第18話「もう1つの黒い鞄」
第18話 もう1つの黒い鞄
――1971年11月28日 午前8時30分
アメリカ合衆国・オレゴン州ポートランド CLIB臨時調査室
11月28日、日曜日。
ポートランドの空には、朝から厚い灰色の雲が広がっていた。
窓の外では、雨に濡れた道路を自動車が行き交い、空港へ向かう旅客機が低い雲の中へ姿を消していく。
空から消えた男、ダン・クーパー。
ノースウエスト・オリエント航空305便を乗っ取り、20万ドルの身代金と4つのパラシュートを要求した男は、11月24日の夜、飛行中の旅客機から忽然と姿を消した。
犯人が本当にパラシュートで飛び降りたのか。
それとも、誰も予想していなかった方法で姿を消したのか。
その答えはいまだ見つかっていない。
そして、事件発生から4日が経過した現在、捜査は新たな局面を迎えようとしていた。
エレノア・アシュフォードは、机の上に広げた資料を見つめていた。
隣ではソフィア・ベネットが、これまでの聞き取り内容を手帳に整理している。
窓際の椅子には、少しくたびれたベージュ色のトレンチコートを羽織ったクララ・コールマンが座っていた。
「……それにしても、不思議な事件ですねぇ」
クララが呟いた。
ソフィアは顔を上げた。
「何がですか?」
「いやぁ、鞄のことですよ」
クララは机の上の写真を指さした。
「ポートランド空港で見つかった黒い革鞄。中からはダン・クーパーという名前の荷物札が見つかり、さらに機内で採取された指紋と一致する指紋まで残されていた」
エレノアは頷いた。
「ええ。事件との関連を疑うには十分な材料があるわ」
「そうですねぇ」
クララは答えた。
「でも、それだけ証拠が揃っているのに、どうして犯人の行方には近づけないんでしょうねぇ」
ソフィアは手帳を見つめた。
「……確かに」
エレノアは腕を組んだ。
「証拠が本物でも、そこから導かれる解釈が正しいとは限らないわ」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、そのとおりです」
その時、部屋の扉が開いた。
ジョージ・ミラーが、数枚の書類を持って入ってきた。
「皆さん、少しよろしいでしょうか」
エレノアが顔を上げた。
「何か分かったの?」
「はい」
ミラーは机の上に書類を置いた。
「シアトル・タコマ国際空港から、新しい報告が入りました」
ソフィアは身を乗り出した。
「新しい報告?」
ミラーは頷いた。
「昨日、11月27日の午後、シアトル・タコマ国際空港の手荷物保管所で、もう1つの黒い革鞄が発見されたそうです」
室内に沈黙が落ちた。
エレノアの青い瞳が細くなった。
「……もう1つ?」
「はい」
ミラーは答えた。
「しかも、305便の犯人が所持していた鞄に似ているということで、連邦捜査局が調査を始めています」
ソフィアは驚いた表情を浮かべた。
「……じゃあ、黒い鞄が2つあるってこと?」
「そうなります」
ミラーは頷いた。
クララは、ゆっくりとコーヒーカップを置いた。
「いやぁ、これはまた……」
そして、少し考えた。
「面白いことになってきましたねぇ」
エレノアは資料を手に取った。
「発見されたのは昨日……11月27日」
ソフィアが顔を上げた。
「……あっ」
エレノアは頷いた。
「ええ。私たちが出発前に確認した事件概要と、日付が一致する」
クララは静かに答えた。
「そうですねぇ」
そして、微笑んだ。
「どうやら、記録が間違っていたわけではなさそうです」
エレノアは腕を組んだ。
「……少なくとも、シアトルで27日に鞄が発見されたという記録は正しかった」
ソフィアは手帳を開いた。
「じゃあ、26日にポートランドで見つかった鞄は……」
「別の鞄だった可能性が高いわ」
エレノアは答えた。
クララは立ち上がった。
「いやぁ、こうなったら実物を見てみたいですねぇ」
エレノアは頷いた。
