804 お花はいかが。5/16
5月16日 水曜(旧暦夏、雨期まっただなか)
僕の主催するイベントでは雨天順延や中止はなかったから
いちおう順延予定日は設定しているけど、まあ予定通りになる。
これはその穴埋め的なモノでオマケ。
学校の花卉棟を移管するにしても反対する人達も残念がるっていうのもいない。
夏にお世話してくれる子達がいなくて、お仕事だよってしても乗り気にはなってくれないんだけど収入を増やしたいのではないのかな。
学校の事務はバリバリする感じではなくて、どちらかというと楽なお仕事だから給金はそんなに高くないんだけど、それは基本ではってこと。
お仕事では監視や経理のシステムがあって事務とも統合していて、これを動かせるには半分程度の理解が必要で、ボヤンとしている人には扱えない。
使える人には当然手当が乗るし、そういう人しか採用はしないってことで、ここの基準からしては高めだし、分かっていないけど条件も良いんだよ。
でももっととか聞いてるから子ども達がお世話出来ないときに作業を担当することを喜ぶと思っていた。
学校の目的は研究だったけど、直接の利益にはまだなっていない。
成果を実際に落とし込むときの知識が不足していて、そのままでは実用化ができないから、ほぼ別モノ的な材質や構造の変更、組成も違っていて・・要はアイデアだけね。
この世界にはそれに対して金銭を払うルールも習慣もないんだけど、対価がなければその先には進まなくなるから、ロイヤリティにして手当を支給している。
それで教授って扱いなんだけど、論文の完成度(実験とかの証明、文章力とか)が低いせいでウチの学校の博士号は誰にも与えてはいない。
アイデアは良いのだから、せめて出版できるくらいの完成度じゃないとねえ。
もっぱら僕が書いたものばかりで政治、経済、生物、医術、化学、自然などなどとほぼ全範囲を網羅してて、最近のスポーツ関係とか物語や童話、伝承とかもある。星関係は多数からの寄稿をまとめたもので編集もなかなかでしょ。
結構、買った本のパクリもあってそう思わせないように登場人物やエピソードに設定も変えてしまうと痕跡が全く残らない。あっちは高価な重い本だし、作者不詳でたぶん没後何十年だからみんなの目に触れるのは僕らの方ってこと。
せっせと実用化のための研究を学校でしてる。工場で作るためには今出来る技術範囲に落とし込まないといけない。
それに過去にある多くの賢者達の思いつきをカタチにしてみたいし、基礎研究も大事なことだし、真理に近づいているっていうロマンがあった方が楽しいよ。
僕は実験、観察の繰り返しをいくらでも出来るけど、お出かけしないといけないから、代わりにしてくれる人達が必要になる。
やってみたいことはいっぱいあっても全く進まなかったんだけど、数年前からは方法が分かるようになって楽しい。それで時間が足りな〜いって。
ガッコに花卉棟を持ってきたのは、子ども達には土に触れて成長を育む心が必要だと思ったからで、熱心にやっていたと思っていたからいきなり終わった事がイヤだろうし続けたいよねって考えた。
それで移管したんだけど興味は最初のうちだけで、夏休み中にしようとはしてくれない。念のために事務の人達にふってみたんだけど、熱心どころか手抜きしようとする。これは学校の現金収入になるもので本格的になれば給金アップに繋がる。
1年様子をみて、そういう気持ちがないし、これからも起きないって再移管先を隣街にした。
あそこは火薬生産を縮小するから仕事を作らないといけなくて意欲もある。
しばらく様子をみてから移管した。これからあちこちを花でいっぱいにするつもりだし売り先は固定でいくつかある。役所にも新事業援助の予算付けてもらうし、目につくものになれば家でも花を求めてくれるだろうってね。
学校で生き物を飼うって計画というか要望があったんだけど却下した。
自動で楽な花卉の世話がみんなでできないなら、その先の本格生産はできない。
売り物を作っているという責任感も生まれないならムリだし、さらに面倒な生き物は不可能だと思ったよ。
村は生活の中に組み込んでいたし、お客さんという刺激があった。
