203.海への道のり――作戦開始と不測の事態
黒蝶が迫る中、エルフ達はレンとライカの協力のもと、可能な限りの準備を調えた。
作戦はシンプルだが、幾つもの不確定要素がある。
だから、黒蝶に最も近い2カ所を除けば、点火する場所は確定していない。
浅いVの字で済めば良いが、火柱通過後に黒蝶が大きく左右に膨らんだりした場合は、深めのVの字にしなければ取り逃しが許容範囲を超えるかもしれない。
だから、着火ポイントは、浅いVの字、深いVの字の二種類に対応出来るように用意してある。
序盤は、比較的黒蝶に近い、浅いVの字の一番下のあたりにレンとライカ。それに加えて伝令役が4名。ギルドの冒険者2名、いずれも魔術師。ちなみにギルド関係者の大半は村で待機である。
レンが作ったただただ周囲の木々よりも高い石造りのタワーの天辺に一同は待機している。
そして、空堀には既に火が放たれており、逃げる獣や魔物は火を避けて堀に沿って左右に分かれていく。
「レン様、黒蝶、作戦開始予定位置通過ですわ」
予めライカが木の梢に結んだ布と黒蝶の位置から、そう告げる。
「それじゃ、燃やす予定の木に向けて炎槍を5発ずつ」
レンの言葉に、伝令役が呪文を唱え始める。
「熱き焔よ、我が意のままに、敵を穿て。炎槍!」
「5つの焔よ、敵を穿て。炎槍!」
それぞれが自分流に短縮した詠唱で5つの炎槍を生み出し、1秒刻みで撃ち出す。
これは着火のためではなく、連絡のためのものである。
なお、伝令役の本当の役目は、作戦の大きな変更などを伝える際に走ることである。
「右の1番、煙が上がり始めました」
「左の1番も同じくです」
レンも同じ景色を見ているが、一々、声にするのはレンの指示だった。
当たり前に見える物でも報告する。
それにより、お互いの意思の疎通は滑らかになるし、見落としがあれば気付くきっかけにもなる。
「右の1番、白煙と黒煙が風でつむじ風状になっています」
「左の1番も同じく。ですが煙の形がやや不均等」
言われて見ると、左側で上がり始めた煙は、渦を巻いてはいるが、やや斜めになっており、そのため旋風の形が崩れている。
「あの程度なら問題はない。しばらく様子見だ……だが、あれ以上斜めになるようなら、一度風を止めて、やり直す必要がある」
「了解。様子を見ます」
程なくして、煙だけではなく、火の手も確認できるようになる。
距離があるため分りにくいが、大量の火の粉が舞っている
火の上では上昇気流が発生し、火の粉の混じった高熱の風が上空に上がっていく。
その熱気に触れただけで群れの先端を飛ぶ黒蝶の一部が落ち、側面から吸い込まれる空気の流れに吸い込まれていく。
レン達の位置からは木の上しか見えないが、2本の火災旋風が、群れに対して十分な幅を持って形成されていくのが見て取れる。
「ここから見た感じ、蝶達は火を避けようともしないな?」
レンの呟きに、ライカも首を傾げる。
「そうですね……夜、篝火を焚いても、寄ってこないとは聞いたことはありますが」
(……淘汰目的なら、危険を避ける知恵がある個体が生き残る方がよいだろうに……いや、しょせんは昆虫だ。知恵で生き残るより環境変化に耐えるタフさの方が重要なのか?)