「ええ。シアトルへ向かいましょう」
ソフィアも立ち上がった。
「うん」
3人は資料をまとめ、部屋を後にした。
――同日 午前11時20分
ワシントン州シアトル シアトル・タコマ国際空港
シアトルの空も、ポートランドと同じように厚い雲に覆われていた。
空港の滑走路には、雨に濡れた旅客機が並び、地上作業員たちが忙しそうに動き回っている。
エレノアたちは、CLIBの手配した車両で空港へ到着した。
連邦捜査局の臨時捜査室では、トーマス・ウォーカー捜査官が待っていた。
「皆さん、お待ちしていました」
エレノアは軽く会釈した。
「新しい鞄が見つかったと聞いたわ」
「はい」
ウォーカーは頷いた。
「昨日の午後、手荷物保管所の整理中に発見されました」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、お忙しいところすみません」
ウォーカーは3人を奥の部屋へ案内した。
そこには、1つの黒い革鞄が置かれていた。
エレノアは、鞄を注意深く観察した。
黒い革製。
金属製の留め金。
使い込まれた持ち手。
しかし、ポートランドで発見された鞄とは、細かな部分が異なっていた。
「……これは」
エレノアが呟いた。
ソフィアは資料を取り出した。
「……ポートランドの鞄と似ているね」
「ええ」
エレノアは頷いた。
「でも、同じ物ではないわ」
クララは首を傾げた。
「どこが違うんでしょう?」
エレノアは写真を指さした。
「まず、角の補強金具。ポートランドの鞄には四隅に金属製の補強具があったけれど、こちらにはない」
ソフィアは頷いた。
「……本当だ」
エレノアは続けた。
「それに、持ち手の裏側」
彼女は鞄を指さした。
「古い補修跡がある」
クララは頷いた。
「なるほど」
ウォーカーが説明した。
「この鞄には、持ち手の裏側に革を縫い直した跡があります」
エレノアは頷いた。
「……かなり以前に修理されたようね」
ソフィアは手帳に書き込んだ。
『シアトルの鞄――持ち手裏側に補修跡』
『ポートランドの鞄――四隅に金属製補強具』
クララは静かに尋ねた。
「ところで、この鞄の中には何が入っていたんでしょう?」
ウォーカーは資料を確認した。
「古い雑誌と、衣類が数点です」
エレノアが尋ねた。
「爆発物は?」
「ありません」
ウォーカーは答えた。
「また、ダン・クーパーという名前の荷物札も見つかっていません」
クララは頷いた。
「なるほど」
そして、少し考えた。
「ああ、そうそう」
ウォーカーが顔を上げた。
「何でしょう?」
「この鞄、どこに置かれていたんです?」
ウォーカーは答えた。
「手荷物保管所の奥です。通常の預かり棚から少し離れた場所でした」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、ありがとうございます」
エレノアは腕を組んだ。
「……ポートランドの鞄も、保管室の奥から見つかった」
「ええ」
クララは頷いた。
「似ていますねぇ」
ソフィアは首を傾げた。
「……偶然なのかな?」
クララは微笑んだ。
「まだ分かりません」
そして、静かに続けた。
「でも、2つの鞄が、どちらも空港の保管室から見つかったというのは興味深いですねぇ」
エレノアは頷いた。
「……そうね」
ウォーカーは資料を閉じた。
「現在、客室乗務員にも確認を依頼しています」
ソフィアが顔を上げた。
「……鞄の特徴を?」
「はい」
ウォーカーは答えた。
「犯人が機内へ持ち込んだ鞄と一致するかどうかを調べています」
クララは頷いた。
「なるほど」
そして、静かに微笑んだ。
「いやぁ、結果が楽しみですねぇ」
――同日 午後0時35分
シアトル・タコマ国際空港 連邦捜査局臨時捜査室
3人は、305便に乗務していた客室乗務員の証言を確認していた。
ウォーカー捜査官が、机の上に調書を広げた。
