<トルバドール>
結論から言えば、三日の間、イズミの街はいつも通りだった。変化といえば、徐々に収穫祭の準備が始まっていて、活気を取り戻しつつあるぐらいだった。
わずかな冒険者と大地人の行き来があった。森にスケルトンの残党はおらず、新たな野盗も出ず、嘘のように穏やかな三日間だった。
それに終わりを告げたのは、イズミに住む大地人の一人だった。
シオリはちょうど、イズミ外周の見回りから戻ってきて、留守を守るアイギール邸の使用人に挨拶をされたところだった。
「シオリさん! シオリさん!!」
「っ、一体、何が……」
息せき切って駆け寄ってきた青年に、思わず身構える。
「大変なんです。村の食料庫が、冒険者に……!」
「何だって!?」
シオリも何度か食糧の袋を搬入したから覚えている。森に入って少ししたところに、イズミの食料庫があるということを。青年が話すには、そこに冒険者が侵入して、食糧を押さえてしまったということだった。
(まずいな……フィセットはまだ戻ってきていない。合流の時間だし、皆はそろそろ帰ってくるだろうけれど……)
三日後には戻ると言っていたフィセットは、気配すら感じない。まさか、囚われてしまったのだろうかと思いを馳せるシオリのところへ、次々に他の仲間が帰ってくる。
「うーす。今、戻ったぞー」
「戻った。何か困りごとかね?」
「シオリ、どうかした?」
「実は――」
シオリがそのことを報告すれば、仲間はそれぞれの反応を示した。ヴィクトールは露骨に焦りを見せたし、レンダリルは足元でちょろちょろしているマイコニドを抱え上げ、顎をさすって唸っている。エゴはといえば、もう食料庫の方を向いている。
冒険者に対して何をするにしろ、行かない理由はない。皆は揃って、食料庫のある方角へと向かった。
「やっぱり、こないだ野盗を殺した冒険者かな」
「おそらくそうだろう。位置も近い……と、このあたりで準備しないかね」
嘘のように穏やかな森の中を、彼らは風を切って進む。
ほどなくして、石造りの建物が見えてきたあたりで、冒険者たちは走るのをやめ、物陰に隠れた。気が付けば、レンダリルがさりげなくクラブサンドを差し出していたので、シオリは遠慮無く頬張る。疲労は大敵。無視することはできないからだ。
もっとも、味はといえば、食べても大丈夫な粘土なのだが。
《いる?》
両手で真剣にクラブサンドを頬張りながら念話を送るエゴの隣で、シオリが目を凝らす。開け放たれたドアや、窓に見える人影を、慎重に数える。
《いる。一階に三人、二階から視線――フィセットが捕まっている様子は、ない、かな。見えないが正しいか》
食料庫は二階建てで、たっぷり保管するついでに、見張りの休息所としても使われる。周囲に大地人の死体がないか不安がったシオリだが、幸か不幸か、それを発見することはなかった。
《話し合いでさっさと終わるなら、そうしたいけれど……》
《僕は反対。ここに来るまでに結構体力を使ったし、足元見てきそう――おっと》
エゴの念話を遮るように、樹に矢が突き刺さる。冒険者たちは身を一層かがめて、顔を合わせる。
《それでもやるなら、何か、それこそシオリがヘイトを集めるような、何か作用しそうなスキルとか……?》
《うーむ、元ネタならともかく、セルデシアの森呪遣いにはどうにもできんな。撃たれたら死ぬぞ……相手の『なぜ』は聞きたいがね》
レンダリルは小ぶりなクラブサンドを口に詰め終えて、窓を睨んでいる。交渉をするか、誰が行くか。それとも強行突破するか。冒険者たちの間に、緊張とかすかな意見の対立が走る。
