番外編 会いたい人
私は幼いころ、ゼ・ムルブ聖国の聖都ではなく、そこから歩いて二時間ほどかかる小さな町に父と二人で暮らしていた。
「お父さん。またお酒飲んでる……」
私の父は腕のいい金属加工職人だったみたいだけど、事故で利き腕を怪我したために、仕事が思うようにいかなくなって荒れ始めた。
職人仲間に仕事を回してもらっても、若手の手伝いばかりだったから、自尊心が傷つくとかで、すぐ放り出す。そんな状態だから稼ぎはほとんどない。
しかもその雀の涙の報酬は、ほぼ父の酒代に変わってしまう。貯めてあったお金も、怪我をした当初に父が腕を元通りにしたくて、治療費につぎ込んでしまい、底をついてしまっていた。
だから私は食べるものが買えなくて、お腹をすかしていることが多かった。
「明日も聖都に行くしかないか」
私はゼ・ムルブ聖国に生まれて本当によかったと思っている。
聖都の教会で手伝いをすれば、パンとスープがもらえて、お腹を満たすことができるからだ。
うちにパンを買うお金がない時は、朝早くから家を出て聖都に向かい、お昼と夕方の二食を食べるためだけに、七歳の私は片道二時間の道をひとり黙々と歩いていた。
「聖女様って怪我を治せるの?」
「そうなのよ。普段は世界中を回っているんだけど、年に何度かは聖都の教会にいらっしゃって無料で治療をしてくださるの」
「それって他の町に住んでいても大丈夫? お父さんの怪我も治してもらえるかな?」
「聖女の癒しっていうんだけど、症状にもよるみたいだから、どうかしらね」
「今度聖女様が来る時は私に教えて。お父さんを診てもらいたいから」
「わかったわ。ローザちゃんは本当にいい子ね。それにお利口さんだし」
教会の司祭様はそう言って私の頭をなでた。
私の場合、司祭様が思っているような、父思いの良い子ではない。あくまでも自分自身のためだ。父が働けるようになれば、食事に困ることがなくなると思っているだけだから。
教会に通うようになったおかげで、今回のように、私が知らなかったことをいろいろと聞くことができた。
聖女様という神様から力を授かった女の人がいることは知っていたけど、いつも聖騎士に守られているから近づくことすらできないらしい。そう近所の人たちが噂をしている。
だからずっと雲の上の存在だと思っていたし、医者みたいに、お金を払わなければ治療してくれないと思っていたのに、無料で治してもらえるなら、是非ともお願いしたい。
それから半年ほどたったころ、私が待ちに待っていた日がやってきた。聖女様が王都の民の治療をするために各教会を回るのだ。
「お父さん、王都の教会に行けば腕が治してもらえるかもしれないんだよ。聖女様がわざわざ出向いてくれるんだって」
父はちらっと私を見たあと興味なさそうに、いつもと同じように酒を煽る。
「ねえ、一緒に行こうよ。そうしたら昔のように仕事ができるようになるでしょ?」
「うるせえ」
「なんでよ!?」
「そんな胡散臭いものにすがれるか。神に祈ってどうにかなるもんなら、俺の腕はとっくに治ってなきゃおかしいじゃねえか」
ゼ・ムルブ聖国の国民としてあるまじき台詞をはく父。
だけど、教会と関わりのない一般庶民はたいていそんなものだった。生きていくことが精一杯で、あるかもわからない奇跡を信じられるような、信仰心を持っている人の方が少ないと思う。
「一度だけでいいから私のお願い聞いてよ。お父さんだってこのままじゃダメだってわかってるんでしょ」
「何もわかってねえくせに、ぴーぴー騒いでんじゃねえ」
そう言って父は頭からシーツを被って寝てしまった。
「私がいつもどんな気持ちでいるか……何もわかってないのはお父さんの方じゃんか」
父がなぜ、聖女の治療を頑なに拒んだのか、その理由のひとつを知ったのは、父の仕事仲間だったおじさんに、父のことを説得してもらおうと話を持ち掛けた時だ。
「ローザちゃんのお父さんはさ、腕が治ったとしても、前みたいに金属の加工ができないかもしれないって、そう思って怖いんじゃないかな」
「どういうこと?」
「職人は何年もかけて技術を身体に覚えさせていくもんなんだ。お父さんは何年もブランクができてしまったからな。若手に追い越されてしまった現実を知るのが嫌なんだろう。治療がもっと早くにできていたら違っていたかもしれないけどな」
「そんな……」
だとしたら、父にやる気を起こさせること自体が不可能だ。最悪すぎる。
それでも、動きにくい腕を治してもらえば金属加工職人を諦めたとしても、他に父にあった別の仕事に就くことができるかもしれない。
だから私はぎりぎりまで父に言い続けた。
「結局ダメだった」
「ローザちゃんのお父さんのこと?」
「せっかく聖女様と会える機会なのにバカなんだよ」
私が通っている教会にも聖女様が数人やってきた。
だからいつもと違って聖堂は治療希望の人たちでごった返している。
私は司祭様と一緒に聖女様に診てもらう前の下準備として、患者を症状別にグループ分けしていた。
ふと、医者にこれ以上の治療はできないと言われた怪我をしている人たちの一団に目が向かう。本当ならこの中に父も含まれていたはずなのに。
