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第一章 日曜日の銃声

特別猫撃隊NYATニャット』 原作瑠里



 第一章 日曜日の銃声


 日曜日の銀座。

 雲一つない青空。

 煌めくショーウィンドウ、歩行者天国には人があふれていた。

 外国語で楽しそうにしゃべってるインバウンドの観光客グループ。

 買い物中のカップル、高級ブランドショップの紙袋を提げた女性。

 この国に、民主主義を完全否定する超極右政権が誕生して、一般国民の生活はとても窮屈になった。

 ただ、皆が毎日、人権を抑圧されて息苦しさを感じていても、銀座という街はこういう「幸せです、平和です」って顔をするのがとてもうまい。


「あ……すご」


 由羅美緒は、アップルストアのガラス張りの建物を眩しそうに見上げて、ちょっとだけ目を細めた。


 展示されている新製品を見るために来たのだ。

 高価なデバイスはとても買えるわけじゃない。

 今の美緒の生活に、そんな余裕はない。

 だけど、最新のデバイスを見るのは好きだった。


 父の影響だと思っていた。


 由羅健三。

 電子機器メーカーの技師、そして――今は内乱誘致の罪で、政権に捕まっている父。


「これ、父さんならどう見るかな……」


 そんなふうに小さくつぶやいた、そのときだった。


 パンッ!


 乾いた音が、銀座の空気を切り裂いた。


 美緒はびくっと肩を震わせた。


 続けて、


 パン! パン!


「え……」


 最初は、何の音かわからなかった。

 だけど、すぐ近くで悲鳴が上がった。


「きゃあああっ!」

「銃! 銃だ!」

「逃げろ!」


 人の流れが一気に乱れた。

 さっきまで穏やかだった歩行者天国が、ほんの数秒でパニックに変わった。


 美緒は反射的に音が聞こえた方を見た。


 晴海通りの向こう側。

 高級宝飾店の前で、黒い服を着た男が拳銃を空へ向けていた。


「全員、伏せろ! 動くなッ!」


 もう一人は店内のショーケースを鉄の棒みたいなもので叩き割っている。

 三人目は大きなバッグに宝石をがさがさと詰めこんでいた。


 昼間の銀座。

 それも歩行者天国のど真ん中で宝飾店強盗。


「冗談でしょ……」


 思わずそう漏れた。


 でも、それは、冗談じゃない。

 ガラスの割れる音。

 店の中でしゃがみこむ客。

 泣きそうな顔で固まっている店員。

 全部、本物だった。


「動くなっつってんだろ!」


 犯人の一人が、近くにいた店員へ銃口を向ける。

 若い女性店員が息を呑んで、ぴたりと止まった。


 そのとき、店の奥で警報が鳴り響いた。


 次の瞬間。


 ガガガガガガッ!


「あぁ?うわっ!?」


 宝飾店の防犯シャッターが、一気に下りてきた。


 犯人たちは慌てて出口へ向かったけれど、遅かった。

 重い金属製のシャッターが、あっという間に正面を塞いだ。


 店は一瞬で密室になった。


 客も、店員も、犯人も、みんな中に閉じ込められた。


「ちっ、くそっ!」

「なんでだよ!」

「非常システムだ、バカ!」


 店内から怒鳴り声が響く。


 美緒は唇を噛んだ。

 こうなると、犯人たちは逃げられない。

 逃げられない人間は、たいてい余計に危険だ。


 案の定、数分もしないうちにパトカーが何台も到着した。

 サイレン。

 規制線。

 警官たちの怒号。

 野次馬を下がらせる声。


 歩行者天国は、もう完全に事件現場だった。


 拡声器が響く。


「中の者に告ぐ! 武器を捨てて投降しなさい! 建物は完全に包囲されている!」


 返事の代わりみたいに、シャッターへ銃弾が撃ち込まれた。


 バンッ!


