ファラオ死す
紀元前14世紀後半、太陽の光が燦々と降り注ぐナイルの地。
古代エジプト第18王朝の王都テーベは、表向きの静寂とは裏腹に、破滅の足音が間近に迫っていた。
新王国時代と呼ばれるこの時代、エジプトはかつてない栄華と激動の渦中にあった。
前ファラオ・アメンホテプ4世によって断行された、宗教改革。
アモン神を中心とする伝統的な多神教を完全に排斥し、唯一神アテンのみを祀る異端の宗教改革は、王国の根幹を激しく揺るがした。
神官たちの権力を削ぎ、都をテル・エル・アマルナへと強制的に移転させた暴挙は、何世紀にもわたり国を支えてきた宮廷と神殿に深い亀裂を生んだ。
そして、その混乱のしわ寄せは、国家の外交と軍事にも壊滅的な打撃を与えていた。
北方の強国ヒッティテ帝国は、エジプトの動揺を見逃さず、シリア方面への侵攻を本格化。
かつての同盟国ミタンニは滅亡の縁に立たされ、オリエントの地政学リスクは過去最高潮に達していた。
エジプトは、内外からの崩壊の危機に直面していたのである。
そんな混迷の時代に、わずか9歳で即位を余儀なくされた少年がいた。
ツタンカーメン。
偉大なる父の遺した負の遺産を受け継ぎ、失われた王国の秩序を取り戻すために担ぎ上げられた若きファラオ。
彼は即位後、アテン信仰から再び伝統的なアモン信仰への復帰を宣言した。
都をアマルナから再びテーベへと戻し、混乱した国を立て直そうと必死の抗いを見せる。
しかし、少年に与えられた時間はあまりにも短かった。
王宮の奥深く、黄金と彩色の壁画に囲まれた静寂なる寝所。
重苦しい死の匂いが、部屋全体を支配していた。
ベッドの上に横たわるツタンカーメンの身体は、驚くほど細く、弱々しい。
わずか19歳。
青年の入口に立ったばかりのファラオは、今まさにその短い生涯を閉じようとしていた。
「……くっ……はぁ……っ……」
うわ言のような掠れた吐息が、少年の口から漏れる。
史実において、彼の死因は長年にわたり謎に包まれることとなる。
大腿骨の複雑骨折による感染症、激しいマラリアの罹患、あるいは遺伝的な疾患。
数々の説が後世の学者たちによって唱えられるが、現場に残された事実はただ一つ。
彼があまりにも若くして、何の治世の足跡も完遂できぬまま倒れたという事実だけだった。
だが、この死の床において、真の脅威は病魔だけではなかった。
薄暗い寝所の陰から、無音の足取りで近づく人影があった。
その男の手には、暗い光を放つ青銅の短剣が握られている。
王宮の裏で糸を引く黒幕の手先。
神官勢力か、あるいは権力を狙う政敵か。
病によって動くことすら叶わない少年王を確実に「処理」し、都合の良い歴史を作り上げるための刺客であった。
「……お許しくださりませ、若きファラオよ」
刺客が低く囁く。
「あなたが生きている限り、アモン神の権威も、この国の平穏も戻りはせぬ……ここで死んでいただくのが、国のためでございます」
ツタンカーメンの視界は、すでに斑模様の暗闇に覆われていた。
意識は途切れ途切れで、目の前に迫る刃の輝きすら、遠い夢のように感じられる。
(……誰か……)
(……余は……まだ……)
何も成し遂げていない。
父の犯した過ちを清算することも、愛する妃を守ることも、民に安寧をもたらすことも。
失意と無念だけが、少年の胸を重く押し潰す。
刺客の短剣が、無抵抗なファラオの胸元に向かって静かに振り下ろされた。
薄い皮膚を裂き、肉へと達する刃。
少年王の瞳から光が消え、呼吸が完全に停止する。
紀元前1330年頃。
古代エジプト第18王朝の若きファラオ、ツタンカーメンは、歴史の影で人知れず息絶えた。
本来ならば、ここで一つの物語は終わるはずだった。
豪華な金箔の厨子に収められ、重厚な石棺へと封印され、三千年の長きにわたる眠りにつくはずだった。
だが運命の歯車は、この絶対の死の瞬間にこそ、狂い始める。
途絶えたはずの少年王の鼓動。
その止まった心臓に向かって、次元の狭間を飛び越えた「異物の魂」が、凄まじい濁流となって流れ込み始めていた。
史実のツタンカーメンの最期は、現代の医学・DNA解析・CTスキャンによって、事故による骨折と感染症(敗血症)+重度マラリアの複合的な死と考えられている。
最終的な死因(現代研究の結論)
「事故による骨折 → 敗血症」+「重度マラリア」+「遺伝的疾患による免疫低下」
これらが重なり、19歳で急死したと考えられている。




