われては、門番に使った言い訳も使えない。
「――先日の、果実の高騰の件です」
もとより、キドに嘘をつくつもりはなかった。ファドックは正直に言う。
「何」
伯爵は瞬きをした。
「お前が気にかけることはないんだぞ」
「ですが」
少年は少し躊躇ってから続けた。
「閣下はチェレン果を用意しなければならないのでしょう」
「あんな賭けはもともと、冗談のようなものだ」
キドは肩をすくめる。
「賭けに負けた者は、〈幸運の果実〉の種を傷つけずに切って持ってくるように……など、ただの戯れごとだ。確かに私はうっかり負けてしまって、さあ持ってこいとはやし立てられたがな、もう一旬もすれば、みんな忘れてしまうよ」
気軽に伯爵は言ったが、ファドックは黙っていた。
チェレン果が城下で見当たらないと判るまで、キドは「遊びであろうと賭けは賭け、果たさなければ名誉に関わる」と言ってその約束を果たそうとしていた。
名誉などは気にかけない人であるから、それも冗談だと言えば冗談なのだろうが、名誉が傷つくよりは傷つかない方がいいだろう。
これがもしも自分のことであれば、ファドックとて心の底から「かまわない」と言う。だが他者、それも尊敬している人物のこととなれば、できうる限りのことをしたいと思うものだ。あくまでも仲間内の遊びだ、と言うのが紛れもない事実だと判っていても。
「確かに、チェレンがひとつも見られないというのは奇妙だし、それだけではなく果実全体が高騰しているというのは懸案だが」
伯爵はあごをなでた。
不自然な高騰は、市場の流通に影響を与える。
城には、果実を購入する者たちから「どうにかしてくれ」という陳情がきていたが、誰かが不当に値上げをしているのではなく、出回ってこないのだと言う。それを値下げるように命じれば、売り手側から苦情がやってくるだろう。
豊作不作は天の神々次第、仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、アーレイドの街は基本的に不作知らずだ。異常気象が皆無だとは言わないが、少なくともここしばらくは気候に悩まされたことがない。
少し前にキドは、ファドックにそんな話をしていた。採れない理由がない、とファドックがトルスに言ったのは、キドの言葉でもあった。
「実際、果物売りたちは困っているようでした。農家と契約をしている輸送屋などは、一回で幾らという契約のようですから貧窮していることはありませんが、絶対的な輸送回数は明らかに減っているとのことです。もちろん、少量で出荷せざるを得ない農家の方は儲けがないどころか、下手をすれば出荷しない方がましだという状態になる」
「いったい、何事なのであろうな。どこかひとつの農村で病が出たとでも言うのならば判るが、全体的に品薄というのは解せない。病が回ったと考えることもできるが……」
考え込むように伯爵は視線を落とし、はたとなった。
「いや、お前が気にかけなくてよい。調査の必要があると思えば、陛下や大臣らが会議にかけて、きちんと手を打つ。お前は普段通りの生活を送っていなさい」
「――はい」
ファドックは短く答えたが、キドは疑っているだろう。おそらく見透かされている通り、気にかけることはとめられなかったからだ。
何故、多くの農村、果樹園で一斉に実が採れなくなったのか。
偶然とは思えない。
ではやはり病なのか。虫や鳥が病を運び、アーレイド近辺の農村全てに蔓延させたのか。
果樹だけがかかる病というのはあるのか。
あるのならば、治す方法は。
今年一年だけのことなのか。今後も続くのか。続くのならば、市場経済はどうなるのか。農民が飢えることになれば、その救済は。
そこまで行けば、彼の考えることではない。キドの言う通り、王城の会議の領分だ。
だが、何かしらの原因があるのならば、それを探ることはキドの、引いてはアーレイドのためになると、思うのだが。
「ファドック」
「は、はい」
余計なことを考えるなと叱責でもされるのでは、と少年は身構えた。だがキドは、少年の考えに気づいていたとしても、それ以上の禁止はしなかった。
「おやすみ」
伯爵はただ、そう言った。
「……おやすみなさいませ」
ファドックはまた礼をして、主の部屋を下がった。




