第23話:Separate Ways(分岐点)
3週間の個人練習期間。それは、JASAという抗いようのない檻の中で、静かに火薬を充填していくような日々だった。
杏は過酷な更生トレーニングの合間を縫って、鉄心のレスポールひたすらに弾き続けた。
指先の皮は剥け、弦には血が滲でいる。
それでも杏はただ一心に音楽の事だけを考え続けた。
ノアは留学先の農場で、広大なトウモロコシ畑に向かってハイトーン・シャウトを放ち、喉を極限まで研ぎ澄ませていた。
他の留学生から「うるさい!」「脳内チップがバグるだろ!」と石を投げられながらも、
彼の瞳はトウモロコシ畑よりも光り輝く、ロックのステージを見据えていた。
そしてタケルは、機材運搬の空き時間、沢江のプライベート・ルームで、彼と二人だけのセッションを繰り返していた。
「……沢江さん。脳内信号チップの制御で大変でしょうけど、出来ればアタックの強いダウンで弾いてほしい。
3週間後のセッションは紗江さんが用意してくれたベースの音源で対応すると思いますが、
このセッションの時だけは、…やはりあなたの生きたベースでドラムを叩きたいです。」
「分かった。試してみるよ」
タケルの、怒涛の勢いで突っ走る爽快感に満ちたドラム。
楽団で鍛えられた基礎に加え、爆発寸前のエネルギーを内包した音がそこにはあった。
紗江のプライベートでラボで観たHelloweenの初代ドラマーである「インゴ・シュヴィヒテンバーグ」を訪仏させる、
圧巻のドラムへと成長を遂げていたのだ。
沢江の指は「楽団の音」を忘れ始めていた。
(……楽しい。譜面通りではない、この『衝突』こそが、私の求めていたものなのか……?)
沢江の中で、タケルたちの熱狂に混ざりたいという欲望が、制御不能なほどに膨れ上がっていた。
しかし、沢江が望めば望むほど、楽団員としての立場を揺らがせ迷わせることになる。
その迷いは、残酷なまでに「国立マーチング・フィルハーモニー」の全体練習に現れた。
「……そこまで。練習を切り上げる」
楽団のリーダーであり、天才ドラマーの石田が静かにスティックを置いた。
20年間、沢江のベースと石田のドラムは、楽団の「鉄壁のリズム隊」として称賛されてきた。
だが今日の沢江の音は、他の楽団員には分からない程度ではあるが、わずかに、しかし執拗に拍を乱していた。
「沢江。別室へ来い。」
無機質な面談室は冷たく、異様なほど静かに感じられた。石田は椅子に深く腰掛け、幼馴染でもある沢江を真っ直ぐに見つめた。
「……最近、お前のベースに違和感がある。具体的に言えば、林田タケルがテストで見せた日からだな。
あの『ノイズのようなリズム』。……あれに毒されたのか?」
沢江は言葉に詰まった。
「楽団を抜けたい」――その一言が喉元まで出かかったが、JASAの英才教育を共に学び、苦楽を歩んできた石田の期待、
そして楽団員としての立場が、沢江の身体を強く縛っていた。
「……申し訳ありません。次は修正します。」
「修正、か。お前の口からその言葉を聞くと、酷く空虚に聞こえるな。」
石田はすっと立ち上がり、手元のタブレットを操作した。
「今日の練習音声を、楽団統括マネージャーに送った。お前がこのまま楽団に残留できる器かどうか、上層部が見極めることになるだろう」
「石田さん!? 待ってください、それは……!」
沢江が必死に謝罪の言葉を並べようとしたが、石田は振り返ることもなくドアへと歩き出す。
「俺はクビってことですか?」
沢江の一言に、石田の足が止まる。
「今までのお前の音は完ぺきだった。しかし、最近のお前をこのまま楽団に残すべきかどうかは、
楽団のリーダーとは言え、俺の一存では決定できない。…つまり、総合的な判断を求めるだけだ。」
石田はそう告げると、沢江を一人残して面談室を後にした。
コツッコツッと石田の足音が静寂な廊下に響く。
わずかに聞こえる電子音さえも異様に大きく感じられる。
「沢江……お前の音が、俺から離れたがっているのを感じた。……寂しいものだな。」
――――
一人残された沢江は、自分の指を見つめた。
JASAの栄光か、それとも破滅的な自由か。
3週間後の全体練習を前に、沢江の心は揺らいでいた。
読んでいただきありがとうございます。
今回はJourneyの『Separate Ways (Worlds Apart)』をタイトルにしました。
WBCでも使われる超名曲です。
また、作中にも大好きなドラマー「インゴ・シュヴィヒテンバーグ」を登場させました。
少しでも面白いと思っていただけたら、高評価やブックマークをお願いします。