「犯人が持っていた鞄について、改めて証言を得ました」
エレノアが尋ねた。
「どんな特徴だったの?」
ウォーカーは資料を確認した。
「黒い革製で、比較的小型の鞄だったそうです」
ソフィアは頷いた。
「……そこまでは、どちらも同じですね」
「ええ」
ウォーカーは答えた。
「ただし、持ち手について興味深い証言がありました」
エレノアの表情が変わった。
「……持ち手?」
「はい」
ウォーカーは頷いた。
「客室乗務員は、犯人が鞄を持ち上げた際、持ち手の裏側に明るい色の縫い糸が見えたと証言しています」
ソフィアは息を呑んだ。
「……それって」
エレノアは頷いた。
「シアトルの鞄にある補修跡ね」
クララは静かに頷いた。
「なるほど」
ウォーカーは続けた。
「ただし、証言だけで同一の鞄と断定することはできません」
エレノアは頷いた。
「ええ。似た補修が施された鞄は、ほかにも存在するでしょうから」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、そのとおりです」
そして、少し考えた。
「でも、少なくともシアトルの鞄の方が、機内の目撃証言とよく一致していますねぇ」
ソフィアは手帳を見つめた。
「……じゃあ、ポートランドの鞄は?」
エレノアは腕を組んだ。
「……誰かが用意した偽物かもしれない」
クララは首を傾げた。
「そうかもしれませんねぇ」
そして、静かに続けた。
「でも、もし偽物だとしたら、どうして機内の指紋と一致する指紋が残されていたんでしょう?」
エレノアは答えた。
「……機内にいた人物が、後から触れた可能性がある」
「ええ」
クララは頷いた。
ソフィアは首を傾げた。
「……それって、犯人以外の乗客や乗員でもできるんですよね?」
「そうね」
エレノアは答えた。
「機内で採取された指紋が、必ずしも犯人のものとは限らないもの」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、そうなんですよ」
そして、静かに呟いた。
「もしかすると、私たちは指紋の意味を少し大きく考えすぎていたのかもしれませんねぇ」
エレノアは頷いた。
「……指紋が一致したという事実と、その指紋が犯人のものだという推測は別」
「そのとおりです」
クララは答えた。
ウォーカーは資料を閉じた。
「引き続き、2つの鞄を調べます」
エレノアは頷いた。
「お願いします」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、ありがとうございます」
3人は資料をまとめ、捜査室を後にした。
――同日 午後1時40分
シアトル CLIB臨時調査室
シアトル市内に設けられたCLIBの臨時調査室では、机の上に2つの黒い革鞄の写真が並べられていた。
エレノアは写真を見つめながら、静かに口を開いた。
「……これまでの情報を整理しましょう」
ソフィアは手帳を開いた。
クララは椅子に腰掛け、コーヒーカップを手にしている。
「まず、ポートランドの鞄」
エレノアが言った。
「11月26日の朝、マイケル・リードが発見した」
ソフィアは頷いた。
「中にはダン・クーパー名義の荷物札があった」
「そして、機内で採取された指紋と一致する指紋も見つかった」
エレノアは続けた。
クララは頷いた。
「そうですねぇ」
エレノアは、もう1枚の写真を指さした。
「次に、シアトルの鞄」
ソフィアは手帳を確認した。
「11月27日に発見された。持ち手の裏側に補修跡があって、客室乗務員の証言と一致する特徴がある」
エレノアは頷いた。
「ええ」
クララは静かに呟いた。
「いやぁ、不思議ですねぇ」
ソフィアが尋ねた。
「何がですか?」
「どちらの鞄にも、犯人のものだと思わせる手掛かりがあるんですよ」
クララは答えた。
エレノアは腕を組んだ。
「……確かに」
クララは続けた。
