第六章 囚人番号 7-4103 2
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その瞬間、地下通路のBGMにまぎれて、小さな電子音が鳴る。
玲子の解析器が、回線の接続を横から奪った合図だ。
「REVI:もらった」
「NOAH:正面、まだ気づかない」
「BUCHA:はやく」
モニターに波形が出る。
つづいて、ノイズ。
圧縮音。
誰かの浅い息。
そして。
『……美緒』
声が、流れた。
喉が、止まった。
父の声だった。
少しかすれていて、低くて、言葉数の少ない、あの声。
映像はない。音声だけ。
それでも、わかる。
幼い頃から聞いてきた声だった。
『俺だ。時間がない』
美緒の指先が、柱に食い込む。
『余計なことをするな。
黒匣を持って、ひとりで第七水門へ来い。
猫は連れてくるな。
そうすれば、おまえは助かる』
「……っ」
息が詰まる。
本物すぎた。
抑揚の少なさ。
呼吸の置き方。
"助かる"って言葉の硬さまで、似すぎている。
でも、玲子が先に言った。
「偽物」
即答だった。
「早すぎません!?」
「だって謙三は、そういう順番で話さない」
玲子の声が鋭くなる。
「まず"美緒"って呼んで、次に要件、そのあと理由。
"俺だ"なんて最初に言わない。
あなた相手には、そんな確認いらないもの」
「REVI:あと、息継ぎが綺麗すぎる」
「REVI:お父さん、もっと変なところで切る」
「BUCHA:気持ち悪い」
声は続く。
『繰り返す。第七水門へ来い。
ひとりでだ。
白峰玲子は信用するな』
玲子の目が細くなった。
「ほらね」
「……父さんなら、そんなこと言わない?」
「言う可能性はある。
でも、このタイミング、この言い回し、この圧縮癖。
全部"わざとらしい"」
玲子が操作を速める。
「声紋一致率は九三。
たぶん過去の没収音声と、拘置所内の監視録音から組んでる。
でも底にもう一層ある。レビ、剥がせる?」
「REVI:やる」
「NOAH:待て」
そのときだった。
地下通路のスピーカーが、ぴん、と鳴った。
次いで、落ち着きすぎた男の声が響く。
『由羅美緒さん。
もう聞こえていますね』
美緒の背中が冷たくなる。
正面の第三端末前。
ベンチに座っていた新聞の男が、ゆっくり立ち上がった。
コーヒーの女も。
スマホの若い男も。
全員が同じ方角――柱のあるこちら側へ向き始める。
『それで十分です。
来るか来ないか、それだけ知りたかった』
玲子が舌打ちする。
「特務監察官クラス。
声、鷹森征士」
「NOAH:囲み始めた」
「BUCHA:やっと仕事」
「REVI:あと二十秒ほしい!」
美緒は柱の陰から、第三端末の向こう側を見た。
整ったスーツ。
薄い笑み。
遠目でも、目だけが冷たい男がひとり、立っている。
鷹森征士。
『あなたのお父様は、よく耐えています。
感心しますよ。
だからこそ、娘の方はもう少し柔らかい方が助かる』
「最悪……」
『黒匣を置いて、出てきなさい。
家族の声というのは、本来そういうものです。
人を正しい場所へ戻す』
玲子が低く言う。
「逃げる。
レビ、データだけ持って切断!」
「REVI:五秒!」
「NOAH:左通路、まだ薄い」
「BUCHA:走れ」
「美緒!」
玲子に腕を引かれた瞬間、美緒は反射的に一度だけ振り返った。
モニターの波形が、まだ生きている。
偽物の父の声の下に、確かに何かある。
ざらざらした、別の層。
それを捨てるのが、どうしても嫌だった。
「レビ! 生データ全部!」
「REVI:了解! 欲張り!」
次の瞬間、第三端末の表示が一斉に乱れた。
通路案内板が全て「点検中」へ切り替わる。