 火花が散る。


「ふざけんな! 突入してみろ! 客も店員も全員殺すぞ!」


 店の中から男の怒声。


 その言葉に、周囲の空気が凍る。


 美緒はガラス越しに店内を見た。

 犯人の一人が女性客を羽交い締めにしている。

 別の一人は散弾銃を持っていた。


 人質がいて、しかも相手は完全にパニック状態。


 警察が下手に動けば、死人が出る。


「……っ」


 美緒は周囲を見回した。

 誰もが緊張している。

 でも、その緊張の質はバラバラだ。


 警察は「どう制圧するか」を考えていた。

 野次馬は「何が起こるか」を見ていた。

 報道は「どう映すか」を狙っていた。


 こうなると、もはや、人質の命だけが、置き去りになる。


「だったら……」


 美緒は人目の少ないビル脇へ素早く移動した。

 鞄から、小さな猫型チャームを取り出す。


 見た目は、ただのアクセサリー。

 でも、それは父が残した通信端末だった。


 美緒は小さく息を吸う。


「ノア、レビ、ブチャ。聞こえるかな?」


 端末が微かに震えた。


「銀座四丁目。宝飾店強盗。人質いる。銃器あり。警察が突入する前に、止めて」


 一瞬、沈黙。


 そして、三度の小さな振動。


 それだけで十分だった。


「お願い」


 美緒がそうつぶやいた直後、足元に黒い影が滑り込んできた。


「――にゃ」


「ノア!」


 黒猫ノア。

 本物の黒猫にしか見えない、その小柄な体。

 つややかな黒い毛並み。

 でも、その金色の瞳の奥には、人間みたいな判断力と冷静さがある。


 続いて、塀の上から三毛猫がひらりと降りてくる。


「にゃふ」


「レビ、いたのね」


 さらに、少し遅れて、どたどたっと丸っこい影が現れた。


「ぶふっ」


「ブチャも……よし、全員いる」


 エキゾチックショートヘア型のブチャは、どう見てもぬいぐるみっぽい顔なのに、三匹のなかで一番パワーがある。


 美緒はしゃがみこんで、三匹を見た。


「中に人質がいるの。できれば無傷で。犯人は三人」


 ノアが静かに目を細める。

 レビは尻尾をぴんと立てた。

 ブチャは「任せろ」と言いたげに鼻を鳴らす。


「絶対、無茶しないで」


 そう言ってしまってから、美緒は苦笑した。

 この三匹に「無茶しないで」と言っても、たぶんあまり意味がない。


 ノアは一声だけ鳴いて、くるりと身を翻した。


 三匹の姿は、人混みと建物の隙間へ吸い込まれるように消えていった。


 宝飾店の裏手。


 一般人はもちろん、警察ですら気づいていない経路を、三匹は進んでいた。


 先頭はノア。

 黒い毛並みは日陰に溶けて、まるで最初からそこにいた影みたいだ。


 レビは換気設備の管理端末へ無線アクセスしていた。

 人間には見えない速度で、建物の簡易マップを更新していく。


 ブチャは無言でついてくる。

 狭い場所は少し苦手だが、文句は言わない。

 そもそもしゃべらない。


 ノアが金属製の外壁をすいっと登り、通風口へたどり着く。

 レビがセキュリティロックを解除。

 ブチャが体をぐいっと押し込んだ。


「ぶに……」


 少しきつそうだった。


 でもなんとか入った。


 ダクトの中は薄暗く、埃っぽい。

 下から、かすかな泣き声と怒鳴り声が聞こえてくる。


 ノアが通気口の格子の隙間から店内を覗いた。


 犯人三名。

 人質複数。

 銃器あり。

 距離、近い。


 正面から飛びこんだら、人質が危ない。


 レビのセンサーが、犯人たちの脈拍と体温を測る。

 全員、極度の興奮状態。

 ほんの少しの刺激で、発砲する可能性が高い。


 ブチャは無言のまま、じっと待つ。


 ノアの中で演算が走る。

 最短、最速、最小被害。


 答えは一つ。


 一斉に制圧。


 その瞬間、下で犯人の一人が怒鳴った。


「おい! 車を用意しろ! 逃がせ! じゃなきゃこいつから殺す!」


 人質の中に、小学生くらいの男の子がいた。

 母親にしがみついて、必死に泣くのをこらえている。


 ノアの瞳がわずかに細くなった。


 行動優先順位を確定。

 民間人保護。

 脅威の排除。


 ノアが尻尾を一度だけ振った。


 それ合図だ。


 次の瞬間――格子が外れた。


 最初に飛び降りたのはレビ。


「にゃっ!」


 同時に、小型の電磁撹乱パルスが放たれる。

 店内照明が一瞬だけちらつき、監視カメラと無線がまとめて死んだ。


「な、なんだ!?」


 犯人が上を向く。


 そこへノアが落ちた。


 黒い影。

 いや、影より速い何か。


 犯人の顔面に前脚が叩きこまれ、拳銃が宙を舞う。


「がっ!?」


 着地したノアは、そのまま男の手首へ電撃クランプを打ち込んだ。

 男の体がびくんと跳ね、その場に崩れ落ちる。


「な、猫!? なんだこいつ!」


 二人目が散弾銃を構えようとした、その脇腹へ――


 どごんっ!


