03 義憤に燃えてる訳じゃない
朝というのは元来、爽やかなものだ。
偏屈者のように思われるビウェル・トルーディでも、朝の陽射しを浴びればよい気分になるし、余程の懸案事項を抱えていなければ機嫌もいい。
だがこの朝の彼は「余程の懸案事項」を抱えている上、いつもにこにこが信条のラウセア・サリーズが不機嫌な顔で彼を睨みつけているものだから、ビウェルの方はそれに輪をかけて仏頂面になっていた。
「昨日はよくも、僕がナティカ嬢を送っている間に雲隠れしてくれましたね」
「隠れた訳じゃない。帰っただけだ」
むっつりと彼は返した。
「僕は、待っていてくださいと言ったじゃないですか」
「お前がお嬢ちゃんちに上がり込んで、呑気にお茶してる間まで待ってられるか」
「ちょっと。僕はそんなことしていませんよ。礼儀正しく、戸口まで送り届けただけです」
「そいつは残念だったな。ちょろっと食っちまういい機会だったろうに」
「なな、何てこと言うんですか! それは僕に対しても彼女に対しても失礼というもので」
「次には、制服脱いでから送れや。そうすりゃ、巧いこと行くから」
「ビウェル!」
ばん、とラウセアは卓を叩いた。ビウェルがそうすることは多いが、逆は珍しい。
「書類の山が崩れたぞ」
指摘してやると、若者はいつもの調子の戻って、慌てたように紙の束を直した。
「ついでに茶もこぼれた。雑巾取ってこい」
「僕はあなたの召使いじゃないんですが」
「お前がこぼしたんだろうが」
そう言ってやればラウセアは反論できなかったようで、仕方なしに自分の手布を取り出すと卓の上を拭いた。
「……ごまかされませんからね、ビウェル」
濡れた手布を隠しにしまえないことに気づいて、それを片手に握り締めながら、ラウセアは言った。
「昨夜の話。どういうことなんですか」
「どうもこうもない。言った通りだ」
ビウェルは肩をすくめた。ラウセアは胡乱そうに相棒を見る。
「ライバン船長は、海水を飲んでいなかった。そうなる前に鼓動がとまった。急に冷たい水に入ったせいで命を落とすことは珍しくない。そういう話でしたね」
「判ってるじゃないか。それなら、何を訊く」
「僕に内緒で! ひとりで医者のところに行ったことに対して! 苦情を言ってるんです!」
「怒鳴るな、朝っぱらから」
「昨日は夜でした!」
「隊長の許可は得た」
「それは、船長の遺体の様子を聞きに行く許可であって、単独行動の許可じゃないと思います」
鋭い指摘にビウェルは顔をしかめた。
(この野郎)
(どんどん扱いにくくなっていきやがる)
「いったい何を考えてるんです、ビウェル。あなたが黙ってるのはいつものことですけど、あれは自殺だとしか……」
ラウセアの言葉に、ビウェルは首を振った。
「覚悟の自殺なら、もっと確実な方法を選ぶ。海に飛び込みたいなら、人気のない崖の上からでもやるもんさ。たまたま鼓動がとまらなかったら、船長は救助されてた」
「そうかもしれませんが、それならやはり、事故」
「うっかり落ちたってか? わざわざ欄干乗り越えて、落ちる以外に、何するつもりだったってんだ」
「それは、判りませんけど」
「それからあの男だ。アヴ=ルキン!」
今度はビウェルが卓を叩いた。
あのとき、〈海獣の一本角〉から下りてきた上流階級ふうの男のことは、調べがついていた。
一、二年ほど前アーレイドに現れて、難病の子供を治し、大病院に抱えられた男。その少し前に空き家になったばかりの豪邸をさっと手に入れるだけの金を既に持っていた。
それだけの財をどこで手に入れたのか、どこかで成功していたのならば何故そこを離れてアーレイドへやってきたのか、出身経歴、そういったことは――不明。
だが、確実に判っていることもある。
「医者だ。医者だぞ! なのに何の手出しもせず、そそくさと逃げやがった」
「面倒ごとに巻き込まれたくないという反応は、残念なことですけど、何も珍しくないでしょう」
「ああ、ないな。よくある話だ。俺だって、何も義憤に燃えてる訳じゃない」
お前じゃあるまいし、と加えると、一言余計ですと返ってきた。
「だがあんな場所だ。誰が見ていてもおかしくない。事実、港での聞き込みであれがアーレイドの医者だと知れた。大きな病院の大先生のくせに溺れている人間を見捨てて去った、そんな悪評が立つことを避けたいとは思わなかったのか」
「思わなかったんじゃないですか」
戸惑うようにラウセアは言った。
「何も図太いというような意味ではなく。単に動転して、そこまで思い至れなかったとか」
「ないな」
ビウェルは首を振る。
「いかに巧く保身を計るか。それに敏感でなけりゃ、あんなふうに金は稼げない」
「あの。話が飛躍してません?」
「してない。あいつの金のかかった格好は見ただろう」
「見ましたよ。大病院は給金がいいんだなあと」
「阿呆」
ビウェルがぴしゃりとやると、ラウセアはむっとした。
「何ですか。僕の言ったことのどこが阿呆です」
「もう一度、奴の格好をよく思い返してみろ。貴族並みだぞ。お前はほかに、あれほど衣装に金をかけた医者を見たことがあるか」
「ないですけど、医者だと思わず、貴族だと思っていたのかも」
「阿呆」
ビウェルは繰り返した。
「奴の勤めるウォンガース病院は、確かに高給だ。派手な遊びをする医師もいる。だがあれだけのものを誂えられる奴はいない」
「どうしてそう言い切れるんですか。ほかを節制して、衣服に金をかける性格なのかもしれませんよ」
「金貨」
「は?」
ラウセアは目をしばたたいた。ビウェルは苦い顔をする。
「奴と同じマントを作ろうと思ったら、銀貨じゃなくて金貨が要るんだよ。マントだけだぞ。そこまで金をかけたら、いくら高給取りでもぴいぴいになるだろうが」
「いや……でも、そういう趣味なのかも」
「なら言ってやる。金にあかせた一枚を後生大事にしてる訳じゃない。季節ごと、或いはもっと頻繁に、ぽんぽん買い換える。そしてもちろん、買い換えるのはマントだけじゃない」




