第8話 夫婦
「はい、夜間提出の婚姻届、問題なく受理済みです。おめでとうございます。」
婚姻届はちゃんと受理されていた。
「婚姻届受理証明書を発行しますか?」
婚姻届受理証明書?
「それは何に使うんですか?」
「結婚したことを証明する公的書類です。こんなデザインのもあるんですよ」
役所の受付の女性がかわいいデザインの証明書のサンプルを持ってきた。
ハートの模様がついている。
断ろうとした瞬間──
「はい、それで発行してください」
隣に座っている勇凛くんが真剣な顔で言った。
「え、勇凛くんほしいの?」
「はい。二人が結婚した記念に……」
恥ずかしくて私は俯いていた。
「では発行手続き致しますので少々お待ちください」
役所の受付の女性はにこやかだった。
◇
役所の近くにあるカフェで私たちは発行された証明書を見ていた。
「これ、額に入れて飾りましょう」
勇凛くんは嬉しそうに眺めている。
──その時私は大切なことを思い出した。
「私……もう《《川崎》》七海じゃないんだっけ……」
「はい。俺の姓で提出していたので」
「じゃあ、私のフルネームって何?」
「《《林》》七海さんですね……」
あ、そうだ、会社に言わないんといけないんだ……。名義変更とかもしないと。
「うーん……」
私が頭を抱えて考えていると、勇凛くんが心配そうな顔をしている。
「大丈夫ですか?俺にできることがあれば……」
「ありがとう。あとでまた相談するね」
私もしっかりしないと!
「じゃあ私、そろそろ行くね!」
「俺、迎えに行きます。仕事終わったら連絡してください」
「何時になるかわからないよ?」
「大丈夫です」
勇凛くんが優しく微笑む。
「わかった。じゃあ終わったら連絡するね!」
私が立ち上がると「いってらっしゃい」と勇凛くんが手を振ってくれた。
《《林》》七海、三十歳。
新たな気持ちで会社に帰還した。
◇
「この度はご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
私は上司に頭を下げた。
「体調管理、しっかりしろよ」
あんな毎日残業だらけなのに、体調管理もあるか!
「はい、今後気をつけます」
その後、気持ちを落ち着かせるために、自販機でお茶を買った。
それを飲んでいると、人の気配が。
「入院してたって本当?」
森川さんだった。
「はい……倒れちゃいまして」
森川さんは何かを考えている。
「それさ、病院で診断書もらってきたら?」
「え?」
「自分の命削ってまでやるべきじゃないよ」
「……そうですね」
勇凛くんの心配そうな顔が頭に浮かんだ。
「私、ここを辞めようかと思います」
その時、森川さんの表情が変わった。
「待て、まだできることがあるだろう」
「え?」
「今日は早く帰れよ。俺も考えるから」
いつも飄々としている森川さん。
その真剣な表情に驚いた。
「ありがとうございます」
「とにかく、早く診断書もらってくるんだ。わかったか?」
私はその気迫に気圧されて頷いた。
森川さんは戻って行った。
私を気遣ってくれる人がこの会社にいることがありがたいと思った。
──午後六時
「すみません、今日はもう帰ります」
私は上司に言った。
なんて言われるのか……。
「ああ、わかった」
え?
「いいんですか?」
思わず聞いてしまった。
「ああ」
拍子抜けしてしまった。
その後、勇凛くんにメッセージを送った。
『今日はもう帰れるよ』
私がエレベーターホールの前に立つと通知があった。
『今すぐ行くので会社の住所教えてください』
え、会社!?
誰かに見られたら色々めんどくさいことになる……!
『いや、前待ち合わせした場所でいいよ』
すぐ既読になった。
『行ったら迷惑ですか?ならやめておきます』
迷惑……な訳ない。
嬉しい。
ただ──
八歳も年下の男の子と一緒にいるのが恥ずかしいと思ってしまった。
でも、勇凛くんは私の旦那さんなんだ。
そんなこと思うのは彼に失礼だ。
『わかった。待ってる』
私はその後、会社の住所を送った。
◇
暫く会社の前で勇凛くんを待っていた。
「七海さん!」
息を切らした勇凛くんが来た。
「遅くなってすみません」
「ううん。わざわざ来てくれてありがとう」
「七海さんにまた何かあったら大変なので」
優しい…….。
「じゃあ帰ろうか」
勇凛くんと歩き出そうとした瞬間
「川崎さん」
背後から声をかけられた。
森川さんだった。
最悪なタイミング……。
森川さんは私と勇凛くんをじっと見ている。
「その子は?」
「えーと……」
勇凛くんがいる。
ちゃんと言わないといけない。
なのに言葉がでてこない。
「弟?」
その時、勇凛くんが一歩前に出た。
「夫です」
──言ってしまった。
気まずい沈黙が流れた。
「夫……?」
森川さんが首を傾げている。
「はい。俺と七海さんは夫婦です。結婚しています」
あーーー!!
私は耐えられなくなった。
「あの、これには深い事情が……」
森川さんはそれを聞いても驚いている様子はなかった。
「そうか。おめでとう」
少し穏やかな顔をした。
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。
会社の人に知られてしまった。
いや、人事に説明しないといけないし、近いうちに知られてしまうんだけど。
「あ、俺言っておいたよ。川崎さんにこれ以上無理させるなって」
「え?」
だから、今日早く帰っても特になにも言われなかったのか。
「ありがとうございます……」
陰で助けてもらえたことが嬉しかった。
「じゃあ、また明日」
森川さんはその場を去った。
「……あの人なんなんですか?」
勇凛くんの低い声が聞こえた。
勇凛くんを見ると、険しい顔をしている。
いつもの優しくて穏やかな勇凛くんとは違う。
「会社の先輩だよ。私が入院したの知って、上司に忠告してくれたの」
「そうなんですか……」
沈黙が流れた。
「勇凛くん……そろそろ帰ろうか」
「はい……」
勇凛くんは険しい表情のままだ。