 ブチャの体当たりが炸裂した。


「ぐぼぁッ!?」


 丸顔のぶさかわ猫とは思えない破壊力で、男はショーケースまで吹き飛ぶ。

 散弾銃が暴発して、天井の照明が粉々になった。


 ガラス片がぱらぱら降る。


 店内は悲鳴でいっぱいになった。


 でも、まだ終わりじゃない。


 三人目の犯人が、半狂乱で近くの女性客の頭に拳銃を押しつける。


「来るな! 撃つぞ! 本当に撃つぞ!」


 指が引き金にかかる。


 その瞬間、レビが棚の上から飛んだ。


「にゃおうっ!」


 首筋へ細いニードルが打ち込まれる。

 一瞬だけ走る麻痺電流。


「え……?」


 犯人の手から力が抜けた。

 拳銃が床に落ちる。


 その銃を、ノアが横から弾き飛ばす。


 カラン、と乾いた音。


 ブチャは二人目の犯人の胸にどすんと乗っていた。

 見た目は完全にかわいい猫。

 なのに、犯人は苦しそうにじたばたしている。


「う、動け……ねぇ……!」


 ノアは店内をすばやく見回した。

 人質全員の生存確認。

 出血、軽微。

 制圧完了。


 たった数秒だった。


 本当に、その数秒で終わったのだ。


 人質たちは呆然としていた。

 若い店員がへなへなとその場に座りこむ。

 さっきまで死ぬかもしれなかったのだから、無理もなかった。


 レビは店の壁に取り付けられた制御盤へ飛び乗り、前脚を差し込んだ。


 電子音。


 次の瞬間、正面シャッターのロックが解除される。


 ガコン。


「開いたぞ!」

「突入しろ!」


 外で待機していた警察が一斉に雪崩れこんできた。


 防弾盾、怒号、足音。

 いかにも「これから制圧します」みたいな勢いだったけれど、もう終わっている。


 犯人たちは全員床。

 銃は遠くへ弾かれている。

 人質は生きている。


「な、なんだこれは……?」

「犯人確保! 急げ!」

「救急を!」


 警官たちが慌ただしく動き出す。


 その混乱の中で、ノアたちはもう撤収に入っていた。


 ノアは再びダクトへ。

 レビは配線ルートを逆走。

 ブチャは裏口側の資材搬入口へ。


 誰にも気づかれないまま、三匹は事件現場から消えた。


 数分後。


 アップルストアの裏手にある細い路地で、美緒は壁にもたれて待っていた。


「……遅いなぁ」


 言った直後、塀の上からレビがひょいっと降りてきた。


「にゃーん」


「おかえり!」


 美緒がほっとした顔になる。


 次にノアが静かに現れる。

 そして最後にブチャが、のっしのっしと姿を見せた。


「ブチャ!」


 よく見ると、左耳のあたりに細い傷が入っている。


 美緒の顔色が変わった。


「怪我してるじゃない!」


 ブチャはふいっとそっぽを向いた。

 どうやら「この程度なんでもない」と言いたいらしかった。


 レビが美緒の足にすりっと体をこすりつける。

 ノアは少し離れた場所で、まだ周囲を警戒していた。


 美緒はしゃがみこんで、ブチャの傷をそっと確認する。


「浅い……でも、びっくりした……」


 小さく息を吐く。


 それから、美緒は三匹を見回した。


「ありがとう。みんな」


 ノアがゆっくり近づいてくる。

 その黒い頭を、美緒の手のひらの下へ押しつけた。


 思わず笑ってしまう。


「ノアまで……」


 人工毛皮の下には、精密な機械と人工筋肉が詰まっている。

 生き物ではない。

 そのはずなのに、触れるとあたたかい。


 レビは得意げに尻尾を立てる。

 ブチャは相変わらず不愛想だけど、ほんの少しだけ胸を張っていた。


 遠くでは、報道陣が騒いでいる。


「警察の迅速な対応により、人質は全員無事――」

 たぶんそんな感じのニュースになるんだろう。


 誰も知らない。

 天井裏を三匹の猫が走って、数秒で人質を助けたことを。


 美緒は、少しだけ複雑な顔をした。


「……まあ、いいよね」


 知られなくてもいい。

 誰かが助かったなら、それでいい。


 でも。


 ほんの少しだけ、胸の奥が熱くなる。


 父が作ったこの子たちは、兵器なんかじゃない。

 誰かを傷つけるためじゃなく、守るためにある。


 そのことが、今日、ちゃんと形になった。


「行こっか」


 美緒が立ち上がると、三匹も動き出した。


 黒猫ノア。

 三毛猫レビ。

 エキゾチックショートヘアのブチャ。


 銀座の雑踏のなかを、三つの小さな影がついてくる。


 事件は終わった。

 だけど、この国の歪みは終わっていない。

 父も、まだ帰って来ない。

 たぶんもっと大きな戦いが、この先に待っている。


 それでも今日は、ひとつ守れた。


 たったひとつ。

 だけど、それは確かな命だ。


 銀座の空は、何ごともなかったみたいに青かった。


 美緒は前を向いて歩く。


 その足もとには、三匹の猫がいる。


 だったら、まだ戦える。


 そんな気がした。


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