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 ほぼ昼食のような朝食を食べた後は、ルーカスの服を作りたいというレネの希望で採寸をした。それから、レネに連れられて家の中を見て回る。


 窓の無い一階はほとんどが書庫と物置で、その他には食料庫がある。二階には玄関と居間と客間、台所、浴室、食事室、手洗い、他にいくつか空き部屋があった。


「三階はほとんどが僕の作業場なんだ」


 最初に案内されたのは、画室だった。広い室内には沢山のキャンバスが置かれている。イーゼルには描きかけの絵が立てかけられていて、部屋中に絵の具のにおいが満ちていた。


「全部レネが……?」


 当たり前の問いが口について出るほど、沢山の絵が置いてある。


 人物画と風景画が主だ。人物画に描かれた者は皆生き生きしていて今にも動き出しそうで、風景画はまるで実際の風景を切り取ったかのようだ。レネの目を通すと、世界はこんなにも美しいものになるのかと感嘆せざるを得ない。


「この人は?」


 ルーカスが示したのは、多くの人物画に描かれている一人の老人だった。


 明朗快活な印象を受ける筋骨隆々の老人で、どの絵でも弾けるような笑顔をしている。額には、隣国では罪人の証である焼印が押されている。


 この焼印は罪状によって形状が異なるらしいが、なにせ隣国のことであるために、どの形状の焼印が何の罪状を示すのかまでは詳しくは知らない。


「彼はエリオットだよ。僕が二歳から十五歳になるまで面倒を見てくれた人だ」


 静かに、懐かしむようにレネは言う。


「彼は隣国の騎士団長を務めていたんだけど、無実の罪で投獄されてね。その後に労役として、この国を西側から攻めるための道を探せとこの雪原に放り出された。行き倒れて危なかったところを、当時まだベルデアに残っていた住人が連れてきて助けたんだ。エリオットだけが僕を二歳の子供として扱ってくれてね。その時には母は消えてしまっていたから、彼がリコとロペと一緒に僕の面倒を見てくれた。ベルデアの住人を含めた西部の人たちがこの地に見切りをつけて出て行った時も、彼は僕のためにとここに残ってくれた。僕にとっては父のようでもあるし、祖父のようでもある人だ。彼に人としての道理を教わったおかげで、僕の感性は人間に寄っている」


 レネが物心つくころには母親がいなくなっていて、その後は面倒を見てくれる人と、リコとロペに世話になったというのは昨日聞いていた。その『面倒を見てくれる人』というのがエリオットなのだろう。


 レネが二歳の時から十五歳の時まで面倒を見てくれたということは、エリオットは少なくとも二百八十年以上前に生きていた人物だということになる。十五歳の時まで、というのは、エリオットと死別したか離別したかのどちらかだろうか。


 気にはなったが、軽々しく聞けるようなことでないとすぐに察した。レネによって描かれた絵を見ていれば、エリオットがレネにとってどれほど大事な人なのかがわかる。レネの様子からしてもそうだ。昨日今日出会ったばかりのルーカスが踏み込んでいい事柄ではない。


 ルーカスは絵の中のエリオットをじっと見つめた。彼がレネに良い影響を与えたのは考えるまでもない。


 嘘偽りのない、見ているこちらの気分を明るくさせる晴れやかな笑顔。豪快な笑い声が今にも聞こえてきそうだ。きっと、エリオットがいる間のレネは、健やかにのびのびと育ったに違いない。確かなことは何もわからないのに、そう確信している自分がいる。


「エリオットは僕が十五歳の時に病気で亡くなってね。同じ頃に僕は体の成長が止まって、人間よりは長い生を生きなければならないとわかったし、どうしてもエリオットと過ごした日々を忘れたくなくて絵に残すことにしたんだよ。おかげで今も覚えていられる」

「あ……」


 大切な人だったんだな、と口にしかけて、閉口する。何を言っても薄っぺらい言葉にしかならなさそうだった。


 かける言葉が見つからない。自分が迂闊なことを言ったせいでレネが傷付いたら、どうすれば良いのかわからない。エリオットについて何も知らないルーカスが彼について何か言ったところで何になる。エリオットの気持ちを推測するような慰めなどレネに言えるわけがない。


「十五歳で成長が止まった……? 今のレネはどう見てもそれ以上の年齢に見えるけど?」


 悩みに悩んだ結果、ルーカスは的外れな方向に話をずらすしかなくなった。レネからも絵の中のエリオットからも目を逸らし、言う。


「ああ、それは……七年前から体の成長が再開してね。今の体は二十二歳かな。寿命だよ」

「え? 寿命?」


 驚いて、弾かれたかのようにレネを見る。


 レネは穏やかに笑う。


「言い方が悪かったね。体が成長を再開して老化し始めたから、僕に残された時間は人間が生きるのと同じくらいの時間という意味だよ。放っておいたらきみと同じくらいは生きられるんじゃないかな」


 十五歳で体の成長が止まり、そのまま百数十年が過ぎて、寿命が近付けば体の成長が再開する。かなり不思議なことに思えるが、それもこれも精霊と人間が混じる存在だからだろうか。


