208.旅の終わりに――褒賞
海から戻った後。
ある日の学園の片隅で、レンは仔犬たちの様子を見ていた。
飼い主が来て嬉しい仔犬たちはレンの足元でコロコロと転がるが、そうする内に仔犬同士で取っ組み合いを始める。
甘噛みしながらのお遊びだが、夢中になると仔犬たちは加減を間違えて相手に悲鳴を上げさせ、しまったという表情で、相手をペロペロ舐める。
「お前ら、仲良いなぁ。いいことだ」
海まで行き、その過程で今後の住処を探したい。という理由から始まった旅が終わり、レンはひとつの学びを得た。
(……そりゃ良い場所が見付からない筈だよなぁ)
静かで便利、素材が豊富な所、のような条件は確かにあった。
だがそれは絞り込むための条件でしかない。
そして、その条件に合致するだけの場所なら幾らでもあるが、それは単に条件に合うだけの場所でしかない。
「レンが住みたい場所」という大前提があり、それを満たせる場所がなければ意味がないのだ。
前提を満たした場所が複数あれば、その条件で絞り込めるが、そもそも、前提を満たした場所がなければ話にならない。
(海岸沿いはまあ、魚介類が豊富って意味じゃ最高だけど、それもアイテムボックスを使った流通でなら手に入る……湿気の少ない砂漠の気候は蒸し暑さはないけどその辺は魔道具で対処出来るし、砂が入り込んでくるのは錬金術にはよくない……あの温泉施設が気に入ったなら、オラクルの村に作ることもできる)
どこもまあ悪くはなかった。
それなりに良い所があり、暮していくのにあまり不自由はしなさそうだった。
しかしそれ以上ではなく、良いと思える部分には代替手段があるし、何なら多少の不便はレン自身が何とでもできるのだ。
大前提を満たせる場所、と考えかけたところで、レンはもういいか、と溜息を吐く。
(『青い鳥』だったか)
魔物の脅威が大した脅威とはならないレンにとって、行けない場所はあまりない。
そして自前で結界杭を用意できるレンに取って、住めない場所もまた、あまりない。
(日本で苦労していた分、こっちではノンビリ生活したかったけど、気付けば自分から色々首を突っ込んでるし、たぶん俺はそういう人間なんだ)
別に、オラクルの村やサンテールの街の人達が嫌いになったわけではない。
ならばいっそ、諸々引退して、嫌になるまではこのままオラクルの村で生活するのもありか。と、海から戻ったレンは思うようになった。
(色々と工夫して作った拠点でノンビリ生活したかっただけなんだ。オラクルの村周辺は、その条件を満たしている。
ノンビリ生活、という部分が微妙に満たせないが、相談事は神殿経由でのみ受付、年に何回か以上の相談を持ちかけられたら国から出て行くとか言っておけばそれなりに落ち着くだろう……そもそも俺が自分から顔突っ込んでるのはノーカンでいいし。
フェロモンを使った黒蝶対策や、神託装置、気球の開発など、考えたいこと、やりたいことは沢山ある。いずれは安全な外洋航行船もなんとか出来ないか考えてみたいし、何百年かしたら、科学技術を少しずつ公開して行くのも面白いかも知れない)
そんなことを考えつつ、レンはじゃれ合って、またしても一塊になっている仔犬たちを抱き上げた。
「結局の所、どこで、じゃなく、誰と、が大事だったんだなぁ」
レンに抱き上げられた仔犬たちは、何して遊ぶの? と期待に満ちた目でレンを見上げる。
期待させちゃったなら仕方ない、と仔犬たちを下に下ろしたレンは、それぞれを片手で地面に転がしてやる。
仔犬たちはアウワワワと妙な唸り声を上げながらレンの手にじゃれついてはまた転がされては喜ぶ。
「アストラもヴィオラも、転がされるの好きだなぁ」
ちなみに、雄はクロエがアストラ――正式名はアストラガロで、あだ名がアストラ――と命名し、雌はライカがヴィオラと呼んでいたのでそれがそのまま採用された。
レンの手でひっくり返され――むしろ自分からひっくり返ってお腹を見せつつそこをくすぐるレンの手に甘噛みしたり捕まえたりと忙しい仔犬たちにレンは優しい微笑みを浮かべる。
そして、興奮のあまり強めに噛んで来たアストラのマズル――顎から鼻先の部分を掴んで、やや低い声で
「噛んだらダメ」
と躾も忘れない。
(例えばどこに行くにしても、アストラとヴィオラがいないのは嫌だ。居場所ってのはそういう事なんだな)
日本での健司は、学生時代は友人に恵まれていたが、勤めに出てからは忙しさを理由に多くの人間関係を断って生きていた。
したくてそうした訳ではないが、結果としてそうなって、体を壊した後はそんな自分を見せたくなくて連絡をしなかった。
だから、居場所というのは建物や周囲の設備といった物理的なものだけではないということすら忘れていた。
当たり前と言えば当たり前だが、快適なスローライフには一定の人間関係も必要になるのだとレンは理解した。
ただそうだとすると、その先には大きな問題がある。
(寿命の違い……快適な人間関係を構築しても、相手がヒトだとどうなる?)
