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 三階を見て回った後、レネが外に行くというので、ルーカスは外衣を借りてレネと共に表に出た。家の裏手に回ると大小の小屋が二軒建っていて、小屋のそばには温室があった。


「大きい方の小屋が僕の作業場兼物置きで、小さい方が薪小屋だよ。あと、こっちは温室だ」

「温室?」

「うん。限られた品種を少しだけど、野菜とか果物とか花を育ててるんだ」


 レネに連れられて温室の中に入る。温室の中は暖かく、レネの言う通り数種類の野菜と果物が栽培されていた。花はどれも咲いていないようで、低木もいくつか植えられているようだった。


 温室にいくつかある暖房器具の中には、先日居間の暖炉で見た内側が銀色に光る薪がくべられている。


「これ、薪……?」

「北部に沢山生えている木を切って作った薪だよ。一度火を入れると二週間は燃えてくれるし、少しでもとても暖かいんだ」

「レネが木を切って持ってきたのか?」

「俺が持ってきたんだ」

「私が持ってきたんだ」


 問いかけた瞬間、自らの両脇から聞いたことのない声が聞こえ、ルーカスは驚きのあまり飛び退った。


「えっ!?」


 いつの間にか、二人の子供が現れた。気配も、物音もしなかった。


 二人の子供はゆっくりと振り返り、飛び退ったルーカスの方をじっと見つめる。


 一人は、赤銅色の短髪に赤い瞳の十二、三歳くらいの少年だ。もう一人は、紺青色の長髪に瑠璃色の瞳の、これまた十二、三歳くらいの少年だ。二人とも全く同じ顔をしていて、まるで双子のように見える。


「やあ。リコもロペも、こんなに早く来るとは思わなかったよ」


(リコとロペ? 彼らが?)


「ルーク、紹介するよ。彼がリコ。強い力を持つ火の精霊だ」


 レネに示された赤銅色の短髪の少年が頷き、満面の笑みをルーカスに向けた。


「俺のルーク! ずっとおまえに会いたかったんだ!」


 初対面での愛称呼びと自分のもの呼ばわりに驚く間もなく、リコが凄まじい勢いで飛びついてくる。


 ルーカスは慌ててリコを受け止めた。リコはルーカスをぎゅっと抱きしめ、見上げて言う。


「ようやく自分の意思で俺の石を使ってくれたな! あのクソ共の言いなりで使われても全然嬉しくない! おまえ以外の人間に関わるのはごめんだが、あのクソ共……殺してきてやろうか?」

