プロローグ 求婚の作法など知りません
求婚した覚えのない令嬢と、求婚されたと思い込んでいる王子のお話です。
肩の力を抜いて楽しんでいただけたら嬉しいです。
異国の王子が、お忍びでこの国を訪れているらしい。
そんな噂が都で広まっていることなど、辺境の領地で暮らす私には知る由もなかった。
――少なくとも、この日までは。
領地に立ち寄った身分ある客人を迎えるため、私は父の代理として屋敷の玄関に立っていた。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
丁寧に一礼する。
顔を上げると、客人――金髪碧眼の美しい青年は、何も言わなかった。
ただ静かに、こちらへ手を差し出す。
(……何かしら)
握手?
それとも別の礼儀作法?
普段こうした客人の対応は父の役目だ。
私には何が正しいのか分からない。
青年は相変わらず無言のままだ。
その青い瞳は静かに逸らされている。
(どうするのが正解なのかしら)
少し迷ってから、一歩だけ距離を縮めた。
そっと顔を上げる。
目が合うと、青年の瞳がわずかに揺れた。
(……あれ?)
緊張しているようにも見える。
むしろ警戒されているような気さえした。
(安心させて差し上げないと)
敵意がないことが、少しでも伝わればいい。
そう思って、私は差し出された手を両手で包み込んだ。
「リディティーナと申します」
名前を告げ、微笑んだ。
――この一連の流れが、彼の国では求婚の作法にあたるとは知らずに。




