66 鈴木の狂気
なぜよりにもよって、この女にそんな勝手なこと言われなければいけないのか。
だからもう、この顔に浮かぶのは呆れたそれだ。
「はぁ……あの男のどんなところに惹かれたのよ」
もう一度、問いただす。
かつてはどんな人間だったのかはよくわかった。だがまだ、一体あの男のどこを好きになったのかを聞いてはいない。
「止めて、ユーリア」
ただし、それに待ったがかけられた。
鈴木ではない。
普段無表情を貫き通しているその顔が、苦々しそうに歪んでいた。
「そんな話はもう聞きたくない。一度それが始まったら、過去話を持ち出して二時間でも三時間でも一晩中でも延々と語り続ける」
「ユーリアたん、興味はあるかもしれないが、君のためを思って言う。止めておけ、その先は地獄だぞ」
なんて言われる始末。
どうやら二人は辟易するほどに、鈴木に語りに語られたのだろう。
地獄に自ら落ちようとしている私の手を、必死に引っ張ってくる。
私も愚かではない。渡辺たちには散々、驚かされ、辱められ、そして慄きすら覚えさせられてきた。この後に及んで、地獄だとわかっている道を進もうとはしない。
「本当……佐藤のことが好きなのね」
「全然佐藤のことなんて好きじゃないわ」
この後に及んで、まだ私にはそれを貫き通したいようだ。
「……まあでも、指輪を贈ってくれるなら、すぐにでも佐藤姓を名乗ってあげてもいいわ」
そしてそんなことを口にする。
なぜ佐藤への好意を否定しているのに、最後には認めるようなことを言うのだろうか。おそらく、佐藤が絡めばバカになるのだろうこの女は。
「佐藤は聖人だし努力家だし元の顔も悪くない」
「そうね、今とは比べ物にならない爽やかイケメンだったわ」
田中の語りに、メスの顔で口を挟む。
つい渡辺と田中に目を向けると、二人は左右に首を振っている。
恋は盲目。どうやら佐藤を見る鈴木の目には、特殊な機能が搭載されているようだ。
「なんでも器用にこなすし、中身が天然イケメンすぎる。本人は気づかなかったけど、佐藤に惚れる女は後が絶たなかった」
「だけど鈴木がこれ見よがしにいつも佐藤の横をキープして、さも自分の物だと言わんばかりに振る舞ってきたんだ。告白なんてもっての他。その好意すら悟らせさせんとばかりにあらゆる妨害工作を施し、佐藤に恋する女をシャットアウトしてきた」
「鈴木はそのためなら金に糸目をつけない。探偵雇ったと聞いたときは、マジかこいつとびびった」
「そうやって過去の悪行を暴き晒されて、大学追放に追い込まれた女たちもいるくらいだ。佐藤への執着と独占欲は常軌を逸してる。もう狂気の領域だ」
「渡辺のユーリアへ捧げる愛情なんて、鈴木と比べればピュアもピュア。鈴木の佐藤愛は、歪んだ欲望で煮詰まりきっている」
私には恋や愛はわからない。
それでもこれだけは言える。
この女の愛の重たさは狂っている。まともではない。
「佐藤になんて全然惚れてないわ。まあ……押し倒してくる男らしさを見せてくれたら、子供を生んであげてもいいけど」
聞いてもないのに、顔を合わすだけで鈴木は愛を語る。
鈴木は重たいほどに歪んだ愛情を佐藤に持っている。絶対に取られるような真似はしたくないのだ。
そうなるとまた別の疑問が湧いてくる。
「そんな周りくどい真似してないで、好きなら好きってとっとと告白すればいいじゃない」
「佐藤のことなんて別に好きじゃないわ。でも――」
「ソフィアの件をあいつにバラすわよ」
「佐藤のほうから好きだって言ってもらいたい……」
面倒になってソフィアのカードを切ったら、即落ちであった。
鈴木は照れくさそうにもじもじしている。ただ、愛していると言われたいと。私は模範的な恋する乙女ですと主張せんばかりに、顔を背け羞恥に染めた。
純愛をその胸へ大切にしまい込んでいるかのようだ。ただその胸を開いてまず目に入るのは、同居している狂気である。
そして私は、かつて渡辺たちが言ったその言葉の意味を知った。
「まさか鈴木から折れろっていうのは、そういう意味だったの?」
「そう、さっさと貴様から告白しろという意味なんだ」
てっきり理不尽なことをしてごめんなさいをしろ、という意味だと思ったが。まさかそっちの意味での折れろだったとは。
鈴木が女だとわかった瞬間、色んな意味が変わってくる。
「……待って、じゃあなんで、他の男と唇を交わしてるのよ」
狂気の愛情を持っている鈴木は、佐藤以外にそんなことを許すとは思わなかった。
なのに得意げにこの女は『舌の味も知らないお子様と一緒にしないでほしいわね』と私を煽ってきたのだ。
狂いに狂って、佐藤の気を引くため他の男と逢瀬を重ねたか? それともあれは、ただの嘘だったのか?