照明が一列だけ落ちる。
「いまだ!」
玲子が叫ぶ。
美緒は走った。
地下通路を横切る。
横から伸びた男の腕を、ノアが顔面への跳躍でそらす。
もう一人の足元へ、ブチャが低く滑り込んで体当たり。
丸顔の猫にしか見えないくせに、男が本気で吹っ飛んだ。
「ぐっ!?」
「BUCHA:軽い」
レビは端末系統から案内板へ信号を流し、逃げる人の波をわざと別方向へ誘導する。
人混みが動く。
その一瞬だけ、帝国側の視線が割れた。
「こっち!」
玲子が保守扉を開ける。
美緒が飛び込む。
ノア、レビ、ブチャが続く。
背後で、鷹森の声が追ってきた。
『走っても構いません。
囚人番号7-0413は、消えませんから』
扉が閉まる。
暗い保守通路。
蛍光灯が半分死んでいる。
玲子は迷いなく奥へ進む。
「右! 次、階段!」
「はい!」
後ろから足音。
追ってきている。
保守階段を駆け上がったところで、通路の先に小型ドローンが二機見えた。
赤いセンサーアイが光る。
「うそでしょ!」
「NOAH:任せろ」
黒い影が、階段の手すりから跳ぶ。
ノアの前脚が最初の一機のセンサーを叩き割る。
二機目にはレビがケーブルを撃ち込み、映像を反転。
ドローン同士が互いを目標認識して、火花を散らしながらぶつかった。
「ほんと便利……!」
「REVI:褒めて」
「BUCHA:あとでな」
ブチャが転がった清掃カートを、どすん、と追っ手の階段へ落とす。
下で悲鳴と罵声が混ざった。
その隙に、玲子が最後の扉を開ける。
出た先は、地上へ続く資材搬入口の裏だった。
夜風が、地下の埃臭さを一気に洗い流す。
「走る!」
玲子と美緒は、夜の路地へ飛び出した。
逃げ切ったあと、二人が息を整えたのは、使われなくなった高架下の配電室だった。
錆びたシャッター。
中には古い配線盤と、壊れた椅子が一脚。
狭くて、冷たい。
でも追跡は、いまのところ切れている。
美緒は壁にもたれて、やっと大きく息を吐いた。
「はぁ……っ、は……」
心臓がまだ痛いくらい速い。
手も震えている。
けれど、頭だけは妙に冴えていた。
玲子はすぐに端末を開き、レビが抜いてきた生データを展開する。
「偽物の音声層、剥がす。
美緒、聞いて。
さっきの声は本物じゃない」
「……はい」
「でも、完全な空でもない。
謙三か、誰かが、あの回線に何かを混ぜてる」
「REVI:二重じゃない」
「REVI:三重」
「BUCHA:性格悪い」
「NOAH:らしい」
波形が、三層に分かれた。
一つ目。
偽の父の声。
二つ目。
拘置所ノイズに偽装した監視音。
三つ目。
ほとんど見えない細い揺れ。
玲子が眉を寄せる。
「これ……音じゃない。
パケット間隔の揺らし」
美緒が、はっとする。
「星見の迷路」
玲子が顔を上げる。
「なに?」
「父さんが使ってた。
順番じゃなくて、間隔で道順を作るやつ。
右、待つ、左、戻る……って」
「REVI:なら読める」
「REVI:手伝って」
美緒は玲子の横へ滑り込み、波形の微細な揺れを指でなぞった。
短い。
長い。
短い。
待つ。
折り返し。
最後に、少しだけ長い沈黙。
小さい頃、父の膝の上でやった迷路ゲームと同じリズムだ。
「ここ、逆。
それから、ここで一回戻る」
玲子が入力を修正する。
波形が再構成される。
ノイズの奥から、今度はまったく別の声が出た。
圧縮されて、擦り切れて、息も混じっていた。
でも、偽物なんかじゃない。
『……美緒』
今度の一言だけで、美緒にはわかった。
本物だった。
飾りがない。
確認もない。
呼び方も、間の詰まり方も、全部が父そのものだ。
美緒の目が熱くなる。
声はひどく短かった。
『生きろ。