と、そこまで考えてからふと気付く。
(この世界の獣や魔物は、黒蝶の脅威から逃げる知恵を持たないと死ぬわけだから、黒蝶ってのは獣や魔物が知恵を持つ方向に進化させる圧になるのか? ……いや、黒蝶の飛ぶルートはほぼまっすぐ。考えすぎか? ……そうでもないか)
ルートがまっすぐなら、その影響を被る動物はさほど多くないはず。
そう考えたレンだったが、黒蝶の群れはどこから出るのか決まっているわけではないし、1回で終わりというものでもない。
それに影響範囲は帯状で、その幅は街を覆うほどに広い。
影響を受ける面積はかなり広いという点に気付いた。
加えて、逃げた動物が、そのまま他の土地に居着くことも少なくはない。
結果、逃げることを選択した者の遺伝子が残りやすい環境となる。
となれば、知恵を持つ者が生延びるような淘汰圧が掛かっていると言えなくもない。
(知恵がつくって言っても、限度はあるだろうし、俺が生きてる間にどうこうって事はないだろうけど、こういう危険を放置した場合の懸念は誰か……王宮にでも伝えておこう)
レンがそこまで思考を巡らせた時、
「黒蝶の中心部分が火柱の間を通過! かなりの数が焼かれてるのがここからも見えます!」
先ほどから二本の火柱の上空に沢山の火の粉が舞っていた。
が、今ではその火の粉が火柱の真上以外にも広がっている。
黒雲のような黒蝶の群れ。
その黒雲から千切れたような黒い霧のようなものが、火に炙られて引火し、火の粉のようにちりぢりになっていく。
燃えた黒蝶に触れた他の蝶の中には、もらい火をするものもでているようで、蝶の燃える範囲はレンの予想よりもやや広かった。
乾燥していないので、森の木々が火の粉だけで燃えたりする可能性は低い。
しかし、地面は違う。
森の地面はたくさんの枯葉で構成されており、火災旋風に近い場所の地面は輻射熱と流れ込む風の影響でとても着火しやすい状況にある。
「伝令! 予想よりも蝶の燃える範囲が広い! 下に落ちた蝶が火種にならないよう、空気の壁は厚めにしろと左右の1番から順に手前にも伝えてくれ! 復誦せよ!」
レンの声に2名の伝令が復誦する。
「復誦します。予想よりも蝶の燃える範囲が広い。下に落ちた蝶が火種にならないよう、空気の壁は厚めにしろ。自分は右の1番から順次手前に」
「復誦します。予想よりも蝶の燃える範囲が広い。下に落ちた蝶が火種にならないよう、空気の壁は厚めにしろ。私は左の1番から順次手前に」
「よし、では往路は安全かつ迅速に。復路はゆっくりとだ」
「了解!」
伝令それぞれが、自分が向う火柱に向けて5発の変わった色の火魔法を発射して、塔から下りていくのを見送り、冒険者2名は首を傾げた。
「往路の安全で迅速はともかく、復路のゆっくりというのはなぜだ?」
「俺が知るか」
「あの……」
ふたりで首を傾げる冒険者に伝令のひとり――ヒトで言うと30そこそこに見える男性――が声を掛ける。
「失礼。答えを言ってしまっても?」
「えっと、ザハールさんだっけか? 教えて貰えるか?」
「ええ、ザハールです。それで、往路は安全に、可能な限り急ぎます。もしも伝令が途中で倒れれば、情報が一切伝わらなくなるからです。だから速度はそれなりに。何よりも安全重視なのだそうです」
言われてふたりの冒険者は、そう言えば、と顔を見合わせる。
「そういや、伝令なんて、複数ルートってのが普通なのに、それぞれに1名ずつしか送ってないな」
「ああ、普通は何人かを別ルートに送るな」
「そうできれば良いのですが」
そう言ってザハールは笑う。
「氏族の森の外を迷わず走れ、獣や魔物と遭遇した際にも最低でも逃げられる者でないと今回の伝令は務まりません。そうなると、ただでさえ少ないエルフの中では数が限られるのです。それで続きの「復路はゆっくり」についてですが、今回は遠くの方が最前線ですので、その手前には急いで伝える必要がありません、なので、多少遅くなっても良いので安全重視で、ということでライカから言われてるんですよ」
「なるほどなぁ……協力したいけど、森の中を迷わず、魔物を避けながらって言われると俺たちにゃちょっと難しいな」
「ちょっとって言うか不可能だろ、お前、普通に街道沿いの森で迷うじゃん」
冒険者同士でそんな言い合いが始まりかけるが、片方が真顔になってザハールに質問する。
「噂じゃ、ライカさんは長く黄昏商会を守ってきた番頭で、王宮のエルフの大臣の母親だとか聞くけど、あれは?」
「事実ですよ。調べればすぐに分かる事ですし、冒険者ギルドには伝えていると思いますが?」
「上は知ってるんだろうけど、俺たちには詳しい説明はなかったなぁ……なかったよな?」
「ああ、エルフの魔法をよく見てこいって言われただけだな……だけど、これ、見てもあんま意味ないよな」
冒険者達は、魔力感知で火災旋風の状況を眺める。
距離があるため、広範囲に魔力が漂っているのが分る程度だが、それでも自分たちでは制御できないほどの範囲に魔力が広がっているのが分る。