「えっ、いや、大丈夫だから殺さないで!」


 動揺するルーカスが慌てて叫ぶと、リコは不満そうな顔をして、ますますルーカスに擦り寄る。


 すると、紺青色の長髪の少年が顔を顰めて素早く歩み寄り、勢いよくルーカスからリコを引き剥がした。そうして、その代わりに自らがルーカスに抱きつく。


「ルーク、彼がロペだよ。強い力を持つ水の精霊だ」


 レネの紹介に呼応するように、ロペは抱き締める腕に力を込め、ルーカスを真っ直ぐ見上げて微笑む。


「私のルーク。ずっとおまえに会いたかった。私の石を自分の意思で使ってくれて嬉しい」


 初対面での愛称呼びといい、自分のもの呼ばわりといい、精霊たちは気に入った者に対しての距離感が物凄く近いのだろうか。


 静かに狼狽えるルーカスお構いなしに、ロペが言う。


「そこの無能な火の精霊とは違って、私ならおまえをずっと閉じ込めて良いように扱っていたあの人間どもを半殺しにできる」


 どうだ、と言わんばかりにロペが小首を傾げる。


「いやいやいや、大丈夫! 半殺しにもしなくていい! 気持ちだけ貰っておくからやめてくれ!」

「おまえは優しいな。いい子だ」


 リコとロペがこの場から動く気配はなく、その表情は二人とも穏やかだ。どうやら、ルーカスの言うことを聞いてくれるらしい。

 ひとまず、リコとロペが王立研究所を襲撃する危険はこれでなくなった。


 ほっと息を吐く間もなく、リコが突進するような勢いでルーカスに抱きついてくる。


「ルークから離れろ、ロペ! こいつは俺のものだ!」

「リコこそルークから離れろ。この子は私のものだ」

「なんでも俺の真似をしやがって! ルークは俺が先に見つけたんだ!」

「おまえこそなんでも私の真似をするのはいい加減にしたらどうだ。ルークは私が先に見つけた。嘘をつくな」

「嘘をついてるのはおまえだろ! ルークだって水より火の方が好きに決まってる!」

「嘘をついているのはおまえだろう。いつもいつも私の邪魔をして。ルークは火より水の方が好きに決まっている。適当なことを言うな」


 抱きついたまま猛烈な勢いで言い争うリコとロペに、ルーカスはどうすることもできずに狼狽した。ルーカスが口を挟めば事態が悪化する予感しかしない。


「リコもロペも落ち着こう」


 ふいに、すぐ後ろからレネの落ち着いた声が聞こえ、かと思えば次の瞬間、背後から腕が回って抱きしめられる。


 レネはルーカスを抱き寄せるようにして、リコとロペをやんわり引き剥がす。


「ルークは僕のだ。ね?」


 耳元で囁くようにして同意を求められると同時に、右耳の耳飾りを弄ぶようにして触れられる。


 一気に顔面に熱が集中する。ルーカスの口からは「あ……」だの「う……」だのとはっきりした言葉にはならない音しか出ない。


 ぴたりとくっついた体に、ほのかに香るレネの甘い匂い。耳元で感じる息遣いと、耳飾りをいじくり回される感触。頭の中は真っ白で、心臓が激しく鼓動する。体は動かず、レネにされるがままだ。


「ところで、リコとロペはルークに会いに来たの?」


 レネはそのままの体勢で話を続ける。


 意外なことに、リコもロペもレネからはルーカスを奪い返そうとはせず、黙ってこちらの様子を見ている。ルーカスの右耳についているレネの精霊石の耳飾りについても何も言わない。


 リコとロペはルーカスに精霊石を授けようとする他の精霊たちを退けていたというから、何か言いそうなものであるが、レネは例外らしい。


「それもある。本題はこっちだ。ほら」

「それもあるが、私はこれを届けにきた」


 同時に話し出し、同時に懐から何かをレネに差し出した。


 リコとロペが差し出したのは、手のひらに収まるほどの小瓶だ。透明な小瓶の中には、小瓶と同じく透明な液体が入っている。


 その小瓶を見た瞬間、ルーカスの背後のレネが小さく息を呑んだのがわかった。


 レネはその小瓶を素早くリコとロペから受け取り、ルーカスの視界から隠すようにしてあっという間に衣服のどこかにしまい込んだ。


(——なんだ?)


 妙な胸騒ぎを覚えるも、状況がよくわからない。リコとロペが渡したあの小瓶がなんだというのだろう。


「一滴ずつだ。それ以上は飲むな。いいな?」

「一滴ずつ飲むように。必ず守れ。わかったな?」


 また同時に同じことを言い、リコとロペは念を押す。


(一滴ずつ、飲む?)


 つまり、小瓶の中の液体は飲料だということだ。見た目はただの水のようにしか見えないが、水ならば必ず一滴ずつ飲むようになどと注意はしないだろう。


「じゃあ、ひとまず俺はこれで。また来る」

「では、私はそろそろ帰ることにしよう。また様子を見にくる」


 狙い澄ましたように同時に話し出すリコとロペに、レネは頷く。


「ありがとう。今度はもっとゆっくり話そう」


 そうして、瞬きの一瞬でリコとロペが姿を消した。


 ルーカスが驚きに声を失っていると、ゆっくりとレネが離れていく。


「戻ろうか」

「……うん」


 穏やかに笑うその表情も、声音も、レネには何も変わりがないように見えるのに、言いようのない奇妙な違和感を覚える。まるで、先ほどの小瓶についての話題をルーカスが切り出してはこないかと気を張っているかのようだ。気のせいだろうか、とレネに視線を送ると、途端に目が合う。


