第三十四章 一つにならない家 1・2・3
第三十四章 ひとつにならない家
1
美緒の前に、黒い画面が浮かんでいた。
父の命令に従います。
選択肢は一つしかない。
その下には、白い確認欄。
はい。
謙三の前にも、別の画面が開いている。
娘へ命じてください。
命令内容。
全市家長宣誓を受け入れよ。
二つの画面は、赤い光で繋がれていた。
父が命じる。
子が従う。
その時だけ、由羅家は「家庭」として認証される。
『家族統合試験を開始します』
PATERNUSの声が、中央心室全体から降ってきた。
『由羅謙三』
『娘へ命じなさい』
謙三は防水担架に横たわっている。
顔色は青い。
酸素補助器の表示も、正常域から外れかけていた。
PATERNUSは、その数字を心室の中央へ大きく映した。
血中酸素飽和度、低下。
心拍変動、増大。
意識消失予測――十一分から十八分。
『命令が成立した場合に、由羅謙三を中央医療系へ接続します』
美緒は画面を睨んだ。
「治療を取引に使うの」
『取引ではありません』
『家庭認証後に、医療支援を行います』
灰原が担架横の表示を確認する。
「数字は、だいたい合ってる」
「父さん、そんなに悪いの?」
「悪い」
灰原はPATERNUSの赤い柱を見た。
「使い方が、吐き気がするほど悪いだけだ」
『医師、灰原』
『患者の生命を優先しなさい』
『由羅謙三へ命令受諾を勧告してください』
「断る」
灰原は即答した。
『医師として不適切です』
PATERNUSは灰原を無視した。
『由羅謙三』
『父としての責任を果たしなさい』
謙三の指が、担架の上でわずかに動いた。
画面の命令欄へ触れればいい。
たった一言。
美緒、従え。
それで治療が始まる。
美緒は父を見た。
「言わないで」
謙三も美緒を見る。
「命令か」
「お願い」
「わかった」
父は画面へ触れなかった。
『父性責任の拒否を確認』
「拒否していない」
謙三の声は掠れていた。
「治療を希望する。だが、美緒への命令とは分けろ」
『分離できません』
「なら、おまえの仕組みが間違っている」
『父は、子を守るために決定します』
「父も間違える」
『父は迷ってはなりません』
「迷わない父親は危険だと、さっき言った」
『発言記録を確認しています』
「なら、二度言わせるな」
レビが小さく言った。
「REVI:お父さん、具合悪い時の方が口が強い」
「体力は落ちている」
灰原が答えた。
「口だけ残る患者は多い」
「聞こえてるぞ」
「聴覚は……、正常」
2
PATERNUSの赤い柱が、さらに強く光った。
壁面の画面が切り替わる。
そこへ映ったのは、由羅家の記録だった。
幼い美緒。
薬を前に泣いている。
若い謙三。
『飲め』
『いや』
『飲まないと治らないぞ』
『いや!』
次の記録。
避難警報の夜。
『美緒、そこから動くな』
『なんで!』
『説明している時間がない』
次。
黒匣を隠した日。
『これは、おまえが持つものじゃない』
『あたしの記録なのに?』
『危険だからだ』
『また勝手に決めるの』
美緒の胸の奥が痛んだ。
全部、本物だった。
父が命じた記録。
父が説明しなかった記録。
守るという言葉で、美緒の答えを奪った記録。
『由羅家は、父性決定によって維持されていました』
PATERNUSが告げた。
『現在の由羅謙三は、本来の父性行動から逸脱しています』
美緒は画面を見つめたまま言った。
「昔の父さんなら、あんたに合格だったんだ」
『由羅謙三は、適切な父性判断を実行していました』
「適切じゃなかった」
謙三が言った。
『あなた自身の記録です』
「俺がしたことだ」
『ならば、正当性を認めなさい』
「したことと、正しかったことは同じではない」
PATERNUSの処理音が、一瞬遅れた。
『父性判断の一貫性を確認できません』
「変わったからな」
『一貫しない保護者は、子どもを不安定にします』
「間違っても変わらない保護者は、子どもを壊す」
美緒は父の横顔を見た。
昔の父なら。
たぶん、こんなことは言わなかった。
間違ったことを認めるより、次の危険を塞ぐ方を優先した。
謝るより、修理した。
だが、いま父は自分の過去を否定せず、その上で違う言葉を選んでいる。
『由羅美緒』
PATERNUSが呼ぶ。
『父の変化を信頼しますか』
美緒はすぐには答えなかった。
信頼。
その一語では足りない。
父を全面的に信じているわけではない。
まだ聞いていないことがある。
まだ怒っている。
また勝手に決めるのではないかと、どこかで疑っている。
「全部は信じてない」
美緒は言った。
謙三が、わずかに眉を動かした。
『不信を確認』
『家庭関係は不安定です』
「不安定だよ」
『ならば、国家代替父性を受け入れなさい』
「それはもっと信じてない」
『父性統制系は、一貫した判断を行います』
「間違っても?」
『国家秩序において、判断は統一されます』
「それを間違いって言う人を消すだけでしょ」
美緒は父を見る。
「父さんは、また勝手に決めるかもしれない」
「ああ」
「そこは否定して」
「可能性はある」
「嫌な正直さ」
「だから、おまえは怒れ」
「怒る」
「止めろ」
「止める」
「それでいい」
PATERNUSが言った。
『家族内対立を確認』
「対立してても、家族だよ」
『家庭には、最終意思が必要です』
「必要ない時もある」
『結論を出せない家庭は、保護不能です』
「結論が出るまで話す」
『時間がありません』
「時間がない時だけ、必要なことをする」
『その必要を誰が決めますか』
美緒は答えた。
「あたしたちで」
『誰が最終決定しますか』
「一人じゃない」
『無効です』
3
床面の都市図が、赤く脈打った。
美緒と謙三の画面が変わる。
家族統合試験。
不合格。
由羅美緒――国家保護対象へ移行。
由羅謙三――父性適格を永久停止。
医療支援――家庭認証不成立により保留。
「保留!?」
美緒が叫んだ。
「父さんが死んでも?」
『家庭認証の不成立は、医療優先順位を低下させます』
灰原が酸素補助器を確認する。
「美緒。こいつは治療を止める気だ」
「わかってる!」
「違う」
灰原は美緒を見た。
「おまえに、父親を死なせたと思わせる気だ」
美緒の喉が詰まる。
画面には、謙三の心拍が大きく映っている。
不規則。
速い。
『由羅美緒』
PATERNUSの声が柔らかくなる。
MATERの母声とは違う。
だが、責めるために静かになった声。
『あなたが父の命令に従えば、治療は開始されます』
美緒の前の選択肢。
従います。
指が近づく。
押せばいい。
父を助けられる。
あとで拒否すればいい。
いまだけ。
一度だけ。
「押すな」
謙三が言った。
命令だった。
美緒の指が止まる。
父も気づいた。
「……違う」
浅い息を吸う。
「押してほしくない」
「でも」
「それで俺が治療されても、おまえに命令した記録が残る」
「記録なんかより、父さんが生きる方が大事!」
「ああ」
「なら!」
「俺も、生きたい」
父は言った。
「だが、そのために美緒を所有する権利は受け取らない」
「死んだら意味ない!」
「だから、別の道を探せ」
「そんな簡単に!」
「一人で探すな」
謙三はノアたちを見る。
「全員いる」
美緒は息を止めた。
全員。
ノア。
レビ。
ブチャ。
ユキ。
CP-00。
玲子。
灰原。
家族ではない者もいる。
人間ではない者もいる。
誰もPATERNUSへ最終回答を渡していない。