答えを求めると、田中が苦々しい顔で首を横に振る。
「佐藤の家で四人で飲んでいたときの話。佐藤が酔いつぶれて、わたしたちはそれを運ぼうとした。でも鈴木がいつものことだからと、佐藤に肩を貸して部屋に運んだの」
「そのときは鈴木もかなり酔っていたからな。十五分くらい経っても戻ってこないから、そのまま潰れたんじゃないかと様子を見に行ったんだ」
二人の大きな大きなため息が吐き出された。
本当にこの女はどうしようもない奴だとばかりに。
「そしたら布団に寝かしつけられている佐藤の上に、鈴木がまたがっていた」
「二つの頭がそこには重なっていた。そして部屋に響き渡っている、エロゲやAVでしか聞いたことがない淫靡な音」
「俺たちは気まずくなって、そっと扉を閉じたんだ」
鈴木を見る。
湯だったように真っ赤な顔は、夕日のせいではない。罪を認めたことによる、有罪の色であった。
「あれは常習犯の手口だ」
「戦争状態でなおも寝込みを襲うとか、完全にタガが外れてる」
「……確か蒼グリのアニメに佐藤がハマっていた頃だったな」
「そうそう。佐藤がクリス可愛い可愛い言っていた頃。それできっと、鈴木の発情スイッチが入った」
「どういうこと?」
なぜお姫様を可愛いと言うことが、鈴木の発情に繋がるのか。こうしてお姫様の身体を手にしたのはもっと後の話ではないか。
「ああ、それは鈴木の下の名前がクリスだから」
「鈴木のおふくろさんが外国の方なんだ。鈴木は向こうで生まれたから、そのときに名付けられたらしい。日本に戻る予定だったから、あえてクリスってな」
「日本で育てるなら、流石に鈴木クリスティーナは長い。帰国してからも、そのままカタカナ三文字で通すと決めたらしい」
「前に呼び方を改めようと鈴木が提案したとき、名前で呼びあえるチャンスだ、と考えていたのが透けて見えたな。フォローをしてやりたがったが、佐藤の正論に丸め込まれた」
どうやら名前で呼び合うのにひと悶着あったようだ。
結局生前の呼び名で落ち着いて、奇妙な光景を私たちは見るはめになったのか。
鈴木がやっていることが犯罪だという意味も、ようやく得心がいった。狂った愛が、衝動を抑え切れなかった結果のようだ。
「それじゃあ、合コン……? というものに行けず怒った件についてはどうなの。佐藤の細工でいけなくなって、その怒りが収まってないって言っていたわよ」
むしろその怒りこそが、今回佐藤をハメようとした原因だとも聞いている。
「鈴木は合コンになんて元々行く気はなかった。あれは誘い受けだ」
「誘い受け?」
なにを一体誘っているのか。
「いつか必ず意趣返ししてやると、佐藤が息巻いていたからな。そこで鈴木は閃いた。それはつまり、佐藤から沢山してもらえることでは、っと」
「そして後日大学で、『おまえを男たちのもとへ行かせない、って佐藤につけられた』と言いふらし外堀を完全に埋める予定だった」
「うわ……」
鈴木の悪辣さに、思わずそんな声が漏れた。
「寝たふりをしながらお楽しみを待っていたのに、蓋をあければ佐藤は道具に日和った」
「鈴木はそれにお怒りだったんだ」
「ほらね、佐藤が悪いでしょ?」
鈴木はほら見なさいと胸を張る。
なぜ被害者ぶっているのかがわからない。愛に狂いに狂って、常識を忘れるほどに頭がおかしくなっているのではないか?
聞きたい話は一杯あるが、聞けば聞くほどこちらの気が狂いそうだ。
「徹底的に女を寄せ付けないで、鈴木だけが佐藤の側にいた女なのでしょう? それで振り向いてもらえないとか、そんなに微妙なの、元の鈴木の外見って?」
少なくとも私の知る佐藤は、美少女なら誰でもいい。本懐を遂げたい、と力の限り叫んでいた。
当時は聖人だなんだと言っても、まずは見た目を求めてもおかしくはない。
「いいや。元の鈴木はさながら、二次元から抜け出してきたかのような美少女だ」
「むしろ今の鈴木はキャラデザが劣化している」
「殺すぞ! ……と思ったが、こればかりは好みの問題だ。それを生かしてモデルをやってる、そこらの大人より稼ぐ売れっ子だからな」
なのに渡辺と田中は、やっぱりそれは否だと首を振る。
「神が二物も三物も与え、ついでに何個か与えておくかと生まれたのが鈴木。息をしているだけで幸せな未来が待っている、そんな女だった」
「だが、その成れの果てがこの始末だ。もしこれが『やべ、盛りすぎたから適当にバランスを取っとこ』と後から佐藤を与えたのなら、まさに神采配。もしくは悪魔の所業。果たしてどちらか」
お姫様と比べて遜色ない外見。
田中はともかく渡辺がそこまで言うのなら、それはもう恵まれた女だったのだろう。
だからわからない。本当にわからない。
「そんな女と同じ屋根の下で暮らしておいて、なんで佐藤は手を出さないのよ。やっぱり性格の問題?」
私はその牙を向けられたことはないが、この短い間でどのくらい狂っており、害を振りまく女なのはよくわかった。
例えどれだけ美しかろうと、こんなヤバイ女に手を出すほど佐藤も愚かではなかった。聖人だと言われていたのだから、自己抑制もできる男だったのかもしれない。
「いや、裏の顔を悟らせず、佐藤への対応は完璧だった」
「戦争が始まる前の鈴木は、まさに慈愛に満ちた女神そのものだ」
いい加減にしてほしい。
気が狂いそうになる。
ソフィアが生娘とわかったら、秒で手を出すとまで言われたあの男は、鈴木のなにが不満だったのか。
好きな女がいたわけでもなさそうなのに、なぜ鈴木をここまで狂わせるほどに、手を出さずにいられるのか。
「じゃあ、佐藤は一体なにが不満だったのよ」
「佐藤を泥酔させて聞いたことがある」
よかった、どうやら答えはもたらされそうだ。
もしここで真実を知ることがなかったら、佐藤を問い詰めに走ったかもしれない。
かくして田中たちは、そのときの様子を語ってくれたのだ。
次話は明日の17時です。
明日中には完結いたしますので、どうか最後までよろしくお願いいたします。




