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アンリアルロジック  作者: どめし
第一話『変わる世界』
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scene2 逆光

 午前中の授業はあっという間に終わってしまい、皆が楽しみにしていたのであろう昼休みがやってくる。

 ここ、一年D組の教室には、食堂や購買へ出ていった人数よりもたくさん、他のクラスの生徒がお弁当持参で詰めかける。男子もいるけど、女子の方が少し多いような気がする。

 彼らのお目当てはD組の学級委員、矢野早苗さん。活発で人当たりも良くて、おまけに可愛い人気者だ。彼女は入学してからすぐに色んな人に話しかけに行って、あっという間に沢山の友達に囲まれるようになった。私とはまるで反対の位置にいる。

 矢野さんは私に話しかけてくれたこともあって、そのときは私にもやっと友達ができたんだ、と舞い上がったものだけれど、やっぱりだめ。人気者な彼女の周りに集まる他の子たちに押し出されるかたちで、私と矢野さんとの交流はほんのひと時で終わった。

 今思えば、孤立しがちな同級生に、面倒見の良いリーダータイプの子が儀式的に声をかけてくれただけに過ぎないのだ。それを思い知ってからは、ああやって皆に囲まれる矢野さんを見るたびに惨めな気持ちにさせられる。

 私はお弁当を持って、隣の空き教室を目指した。人気者の矢野さんがいる教室の隣、ということもあってか、私からしてみれば格好の溜まり場であるはずの空き部屋は、いつもがらんとしている。

 どうせ一人で食べるのなら、誰もいない所で食べた方がいい。そういう場所を簡単に確保できていることは、私にとって幸運だった。

 空き教室に入るところを見られるのがなんだか嫌で、普段通り周りをちらりと見渡してから、そっと引き戸を開けた。移動教室のときには他の教室と同じように使われるので、机もきちんと並べられている。私の特等席は窓際の一番後ろだ。あそこなら、外からの光があるおかげで、電気をつけなくてもある程度明るいから。

「あっ」

 短く、素っ頓狂な声が漏れた。特等席に誰かが座っている。逆光によってくっきりと映し出されたそのシルエットは、そのくせ薄ぼんやりとした存在感で、音もなく机の上の弁当箱をつついていた。

 異様だ。

 異様な姿に、私には見える。

 声に気がついたらしいシルエットがこちらを見た。眼鏡をかけた、ショートボブの女子生徒。窓を背にしているせいで、その表情はよく分からない。

 居たたまれない気分になって、踵をかえした。

「待って」

 背中にかけられる声。か細い声。私は震えてしまう。驚きで。そして、嬉しくて。

「いつもここにいる人……ですよね」

 小さな声は、薄暗い教室の異世界のような静けさのおかげで、魔法か、もしくはテレパシーかと思うほどの鮮明さで頭の中に飛び込んでくる。

 いつもここにいる人。これまでの孤独な姿を見られていたということだ。再び眼鏡の先客に身体を向けてこくりとうなずいた私の耳は、多分真っ赤になっている。

「私、ね」

 声と同じ、おどおどとした小さな動きで先客は立ち上がる。逆光の中でも、彼女が顔を赤らめるのが分かった。

「A組なんだけど、えっと、なんだか……あの、友達がいなくて」

「……そう」

 まるで他人事のように、素っ気ない相槌をうつ。そんな告白、私には到底真似できないな。

「だから――って、いうわけじゃないんだけど、その――」

 逆光の中で、きっと、彼女は笑顔を作った。

「せ、せっかく、だから」

 彼女の勇気を象徴するような光が窓から差し込んで、私の額をじわりと湿らせる。

 背の低い子だな、と思った。地味で暗そうな子だと思っていたことを、今更のように自覚した。自分よりも下の存在だと、彼女のことをそう捉えている自分がいたことに、嫌なタイミングで気づいてしまった。

 立ち去ろうとした背中に声をかけてもらって、私は喜んでしまった。それが、なんだかとても情けない。

 悔しくて、悔しくて、

「よかったら、一緒に食べませんか?」

「今から別の場所探すの面倒くさいし、いいよ」

 余計な照れ隠しをした。言ったそばから、今のは性格悪そうに聞こえやしなかったか、と不安になる。

 力を使い果たしたという感じで机に手をつく眼鏡の、前の席に私は座った。また背を向けてしまっていることに気づいたけれど、今から隣に移動するのは気恥ずかしかった。

 いつもよりも一つ前の席で、いつもと同じ小ぶりなお弁当箱を広げて、いつもと同じように黙々と食べ始める。昨日の晩御飯の残りを賑やかしに添えた、シンプルなお弁当。我ながらセンスのない詰め方だとは思うけれど、どうせ誰にも見られることはないのだからと、それを問題に感じてはいなかった。

