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お嬢様達の決戦

 そして、使用人に案内されて辿り着いたのは明るい日差しに満ちた広い庭。

 今日のお茶会は、どうやらガーデンパーティ形式らしい。

 春も終わりに差し掛かった日差しは、存外強いもの。


「アイリスお嬢様、日傘は」

「……いえ、大丈夫ですわ」


 囁くようなリタの声に、アイリスは周囲を見回し、小さな声で返す。

 照りつけるような夏の日差しの中ではメイドや執事の差す日傘の中で過ごすこともあるが、今日の日差しはそこまでではない。

 周囲を見て、他の令嬢達も日傘を差させてはいないことを確認したアイリスは、そう判断した。

 彼女自身は、夏の日差しもなんのその、な健康優良児なのだが、それを無闇矢鱈と見せるほどに浅慮でもない。

 納得したリタは、日傘を左前腕にかけたまま、しずしずと頷いた。


 こんな時、やはりこのリタは優秀なメイドなのだと、アイリスは改めて思う。

 リタが来てからこのお茶会までの数日の間、二人きり、あるいは身内だけの時は相変わらずだが、客人などがいる際のリタの振る舞いは、メイドのお手本のようなものだった。

 来訪した客人が、帰り際にリタを褒めて帰ったことも何度もある。

 そんな時はアイリスも取り繕って笑顔で礼を言うが、後からリタに「お嬢様、あの時顔が引きつってましたよ」などと揶揄われる始末。

 誰のせいだと思いはすれど、外面に悪いことは一切しないのだから、文句のつけようもない。

 

 もやもやとした思いはあるが、これから更にもやもやとしそうな相手と会うのだ、今は飲み込んでおかねば。

 そう自分に言い聞かせながら、アイリスが庭の北側、天幕の張られている場所へと向かえば、その後をリタがついて行く。

 主であるアイリスの左斜め後ろ、何かあれば利き腕である右腕でアイリスを突き飛ばすことができ、アイリス自身が一番意識を向けることが少ない位置に。

 いつもこうやっていればいいのに、などと思いながら、アイリスは今日の主催者の元へと挨拶に訪れた。


「マルガレーテ様、本日はお招きいただきありがとうございます」


 楚々とした仕草でスカートの裾を両手で持ち上げる、カーテシーという挨拶を天幕に陣取る令嬢へと向けるアイリス。

 その仕草自体は文句の付けようが無いものだ。

 だが、リタなどは見ていて思う。型どおり過ぎる、と。

 正確ではある。だが、そこに優美さといった個性がなく、人によっては、そこに心が無い、と思う者がいても不思議では無い。

 『もしかして、こういうところも原因かな?』とも思うが、決めつけるのも早計だ。

 今指摘して直すことができるわけでもないのだからと、とりあえずは黙っておく。


「あら、これはこれはアイリス様、本日はお越しいただきありがとうございます。

 ……相変わらず整ったご挨拶ですこと」


 だが、どうやら相手のマルガレーテ嬢はそのことが気になるタイプだったらしい。

 立ち上がって挨拶をした彼女の言う『整ったご挨拶』というのは、まさにその部分を指摘したところだろう。アイリスは全く気付いていないようだが。

 気付かれなかったのを良いことに、マルガレーテはさらに言葉を重ねる。


「本来ならば私の方がご挨拶に出向かわねばならないところでしたが、たくさんの方に来ていただいて、どうにも手が回らず……申し訳ございませんわ」


 そう言いながら、マルガレーテは申し訳なさそうに頭を下げた。……全く心はこもっていなかったが。

 本来ならば伯爵家の令嬢であるマルガレーテは、格上の公爵家令嬢であるアイリスに挨拶に来させるなどもってのほか。

 なんなら出迎えに一度退出してもいいくらいである。

 それが、他の客を優先してアイリスに出向かせる形になった、などと軽んじられたのだ、侮辱と言ってもいいだろう。

 もっとも、いつものアイリスならば『忙しかったのなら仕方ない』と真に受けて流しているのだが。


「まあそれは、挨拶も滞る程にお客様をお呼びになると、大変ですわね」


 とアイリスがにこやかに返せば、マルガレーテが固まった。

 今の言葉、マルガレーテには『自分の器量もわきまえず、捌けない程客呼んじゃったんですか~?』と聞こえたはずである。

 もちろんアイリスの言葉ではなく、リタが教えた通りにしゃべっただけなのだが。

 