そんな時、手を挙げたのは、意外にもヴィクトールだった。
《俺、行きたい。話を聞かせてこその吟遊詩人だろ》
エゴは、まるで値踏みするようにヴィクトールを見つめていた。けれど、彼の主張に、小さく頷いた。
《分かった。危なかったら、すぐに手を出すからね》
《さんきゅ。見てろよー、俺のポエムで一網打尽だぜ》
ヴィクトールが両手を挙げ、無造作に草むらを出て行く。その無警戒さにシオリは心配するものの、彼だって、決して無策ではないのだろう。レンダリルを見れば、彼もまた頷いている。
「……ま、お手並み拝見ってね」
ただの高校生だとヴィクトールは言う。だけど、彼の胆力というのは、シオリも買っている。格好を付けようとする一方で、不意に屈託なく笑う彼には、不思議と信じたくなる魅力があるのだ。
◆
ヴィクトールは、両手を挙げながら一人で敵地に赴いた。開かれた扉を通れば、乱雑に積まれた料理の素材アイテムが目についた。どれも、イズミの街のものだ。
彼は濃密な酒の匂いに鼻を鳴らしてから、まずは三人の男たちの顔と装備を見た。
一人は盾と剣、そして鎧で武装している。もう一人は杖を持ち、最後の一人は軽装で、剣を持っていない。心臓をばくばくさせながらも、彼は冷静に分析する。
《内訳は、守護騎士、妖術師、武闘家だ》
仲間たちに念話で内訳を伝えて、改めて空間を見回しながら、ヴィクトールは口を開く。
「よう、冒険者の同士。寛いでるとこ、失礼するよ」
彼の挨拶に、机に両肘を乗せ、口元で指を組みながら守護騎士がにやつく。乱雑な茶髪が印象に残る男だ。
「何だい、ちょろちょろしたと思ったら、急に話に来て。ここのアイテムは私たちのものだ。こういうのは、早い者勝ちだろ?」
「そういうこった。出ていきな」
守護騎士の隣の武闘家が、面倒くさそうに手をひらひらと動かした。ヴィクトールは歓迎されない空気に、苦笑いをした。
「おっと、俺は別に君たちのアイテムを奪いにきたわけじゃない。この近所の街が、あんたたちに迷惑してるってんで、どうしたことかと見に来たのさ」
と、ヴィクトールは口にしたが、内心としてはもっとイズミの街に寄っていた。さすがに一週間も手伝いをしていれば、彼らが普通に暮らす人間であることに気付く。特に、街の手伝いを優先的にしていたヴィクトールにとって、イズミの街はもう馴染みの領域だったのである。
「村の人々ってなあ」
守護騎士たちは顔を見合わせ、不思議そうに首を捻る。
「たかがNPCだろう? 遠慮する理由がないな」
やっぱりかと胸中でヴィクトールはため息をついた。実際、一週間前だったら、自分だって同じことを言っていただろうと。
これはどうせ、ゲームの延長だ。すぐ帰れるだろうから、遊んでしまおうと。
ヴィクトールは荷物鞄の表面を撫でた。鞄の中には、実はレンダリルから預かったものが入っている。
――はーっ、半人前なんだよなぁ。レベルが……。
――仮にそうでも、できることはあるさ。ところで、若人よ。ちょっといいかね?
ため息をつくヴィクトールに、レンダリルは休憩の折、ひょいと渡してきたのである。
――シオリは最前線に立つ以上使えない。エゴとどちらに頼むか迷ったが、君の方が適任だろう。持っておいてくれないか。
それは、初級の〈招命の宝珠〉だ。低レベルのヒーラーが倒れてしまった時、これで蘇生することができるという代物である。
無論、今、使えるわけではない。だけれども、これは『吟遊詩人』としての初陣である。宝珠はほんの少しだけ、ヴィクトールに勇気と、生き抜く必要性を感じさせてくれるのだ。
(半人前でも、できることはある。そうだよな?)