 レネはルーカスと目が合うと、顔から笑みを消し、真剣な表情になる。


「ルーク。その……」


 レネは言いづらそうに口火を切る。口ごもりながら、言葉を続ける。


「さっきロペが言っていたことだけど……きみをずっと閉じ込めていいように扱っていた人間、って」


 瞬間、ルーカスは目を見開き、息を呑む。


 そうだった。先ほどリコとロペが、ルーカスが王立研究所でどのような生活をしていたのか、仄めかすようなことを口走っていた。それを聞いたレネが気になるのも当然だ。少なからずルーカスを想うなら、ルーカスの身が害されていたような内容の話を聞いて気にならないわけがない。


 レネはそれ以上何も言えないようで、黙り込んでしまった。ややあって、言う。


「ごめん。容易に聞いていいことじゃなかったね」

「あ……違う、その……話したくないわけじゃないんだ。なんて説明したらいいのかが……」


 自然と歩みが遅くなる。レネもルーカスの歩調に合わせ、二人でゆっくりと進む。


 そうして、ルーカスはとつとつと自らの身の上を話し始めた。


 フアネーレ家の庶子であること。十三歳の時に精霊研究の実験台として王立研究所に身を置き始めたこと。王立研究所での監視生活。精霊の集いが開催されている北部に単身で乗り込んだ経緯。


 全てを話す頃には、温かな居間に戻ってきた。レネは口を挟まずに相槌だけ打ち、ルーカスの話を静かに聞いた。


 話終わったルーカスをソファーに座らせ、おもむろに抱き締める。


「頑張ったね、ルーク」


 その瞬間、ルーカスの視界が歪む。何かが頬を湿らす。


「きみはよく頑張った」


 頑張ったことなんてない。


 自分の置かれた状況から抜け出すために何をするでもなく、諦めて日々を過ごしていた。ただ、それだけだ。


 精霊研究の傍らで強大な兵器として留め置かれていることをうっすら察し、精霊石の制裁の有無の確認を繰り返す中で、やがて、死んだらそこまでだと生きることすら半ば諦めていた。


 閉鎖された孤独の中で生かされるしかないのだと、そう思っていた。


 何も頑張ってなんかいない。ただ、耐えていただけだ。寂しさを押し殺して、孤独に耐えた。


 けれど、たった今、確かにこの瞬間、ルーカスは救われた。頑張った、とレネに言われた瞬間、終わりの見えないあの深い孤独から助け出された気がした。


 他でもない、ルーカスと同じ——いや、ルーカス以上の深い孤独と寂しさに耐えてきたレネに言われたからこそ、その言葉が胸の奥にゆっくり浸透していく。


 レネが「寂しかったね」と言わないのは、その寂しさの程度はルーカスにしかわからず、容易に共感できないほど耐えがたいものであると身をもって知っているからだろうか。その優しさが身に染みるようだ。


 自分が泣いているのだと、ルーカスはようやく気付く。しゃくり上げそうになるのを堪え、声を上げずにぼたぼた涙をこぼす。抱きしめられていて良かった。さもなければ、ぐしゃぐしゃのみっともない泣き顔をレネに見られていた。


「レネも、頑張った、よ。頑張ってるし、偉い、よ」


 体から力を抜き、レネに身を任せる。それから、ゆっくり抱きしめ返す。腕に力を込めると、それに応えるようにレネも腕に力を込めた。


 ——ああ、一人じゃない。


(レネがいる)


 一人ではないのだと、何度も何度も噛み締める。抱き締められている腕の強さが、温もりが、匂いが、全ての感覚がここにいるレネの存在を知らしめてくれる。


 もう、一人ではない。


 視線が交わる者がいる。言葉を交わせる者がいる。触れ合える者がいる。心を通わせられる者が、確かに存在している。深い安堵と喜びが少しずつ心を満たしていく。


「ルーク、僕はきみのそばにいる。きみも僕のそばにいてくれる?」

「うん……うん、もちろん……」


 ず、と鼻を啜るような小さな音が耳のそばで聞こえて、ルーカスはレネの背をさすった。


「ずっと一緒にいよう、レネ」


 思わず口についてしまった言葉だった。レネがほんのわずかに身じろいだ気がした。


 ずっと一緒にはいられないなのだと、レネは生贄として死にゆく身なのだと、わかっていたはずだった。それなのに、言葉にしてしまった。


 レネはすぐには返答しなかった。少しの間沈黙し、それから言う。


「ありがとう、ルーク」


 同意ではないその言葉が、レネの『答え』だった。

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