第27話 「神の器(うつわ)と存在の深淵」
歴史の底流には、時に人間の理屈では説明のつかない「奇妙な節目」が存在する。
たとえば、ある決定的な時代において、一人の人間の中にあり得べき以上の資質や天才性が突如として凝縮される現象である。人はそれを「英雄の誕生」と呼び、あるいは「神の意志」と崇めた。
鍛冶工房の奥、熱気と煙の届かぬ静寂な一角。
ファラオ(一真)は、完成したばかりの日本刀を構え、無心で静かに刃を振り下ろした。
空を割る鋭い刃風が切っ先から鳴る。
踏み込み、閃く刃、そしてぴたりと収まる残心。その一連の動作には、常人の域を超えた圧倒的な切れ味と無駄のない身体操作が宿っていた。
「……素晴らしい」
一真は刀身に映る己の眼差しを見つめ、職人たちの血と汗の結晶に心からの感謝を噛みしめていた。
「せいがでますな、陛下」
いつの間にか背後に立っていたのは、参謀兼メカニックのメレルであった。
知性豊かな眼差しでファラオの殺陣を見届けていたメレルに、一真はふっと刀を収め、胸の奥に燻っていた素朴な、しかし根本的な疑問を吐露した。
「……なぁ、メレル。ずっと考えていたんだ」
一真は己の手のひらをじっと見つめた。
「現代にいた頃の俺は……確かに武道経験はあり、有段者ではあった。
だが、どこにでもいるただの市役所の職員だったんだよ。
こんなにも俊敏に動けなかったし、丸太のような腕の武将を力でねじ伏せるような芸当は逆立ちしてもできなかった。
ましてや、転生したこのツタンカーメンの身体は、本来なら足の病を抱えた病弱な若者のもののはずだ」
一真は遠くを見るような目になり、自問するように言葉を継いだ。
「なのに、なぜ俺はこれほどの腕力と身体能力を手に入れている?
なぜこの肉体は、俺の頭の中にある理想の動き以上のキレで応えてくれるんだ……?」
それは、この世界に落ちて以来、命懸けの戦場を潜り抜けてくる中で一真が抱き続けてきた違和感であった。
メレルは静かに一真の言葉を受け止めると、眼鏡の奥の瞳を深め、深く深く頷いた。
「……実は、陛下。私もまた、まったく同じ疑問を抱いておりました」
「メレル、お前もか?」
「はい。前世の私は、一介の技術者に過ぎませんでした。
ですが……このエジプトにきて目覚めたとき、私の頭脳はあきらかに変質していたのです。
前世よりもはるかに頭の回転が速く、複雑な計算も瞬時にこなせる。
それどころか、前世では専門外であったはずの軍事分析や都市の物流、果ては構造力学に至るまで、まるで最初から知っていたかのように鮮明に理解・閃くことができるのです。
……ゆえに、人々は私を『賢者』と呼びますがね」
メレルは苦笑交じりに自嘲したが、その声には強い探求心が込められていた。
二人の「異邦者」。
一人は、常人を超えた武勇と覇気を備えた王として。
もう一人は、国家の数値を一手に把握する絶対の頭脳として。
「……神の力、とでも言うべきでしょうか」
メレルがぽつりと呟いた。
歴史の客観的分析を得意とするメレルにしては、珍しく超自然的な単語であった。
「神の力……」
一真はその言葉を口の中で転がした。
「あるいは、こう考えられまいか、メレル。
……歴史上の英雄、たとえば日本の織田信長やフランスのナポレオンといった人物は、単なる『個人の能力』を超えて、その時代や民族が抱く集団的無意識の要請によって『創られた』側面がある」
「時代が求める要請……」
「そうだ。滅びの淵に瀕した古代エジプトという国が、外敵や内部の腐敗から自らを救うために、強力な『統治者』と『知恵者』を極限まで欲したのではないか。
俺たちの持つ現代日本の知識という『記憶』と、古代エジプトの『ファラオの血脈』『土地の記憶』が交じり合ったとき、歴史の意志そのものが、俺たちという『器』に相応しい身体性と知性を与えた……」
「なるほど……非常に興味深い考察です」
メレルは眼鏡の縁を指で押し上げながら、自身の脳内にある古代エジプトの宗教史観と照らし合わせるように言葉を重ねた。
「古代エジプトの概念で言えば、人間の存在は『霊魂・生命力』と『人格・肉体』の相互作用によって成り立ちます。
病弱であったツタンカーメンの肉体に、陛下という強固な意志と現代の知識を持った魂が定着したとき、単なる精神の置換ではなく、精神が肉体の細胞や骨格の限界を超えて再構築された……。
つまり、陛下の『強い意志』が、肉体を強制的に覇王の領域へと引き上げたのです」
「精神が肉体を凌駕し、作り替えたというのか」
「ええ。そして私の場合は、国家の崩壊を防ぐための『知の補完』として脳のシナプスが異常発達した。
我々は単にタイムスリップしたのではなく、この時代のエジプトという世界そのものに『求められて顕現した存在』なのかもしれません」
確かな答えは、三千年の時を超えた砂漠の風の中にしかない。
しかし、二人が辿り着いたその考察は、単なる
「都合のいい超能力」ではなく、この世界で生きていくための重い覚悟と責任を彼らに再認識させるものであった。
「理由が何であれ……手に入れたこの力と知恵、無駄にはできないな」
一真は新しく打たれた日本刀の柄を強く握り直した。
「武力だけではない。これからはこの力で民を養い、国を豊かにし、襲い来る脅威からエジプトを護り抜く」
「御意にございます、陛下。
私のこの『異常な頭脳』も、すべて陛下の描く新たなるエジプトのために捧げましょう」
メレルは深く首を垂れた。