お世話するのは楽しいし生活に変化をつける事は当然する。動物の世話ややりっぱなしのアレコレに文句を言ったことはなかったけど、イヤならイイヨにするから片付けを覚えただけかもしれない。
楽しそうに宿や花卉にキノコを育てていたのは楽しいだけだったり、家の仕事をしてるだけっていう後ろ向きな理由だったのかも。
どうしてと尋ねるほど望みの消えたことには関心がなくて、個々が認識出来ない僕にはすっかり終わったことになっている。商会のための人材育成ってことにも気持ちが薄れつつある。優秀なのは確かだけど、それだけならいらないよ。
ううん、うそうそ。すぐ逃げる事を考えちゃう。人がいないところだとツマンナイくせにね。
思いつきのイベントではないし参加もムリヤリはしていないし年間のスケジュールにもあるけど、やらないことになるだろうっていう失礼な計画をしてる。
ついこの前のもスケジュールに当然あって、今週のは企画書を出して来なかったからやらないことになっただけ。そういう計画の立て方もある。
先週したパレードはもう1〜3週早くても良い気がする。何日か雨だったし。
それでこれはこの雨期が始まるって時にしたかったもので今日が水曜で、日曜までして限定的なお花を売るというイベントはやってみたかったんだよね。
お花はアジサイとアサガオで商店街とリッチベルと魂のメン通りでいらっしゃいませ。浴衣とかジンベエとかを着てチリ〜ンもついでに売っちゃうよ。
お花を活ける芸術もあるのに花に親しむ人が少ない。これは世界中こんな調子でせいぜい雑草を採ってきて花ビンするくらい。
雑草がダメってことじゃあなくて、その辺に生えているものだけを適当に選ぶだけで育てないし、ましてムギの品種改良すらしないのに高く売れる王都でもないし鑑賞用に労力を割いたりはしないよねえ。
僕はなんかヤだし、花を適当な名前、あるいは知らなくても構わないにしてて、その程度だから花の咲く雑草って一緒くたにする。
芸術としての花は貴族な道楽だったけど少し裕福な人達もいる旧王都では名前を知ってお花を活ける人達も少しだけいるんだよ。
僕は来てすぐ「そういう文化があるなら」ってお花屋さんを三番目くらいにお店にした。前からタネの収集をしていたし、属国のオーダーにも混ぜて各地の特別なものだけじゃなく、野花の採取(タネ限定)もしてもらっていたりしてる。
元々、文化があるって知っているし作品っぽいものを見る機会はある。文化の真似事って庶民が憧れることみたいだし、整えられた花、彩りのキレイな花々はそうじゃなくてもステキって感じてる。
それで花びんしたり、平皿に剣山で生け花の簡単な作法(キレイに見える方法)を知るとステキを作れるよって。
今まで苦労してお花を用意していた人達が僕らの店でもっとたくさんの種類を扱えるようになると嬉しくなって周りにも教えてくれる。
裕福な人達は趣味を分かってくれるのはとてもウレシイことみたいだし、出来なかった素材や多くの種類の花、色んな花器にウワサで聞いていたような土や肥料があって、それは庶民にも気軽に買える価格になってる。
順調に売上げを伸ばしていたんだけど、あるところからは頭打ちになった。
別にゴリゴリ稼ぎたいってこともないんだけど、人口と歴史を感じる文化があるところなんだから、まだまだ全然足りない。生活には彩りが要るんだよ。
それでもこの国は末端まで花を愛でる素地がちゃんとある。
その上、詩文にも通じているのは、ムダだと思った官吏試験の本がたくさんあるカミに模写されていたからみたい。
読める人は読めるってあたり聖国に通じるものがあるね。
西の方はその辺で採った花ばかりで、薬草を干すことに倣ったのか乾燥して花を残す方法とか押し花を編み出した。
技術としてはありきたりだけど応用で文化はうまれる。
香りを残すことが出来るし、水気を抜いてもう枯れる心配をすることはないの。
それでもういいにしがちなんだけど安易な方に流れて欲しくないし、せっかく文化になりそうなんだからトコトン追求して欲しいと思うわけ。
なので、生態系に影響を起こさないことに注意しながら色んなものを持ち込んでいるんだけど、それだけじゃあ足りない。