「とりあえず、集まった人は全員確認できたわね。ローザちゃんは食堂に行って先にお昼食べちゃいなさい」
「うん。じゃあ行ってくるね」
私は司祭様にそう言うと聖堂から出て、パンとスープをもらうために教会の食堂に向かった。
「痛っ。――私も聖女様に診てもらえるかな……」
私は前かがみになってお腹をさすりながら考えていた。だけど、理由を言わないといけないなら、それは困る。
「いたた。やばい、ご飯食べれないのが一番困るんだけど」
私はお腹の痛みに耐えられなくなって、建物の陰でうずくまってしまう。目をぎゅっとつむって我慢した。あまりの痛さに、そこからの記憶は途絶える。
「大丈夫?」
誰かに声を掛けられて私は目を覚ました。
「え!? ここはどこ?」
見知らぬ部屋。私は誰かのベッドに寝かされていたようだ。
「ここは司祭様の部屋らしいよ。君が外で倒れていたから、聖女様に治療してもらって、そのあとここに寝かせておいたんだ」
どうやら私は、あの場所で倒れていたらしい。
「聖女様が?」
たしかにお腹の痛みがなくなっていた。私は自分の服をめくってお腹を確認する。
「本当だ痣も消えてる」
「えっと、大丈夫そうだね」
私より年上のお兄さんは目をそらしながら、よかったねと言った。
「聖女様の力ってすごいんだね。本当にもう全然痛くないし」
「そうだね。ねえ、君はなんで倒れるほどの怪我なんてしてたの? それさあ、治療が、あとちょっと遅かったら大変なことになっていたかもしれないんだよ」
「それは……王都に来る前に転んじゃったんだ」
「そうなんだ? 本当に?」
「……」
お兄さんが怪しそうに問いただすから私は何も言えなくなった。
だってあの怪我は、今朝父に蹴られてできたものだから。
私がしつこくしたせいで、父がすごく怒った。今日はいつもに増してとても怖い顔をしていたから、そのまま私は家を飛び出してきた。
「そうだ、私、聖女様にお礼が言いたいんだけど」
返事をうやむやにするため、私は話をそらす。
「聖女様はお忙しいから、僕から伝えておくよ」
「お兄さんは教会の人?」
「僕? 聖教会の助祭だよ。今日は聖女様のお手伝いで来てるんだけど、君のことを見ているように言われてここにいたってわけ」
「そうなんだ。ありがとう」
「どういたしまして」そう言ってから、お兄さんはニカっと笑って見せた。
「そうだ、君に聖女様直伝のおまじないを教えてあげるね。今度からは痛いところに手を当てて『痛いの痛いの飛んでけ』ってやってごらんよ」
「そんなの私だって知ってるよ。みんなやってるじゃん」
「たぶんわからないと思うけど、君が知っていたことと、いま教えてあげたことは別物だから」
「なんかよくわかんない」
お兄さんの言っていることがその時は理解ができなかった。
それからしばらくして、私は教会に引き取られることになる。
「私に聖女の力があるの?」
これから私は、聖都で一番大きな教会で暮らすらしい。今は、私の後ろ楯になるという、大司教様と話をしている。「ローザは、それで周りの人たちを癒していたんだろう? そのことが噂になっていたんだよ」
私のおまじないが利いて、痛みが引くとは言われたけど、まさかそれが聖女の癒しだとは思うはずもない。
父は私を聖教会に引き渡す際にお金をもらったようで、それを持ったまま、そのあと行方知れずになってしまった。
「ローザのお父上はね『このままじゃ、俺もローザもダメになると思っていたから、教会が引き取ってくれるなら、その方がいい。ローザのことをよろしくお願いします』そう言って、君を迎えに行った聖教会の者に頭を下げたそうだよ」
あとから知ったんだけど、父は母が病気になった時に、聖女様に助けてもらえなかったことを逆恨みしていたそうだ。
父のような庶民は、聖女様は万能だと思っているから、治せない病があるなんて思わなかったらしい。だから、手を抜かれたと思って、ずっと恨んでいたようだ。
「私、今まで神様にちゃんとお祈りもしてこなかったのに、聖女になんてなれるの?」
「大丈夫だよ。ローザは神から選ばれた者なのだから」
その後、長い付き合いになる大司教様はそう言って私の頭をなでた。
そう言えば、あの助祭のお兄さんも聖教会にいたら、いつかは会うことができるのかな。
「それで、その方のお名前は?」
「わかりません」
「個人を特定できるようなことは、何か思い出せる?」
「ちょっと話しただけだったので……見た目も特徴がなくて。それでも会えばわかると思うんですけどね」
「そう。だったら、いつか会えるといいわね」
そう言ってルル様は、いつもと変わらず優しく微笑んだ。
あの人、あの時すでに助祭だったから、今は司祭になっているかもしれない。
聖教会は世界各地に教会があって、派遣されている司教や司祭も多い。他国にいるとなれば、一生出会えない可能性の方が大きい。
それでも、いま、私がここにいることは紛れもなく、おまじないを教えてくれたあのお兄さんのおかげだ。やっぱりちゃんとお礼が言いたい。
だから、そんな日が来ることを、私はいまでも神様に祈り続けている。