 事前にアイリスから今までのことを聞いたリタは、いくつか対策を考えていたのだが、そのうちの一つが物の見事にはまった形である。

 あまりに綺麗にはまったので、アイリスは笑顔を取り繕いながらも内心では『リタって何者……』という思いを強くしていた。


「そ、そうですわね、次からは少し考えませんと……ああ、すみませんアイリス様、いつまでもお立ちいただいて。

 どうぞこちらにお越しくださいな」

「はい、それでは失礼いたしますね」


 数秒で立ち直ったらしいマルガレーテが、それでも若干硬い笑顔でアイリスを天幕が作り出す日陰の下へと誘う。

 さすがにそれを拒む理由もないので、アイリスは誘われるままに席へと向かえば、リタが椅子をあてがい着席させた。


「あら、お付きのメイドが変わられたのですね。もう何人目でしたかしら」


 リタの顔を見たマルガレーテがそんなことを言ってくるが、これもまだ想定内。


「ええ、先日。マルガレーテ様は、メイドの顔を覚えるご趣味がおありなのですか?」


 その返しに、マルガレーテはぐっとまた言葉を飲み込んだ。

 貴族にとって、使用人は言わば道具。

 自分の使う使用人はもちろん全員を把握している必要があるが、他人のそれまで把握、詮索するのは、幾分下世話である。

 例えるならば、今着ているドレスを話題にするのはもちろん問題無いが、今ドレスを何着持っているか、などと探るようなものだ。

 そのことをアイリスから遠回しに指摘されたわけである。


「も、もちろんそんな趣味はございませんわ。

 いけない、話が長くなりすぎましたわね、お茶もお出しせずに」


 何とか話を逸らしたマルガレーテが指示を出せば、メイド達がお茶やお菓子を提供していく。

 こうして、お茶会は始まったわけなのだが。


「あの方とあの方が実は恋仲に……あ、ご存じありませんでしたかしら」

「まあ、そうだったのですね」


 だとか。


「あの伯爵令息とご婚約なさったとか……未だに婚約者の決まっていない方なんていらっしゃるのかしら」

「そうなのですか、それはおめでたいことですわね。」


 だとか。

 アイリスが疎いであろう人間関係の話題だとか、未だ婚約者のいないアイリスへのあてこすりのような話題をマルガレーテは振っていくのだが、アイリスはことごとく相づちを打つだけでスルー。

 普段ならば言い返そうとムキになったりもするのだが、今日のアイリスは涼しい顔で受け流すばかりだ。


 これが、リタが事前に言い含めていたこと。

 つまり、勝負の舞台に上がらなければそもそも負けることがない戦法、である。

 アイリスは「それって結局逃げてませんの!?」と抗議していたが、「そもそも勝負に乗ってあげるような大したことじゃないでしょ、それ」というリタの台詞に、思わず納得しまったものだ。


「大体ね、ああいうのは相手が反応するのを面白がってる子供か、相手の気を引きたい子供がするもんなんですよ。

 だったら、相手の望むような反応をしてあげない。そしたら、段々面白くなくなっていくんです」


 そうリタが言った通り、明らかにマルガレーテは、いつものような笑みどころか、むしろ苦々しい表情を浮かべている。

 『なんだ、こんなものでしたの』と、アイリスは達観したようなことまで思ってしまった。

 自分もまだまだ子供だという自覚はあるが、どうやらマルガレーテはそれ以上だったらしい。

 そう思うと、どこか肩の力が抜けたような気がして、紅茶の味もしっかりと感じられるような気がする。


 当然、自分の思惑が外れてしまったマルガレーテはいい気がしない。

 微妙な空気、自分に向けられるいつもと違う視線を何とかしようと必死に話題を探っていると、不意に何かを思いついた顔になった。


「そういえば、未だにカエルやヘビを飼ってらっしゃいますの?