お花どうぞって、個人レベルだけでは大して変わらないってことを知った。
もっと大掛かりにしないと気持ちは動いてくれないし、生活の中の花がついでではツマラナイんだよ。
それで花イベント。特定の花に絞って嫌いなジメジメの季節までも楽しいに変えようとしてて、それはここではきっと成功する。
花卉栽培は簡単に拘り過ぎて、花や小さな果物を工場化して大事な面白みを失っていた気もするんだけど、やらないって理由にはならない。
小さな子どもでも簡単に出来たってことは、老齢とか身体不良とかで今までは戦力なり得なかった人達も働けるってことになる。
隣町に本格的に移管することになったときにそういう説明(言い訳)をした。
ものは言いようってことで納得する理由があれば人は態度が変わるらしい。
花火事業が内陸の道の不通だけではない事はきっと気が付いていて、復興の後も道を直そうとはしなかった。もしかしたら懸念していること(紛争気配)を誰かに聞いたのかもしれない。
花火に火薬事業の活路をって思った人がたぶん多いんだろう。(いっぱい応援してくれたしね)
でも、それだけじゃあ今まで手間が掛かって(つまり従事者が多い)いたお仕事が全員には割り当てられない。
実は街中の人達が資産持ちっていうのを見つけて安心してイイヨにしたから、混乱がなかったけど、左ウチワで喜ぶような人達ではないし、一生分には足りない。
粗食にさせるつもりも文化なしとか生きてれば良いだろうとかの貴族的思考はなくて、生活を豊かにして文化もして、笑って過ごす環境も必要で、たまにはパ〜ッとするために目一杯働けってするのが僕だもの。
縮小していた農業を復活させて、繊維産業を引っ張ってきて、まだ足りないからお花を育ててねにした。
火薬づくりは継続しているけれど生産の追加はしていなくて新しい方法に変えることを予定しているから火薬が出来上がる度に仕事がなくなる人達が出る。
早々に仕事を求めて僕らの資格試験(お仕事募集)にやって来た人はいるけど少数で街を何とか出来ることではない。
お仕事が必要って意識はみんなにあってお仕事割り当てはスムーズだった。
花火が今までと明らかに違って華やかで美しいものだったから希望を持ったのかもしれないし、アチコチに動員して連れ回した人達がクチコミする効果は狙ってはいなかったけど、確かに未来を感じてくれたみたい。
アジサイとアサガオは何となく最初に育てたかった。
移管した水肥による生産工場に改良を加えてお披露目する前にというか、練習というか最初の生産物アピールにしたかった。
実際はもう移行は済んでいて商店街や宿とかに卸しているんだけど内外の発表は楽しいものにしたかったんだよね。
あと初めてする人達にお花を好きになってもらいたかったから、最初に土いじりにしたの。売り物だからカタチを整えないといけないしダメなものは出てくる。
水肥の方って設計を苦労して、ほぼ失敗がない。それはイイコトだけど育むという感覚とは違ってきちゃったみたいで良くないなって。
出荷の時は涙ぐむ人もいたくらい。
それがどんな気持ちかは僕には分からないんだけど悪い事はないんだよね。
いっぱい作っちゃったし、ぜひって言うので隣街やその先の町とかでアサガオ市をたてることにしてその売り子をかってでてくれてる。
もちろんそれで運営出来ることはないからパートを雇っていて、そっちはやらせた収穫祭の他にお祭りとかしているのかなってちょっと思った。
首長たちにお祭りさせて経済をちょびっと動かせて人気取りってイイかもね。
この時期にしたのは雨期を楽しまない人達がイヤだったからだけど、どうしてこの花にしたのかは分かんない。
アサガオを見てると気持ちがザワッして、それがイヤじゃないの。何でかな。
お花どうぞがうまくいかなくたって諦めたりしない。
生花はステキだし、飾ると気持ちがウキウキする。
残念ながらお花を面でアチコチ植えたのは枯れてしまってそのまま。
だけどへこたれないし、もうお花と野菜プロジェクトは進んでる。
需要は掘り起こすものだし、自前で作ればいいだけだもの。
乗り遅れたら置いていっちゃうよ。ちゃんとついてきてね。