「ポートランドの鞄には名前と指紋。シアトルの鞄には外見上の特徴」
ソフィアは首を傾げた。
「……じゃあ、どちらが本物なんでしょう?」
クララは微笑んだ。
「それが分かれば、苦労しませんねぇ」
エレノアは静かに答えた。
「……でも、もしかすると、その考え方自体が間違っているのかもしれない」
クララが顔を上げた。
「おや?」
エレノアは続けた。
「私たちは、2つの鞄のうち、どちらかが本物だと考えている」
「ええ」
クララは頷いた。
「でも、両方とも犯人のものではない可能性もあるわ」
ソフィアは驚いた表情を浮かべた。
「……両方とも?」
エレノアは頷いた。
「そうよ」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、いい考えですねぇ」
そして、静かに続けた。
「もし誰かが、捜査員に鞄を見つけさせようとしていたなら、2つの鞄が存在する理由も考えられます」
ソフィアは首を傾げた。
「……でも、どうして2つも?」
クララは少し考えた。
「そうですねぇ」
そして、静かに答えた。
「片方が見つからなかった時のためかもしれません」
エレノアは頷いた。
「……あるいは、片方を発見させることで、もう片方への注意を逸らすため」
「ええ」
クララは答えた。
ソフィアは手帳に書き込んだ。
『2つの鞄――どちらも偽物の可能性』
『発見させること自体が目的?』
クララは微笑んだ。
「いやぁ、ソフィアさん」
「はい?」
「その考え、忘れないでくださいね」
ソフィアは頷いた。
「うん」
エレノアは、2つの鞄の写真を見つめた。
同じような黒い革鞄。
しかし、異なる特徴。
異なる発見場所。
そして、異なる発見者。
そこには、まだ誰も気づいていない共通点が隠されているように思えた。
――同日 午後3時15分
シアトル CLIB臨時調査室
ジョージ・ミラーが、新たな資料を持って入ってきた。
「皆さん、ポートランド空港の勤務記録について、追加の情報が入りました」
エレノアが顔を上げた。
「マイケル・リードの?」
「はい」
ミラーは頷いた。
「11月24日の退勤時刻について、同僚から証言が得られました」
ソフィアは手帳を開いた。
「……何て言っていたんですか?」
ミラーは資料を確認した。
「リードは、午後5時過ぎにも空港内にいたそうです」
エレノアの表情が変わった。
「……午後5時過ぎ?」
「はい」
ミラーは頷いた。
「貨物搬入口付近で姿を見かけたという証言です」
クララは静かに頷いた。
「なるほど」
エレノアは腕を組んだ。
「……リード本人は午後5時に帰宅したと言っていた」
「ええ」
ミラーは答えた。
「しかし、勤務表には午後5時30分と記録されています」
ソフィアは手帳を確認した。
「……30分の違い」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、これは興味深いですねぇ」
エレノアは尋ねた。
「目撃者は誰?」
「同じ地上作業員の男性です」
ミラーは答えた。
「名前はデイヴィッド・ブラウン。リードとは別の部署に勤務しています」
クララは頷いた。
「なるほど」
そして、少し考えた。
「ああ、そうそう」
ミラーが顔を上げた。
「何でしょう?」
「その方、リードさんが何をしていたかまで見ていたんでしょうか?」
ミラーは資料を確認した。
「……そこまでは分かりません」
クララは頷いた。
「そうですか」
そして、微笑んだ。
「いやぁ、ありがとうございます」
エレノアは腕を組んだ。
「……でも、これでリードの証言に矛盾があることは確かね」
「ええ」
クララは答えた。
「ただし、記憶違いの可能性もあります」
ソフィアは頷いた。
「……もう一度、本人に確認する必要がありますね」
クララは微笑んだ。
「そういうことです」
エレノアは立ち上がった。
「ポートランドへ戻りましょう」
クララは頷いた。
