8.平穏いいんじゃない?
それから数ヶ月が経った。
ゼンジロウは、8時に出勤し、17時きっかりに帰る生活を繰り返している。
変わったことも特にない。強いて言えば、キャステがストレス解消代わりに、密輸業者をしばき倒しては、密輸品を巻き上げてくるくらいだ。
密輸品の内容によっては、宴会になったりもする。
トラブルとしては、先日、クルト君の愛船が、密輸業者の反撃を受けてハチの巣になって、泣いていたくらいか?となりでは、キャステが大笑いしていた。
こんな生活が、定年までずっと続くと思っていた。
けれど、あっという間に世界は変わっていく。
大宇宙新聞
銀河歴192年11月13日 銀河共通時間9:00発表
銀河連邦、地球圏へ撤退か?
本日、銀河連邦アントニオ大統領は、月面大統領官邸にて、緊急記者会見を開催。
大統領は、「コスモ憲章の『宇宙移民自主独立』の理念に基づき、各行政区の独立準備に協力する用意がある」と発言。同時に、一部重要地域を除く、すべての行政区に駐留する連邦軍の撤兵を明言。
今後の方針については、銀河全体の安定を図るべく、重要拠点に連邦軍を駐留させつつも、各行政区の自主的な活動を促していく方向ともコメント。
実質的な、赤字の行政区の切り捨てであり、各行政区においては、人心の動揺が深刻化している。
この発言の背景には、銀河連邦の財政難は、もはや看過できなレベルにあることが予想される。連邦軍の縮小と、巨額の財政負担となっていた各行政区への投資の中止により、財政危機を乗り越えたいねらいだ。
デスクに新聞を広げたゼンジロウは、呆然と、冴えないアントニオ大統領が記者に受け答えする写真を見つめる。
いつもは、ニュースに興味のないキャステとクルトも、驚いて記事を読んでいる。
「局長、これってどういう意味だよ。俺、政治のことはわかんねえ」
「うん、分かりやすく言うとだな、銀河連邦は地球圏に帰るらしい。ウチのような赤字の行政区は捨てて、一部の黒字の行政区と地球圏だけでやっていくつもりらしいぞ」
「それじゃあ、俺たちどうなるの」
「わからん。大統領は、私たちの独立を促していくらしいが……」
「もし、独立したら、おっさんがドギワの最高権力者?」
「今でも、名目上は最高権力者だけどね……」
こんなみすぼらしい最高権力者もいないだろう。と、ゼンジロウは、昨日スーパーで買った半額シールの菓子パンと牛乳と一緒に食べる。
すると、コンコンとドアがノックされた。
マリウス大佐だろうか、いつもよりも随分と時間がはやい。
「たっ大変です。ゼンジロウ局長、いや、本日からゼンジロウ首相」
マリウスは、慌てて入ってくると、ゼンジロウに辞令を手渡した。
【ドギワ行政局長を免じ、本日をもってスロウランド共和国首相に任ずる
スロウランド共和国議会】
「ドギワ行政区は、廃止され、スロウランドを首星とするスロウランド共和国が成立しました。これより、銀河連邦の自治区から独立国に変わりました!」
だが、ゼンジロウはいたって冷静だ。
「ふーん。でも、どうせ名義だけだろう。他の行政区は知らないが、ウチは連邦軍が行政権を握ってるんだ。何も変わらないよ」
「そんなことはありません。ドギワ星系駐留軍にも、撤退命令が発令されました。すでに一部部隊は、地球圏への退却を始めています。これが、簡単ですが引き継ぎの書類になります」
マリウスは、段ボールいっぱいに入ったファイルの束をどさっと渡した。見るだけでめまいがする。これだから仕事ができる人間の簡単は信用ならない。
「あくまで、こちらは簡略版のマニュアルを二重にも三重にもさらに簡略化したものです」
ゼンジロウは、少なくなった頭髪を両手で搔きわける。何をすればよいのか検討がつかない。目の前の段ボール箱の書類をシュレッダーすれば、問題がどこかにいったりしないのだろうか。
