第24話(最終話)転生(?)したら就職氷河期でしたが、最高に泥臭く愛おしい人生でした
「……はぁ。今日も相変わらず、平和すぎるくらい平和だな」
西暦2026年、11月の明るい小春日和の午後。
都郊外にあるUR賃貸マンションの部屋のリビングで、俺——佐藤拓也(46歳)は、バルコニーから差し込むあたたかな日差しを全身に浴びながら、深々とソファに身体を預けていた。
ダイニングテーブルの方を見ると、我が家のCFOである妻の美咲(46歳)が、タブレット端末の画面と紙のノートを交互に見比べながら、楽しそうにペンを走らせている。
「なにニヤニヤしてるのよ、拓也? ほら、今月も積立の設定、ちゃんと予定通り口座に入金できてるか確認してよね」
「はいはい、分かってますよ美咲さん。もう何年も毎月自動で口座引き落とし&積立なんだから、ビタ一文狂ってないって」
俺が笑うと、奥の子供部屋から賑やかな笑い声と足音が響いてきた。
今年で12歳、小学6年生になった長女の未来が、お気に入りの服を着てバタバタと走ってくる。
「ママ! パパ! 今日の夕方、健太おじさんと翔太おじさんたちが遊びに来るんでしょ!? 業スーで大きいお肉買って、みんなでホットプレートでお肉焼くんだよね!?」
「そうよ未来。健太おじさんが『今日は俺の奢りだ!』って張り切って特売のお肉買い込んでくるから、楽しみにしててね」
「わーい! 健太おじさん太っ腹〜!」
元気に跳ね回る未来の姿を見て、俺と美咲は顔を見合わせてクスッと笑い合った。
◆
ふと、俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
画面をスワイプすると、口座管理画面が開く。
画面の上部には、あの2018年10月31日——当時4歳だった未来の小さな指を美咲と三人で重ねて『注文確定』のボタンを押したあの日から、どんな暴落があろうと、コロナ禍の暗黒があろうと、一度も投げ出さずに毎月毎月泥臭く積み重ねてきた全世界株式ファンドの評価額が表示されている。
含み益の数字は、かつて手取り16万円で頭を抱え、1食80円のパスタで凌いでいたあの頃の俺たちからは想像もつかないほど、豊かに実っていた。
だが、今の俺にとって、この数字はただの「結果のおまけ」でしかなかった。
「……そういえば、さ」
俺はスマホの画面を伏せ、バルコニーの向こうに見えるUR敷地内の公園の木々と、澄み渡る秋空をぼんやりと見上げながら、ぽつりと呟いた。
「ん? なに、拓也?」
美咲がマグカップを手に、俺の隣にちょこんと腰掛けた。
「いやさ……大昔のことをふと思い出してさ。……2000年の11月、俺がまだハタチの大学生だった頃の話なんだけどさ」
「2000年? あはは! 懐かしい! 拓也が全財産1,550円になっちゃって、ジョナサンで『タイパが〜』とか変なこと叫んでバタバタ倒れてた頃でしょ?」
「うぐっ……! まだ覚えてたのかよそれ……」
俺は苦笑いしながらも、胸の奥にそっと手を当てた。
あの日、夢の中でなにか大層な声を聞いたような気がして、健太に強烈に叩き起こされたあの朝のこと。
「俺は未来の世界から飛ばされてきたんだ!」なんて、本気で激しく勘違いしていた。
当時は、頭の中に「放置しておけば勝手に増える夢のような仕組み」や「手のひらサイズの便利な板」みたいなぼんやりとした未来の断片のイメージはあるのに、何ひとつ具体的には思い出せなくて、手書きハガキ100枚と氷河期の理不尽に直面して絶望していた。
だけど——今、目の前にある2026年の現実はどうだ?
街には便利な端末があふれ、どこでもネットがつながり、将来のための積立投資という言葉も、すっかり身近なものになっている。
いつの頃からか見ていた「未来夢」の断片に、ついに現実の時代が完全に追いついたのだ。
チート能力で一発逆転して楽に暮らすつもりが、待っていたのはチートどころか「手書きES」「お辞儀ハンコ」「FAX」「ITバブル崩壊」「ライブドアショック」「リーマンショック」「日経平均6,994円」「超円高75円」「コロナ禍」という、平成から令和にかけての最悪レベルの激闘ダンジョンだった。
楽な道なんて、どこにもなかった。
予知能力も、魔法の宝箱も存在しなかった。
だけど——。
俺は目を開け、隣で温かなお茶を飲みながら優しく微笑んでいる美咲を見た。
奥の部屋で「パパー! テーブル拭くふきんどこー!?」と元気いっぱいに叫んでいる未来の声を聞いた。
手書きハガキを何百枚も書き殴り、全財産1,550円になってジョナサンで励まし合った仲間たちがいる。
1食80円の激安パスタを一緒に作って笑い合い、このUR賃貸で固定費を守り、暴風の夜に固く手を握りしめ合った愛する妻がいる。
泥にまみれ、不器用に助け合いながら二人で積み上げてきた、最高に泥臭くて温かい26年間の歴史がある。
もしもあの時、何のリスクも負わずに楽して成功するチート能力なんてものをもらっていたら——俺はきっと、この泥臭くも愛おしい「人との繋がり」も、美咲との本当の絆も、手に入れることができなかっただろう。
「……ふっ」
俺の口元から、自然と小さく温かな笑みがこぼれ落ちた。
「拓也? さっきから一人で顔をほころばせて、どうしたのよ?」
美咲が不思議そうに首をかしげ、俺の顔を覗き込んでくる。
俺は愛する妻の方を振り返り、柔らかく目を細めて微笑んだ。
「——まあ、どっちでもいっか。今、こんなに幸せなんだから」
「え? どっちでもいいって、何が?」
「ううん、なんでもない! さあて、健太と翔太たちが来る前に、ホットプレートと飲み物の準備でも始めるか!」
「あ、ズルい! 私も手伝うー!」
未来が笑顔でリビングに飛び出してくる。
玄関のインターホンが鳴り、スピーカーからは健太と翔太の「拓也ー! 業スーで特大肉買ってきたぞー!」という賑やかな声が響いてきた。
小春日和のやわらかな光の中、俺たちの愛おしい日々はこれからもずっと、ずっと続いていく、いや続かせる。
転生(?)したら就職氷河期でしたが——
これからも何があるかは分からない、でも俺の人生は、最高に泥臭く、最高に愛おしい、大勝利の人生でした。
(おわり)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
2000年の冬、全財産1,550円で絶望していた大学生の拓也が、美咲ちゃんや仲間たちと泥臭く支え合い、平成から令和という激動の時代を駆け抜けた物語——『転生(?)したら就職氷河期でした』、これにて無事に【完結】となります!
チート能力も魔法の宝箱もない中で、手書きハガキ、お辞儀ハンコ、FAX、リーマン・ショック、そしてオルカンやNISAといった時代の波に翻弄されながらも、目の前の生活と大切な人を愚直に守り抜いた拓也たちの軌跡を、最後まで見届けてくださった読者の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
「楽して勝てるチート」はなかったけれど、不器用に泥をかぶって手に入れた家族の温もりや仲間との絆こそが、彼らにとっての「最高の大勝利」だったのではないかと思っています。
また次の作品でお会いできることを!




