6.人間砲弾のゆくえ
投げ出された恐怖のあまり、私は目をつぶっていた。
どたん、と臀部に衝撃がはしる。痛い。多分、あざができたろう。家に帰ったら、湿布を貼ろう。なんて、妙に冷静なことを考えてしまう。
いや、冷静じゃないから、こんなことを考えてしまうのかもしれない。冷静でいられるわけがない。
訳も分からず、ジャングルまで連れて来られたかと思うと、いきなり密輸業者とバトル? 思考が追いつかない。
こんなことなら、スーツで来るんじゃなかった。
今の着地で、どこか破けてしまっただろうか?高い物なのに。せっかくの長官就任なんだからと、一張羅を着てきたのが、バカみたいだ。
いや、死にかけてる時に、スーツのことなんて考えている自分のほうがバカかもしれない。バカばっかりだ。
ともかくだ。
あの激流の川に投げ出されるなんて事態は避けることができた。
ここはボートの甲板か?
周囲を確認しなければ。
臀部の痛みが引いてきたので、しかめつらの顔を元に戻し、ゆっくりと目を開ける。
「おい、おっさん。俺を捕まえる気か?捕まえられるものなら、やってみろよ」
そこには、引きつった笑みを浮かべた、いかにも不良然とした若い男がいた。汚らしい長髪をなびかせ、耳にはいくつかピアスを開けている。
密輸業を生業としているためか地味なダークグリーンの作業服を着ているが、首には大きな金色のネックレスがかけられている。一点豪華主義だろうか?高級なためか、安物のためか知らないが、そのネックレスは、ひどく光沢を放っている。
「……私は話し合いに来ただけだ。よく分からないまま、君の船に飛び込むことになったのは「ごちゃごちゃ、うるせえ!」
若い男は、堪え性がないようで、緊張に耐えきれなかったのか、ズボンのポケットから、接合部のバリ取りもろくにしていない、粗悪品の拳銃を取り出す。
すると、ろくに狙いも定めず、私へ向けてぶっ放してきた。
外れた弾が私の近くにある木箱のコンテナにあたり、欠けた木片が飛んでくる。
狭い甲板上だ。もし彼の持っている拳銃がサタデーナイトスペシャルでなかったら、もし彼が落ち着いて一呼吸置いて私を狙っていたなら……。
その先を、一瞬想像してしまい、股間部に暖かい水が流れはじめる、止めようにもこの場に立っているだけで精一杯だ、漏水にまで対応できるほど私のメンタルリソースは多くはない。
アンモニアを含んだ水を吸ったスラックスが内股に張り付いて不愉快。折角の一張羅を自分でダメにしてしまった。
若い時のように、積水が堰を切って流れ出すふうには、いかない。チョロチョロと、勢いなく垂れ流れているような湧き水が、靴下を濡らす。こんな場面でも衰えを感じるとは、トホホ……
「……おい、おっさん。大丈夫か?タオルならあるぞ」
若い男は、私が銃を向けられた恐怖で、生まれたての子鹿のごとく、両膝を左右に上下に激しく揺らし、足元に大きな水溜りを作ったのを見かねたようだ。
右手で拳銃を握って警戒しつつも、空いた左手で油で黒く汚れ切ったタオルを投げてくれる。
自分に危害を加えにきたかもしれないおっさんを助けてくれるなんて、いい若者だ。どうして、こんなところに身を落としているのだろう。
機械油まみれのタオルなので、スラックスを拭くのには遠慮した。代わりに、私の足元を中心に広がりつつある水溜りをぬぐう。
この船は、きっと彼のものだ。彼は敵であるが、それでも、人の持ち物を小水で汚してしまうのは申し訳ない。
こんなに優しい青年の船をションベンくさくして、困らせてしまうわけにもいかない。
うんしょ、うんしょ。と心をこめて甲板を磨く。
かつては、私をやめさせようとする周囲の命令で、資料編纂室の隣にあるトイレをよく掃除したものだ。
掃除は、業務を与えられない私の業務の一環になっていたほどなので、素人の仕事だが、多少は自信もある。
タオルに染み込んだ油が、ちょうどワックスの代わりになってくれる。
「おっさん!この拳銃が見えないのか!あんたを撃とうとしてるんだぜ。なんで掃除してるんだ!」
「学生時代は文化部だった、私がどうやって、素手で君のような、筋肉隆々の若者に勝てるんだ。どうせ死ぬなら、情けなく暴れまわるより、良いことをしながら死ぬほうがいいだろ」