濃度は大したことはなさそうだが、薄く広くというのは、魔力任せではできない芸当であり、自分たちの魔法ではちょっと難しそうだ、と考える。
「あの魔法は精霊魔法なんだっけ?」
「精霊闘術って聞いたけど?」
「どちらも間違いじゃありませんよ。精霊魔法を極めると精霊闘術が使えるようになります。その辺もライカから説明をしてると聞いていますが、何か疑問が?」
「いや、単に実際に目にするとスゲーなって」
「何というか、あれだけ広範囲に魔力の影響を広げるとか、俺たちじゃ無理そうですよ」
口々に火災旋風周囲の魔力について感想を述べる冒険者達にザハールは苦笑いする。
「本来、精霊魔法はとても扱いにくいものですが、その分、熟練すれば様々な点で通常の魔法以上の効果が得られるのです」
得られるのは高い精度と広い範囲であり、使いこなせれば結果的に高い威力となる。
エルフでなければ使えないし、エルフであっても生まれた時に使える属性は加護として決まり、基本的に生涯変えることはできない。
不慣れな内は普通の魔法よりも使いにくいが、練達すれば普通の魔法よりも出来ることは多くなる。
逆に言えば、熟練するまでは低威力で、短縮詠唱も使えず流血が条件となるなど、普通の魔法の方が使いやすい。精霊魔法は普段使いには不向きで、熟練に時間が掛かる魔法なのだ。
だが、エルフは長い時間を持ち合わせていた。
ラピス氏族の者たちはレンに助けられた後、長い時間を用いて積極的に精霊魔法の腕を磨き、少人数でも森林火災に対抗できる力を手に入れたのだ。
「ヒトが精霊魔法を使う方法はないのかな?」
「エルフに伝わる話の中に、そういうことがあったというものはありませんが、だからと言って、不可能だという伝承もありません」
とザハールが答えたタイミングで、
「レン様。2番から狼煙です。黒蝶の本隊中央部分が1番を通過したようですわ」
とライカが報告する。
「思ったより時間が掛かったけど、異常はなさそうだな」
「はい。1番を通過して黒蝶の群れはやや横に広がっていますが、その幅は予想の範囲ですわ」
「なら、ライカは群れの動きに注意しておいてくれ」
レンはそう言って、1番の2本の火柱に視線を向ける。
弓使いの技能により、集中すると遠くの物がスコープで見たように大きく見える。
それを駆使して、火柱の制御に問題がないかを確認する。
まだ1番の火柱は燃えさかっており、空気とともに群れ後半の黒蝶を吸い込んでは上空に火の粉をまき散らしている。
落ちてきた火の粉は、途中、空気の壁に触れると光を失い、再び旋風に吸い込まれていく。
「2本目の点火予定地点に黒蝶到達。伝令は燃やす予定の木に向けて炎槍を5発ずつ」
計画通り、順調に推移していた。
黒蝶は、火柱の間を通過する際に少しずつ減り、なぜか通過時のみやや下降する動きを見せたが、基本的に一定の高さを維持していた。
2,3,4本目の火柱が作られる頃には、群れの幅は、当初の半分程まで減っていた。
火柱の外側を通過する黒蝶も皆無ではないが、無視できるほどに少ない。
目的が漸減で、この後も同じように減っていくなら、十分すぎる成果である。
「逃れた黒蝶が集まり始めてます」
「うん、見えてる。まあそうなるよな……群れが3つか」
中央の一番大きな群れはまだ残っている。
そして左右に逃れた僅かな個体が集まって小さな群れを形成していた。
黒蝶は群れで長距離を移動するのだから、はぐれた時に仲間に合流する能力があってもおかしくない。
普通に考えれば、大きな群れに合流する能力だろうから、中央の群れに合流してくれれば、かなりの数が落とせる。と考えたレンは、改めて黒蝶の群れを眺めて目を疑った。
「ライカ。中央の群れ、半分で分かれてないか? それで、なんか片方は思いっきり右の群れに向ってるように見えるんだけど?」
「……言われてみれば……風で煽られたにしては、動きが整い過ぎてますわね……これでは火柱を逃れる数が多くなりすぎますわ」
中央の群れが半分に割れ、火柱の右外側の群れに向って方向を変えている。
そして、左外の群れは大きな群れへと近付こうとしている。
そちらはむしろ火に近付いているのだから構わない。だが、中央右の群れが火柱のルートから外れるのはかなりまずい。
(火を避けるための行動か? いや、まだ、5番は点火していない。まだそこにない火を避ける? 点火間隔を学習した? 昆虫がこの短時間で? あり得ない……とか言ってる場合じゃない。原因不明だけど対策は……ああそうか)
レンは着火ポイントが記された地図を広げて黒蝶の位置に銀貨を置く。
(動き方はさっきと同じ直線と仮定する……と、こう進む筈……なら手はあるか)
「ライカ! 上空から右の黒蝶の群れの動きを確認してくれ。知りたいのは方向と速度がどう変化したかだ!」
「承知しました」
読んで頂きありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっています。
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