「ええ」
ソフィアも手帳を閉じた。
「うん」
3人は資料をまとめ、再びポートランドへ向かうことになった。
――同日 午後4時10分
ポートランド国際空港 地上職員事務室
マイケル・リードは、机に向かって書類を整理していた。
3人の姿を見ると、彼は露骨に顔をしかめた。
「……またあなたたちですか」
クララは申し訳なさそうに微笑んだ。
「いやぁ、本当にすみませんねぇ」
リードは溜息をついた。
「今度は何です?」
「ちょっと、確認したいことがありまして」
クララは答えた。
エレノアは、リードの表情を注意深く観察していた。
ソフィアは手帳を開いた。
クララは椅子に腰掛けた。
「11月24日のことなんですけどね」
リードは眉をひそめた。
「……またですか」
「ええ」
クララは頷いた。
「何度もすみません」
そして、静かに尋ねた。
「その日、何時に仕事を終えました?」
リードは答えた。
「午後5時です」
クララは頷いた。
「なるほど」
そして、微笑んだ。
「では、その後は?」
「家に帰りました」
リードは答えた。
クララは頷いた。
「そうですか」
そして、少し考えた。
「ああ、そうそう」
リードが顔を上げた。
「……何です?」
「勤務表には、午後5時30分と書かれているんですよ」
リードの表情が変わった。
「……それは」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、記入間違いでしょうかねぇ」
リードは少し考えた。
「……そうかもしれません」
エレノアは腕を組んだ。
「……でも、同僚が午後5時過ぎにあなたを見かけたと証言しているわ」
リードは顔を上げた。
「……誰が?」
クララは静かに答えた。
「デイヴィッド・ブラウンさんです」
リードは黙り込んだ。
ソフィアは手帳を見つめた。
クララは微笑んだ。
「いやぁ、すみません。別に責めているわけじゃないんですよ」
リードは小さく息を吐いた。
「……少し残業したんです」
エレノアが尋ねた。
「残業?」
「ええ」
リードは答えた。
「仕事が残っていたので」
クララは頷いた。
「なるほど」
そして、静かに尋ねた。
「どんな仕事だったんでしょう?」
リードは少し考えた。
「……荷物の整理です」
クララは微笑んだ。
「そうですか」
そして、少し身を乗り出した。
「どこの荷物を?」
リードは答えた。
「……貨物搬入口の近くです」
エレノアの表情が変わった。
「……貨物搬入口?」
「ええ」
リードは頷いた。
クララは静かに頷いた。
「なるほど」
そして、少し考えた。
「ああ、そうそう」
リードが顔を上げた。
「……まだ何か?」
「もう1つだけ、いいですか?」
クララは微笑んだ。
「その時、誰かと一緒でした?」
リードは首を振った。
「……いいえ」
クララは頷いた。
「そうですか」
そして、静かに続けた。
「では、誰かに会いました?」
リードは少し考えた。
「……覚えていません」
クララは微笑んだ。
「なるほど」
そして、立ち上がった。
「いやぁ、ありがとうございました」
リードは安堵したように息を吐いた。
しかし、クララは扉の前で立ち止まった。
「ああ、そうそう」
リードの表情が曇った。
「……何ですか?」
クララは振り返った。
「もう1つだけ、いいですか?」
リードは溜息をついた。
「……どうぞ」
クララは静かに尋ねた。
「11月26日の朝、黒い革鞄を見つけた時、あなたは保管記録を確認しました?」
リードは眉をひそめた。
「……はい」
クララは頷いた。
「なるほど」
そして、微笑んだ。
「では、記録に載っていなかったんですね?」
「ええ」
リードは答えた。
「だから、不審に思ったんです」
クララは静かに頷いた。
「そうですか」
そして、少し考えた。
「いやぁ、不思議ですねぇ」
リードが顔を上げた。
「……何がです?」
クララは穏やかに答えた。