「……キャステ君、クルト君。ちょっと、今日は残業を頼むことになりそうだ」
「局長、いえ、首相。急用につき、本日は小官は休暇を取らせていただきます」
「えっと、俺も、俺も取るっす。なんか身内に不幸がありそうな、虫の予感がするっす。それじゃ、失礼します。あっ、首相就任おめでとうっす!」
2人はよそよそしい態度で、あっという間に帰った。
「それでは本官も、撤退業務がありますので……気を落とさず」
マリウス大佐も帰る。
ただ1人オフィスに残されたゼンジロウは、半笑いでずっと突っ立っていた。
人間、なんとかなる。
それを実感した一週間だった。
スロウランドの住民だって、死にしたくない。電気が止まって、食料はこない。ハイウェイの事故は放置されたまま、車が燃え続けている。
そんなのは嫌だ。
ドギワ星系に駐留している連邦軍も、地球圏に帰る。
でも、大量に現地採用の職員を雇っている。急に解雇すれば、多額の違約金が必要だ。支払いたくない。
ドギワ行政局、あらためスロウランド共和国政府は、おっさんと左遷された軍人、チンピラ崩れのアルバイトの3人しかいない。絶望的に人が不足している。
ただ3人に共通しているのは、せっかく窓際から這い上がれるチャンスを逃したくはないという思いだ。
なんとしても、共和国の運営を軌道に乗せる必要がある。
無秩序を恐れる住民、違約金支払いを渋る連邦軍、保身に走る共和国政府の奇妙な利害一致により、権力移行、スロウランド共和国の独立は、誰も予想しなかったほど、スムーズにすすんだ。
一波乱はあると予想したアナリストたちが、驚いたほどの平穏さだ。
「独立」その言葉のイメージからは、何か新しい時代を予感させる、若々しい季節の到来だ。
だが、スロウランドにおいては、「独立」とは現状維持そのものになった。
解雇による違約金の支払いを拒否する連邦軍は、人手不足の共和国政府に行政機構をそのまま委譲。
共和国政府も、自分たちでは国家運営などできないので、諸手を上げて、受け入れを表明。
スロウランドの住民たちも、日々の平穏が乱される心配がなくなり、依然とまったく変わらぬ日々を送っている。
ありふれた飲食店が看板だけ架け替えて、新規オープンと名乗っているのと同じだ。店主も含めて、誰も新規オープンとは思っていない。
ただ一つ変わったのは、ゼンジロウの残業時間が跳ね上がったことだ。
「どうするんだ!独立式典は。連邦政府から誰を呼ぶ!下っ端でいいのか、それとも高官か?外交儀礼が全くわからん!」
左右に書類が高く積まれたデスクで、ゼンジロウは唸る。首相になっても、大臣は1人もいない。正確には、ゼンジロウが全大臣を兼務している。前代未聞のめちゃくちゃ内閣だ。
「アタシが知るわけないでしょう!それより、式典の儀仗兵はどうしますか!軍楽隊もいないので、私物のスピーカーで音楽を鳴らすなんて。どこのお遊戯会です。警備員を雇う金もないので、首相官邸フリーパスです。アサシンが来たら、首相、死んでください」
軍務長官に就任したキャステ准将が、式典の要項を見て頭を抱える。一応、彼女は出世コースから外れる前には立派な式典にも出席していた。そのころのイメージが、まだ恥ずかしいという気持ちを持たせる。
「うるさい!私だって、困ってるんだ。赤字垂れ流しで、首相官邸の電気なんて、来週には止められる。こんな貧乏人を殺しにくる物好きなんていない!」
首相官邸と名前を変えた2階建のボロオフィスの廊下に貼られた、「節約」と書いたポスターが虚しく、風に揺られている。
自分を殺しに来る物好きがいると知っていたのなら、この時点でのゼンジロウの動きも変わっていたのだろう。