 授業にまで連れてくるから迷惑だと、ポーネリアン夫人がおっしゃっていましたわ」


 流石にカエルだヘビだと言われれば、周囲のご令嬢達は好奇心や嫌悪感を刺激されてざわめく。

 これは流せないだろう、と得意げな顔で見ていると、アイリスは心底不思議そうな顔を見せた。


「え、ポーネリアン夫人がおっしゃったのですか?」

「ええ、もちろんですわ、なんて非常識だと……」

「それはおかしいですわね。ピョン助……私が飼っているカエルの出席は、むしろポーネリアン夫人が希望されているのですが」

「……は? ま、まさかそんなことあるわけがございませんでしょう!?」


 思わぬ言葉に、マルガレーテは声を抑えられなかった。

 感情を高ぶらせたマルガレーテを見たアイリスは、思わず小さく笑ってしまう。


「フロスダ・アマガエルを『水辺の賢人』と最初に評したのは、夫人のご先祖様だそうですわ。

 でしたら、夫人が彼を疎かに扱うわけもございませんでしょう?」

「んなっ! ……た、例えそう言われていたとしても、実際に賢いわけではっ」

「……40年程前にコルドールとガシュナートで結ばれた条約はご存じですか?

 当初の条約案に対して、コルドールはガシュナート側から譲歩を引き出せたのですが、なぜでしょうか」

「はい? ……え、そ、そんなことは存じ上げませんわ……? それが一体なんだと言うのです!」


 突然歴史の問題を振られたマルガレーテは、覿面に困惑する。どうやら、あまりお勉強をしていないタイプだったらしい。

 アイリスは、はふ、と小さくため息を吐いた。わざと、ではない。天然である。

 それだけに威力は大きかったようだが。


「『乾燥地帯の多いガシュナートに湿地帯の一部と、そこに連なるコルン川の水利権を一部割譲によって領土の配分を交渉したのではあるまいか。この条約以降、ガシュナートに併合されたこの地域では麦の生産が多くなっていたと記憶』……とピョン助……そのフロスダ・アマガエルは答えたのですが、それでも賢くないとおっしゃいます?」