ふみだすゆうき。それを十分に感じ取って、ヴィクトールは鞄から手を離した。
「まあまあ、そう言うなよ。人の形してるんだ。情も沸くってもんだよ」
「律儀なもんだな」
「言わんとすることは分かる。実際、俺たちも殺せたのは最初の野盗だけだ」
武闘家は相変わらず冷め切った態度を取ってくる。それを、妖術師がたしなめる。守護騎士も、やれやれといった風で肩をすくめる。
「さすがに、ほのぼの生きてる村人を殺すほど殺伐とはしてないんでね」
「じゃあ、どうしてここに? 飯なんかおいしくないだろ?」
ヴィクトールは自らの声に、力が行き渡るのを感じた。そう、決して彼も無策ではなかった。〈トルバドール〉は、そもそもこうした状況に応じるためのスキルだ。
格好いいポエムを綴って、丁寧に歌い上げる。ヴィクトールは自ら作ったアバターに、そんな夢を乗せてきた。死ぬことなんてもってのほかなほど、溺愛していた。
トルバドールの取得も、そうしたキャラクリエイトの一環だ。
それが功を奏したかどうかは不明であったが、守護騎士はヴィクトールを興味深げに見つめた。
「その通り。お前も知っているように、この世界の料理には味がない。素材には味があるが、料理した途端に全部ダメになってしまう……」
守護騎士は退屈そうに、野菜の葉っぱを持ち上げた。
「私は絶望したね……食べ歩きが趣味なのに、ファンタジー飯の味一つ分からない」
つまみ上げられた野菜の葉っぱが千切れて、力なく机の上に落ちる。守護騎士は葉を野菜の上に放り出して、背もたれに体を預けて天井を仰いだ。
「が、ちょっと歩き回れば、多少のことは分かる。チーズといった発酵食品、ウィンナーなんかの料理の中間素材――これには味がある。そして何より、重要な情報が入った」
熱が籠もった様子で、守護騎士は両手をテーブルに叩き付け、身を乗り出す。その急な動きに、ヴィクトールは若干身を仰け反らせる。
「料理に関係がある奴が料理すりゃ、味がある料理が生まれるっていうじゃないか! だというのに、私たちには料理人がいない!!」
「あー……」
よもや、サブ職業にそのような効用があるとはつゆ知らず、ヴィクトールは勢いにげっそりとして棒読み気味の声を漏らした。
「だから、私たちは食料庫を『食べ歩き』しているというわけだ。名案だろう?」
武勇伝を鼻高々と語って、守護騎士は鼻を鳴らした。ヴィクトールは表面でこそ「感動した。涙が出そうだ」と陽気に言ったが、内心最悪だと思いながらシオリたちへと念話を送った。
彼らには、余罪があるということなのだ。
《最悪、私とダリルが何か料理してやれば……和解はできなくもなさそうだけど、ねえ》
《……だが、この調子だと私たちの料理に飽きた瞬間に、次を襲いそうだなあ》
料理人二名からも、ヴィクトールの胸中に似た悲しみと虚無感の入り混じる返事がきた。
《だめ。浮浪者に便宜を図っても、仇で返すだけだから。……昔、そうだった》
《エゴの来歴に興味あるけど、そういうのは後だな……》
それ以上に辛辣なのは、エゴの回答だった。どこか自嘲の入り混じるような最後の一言に、ヴィクトールも思うところがないわけではなかった。が、まだ、目の前には三人の厄介者たちがいる。
「つまり、ここを食い尽くさないと出て行かないってことだな?」
《あっ》
ほんの少しだけ早まったヴィクトールに、エゴが小さく声を漏らす。だが、ヴィクトールにはもう聞こえている。三人が駆け寄ってきてくれている、その足音が。
守護騎士が一層笑みを深くする。牙を剥くようなそれは、決裂を意味する笑みだ。
「当然! この味を知ったら止められるわけがない!!」
彼がそれを言い放ったと同時に、シオリが大太刀を構えて部屋になだれ込んできた。だが、もう一つ、足音が聞こえてきたのである。
それは、窓の上から『落ちてきた』。