エルフであるレンと、人間の大多数を占めるヒトとでは、その寿命に10倍近い差がある。
それはヒトと犬や猫の寿命の差に近い。
そうなると、ヒトの中に生涯の友を作ることは出来ない。
老齢になってから仔犬を飼い始めたのでない限り、生涯、同じ犬を飼い続けることができないのと同じ話だ。
簡単な解決策はある。
エルフに混じって生活すれば良い。
だが、仮にそこにレンに取って好ましい人間関係がなければ、それは設備を整えたのと意味合いは変わらない。
そもそも現時点でレンが好ましく思っているのは、たとえはサンテール関係者や王宮関係者、神殿関係者など、ヒトが多いのだ。
彼らを切り捨てて安寧に逃げても、その先の生活が平穏なものになるという保証はない。
いつまでも、彼らはどう生き、どう死んだのかと考え続ける後悔の日々を過ごすことになる可能性すらある。
(人より寿命が短くても人は犬を飼い、猫を愛する。人を動物扱いする気はないけど基本は同じなんだよな)
ヒトの短い人生を輝かしい物にできるように、長いエルフの時間を使おう。
そのために、好ましい人達の間で生きる。
それが、レンが海への道程で得た答えだった。
「結界杭の補修で安全を確保して、病気や怪我で子供が死ぬのを防ぎ、中級以上の職業についた大人が増えれば、魔物に殺される大人も減る。その上でこっちの世界のじゃなく、地球の錬金術みたいなものが始まれば、人口減の問題は完全に解消するよな」
そう呟くレンに、仔犬たちは不思議そうに首を傾げるのだった。
◆◇◆◇◆
その数日後、王都からルシウス侯爵とラウロ公爵がオラクルの村にやってきた。
これが会議のためなどであれば、そして特にレン相手なら、広範囲の権限を持つルシウスが動かねば効率が悪い。
だが、いくらレンが神の使徒であろうとも、その立場はたかだか村長でその上無爵。無爵のエルフ相手に公爵を『使者』として遣わすなどあり得ないほどに異例である。
ルシウスは、人類全体の脅威である黒蝶駆除とその方法を編み出した功績を称えるという、口上を述べたあと、なぜ自分が来たか分るか、とレンに尋ねた。
「会議ならともかく、使者として公爵や侯爵が動くって、それ、もう使者ってレベルじゃないですよね? そんなの見当も付きませんよ。また何か問題ですか?」
「実はレン殿の功績を称える上で、貴族達からひどい突き上げがあってな?」
「あー、王国内の立場だと無爵の村長に過ぎませんからね」
分ります、と頷くレンに
「分ってくれるか」
とルシウスは満面の笑みを浮かべ、その隣でラウロが、ラウロにしては珍しく、やや黒い笑みを浮かべた。
「学園やら先の事やらで十分なご配慮は頂いていま……」
「それでな? 貴族達の中からレン殿の石像を作ろうという声が上がっておるのだよ。ちなみに、王家の者でも石像が建立される者は少ないが、それだけの功績と見做されたということだな」
「いやちょっと待って。それはいくら何でも不敬とか言われそうなんですが?」
ですよね、と王家至上主義のラウロに振るレンだったが、ラウロは
「王太子殿下も良い考えだと述べておられるから不敬には当らぬだろうな」
と返す。その返しを予想していなかったレンは、これなら多少のワガママは通るだろうと思っていた切り札を切ることにした。
「ちょ……そんなことしたら俺は学園放り出して逃げますからね?」
が、ルシウスはその答えも予想していた。
「とは言え、レン殿に適正な褒賞を授けねば、貴族からの突き上げで国の政が回らなくなるという状況なのだ。レン殿が逃げ出したとなれば、更に、褒賞を受け取ることなく姿を消した謙虚なエルフという文言が石像の石碑に刻まれることになりかねないのだが」