ふと、ボートの外を見ると、すでにホバーは、ずっと後ろにいる。もう、追いつけない。キャステ君も助けには来られないだろう。
私は、人生の最後に、少しぐらいは若者とコミュニケーションをするのも悪くないと考えた。
「このボートは、えらく速いんだね」
「いいことに気づいたな、おっさん。知り合いの誰も聞いてくれねえからさ、せめておっさん、死ぬ前に聞いていってくれよ。このボートはなあ、オクワ工業製の最新型エンジンだ。連邦軍の小型艇にも採用された、ハイエンドモデルでなあ……」
私が、エンジンの話を出した途端、若者は、もう戦っている場合ではないようで、いかに、自分が苦労して手に入れたこのエンジンがすばらしいか、ということを力説する。
おっさんもカタログを眺めて、妄想するのが好きなので、聞いていて苦痛とまではいかない。辛抱強く、いちいちウンウンとうなづいてあげる。
青年は、甲高い音を上げながら唸るエンジンをうっとりとなでる。なでることすら飽き足らず、ぺろぺろと舐め始めてもおかしくない、イカれ具合だ。
「私は文系だから、機械のことはよくしらないが、そんなに凄いエンジンならメンテナンスにもお金がかかるだろう」
「そうなんだよ。それで、俺はこんなクソみたいな稼業を続けてるわけ。憲に狙われるのは、まだ分かる。向こうも、俺たちを取り締まるのが仕事だからな。もっと腹が立つのは宇宙海賊の連中さ」
「どうしてだ。宇宙海賊と君たち、えっと、モグラとか呼ばれている地上の密輸業者は、いわば仲間のようなものでお互いに手を組んでいるんじゃないのか?」
「組んでいる?奴隷にされているの間違いだ。俺たちモグラが後ろ盾ないソロの運び屋だからって、調子に乗って、儲けのほとんどをピンハネしやがる。奴らは、自分よりも強者には弱いが、俺たち弱者に対しては強気なのさ。生かさず殺さずで、徹底的に搾取してきやがる。モグラは所詮、地面を這いつくばって、大空を舞う強者に目をつけられないよう息をひそめるだけさ」
「辞めたらいいじゃないか」
「エンジンのローンはどうする!俺みたいな後ろ盾のない小物が滞納すれば、とんでもない取り立て屋に債権がまわって、生命保険で代金を払う羽目になるんだぞ」
やれやれ、とため息をつくと、男は拳銃のトリガーに指をかけなおした。今度こそ、本気だ。
「ちょっと期待しちまったが、おっさん、やっぱりアンタも、他の連中と同じだ。結局、俺を救ってくれはしない。じゃあな」
「待った!」
クルトの指がトリガーを押し込もうとした時、ゼンジロウは、両手を広げて、立ちふさがる。
「早まるんじゃない。若いうちから、ヤケになるな。このままいけば、ろくな死に方をせんぞ」
「どのみち、俺はロクでもなく死ぬのは分かってるんだ。急にどうした、撃つのをやめろってことか。ふんっ、命乞いか?」
「私が仕事を紹介してやる。こんなみみっちい犯罪に手を染めることはない」
ゼンジロウは、胸のポケットから一枚の名刺を取り出す。クルトは油断なく片方の手で拳銃を握り、もう一方の手で名刺を受け取った。
「ふんっ……ドギワ星系行政局長ゼンジロウ・ガケフチ。肩書きだけは立派じゃないか。行政局長は、お飾りって噂だけど?」
「なっ、何故知っている。けれど、人1人を雇う予算くらいはある。いいだろう。私の権限で給料もちゃんと出す。君みたいな若い者が命を粗末にしちゃいかん。私のところで働こう」
ゼンジロウに息子がいたら、このくらいの歳だったのだろうか。
若い頃の悲恋を思い出す。過ぎ去った日々だ。
若い頃の自分は、この目の前のクルトのように、血気盛んだったのだろう。
妙に、彼の日常に押しつぶされまいと抵抗する姿にシンパシーを覚える。
もうどうにでもなれだ。どうせ、殺されるなら最後におせっかいでも焼いたほうが、多少は徳を積めるだろう。
「そうだ。私な、お肉の商品券を持ってるんだ。使う前に死ぬのは惜しい。君も肉を食え。そのあと、私を殺すがいい」
ゼンジロウは、財布をさぐり、資料編纂室のみなが、栄転祝いにプレゼントしてくれた銀河共通おにく券(5万ゴルド)をちらつかせる。
クルトは、ごくりと唾を飲んだ。