俺を助けるな。
網を守れ。
七番目は偽装。
内側を疑え』
そこで切れた。
本当に、それだけだった。
何十秒もない。
たぶん、数秒。
でも、その数秒の方が、さっきの綺麗すぎる偽物より、ずっと重かった。
配電室の中が静かになる。
誰もすぐには何も言えなかった。
最初に口を開いたのは、美緒だった。
「……勝手すぎる」
声が、少しだけ震えた。
「会いたいとか、元気かとか、そういうの一個もないんだ……」
泣き笑いみたいな顔になってしまう。
悔しい。
でも、いかにも父らしかった。
玲子が、ほんの少しだけ目を伏せる。
「謙三は、余計なことを言うと壊れるタイプだったから」
「父親としては欠陥ですよ、それ」
「全面的に同意はする」
その返しで、少しだけ空気が和らいだ。
「REVI:でも、本物」
「NOAH:間違いない」
「BUCHA:生きてる」
「……うん」
美緒は目元を乱暴に拭った。
父は生きている。
少なくとも、あの声を混ぜ込めるだけの意志はまだ折れていない。
でも同時に、はっきりしたこともある。
"第七水門へ来い"は罠。
"白峰玲子を信用するな"も罠。
そして父が残した、本当に重要な言葉は別にある。
七番目は偽装。
内側を疑え。
玲子が腕を組む。
「七番目。
中央第七拘置所そのものか、七番ノードか、七番目の連絡先か」
「"内側"っていうのは……」
「NOAH:敵は外だけじゃない」
「REVI:ネットワーク内部」
「BUCHA:味方のふり、きらい」
美緒は黒匣を取り出した。
表面をなぞると、淡い光が浮かぶ。
ネットワークのノード一覧。
その中に、識別番号付きの接触候補が並んでいた。
一番。
三番。
五番。
七番――。
「……これか」
七番ノードの識別名は、まだ読めないように伏せられている。
けれど、そこだけ不自然に認証階層が一段深い。
玲子が画面を覗き込む。
「わざと隠してる。
謙三が、あなたにだけ最終確認をさせるつもりだったのかも」
美緒は父の短い声を、もう一度頭の中で反芻した。
生きろ。
俺を助けるな。
網を守れ。
相変わらず、勝手だ。
父親なのに、自分より先に網を守れって言う。
でも、その声の奥に、ちゃんとわかるものもあった。
諦めていない。
まだ、自分を子ども扱いだけはしていない。
それが、美緒には少しだけうれしかった。
「……行こう」
玲子が顔を上げる。
「どこへ?」
美緒は黒匣の七番ノードを見つめた。
「父さんが"偽装"って言ったところ。
たぶん次は、そこが開く」
「REVI:賛成」
「BUCHA:やっと本番」
「NOAH:警戒を上げる」
美緒はうなずいた。
外では、夜の高架を列車が通り過ぎていく。
鉄のきしみと、遠い振動。
東京は相変わらず、何も知らない顔で動いている。
でも、美緒の中では、さっきまでと少しだけ景色が変わっていた。
父は番号にされても、まだ父だった。
帝国が声を偽っても、偽れない癖がある。
そして、敵は檻の外だけじゃない。
だったら、次はもっと厄介だ。
でも、もう怖いだけじゃない。
美緒は黒匣を抱え直し、三匹の猫を見た。
黒猫ノア。
三毛猫レビ。
ブチャ。
父の遺言であり、鍵であり、いま隣にいる戦力。
「もう、騙されない」
そう言うと、ノアが静かに目を細めた。
レビは尻尾を立て、ブチャは当然みたいな顔で座り直す。
配電室の薄暗い灯りの中で、美緒は前を向いた。
囚人番号7-0413。
帝国が父に付けたその数字を、もうただの管理記号にはさせない。
あれは、まだ消えていない声に繋がる番号だ。
そして、その声が命じた。
生きろ。
網を守れ。
内側を疑え。
なら次は、裏切りの気配がするノードへ行く番だった。