 今までは。

 私の体が壁になって見えないはず。そう考えてしまう程度には、後ろが気になってしまう。

「あの、もしかしてだけど」

 後ろから、か細い声。私は壁としての役割を失わないように、身体をひねって後ろの席に顔を向けた。

「場所、そこ、嫌だった?」

「え?」

 何を言いたいのか分からなくて、そんな気はないはずなのに機嫌の悪そうな声が出る。眼鏡の奥がぴくりと震えて、気の弱そうな同級生は目を伏せた。

「私、この席、取っちゃって……」

 ああ、なるほど。彼女の言いたいことがようやく分かる。そんなことを気にさせていたのかと、今度はこちらが申し訳なくなる番だった。

「そんなのぜんぜん、少しも、何とも思ってないから、だから――」

 なんだか焦ってしまって。声が裏返るほど、焦ってしまって。だから私は話の流れだとか、雰囲気だとか、そういった面倒くさくて、恐らく私がいつも大切にしているものをどこか――教室の隅かどこかに押しのけてしまう。

「名前、なんていうの」

「篠山菜々華です」

 この子にとって、私の質問は唐突ではなかったのだろうか。篠山菜々華は、私が返事を待つ間も与えずに、早口にそう言った。ささやまさん。確認のつもりで彼女の苗字を口にすると、篠山さんは何かを飲み込むように頷いた。

「私は、北沢柑菜」

 きたざわさん、と篠山さんも繰り返す。どうしたら良いのか分からなくて、とりあえずうん、と返事をした。

「明日も、ここに来る?」

 上目づかいの篠山さん。私はまた、うんと返す。

「明日も、来て良い、かな」

 今度は、良いけどと返してみる。すると篠山さんの顔がぱあっと明るくなって、私は思わず目をそらせてしまった。それはきっと、人にこんな顔をされることに慣れていなかったから。

 前に向き直って、食事を再開する。小奇麗で面白味のないお弁当は、いつもより何倍も早く空になった。

「私ね」

 食べ終わるのを待っていたのだろうか。小さくて、それでも弾むような声で篠山さんが話しだした。

「中学の時から人付き合い、苦手で。高校でもなかなかうまくいかなくて。だけど北沢さんに声かけてみて、よかった」

 訥々とした物言い。そんなことを言うなんて、重いな、と感じる。でもそれ以上に、狡いな、とも感じる。重いと思われたら嫌だから、私はそんな言葉を口に出したことがないのに。

「相談室にね、行ってみたんだ」

「相談室?」

 聞き慣れない言葉だと思ったので、復唱してみた。口にしてみると、どこかで聞いたことがあるようにも思えてくる。

「一階の――西棟の。保健室の隣の」

「ああ、なんだっけ、スクールなんとかがいる」

 今までに気にしたこともない事柄が、急に頭の中に蘇ってくる。そういえば、入学してすぐの時に、そういうものがあるという話を聞いたはずだ。

「そう。スクールカウンセラーのひとがいる所。そこでね、相談して」

「人付き合いが苦手です、って?」

 本当は「友達ができません、って?」と言いたかったのだけれど、それはさすがにストレートすぎるだろうと思って止めておいた。結局出てきた言葉にしても、茶化しているような物言いだったような気がしてしまう。篠山さんは私のそんな質問に、そうだね、と照れるように笑った。

 控えめな笑顔が、薄暗い教室の中で儚く、尊く、ひどく得難いものであるように映る。こんな笑顔ができれば、友達がいないなんてことはないんじゃないか。そんな風にすら思われる。

 こんな笑顔ができても、明るい部屋の大勢の中では見向きもされないんだろうな、とも思ってしまう。

「それで、助言もらったんだ。だからこうして北沢さんと話せて。本当に、よかった」

「どんな助言だったの」

 ああ、やっぱり重い。頭の片隅で、そんな言葉が黒く霧のようになって停滞している。そんな気持ちを自分の中でうやむやにしてしまいたくて、私は篠山さんの前で初めて笑顔を作った。

「それはね、秘密」

 控えめな笑顔に、薄っすらと悪戯っぽさが混ざる。特にこれといって知りたい事柄というわけでもなかったので、私は笑顔を貼りつけたまま、そっか、と返した。

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