「あなたは以前、黒い鞄を見ただけで事件を思い出したとおっしゃいました」
リードは黙っていた。
クララは続けた。
「でも、今のお話では、保管記録に載っていないことも確認していた」
エレノアは顔を上げた。
クララは微笑んだ。
「……どちらが先だったんでしょうねぇ」
リードは言葉を詰まらせた。
「……それは」
クララは静かに続けた。
「黒い鞄だったから不審に思ったのか」
そして、少し間を置いた。
「それとも、記録にない鞄だと知っていたから、不審に思ったのか」
リードは黙り込んだ。
エレノアは、その表情を注意深く観察していた。
クララは微笑んだ。
「いやぁ、すみません。細かいことが気になってしまいまして」
リードは小さく息を吐いた。
「……順番なんて覚えていません」
クララは頷いた。
「そうですよねぇ」
そして、静かに答えた。
「でも、私には大切なことなんですよ」
リードは顔を上げた。
クララは穏やかに微笑んだ。
「なぜなら、あなたが鞄を見つけた時、何を知っていたのかが分かるかもしれませんから」
室内に沈黙が落ちた。
エレノアは腕を組んだ。
ソフィアは手帳を閉じた。
クララは静かに頷いた。
「……今日は、これで失礼します」
3人は事務室を後にした。
――同日 午後5時05分
ポートランド国際空港 職員用廊下
廊下へ出ると、ソフィアが口を開いた。
「……クララさん」
「はい?」
「リードさん、やっぱり何か隠しているように見えました」
クララは頷いた。
「そうですねぇ」
エレノアは腕を組んだ。
「……でも、まだ決定的な証拠はない」
「ええ」
クララは答えた。
「だから、もう少し調べる必要があります」
ソフィアは手帳を見つめた。
「……午後5時から5時30分まで、何をしていたのか」
エレノアは頷いた。
「そこが重要ね」
クララは微笑んだ。
「そうですねぇ」
そして、少し考えた。
「ああ、そうそう」
エレノアが顔を上げた。
「何?」
クララは静かに尋ねた。
「リードさん、貨物搬入口の近くで荷物を整理していたと言いましたよね?」
「ええ」
エレノアは答えた。
クララは頷いた。
「でも、その作業を誰かが確認したわけではない」
ソフィアは頷いた。
「……そうですね」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、これは調べる価値がありそうです」
エレノアは腕を組んだ。
「……貨物搬入口の作業記録ね」
「ええ」
クララは答えた。
「それから、当時そこにいた人たちの証言も」
ソフィアは手帳を開いた。
「……分かりました」
エレノアは頷いた。
「次は貨物搬入口を調べましょう」
クララは微笑んだ。
「そうですねぇ」
3人は廊下を進んだ。
その時、遠くで航空機のエンジン音が響いた。
窓の外では、旅客機が滑走路を走り、灰色の空へ向かって離陸していった。
エレノアは、その姿を静かに見つめた。
4日前、同じように空へ飛び立った305便。
その機内から、1人の男が姿を消した。
しかし、その男の行方を示すはずの手掛かりは、なぜか地上に残されていた。
エレノアは静かに呟いた。
「……空から消えた男」
そして、少し考えた。
「でも、事件の鍵は空ではなく、地上にあるのかもしれない」
クララは微笑んだ。
「いやぁ、そうかもしれませんねぇ」
――同日 午後6時00分
ポートランド CLIB臨時調査室
夕暮れのポートランドには、再び冷たい雨が降り始めていた。
エレノアは、机の上に並べた資料を見つめていた。
ソフィアは手帳を整理し、クララは窓際の椅子に腰掛けている。
その時、電話が鳴った。
ソフィアが受話器を取った。
「はい、CLIB臨時調査室です」
しばらく話を聞いた後、彼女の表情が変わった。
「……分かりました。ありがとうございます」
受話器を置くと、エレノアとクララを見た。
「……ウォーカー捜査官からです」