「だから、石像は確定、みたいに話を進めないで下さいよ。別に他の褒賞でも問題無いわけですよね?」
レンがそう言うと、ルシウスは困ったような表情を見せる。
「だが、レン殿は爵位も領地も金も断っておるだろ? だからこそ、貴族達が正しい評価を求めておるのだよ……レン殿の功績をもって、何も受け取らぬのでは、今後、並大抵の功績では褒賞を受け取れなくなるという問題もあるしな」
当然、はした金を渡した程度でお茶を濁せる状況でもないのだ、とルシウスは溜息を漏らす。
「……爵位はいらないです。貴族制度に組み込まれて、上位貴族からの命令を断れなくなるのは嫌ですから。それならお金か土地……土地の場合、領地となると貴族制度に組み込まれかねないので、誰も管理していない土地の開拓権とかなら?」
「ふむ……まあその辺りが妥当か。義兄殿。それでよろしいか?」
「問題は無さそうだね。それでレン殿、場所の希望はあるかね? 街や村から1キロも離れればどこでも構わぬのだが」
「あー、面積はどの程度ですか?」
「サンテールの街」
街ひとつ分も貰えるのか、と驚くレンにルシウスは続けた。
「そこからオラクルの村、妖精の村を含む一帯相当になるだろうね。何しろ今までの功績も未処理になっている」
「以前の功績は、税の減免とか人員の手配とか、色々融通して貰ってますよ?」
「結界杭を修繕し、失われた職業の恩恵を取り戻し、失われるはずだった多くの民の命を救い、妖精の住む村を整えるための必要経費――いや、経費にしても少なすぎると、貴族達は認識しているのだよ」
なるほど、とレンは頷いた。
例えば税の減免などで得られるのは、支払う税金の額を超えることはない。それらを合計しただけでは、経費にはまったく足りていない。
だが減免があることで商機が増えることや、それらが暁商会の利益となることで、レンは――稼いでいるのは正しくはライカだが――十分に稼いでいるのだ。
それが見えないからこそ、そういう意見が出るのだろうと考えたレンは、具体的に自分が受け取った金額を伝えてみた。
すると。
「それはレン殿が商売で稼いだ金であり、褒賞には当らぬのだよ」
と言われて閉口することになる。
だが、任せた場合は石像コースである。
それは避けたい。
「……分りました。土地で手を打ちましょう。ただし、それは貴族達の総意によるものと記録に残してくださいね?」
「構わんが、なぜかね?」
「500年くらい後になって、エルフが王国内の土地を自由に使っているのは何故だ、みたいなことにならないようにです」
それを刻んだ石板を街の広場などの目に付くところに由来として設置することで、多少の自衛も出来るでしょうけど、とレンは苦笑いを浮かべるのだった。
「で、希望の場所はないかね? あれば可能な限りその方向で調整するが」
「その面積だと……普通の街や村サイズを複数箇所ってのはありですか?」
「可能なら一カ所にまとまっていた方が面倒がないが……なぜかね?」
「素材集めやらで、あちこちに拠点があると便利そうかなって程度ですね。まとめろと言われたらオラクルの村を貰いますけど」
読んで頂きありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっています。
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あ、今日はワクチンうってきます\(・∇・)/