「それも、精霊と人間の間の子どもだから?」

「うん。僕たちは普通、老化はしないんだけどね。生まれた時から固定された同じ姿で、そのまま還るんだ。寿命もとても長いことが多い。僕は三百年くらい生きているけど、短い方だよ」


 一通り部屋を見てから退室し、次の部屋に向かう。


「寝室にあった絵もレネが描いたのか?」

「そうだよ。僕はああやって、楽しかったこととか、覚えておきたいことを絵にしているんだ。寝室の絵は、まだエリオットが生きていた時、彼が知り合いの商団をここにこっそり呼んでくれてね。その時に催した宴会の絵だよ」

「もしかして、その時の商団の人たちとまだ付き合いがあったりするか?」


 さもなければ、現状において説明がつかないことが多い。レネはルーカスに食事を提供してくれたが、使われていた野菜は冬には育たないものだった上に、どれも新鮮なものに思えた。更に、レネはルーカスの服を作ると言っていた。ということは、布があるということだ。その布はどうやって手に入れたのだろう。素材から布を作るにしても、この環境では素材を揃えるのも一苦労するに違いない。


 つまり、レネはどこかから食料や日用品、生活する上で必要なものを仕入れているということになるのではないだろうか。


「色々あって、もう付き合いはないよ。ああ、そうだ。商団といえば、今は隣国で商人をしているフロールという人に食料やら何やらをお願いしているんだけどね。そろそろ来る頃だから、彼が来たらきみにも紹介するよ」


 画室の次に、裁縫や編み物や刺繍のための道具や素材が揃えられた部屋、木彫りの彫刻が並ぶ部屋、書物で溢れかえる書斎、縦型織り機の置かれた部屋を回った。


「これ、凄いな」


 未完成の織り物を見つめながら、思わず口から感想が溢れでる。


「この技法で織るのはとても良くてね。物によっては完成するまで数年、数十年かかってくれる(・・・)し、夢中になるとあっという間にひと月過ぎてくれる(・・・)から」


 レネの言葉を聞いた瞬間、ルーカスは察してしまった。


 どうして、「数年、数十年かかってくれる」「過ぎてくれる」と——『くれる』などと言ったのか。


 縦型織り機での敷物の作製、服と靴の作製、刺繍と編み物、家具の制作、料理、絵、木彫りの彫刻。


 なぜ、レネがこれほどまでに『多才』なのか。


 なぜ、ルーカスが『多才』だとレネを褒めた時、あまり嬉しそうではなかったのか。


 一階の書庫と書斎の様子を思い出す。そう、どちらも本で溢れかえっていた。


(——ああ、同じじゃないか)


 王立研究所で実験台として生活していた頃、自由のないルーカスには、空いた時間に本を読むか、刺繍をするか、昼寝をするかしか選択肢がなかった。


 きっと、レネも同じだ。


 レネは自分の意思では制御できない強い力のせいで、この地から動くことができない。エリオットが亡くなった後、人のいない雪原で、たった一人、長い時を生きるしかなかった。


 だから、『多才』なのだ。自ら進んで誰とも交流できず、どこにも行けない。気が狂いそうになるほどの孤独を、様々なものを作り、本を読んで、何かをして、紛らわすしかなかった。ルーカスと同じで、それしか選択肢がなかったのだ。


 レネが『多才』であればあるほど、孤独の深さと好奇心の旺盛さが垣間見える。好奇心が旺盛な者にとって、この環境はどれほど辛いものだろう。


 レネは多分、人が好きだ。人と関わるのが好きなはずだ。さもなければあんな人物画は描けない。一体、どんな気持ちで、エリオットや、その他の人たちの絵を描いたのだろう。人間と同じような感性のレネは、どんな気持ちで、一人きりで生活を送っていたのだろう。


(俺と、同じ)


 どこにも行けず、誰とも深く関われず、孤独に苛まれながら毎日を過ごすしかない。


 楽しかった過去に縋りながら、先の見えない日々を生きることしかできない。


「レネ……」

「ん? どうしたの?」


 レネはルーカスを見つめて小首を傾げ、ふわりと笑う。


 呼びかけて応えてくれることが、目と目が合うことが、こんなにも嬉しくてたまらないなんて。


 一人ではないということが——言葉を交わし、心を通わせることが、こんなにも幸せだなんて。


 きっと、レネも同じ気持ちだ。


 それだけでなく、ルーカスと過ごすこれからの半年間が、レネの長い生の最後になる。


 どうして。


 どうして、自らの最後の時間を全て使ってまで、見ず知らずの人間を助けるような優しい者が、死ななければならないのだろう。


 どうして、これまでずっと孤独に苛まれながら必死に生きてきた者が、孤独のままに犠牲となり、死んでいけと定められなけれならないのだろう。


 ルーカスはゆるゆると首を横に振った。


「なんでもない」


(最後の日が来るまで、レネのそばにいる)


 ルーカスの想いは言葉にならない。


 口に出そうが出すまいが、レネが生贄となることは、きっと覆らない。


 そうわかっているのに、「最後の日が来るまで」などと口に出してしまったら、本当にその日が来てしまうような気がした。レネに最後の日が来るだなんて考えたくもなかった。


 すぐそこ、手を伸ばせば触れることのできる距離に確かに存在しているレネが、半年後に永遠にいなくなるのだと思うと、胸が締め付けられるように痛んだ。

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