エレノアが顔を上げた。
「何か分かったの?」
「うん」
ソフィアは頷いた。
「11月24日の夕方、ポートランド空港の貨物搬入口付近で、黒い革鞄を持った男性を見かけたという証言が得られたそうです」
室内に沈黙が落ちた。
エレノアの表情が変わった。
「……黒い革鞄?」
「うん」
ソフィアは答えた。
クララは静かに頷いた。
「なるほど」
ソフィアは続けた。
「しかも、その男性は空港職員の制服を着た人物と話していたそうです」
エレノアは立ち上がった。
「……空港職員?」
「うん」
ソフィアは頷いた。
「目撃者は、2人が短い時間だけ会話していたのを見たそうです」
クララは静かに呟いた。
「いやぁ、これは……」
そして、少し考えた。
「面白いことになってきましたねぇ」
エレノアは腕を組んだ。
「……その職員がリードだった可能性もある」
「ええ」
クララは頷いた。
「でも、まだ決めつけられません」
ソフィアは手帳を見つめた。
「……じゃあ、次は目撃者に話を聞くんですね」
「そうですねぇ」
クララは答えた。
そして、机の上に並んだ2つの黒い革鞄の写真を見つめた。
「……ただ」
エレノアが顔を上げた。
「何?」
クララは静かに続けた。
「もしかすると、私たちは最初から、違う事件を1つの事件だと思い込んでいたのかもしれませんねぇ」
ソフィアは首を傾げた。
「……違う事件?」
クララは頷いた。
「ええ」
そして、少し考えた。
「空から消えた男の事件と、地上に残された鞄の事件」
エレノアは腕を組んだ。
「……別々の事件が、どこかでつながっている?」
「そういう可能性もあります」
クララは答えた。
ソフィアは手帳を閉じた。
「……でも、どうして?」
クララは微笑んだ。
「それを調べるのが、私たちの仕事ですよ」
エレノアは、2つの鞄の写真を見つめた。
ポートランドで見つかった鞄。
シアトルで見つかった鞄。
どちらにも、犯人のものだと思わせる手掛かりがあった。
しかし、その手掛かりが示す方向は、必ずしも同じではなかった。
そして、地上係員マイケル・リード。
彼の証言には、いくつもの小さな食い違いが残されている。
エレノアは静かに呟いた。
「……まだ、何かが隠されている」
クララは頷いた。
「そうですねぇ」
そして、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。
「いやぁ、私なんて、まだまだですよ」
ソフィアは少し笑った。
「……クララさんは、十分すごいと思いますけど」
クララは照れたように頭を掻いた。
「いやぁ、そんなことありませんよ」
そして、静かに続けた。
「ただ、小さなことが気になるだけです」
エレノアは微笑んだ。
「……その小さなことが、事件を解決するのかもしれないわね」
クララは頷いた。
「そうだといいんですけどねぇ」
窓の外では、雨が降り続いていた。
空から消えた男。
地上に残された2つの黒い革鞄。
そして、事件当日の夕方に目撃された、謎の男性と空港職員。
それぞれの手掛かりは、まだ1つの答えへと結びついていない。
しかし、確実に何かが動き始めていた。
クララは静かに呟いた。
「……さて」
そして、2つの鞄の写真を見比べた。
「本当に知りたいのは、どちらが本物なのかではないのかもしれませんねぇ」
エレノアが顔を上げた。
「……どういうこと?」
クララは穏やかに微笑んだ。
「なぜ、2つも鞄が必要だったのか」
その言葉に、エレノアとソフィアは顔を見合わせた。
クララは続けた。
「もし誰かが、わざわざ2つの鞄を残したのだとしたら……」
そして、少し間を置いた。
「その人は、私たちに何を見せたかったんでしょうねぇ」
窓の外では、雨に濡れた滑走路の向こうを、1機の旅客機がゆっくりと移動していた。
空から消えた男の謎は、地上に残された証拠によって、さらに深まっていた。
――第18話 完