「……え……そ、そんなことカエルが答えられるわけないではありませんか! インチキに決まっています!」

「本当に答えたのですが……まあ、マルガレーテ様は彼の声が聞こえませんものね。

 もし彼が答えたのでなければ、私が考えついたことになりますが」

「えっ、あ……」


 その意味するところは、感情的になっていたマルガレーテにもわかった。

 つまり、知識教養においてアイリスに劣る、と自分で宣言したことになる。

 もちろん、そんなことは受け入れがたい。

 しかし、彼女の言い分を認めれば、自身が嘘を吐いていたことが明白になってしまう。

 退くも進むもできなくなったマルガレーテは、表情を取り繕うこともできずにワナワナと震えていた。


「……このお話は、ここまでにいたしましょうか」


 重くなった空気に、話題を変えようとアイリスが切り出した。

 残念ながら、それが良くなかった。

 マルガレーテからすれば、勝負はついた、と宣言されたようなものだったのだから。


「ふっ、ふざけないでくださいましっ!」


 カッとなったマルガレーテがティーカップを手にし、その中身をアイリスへと向かって放つ。


「きゃっ!」


 流石にこれは予想していなかったアイリスが、小さく悲鳴を上げて目をつぶった。

 ……だが、いつまで経っても、熱い液体はやってこない。

 恐る恐る目を開ければ、見慣れたメイド服の背中。


「リ、リタ……? あっ、あなた、まさか私をかばって!?」

「アイリスお嬢様、ご無事ですか? ……ああ、濡れてなどないようですね、何よりでございます」

「わ、私などよりあなたです! お茶などかぶって、火傷でもしたら!」

「大丈夫でございますよ、お話に夢中でらしたおかげで、随分と温度が下がっていたようですから。

 多分、マルガレーテ様も話し疲れて、手が滑ってしまわれたのでしょう」


 心配するアイリスに、涼しげな顔で応じるリタ。

 テーブルの上に飛び散った紅茶を、アイリスにかからないようにと拭き取ってしまい、それから自身にかかったお茶を拭きとっていく。。


「ああそれと、火傷は大丈夫なのですが……エプロンの替えは持ってきておりません。

 お嬢様のお側を離れるわけにも参りませんから、もしこの見苦しいエプロンのことを聞かれてしまうと、お答えして回ることになってしまいますね」


 リタの言葉に、それまで言葉も出せずに固まっていたマルガレーテは、びくっと身を震わせた。

 それはつまり、この情けない経緯を洗いざらい、参加者全員に説明されて回る、ということ。

 そんなことになれば、彼女の名は地の底に落ちてしまうだろう。

 ガタガタと震えるマルガレーテに、しかしアイリスは気付く余裕もない。


「何を言っていますの、そんな状態で付き添わせるなんて、できるわけありませんわ!」


 リタへと強い口調で言うと、アイリスはマルガレーテへと向き直る。


「マルガレーテ様、そういう訳ですから、リタ……メイドを着替えさせないといけませんので、お茶会の途中ですが失礼させていただきますわ。

 折角お招きいただいたのに、申し訳ございません」

「あ、は、はい、こちらこそ、その、申し訳ございません……」


 流石にやらかしてしまった事を理解したのか、真っ青な顔で頷くマルガレーテ。

 そんな彼女をしばし思案げに見ていたアイリスは、宥めるように笑って見せた。


「お手が滑ってしまわれたのでしょう? よくある事故です、お気になさらず」


 そう言ってお辞儀をすると、アイリスは立ち上がり、リタを伴って退出していく。

 ……若干、普段よりも急ぎ足だったのだが、気付いた者は、その場にはいなかった。






「は~……ほんと、息が詰まるかと思いましたわ……」


 乗り込んだ馬車が走り出し、誰にも聞かれない、となったところでの第一声がこれである。

 向かいに座ったリタは、むしろ楽しげに笑っていたりするのだが。


「いやいや、見事返り討ちにしたじゃないですか。

 特にピョン助のくだりなんか完全にアドリブだったのに、お見事でしたよ」

「あれは、ピョン助を馬鹿にされたので、つい……。

 って、それはもういいのです、リタ、あなた本当に大丈夫なんでしょうね、ちょっとお見せなさい!」


 急に思い出したかのように表情を変えたアイリスが、ずずいとリタに迫る。

 思わず身を退くリタだが、いかな彼女とて、この狭い馬車の中で逃げ場は無い。


「いや、ほんとに大丈夫ですって、ほんとほんと」

「本当ですの? あなた、涼しい顔して無理をしそうなタイプに思えるのですけど!」

「あたし、給料以上の仕事はしない主義ですから、大丈夫ですって!」


 ぶんぶんと手を振って否定するリタ。

 確かに、彼女はお金に煩いタイプ、ではある。

 だが、この数日の付き合いでリタの人となりを知ったアイリスは、それだけでは信用しない。


「とりあえず脱いでしまいなさい、それならもう心配しませんから!」

「え、流石にあたしでも、馬車の中とは言え街中で脱ぐのはちょっと」


 などとすったもんだがあって、とりあえずエプロンは脱ぐ、というところに落ち着いた。

 騒動が一段落したところで、アイリスはもう一度ため息を吐く。


「それにしても……やり返しても、あまりいい気分にはならないものですわね……」

「お嬢様の性格だと、そうかも知れませんね~。

 でもこれで、そうそうお茶会へのお誘いは来なくなると思いますよ」

「そうでしょうか……それならまだいいのですけど。もう、しばらくお茶会はこりごりですわ」


 そう言って、もう一度アイリスはため息を吐いた。




 なお、このお茶会でのアイリスを見て、もっとお話してみたいと思った何人かの令嬢がお誘いをかけてくることになるのだが、それはまた別のお話である。

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