03 聖母の病状
「あたくしはもともとこの伯爵家の娘で、リンダの父親は婿養子ですの。伯爵位は夫が継いでおりますが、この家にある調度品や貴重品の権利はすべてあたくしにあります。祖父は美術品の収集が趣味だったので、十数年前までは宝物庫にそれなりの物が収められておりましたわ」
それが、現在、部屋に飾るものさえなくなっている。十数年の間にこの伯爵家でいったい何があったというのだろう。
「すべてはあたくしが犯した過ちですわ」
「過ちだなんて言わないで。お母様のおかげで救われた人たちが大勢いたはずよ」
娘のリンダが母親を擁護するため、初めて声を発した。すべてを諦めてしまったかのような、先ほどまでの態度とは異なり、その目には力を感じる。
「それでも、あたくしが聖母と呼ばれることさえなければ、きっとこんなことにはならなかったのよ」
「お母様が悪いんじゃないわ。すべては第一王子派のせいだもの。私たちは王族の争いに巻き込まれただけじゃない」
リンダの口から出たのは、なぜか王族への批判だった。この雰囲気からして、何やら不穏な感じがする。
やはり、今回もルル様が世直しを任せられて、この国に派遣されたのだろうか。今回も聖女の癒しだけでは終わりそうにないけど、こうなることは、始めからわかっていた。
「あたくしは、娘が産まれた頃に、王都で食べ物がなく飢えている方たちがいることを知りました。ですから、この子が歩けるようになってから、街で炊き出しを始めることにしたんです。困っている方の手助けが少しでもできればと、家にあった必要のない絵画などを売って、それを元にわたくしができる範囲だけで活動しようと思いましたの」
「素晴らしいお心掛けですわ」
聖母パドマ、貴女はなんていい人なんだ。
ルル様のとなりで、話を聞いていた私は聖母に尊敬のまなざしを向けていた。食べ物が欲しくて聖教会まで通っていた私は、その話を聞いただけで聖母への好感度が急上昇している。
この女性を聖母と呼んだ人たちの気持ちがよくわかる。
「週に一度、教会の敷地をお借りして、パンの配給を続けているうちに、街の皆さんから慕われ始めましたの」
カッソ王国にある教会は聖教会のものだけではない。聖女と間違うような呼び名をそのままにしているのだから、その教会はたぶん他所の宗派だと思う。
「数年経った頃から、聖母様とお声を掛けていただくことが増えました。ですから、皆さんの期待に応えたいと思う気持ちと、その行為を称賛されることで、その時のわたくしは、きっと自分に酔っていたのだと思います。屋敷にある調度品や家財にまで手をつけて、民を救ったつもりでおりました」
家の中がすっからかんなのはそのせいなんだろう。
「実際に救われていたのではありませんか?」
「ええ、すべてを否定するつもりはありません。しかし、そんなことはずっと続けられるはずがありませんでした。教会では救いの手を待っている人がいるというのに、私が自由にできる財産にも限界がきてしまって、どうしたらいいのか、頭を悩ませていたのです」
聖母は本当に優しい人なんだろう。
教会に行けば食べ物が手に入ると知った人たちは、良くも悪くもそれに縋ってしまう。それが、ある時からぱったりと途絶えてしまったら、与えられることに慣れてしまった人たちの絶望はとても大きいだろう。
それがわかっていた聖母は、そんな状況をどうにかしたかったんだと思う。
「そんな時、慈善活動に興味を示されたのが第二王子であるトバイアス殿下とその派閥の方々でした」
「聖母様の人々を思うお気持ちが通じたのでしょうか?」
「ええ、トバイアス殿下は私の行いにご賛同くださって、王都で飢える者が一人もいなくなるようにと、国の予算を回してくださいましたの」
この国の王子はまともなようだ。
ルル様が出張ってきているんだから、またここにも阿呆殿下がいるのかと思っていたけど、予想が外れた。
「でもその手をとったことが、そもそもの間違いだと今ならわかります」
あれ? 賢明な王子だと思ったとたん、雲行きが怪しい?
「なぜそう思われるのですか?」
「現在この国は、王位をめぐって第一王子派と第二王子派が争っているのです。王都では民に手を差し伸べたトバイアス殿下の方が人気が出てしまいました。それをよしとはしなかった第一王子派から、あたくしたちは敵認定されていて、目をつけられています」
王様の椅子を争っている二人の王子。
その第一王子がどうやら阿呆らしい。聖母を恨むんじゃなくて、自分も国民のために動けばいいだけだろうに。
「娘はずっとトバイアス殿下から婚約の打診をされているのですが、もしトバイアス殿下が王位についたとしたら、必然的に王妃の座につくことになります。娘も自分では無理だとお断りはしていますが、そのことも第一王子派に睨まれている一因になっておりますわ」
「想い合っていらっしゃるお二人には、さぞおつらいことでしょう」
「いいえ、聖母の娘ということ以外、私には愛される理由がありませんし、この程度の状況で心が疲弊しているようでは、トバイアス殿下のお相手などとうてい務まりません」
どうやら、リンダは自分に自信がなく、第二王子とのことを諦めているようだ。
「王家の争いに巻き込まれたあたくしたちへの嫌がらせは、日増しに酷くなってきております。第一王子派から脅しの手紙も届いているので、身の危険を感じて、最近では出掛けることもままならなくなっていますわ。ですから娘と二人、安心して暮らせる場所に移ろうと考えておりますの」
「それは、ゼ・ムルブ聖国へ亡命したいということですか?」
「はい。ですが、あたくしたちが逃げ出して、トバイアス様を裏切るようなことになれば恨まれてしまうかもしれません。できれば、追われることがないようにしたいのです。そのために、聖女様にお願いしたいことがございます」
「どのようなことでしょうか」
「あたくしたち親子は、死に至る病を患っていて、余生はゼ・ムルブ聖国で療養しながら過ごしたほうが良いと、トバイアス殿下にお話しいただきたいのです」
これでやっと、意味不明だった依頼の理由がわかった。聖母たちは波風たてないようにして、この国から出奔したいらしい。
「お気持ちはわかりましたので、ご協力は致しますが、まずはお身体の診察をさせていただけませんか」
「そのことですが……あたくしたちは二人とも病気ではありませんわ。心労もありますが、それっぽく見えるように食事の制限しているだけです」
「胸が痛まれると聞いておりますが」
「申し訳ございません」
心苦しそうな態度でルル様に頭を下げる親子。
この国までルル様を呼びつけておいて、それはないんじゃないかと思わないわけでもないけど、命の危険もありそうだから、藁にもすがる思いだったのもわかる。
私は聖母パドマの行いで好意的になっているから同情しているけど、果たしてルル様はどう思っているんだろう?




